プラリバ跡地再開発計画

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 2015年7月末で閉館した福岡市早良区西新の商業ビル、プラリバ跡地の再開発計画が21日、所有者の東京建物からようやく正式発表された。高さ140㍍の40階建てのマンション(330戸)と商業施設からなる複合ビルを建設するというものだが、目を引いたのは8階建ての旧建物の西半分を4階建てに減築し、そのまま商業スペースとして活用するという点だ。跡地は完全に更地にした後、新たなビルを建設すると思い込んでいたので、これは意外だった。

 東京建物の公表資料によると、本体工事は来年1月着工、商業施設の一部開業は2019年度、全体の完成は21年度を予定している。旧建物を減築して一部活用するのは商業施設の早期開業を図るためだという。プラリバ閉館以降、周辺の人通りが目に見えて減ったことに対し、東京建物側も少しは責任を感じていたのだろうか。ただし、商業施設の広さは旧建物の29,000平方㍍から10,000平方㍍に大幅縮小される。大規模マンションを建てるぐらいだから、東京建物が西新を住宅地として有望だと考えているのは間違いないが、商業地としてはそれほど魅力を感じていないのかもしれない。

 プラリバ跡地がある西新商店街にはもう一つの大型店、イオン西新店があったが、老朽化によりここも昨年5月で閉店。二つの大型店が消えたことによる影響を危惧した地元からは昨年、活性化支援を求める請願が市議会に出されている。この請願は昨秋、市議会の委員会で審査され、お決まりの継続審査となったが、この時の議論によると、客足減によりすでに5、6店舗が商店街から撤退したという。また、つい先頃にはプラリバ前の交差点の一角に長く店を構えていたファーストフード店が突然閉店し、地元民にショックを与えた。

 以前、県外から遊びに来た親族の子が西新商店街について「三つも集中していて便利だね~」と感想を漏らしていたが、この三つとはファーストフード店のマクドナルド、ミスタードーナツ、ケンタッキーフライドチキンのこと。「友達とおしゃべりする場に事欠かない」という意味だったようだ。しかし、このうちの二つは西新から去り、残るのはマクドナルドだけになった。プラリバ跡地再開発計画がまとまったことは朗報だが、商業施設開業はまだ2年も先。商店街も、買い物で利用する市民も、我慢の時が続くことになる。

 残るイオン西新店の跡地利用については、イオン九州側からは今のところ、何の発表もないが、地元商店街などでつくる「西新発展協議会」という組織に昨年8月、東京建物とイオン九州が新たに加わっている。イオン九州としても西新から完全撤退する考えはないのだろう。前述の市議会委員会では、イオン西新店跡地について、市側は「今後の計画は不明であるが、商業施設が建設されるものと聞いている」と述べている。この言葉を信用すれば、イオン九州からいずれ、跡地利用について何らかの発表があるだろうと思う。
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4か国語のチラシ

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 福岡市東区で2001年2月17日に起きた老夫婦殺害事件について、福岡県警が日英中韓の4か国語でチラシを作り、情報提供を求めている。福岡県警が抱える未解決の殺人事件の一つ。英中韓国語でチラシを作製したということは「警察は外国人の犯行と睨んでいるのだろうか」と早とちりしたが、広く情報を求めたいという遺族側の要望によるものらしい。4種のチラシは、県警サイトの情報提供を募るページに掲載されているが、このページを巡っては5年前、「未解決は4件どころじゃない」という記事を書き、県警が抱える未解決事件をすべて掲載するべきではないかと訴えたことがある。

 5年前、県警のサイトに掲載されていた事件は以下の4件だけだった(日付は事件の発生、または発覚日)。
●北九州市若松区の主婦殺害(2001年6月29日)
●田川市のタクシー運転手強盗殺人(2001年7月19日)
●嘉麻市の男性殺害(2009年4月17日)
●博多湾で切断遺体が見つかったOL遺体遺棄(2010年3月15日)

 それが現在では次の4件に切り替わっている。
●福岡市東区の老夫婦殺害(上記)
●北九州市若松区の主婦殺害(2001年6月29日)
●宇美町のコンビニ店主殺害(2000年7月9日)
●田川市のタクシー運転手強盗殺人(2001年7月19日)

 嘉麻市の男性殺害、OL遺体遺棄の情報がサイトから消え、代わって老夫婦殺害、コンビニ店主殺害の2事件が新たに掲載されているが、消えた2事件が解決したわけではない。また、発生日でわかるように追加された2事件が最近新たに起きたわけでもない。サイトに掲載して情報提供を求めるのは概ね4件までという内規でもあるのだろうかと疑いたくなる。

 OL遺体遺棄事件は3月15日、発生から7年を迎え、風化を恐れる博多警察署はこの日、JR博多駅でチラシを配り情報提供を呼び掛けたという。16日の朝刊各紙の地域版にはその記事が掲載されていたが、依然として有力な手が掛かりはなく捜査は難航していると報じられていた。

 一方、老夫婦殺害とともに新たに掲載されたコンビニ店主殺害は「未解決は4件どころじゃない」の中でメインで取り上げた事件だが、こちらに関する報道は近年では全く見た記憶がない。「未解決は4件どころじゃない」を書いた5年前でさえ、事件の記憶を伝えるものと言えば、所轄の粕屋警察署前に貼られたチラシぐらいだった。発生から今年7月で17年。風化していくのも無理はない。

 上記事件以外で、福岡県警の未解決殺人事件をわかった範囲で一覧にしてみた。これらの事件も風化しつつあるのではないかという懸念を感じたので、事件概要を付け加えた。被害者、そして遺族の無念を晴らせていない事件が私がざっと調べただけでも、まだこれだけある。

●嘉瀬川男性切断遺体事件
 1996年2月3日、佐賀県富士町(現在は佐賀市)の嘉瀬川上流で切断された男性の両手足が見つかる。身元は後に北九州市小倉北区の元カラオケ会社経営の男性(50)と判明し、福岡、佐賀県警による合同捜査が始まった。男性は飲食店の家賃を不動産屋に支払うため多額の現金を持って外出、そのまま行方不明となっていた。

●ホテル従業員2人殺害
 1999年3月10日午後、北九州市戸畑区のラブホテル利用客から「女性が血を流し倒れている」との通報があり、捜査員が駆けつけたところ、女性従業員2人(46歳と50歳)が血まみれで倒れ、すでに死亡していた。ホテルの特性上、利用者は駐車場からフロントを通らずに出入り可能だったため、目撃情報や物証などもなく、発生当初から捜査は難航。現場は狭い坂道を上った住宅街の一角にあり、犯人には土地カンがあったともみられている。

●箱崎ふ頭で白骨遺体発見
 2006年5月23日、福岡市東区箱崎ふ頭の中古車置き場で一部白骨化した男性の遺体が見つかった。警察が司法解剖したところ、腹部に複数の刺し傷があることがわかり、殺人事件として捜査を始めた。遺体の身元は住所不定、職業不詳の男性(56)で、中古車置き場で寝泊まりしていたという。

●中古車販売業の男性殺害
 2006年6月15日夜、福岡市早良区野芥の路上で、帰宅中だった男性(33)が男に刃物で背中を刺され死亡した。男性の所持品は残されていたことなどから、警察では物盗り目的ではなく、顔見知りによる犯行との見方を強め、交友関係を中心に調べたが、有力な手がかりは得られていない。
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御鷹屋敷は如水の隠居所?

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 福岡城三の丸の御鷹屋敷跡にある「牡丹芍薬園」が散策路の補修工事などのため今月末まで閉鎖中だ。この場所には藩政初期、黒田如水(官兵衛)の隠居所があったと伝えられ、「黒田如水公 御鷹屋敷跡」と刻まれた石碑も建っている(石碑の写真は昨年5月撮影)。だから勘違いしていた。隠居所の名前が御鷹屋敷だった、と。しかし、1979年に行われた発掘調査の報告書『筑前国福岡城三ノ丸御鷹屋敷』(1980)を最近たまたま読む機会があり、両者は別物らしいことに気付いた。隠居所と御鷹屋敷では存在した時代が異なるのだ。誰が建てたか知らないが、紛らわしい石碑だ。

  屋敷跡の来歴については、昨年5月
「御鷹屋敷跡のシャクヤク」の中で簡単に紹介したが、訂正も兼ねて再度取り上げさせていただきたい。

 この場所に隠居所が完成したのは1603年(慶長8)と伝えられている。だが、如水は翌1604年3月に京都伏見の藩邸で死去しているため、仮にこの隠居所で暮らしたにしても数か月間だっただろうと報告書は指摘している。一方、「御鷹屋鋪」(※この字が使われている)の文字が初めて出てくるのは1812年(文化9)の城絵図だ。如水の死から200年以上も後の話で、隠居所が御鷹屋敷という名前だったと考えるには無理がある。

 では、御鷹屋敷とは何だったのか。絵図に名前が見えるのみで、文献資料には記録がなく、謎の存在らしい。1979年に行われた発掘調査は、牡丹芍薬園の整備に先立ち約1か月間行われたものだが、隠居所等の遺構確認とともに、御鷹屋敷の謎解明も目的の一つだったという。調査担当者は、鷹狩り用の鷹の飼育小屋などの施設があったのではないかと推測していたようだが、範囲も時間も限られた調査だったため、建物の遺構等は確認できないまま終わっている。ただ、陶器片や瓦などが大量に出土し、この分析から、隠居所、御鷹屋敷とは別の第3の施設の存在が浮かび上がってきた。

 発掘調査の報告書本編は冒頭書いたように1980年に発行されているが、普通は巻末に掲載されている図録は、なぜか10年後の1990年に別冊子として発行されている。この図録編に、高取焼(福岡藩の御用窯)研究者の興味深い論考がある。

 大雑把に要約すると、出土した陶器片の多くは17世紀後半から18世紀中期にかけての茶の湯関係のもので、中でも壊れた茶入れが14点もあったことが特筆される。茶入れは普通、水洗いするものではなく、また大事に扱われる器だから、短期間にこれだけの数が破損するのは異常。ここに茶器の製作所があり、藩主のめがねにかなったものだけを高取焼の本拠・小石原で焼成させ、さらに焼き上がった品も選別したのではないかというのが研究者の考えだ。現代風に言えば、商品開発のための研究施設みたいなものだろうか。

 こうなると、現在の牡丹芍薬園の場所に存在した施設は時代順に、如水隠居所、高取焼関連の施設、御鷹屋敷と移り変わったことになる。仮に建物は再利用されたにしても、全く別の施設と考えるのが妥当だろう。冒頭、石碑を紛らわしいと書いたが、実は市が設置した説明板にも「隠居所=御鷹屋敷」とはっきり書かれている(下写真)。あまり目くじらを立てる程の話ではないかもしれないが、市自らが市民を勘違いさせるのはいかがなものだろうかと思う。


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この30年を振り返ると

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 法務省が毎年公表している『無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について』がこのほど、最新版(2015年末現在)に更新された。この資料によると、2015年に仮釈放された無期懲役囚は11人(うち、新仮釈放者9人)を数え、過去10年では最多だったが、獄死した者はこの2倍の22人に上った。新仮釈放者の平均在所期間は31年6月。30年以上服役すれば、社会復帰のチャンスは全くゼロではないが、刑務所で一生を終える可能性の方が高い、という状況に変化はない。

 2015年中に仮釈放の可否が審査された31人の結果を許可 、不許可に分けて下に掲載したが、仮釈放を許可された者11人の中で50歳代が5人と比較的多いことが目を引いた。しかも不許可になった者はわずか1人だけ。60歳代、70歳代が許可された者各2人に対し、不許可はそれぞれ8人、10人に上っていることと比べれば、ずいぶん高い確率で仮釈放が認められたことになる。

 50歳代の仮釈放率が相対的に高いという傾向は、対象期間を2006~15年の10年間に広げても見られ、50歳代が33.3%(対象57人中、仮釈放許可は19人)だったのに対し、60歳代は18.6%(102人中、19人)、70歳代は17.7%(62人中、11人)と明確に差があった。なお、最も仮釈放の割合が高かったのは80歳代の45.5%で、母数は11人と少ないものの、このうちの5人が許されている。

 仮釈放の可否は個別具体的に判断されるもので、このように年齢別に傾向を見ることなど無意味だとは思うが、50歳代、80歳代が仮釈放が許される確率が高いことの裏には、比較的若い50歳代には「更生の機会をもう一度だけ」、80歳代には「最期は畳の上で」といった温情でもあるのだろうかと妄想してしまった。

 2015年に仮釈放が許された11人は1980年代前半頃から服役していたことになる。50歳代の場合、20歳代、あるいは10歳代後半からずっと刑務所暮らしだった計算だ。試みに1980年代前半の出来事をネット上から独断と偏見で拾い集めてみると、81年福岡市営地下鉄開業、82年長崎大水害、83年東京ディズニーランド開園、免田事件再審無罪、大韓航空機撃墜事件、84年グリコ・森永事件、投資ジャーナル事件、シンボリルドルフ無敗で三冠、85年日航ジャンボ機墜落、ショルダーフォン発売……。不思議なことだが、つい最近の出来事のように思えるようなものもあれば、歴史の彼方と思えるものもある。ちなみにショルダーフォンとは肩に担いで持ち歩く巨大な携帯電話だ。

 その後の30年間を大雑把に振り返ると、1986年頃から都会はバブル景気に浮かれ始め、この最中に消費税がスタート。90年代に入ってバブルがはじけると、理不尽にもバブルの恩恵がなかった地方ほど不景気に沈んだ。95年には阪神大震災、地下鉄サリン事件に衝撃を受け、やがて情報革命の波が社会全体に押し寄せ、小泉劇場がスタート。2008年のリーマンショックを経て、09年には民主党政権が誕生。11年には今度は東日本を大震災が襲った。ネガティブな出来事ばかりを書き連ねたせいもあるが、暮らしづらさがどんどん増していった30年だったという気もする。30年間隔離された後、この社会に戻ってきた11人にはどんな世の中に見えたのだろうか。

【許可】
年齢在所期間罪名被害者数
50歳代30年4月強盗致死傷1人
50歳代30年6月強盗致死傷1人
50歳代30年9月強盗致死傷1人
50歳代33年0月強盗強姦致死1人
50歳代33年9月殺人・放火1人
60歳代30年7月殺人1人
60歳代31年0月殺人複数
70歳代 30年10月 強盗致死傷 1人
70歳代31年7月強盗致死傷1人
80歳代29年11月強盗致死傷1人
80歳代30年6月強盗致死傷1人
 
【不許可】
50歳代30年4月強盗致死傷1人
60歳代30年7月強盗致死傷1人
60歳代30年9月強盗致死傷1人
60歳代30年9月強盗致死傷1人
60歳代31年1月殺人・強姦致死傷複数
60歳代31年2月殺人複数
60歳代31年3月強姦致死1人
60歳代31年5月強姦致死※0人
60歳代42年3月殺人1人
70歳代30年6月殺人・放火複数
70歳代30年8月殺人複数
70歳代30年8月殺人1人
70歳代30年9月強盗致死傷1人
70歳代30年11月強盗致死傷1人
70歳代30年11月殺人複数
70歳代31年0月強盗致死傷1人
70歳代31年3月殺人・強姦致死傷複数
70歳代39年2月強盗致死傷1人
70歳代40年0月強盗致死傷1人
80歳代32年5月殺人複数

 <注>被害者数は死亡者。罪名は強姦致死だが、死亡者が0人になっている例があるが、法務省資料に従いそのまま掲載した。写真は法務省旧本館。
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カササギ

 福岡県筑後市の農村地帯で先日、カササギを目撃した。カメラを構える間もなく飛び去って行ったが、写真でしか見たことがなかったツートンカラーの印象的な姿を見ることができ、非常にうれしかった。もともと国内では佐賀平野とその周辺にしか生息していなかった鳥だが、佐賀県の調査では近年、佐賀平野では減っているものの生息域は周辺に拡大しているという。 福岡市にも生息しているようで、インターネット上にはかなりの目撃談が掲載されているが、残念ながら私自身はこの街では一度も見たことがない。ちょうど今は営巣時期らしいので、毎日のようにあちこちの電信柱を見上げているのだが。(イラストはフリー素材サイトPixabayからお借りした)

 カササギはカラスの仲間で、別名はカチガラス。文禄・慶長の役の際、武将が朝鮮半島から持ち帰り、佐賀平野に定着したとも言われるが、異説もある。この鳥について調べる中で、福岡市総合図書館の郷土資料室で興味深い文献を見つけたので、少し中身を紹介させていただきたい。1926年(大正15)発行の『福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告書』にカササギの生態等に関する報告が掲載されているのだが、調査の苦労談が面白いのだ。

  調査を行ったのは川口孫治郎氏 (1873~1936)という研究者だが、野鳥の観察などという活動に対し、当時の一般人には 「金儲けにならぬことに彼程も時間と労力とを費やして遠方から観に来る筈がない」という偏見を持たれ、全く理解を得られなかったらしい。長期間観察を続けていたのに、最後の最後になって地元民たちにカササギの卵や雛を奪われ「幾週間積重の努力を一朝にして水泡に帰せしめられたること少からざりし事」と報告書には深い嘆きがつづられている。県が調査を行う際はこんな目に遭わないよう、調査に先立ち「町村一般の人々に向って、御調査の本旨を徹底せしめられ、小学児童にも篤と申聞かせ候はん事」と川口氏は訴えてもいる。

 この川口孫治郎という名前には、恐らく久留米方面では聞き覚えがある人が多いのではないかと思う。大正時代、旧制中学時代の明善校の校長を長く務め、教育者としても非常な尊敬を集めていた人で、この報告を行った時も校長在任中だった。鳥類研究者としても名高く、明治時代には絶滅したと思われていたトキを大正時代、佐渡島で再発見した人物こそが、この川口氏。彼がこの時に毛筆で著した『佐渡の鳥』には現代においても貴重な情報が数々記録されているといい、京都大で保管されていたこの資料を2012年、新潟大の朱鷺・自然再生学研究センターが復刻している程だ。

 川口氏がカササギについての調査を行ったのは、この当時、国内でのカササギの生態等について著した文献が全く見当たらなかったことも理由で、苦労談だけでなく当然ながら調査報告本文も面白い内容だ。中でも「此鳥は相応に人を識別する能力あるものの如く、人によりて之に警戒する程度を異にす」というところは愉快だった。高齢者や幼い子供にはほとんど無警戒なのに、害を加える意志を持った少年から壮年にかけての男性への警戒心は著しく、「彼等の眼は常に主として人々の眼に注がれつつあり」と、この鳥の賢さを川口氏は指摘している。

 また、カササギ保護のため、営巣場所となる大木は伐採するべきではなく、どうしても伐採する時は「相当の設備(例えば巣架けの為の柱状施設の如き)をなすの必要を見るに至るやも計られず」という提言には先見の明を感じた。都市化などで大木が減った現在、カササギが主な営巣場所としているのは、まさに“柱状の施設”である電柱で、佐賀県の調査によると、営巣場所の7割までが電柱だという。
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