「160万都市」の過疎

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 福岡市中央区・西公園の光雲(てるも)神社石段下で、十月桜の若木2本が小さな薄いピンク色の花を咲かせている。昨秋、この桜に初めて気付いた際は「狂い咲き」と勘違いしてツイッターで紹介し、恥をかいたが、春、秋の2回開花する変わった桜だ。全国の十月桜の名所では紅葉とのコントラストで人気を集めている例が多いらしい。西公園にも「もみじ谷」という場所はあるが、残念ながら十月桜とは場所が離れている上、葉はまだ青々としている。先日、山間部の早良区曲渕の国道263号線沿いで紅葉を撮影してきたが、こちらは見頃を過ぎつつある様子だったのだが。

 その曲渕地区にある唯一の学校、曲渕小学校が児童数減少に伴い来年3月末で休校になると聞いた。学制公布翌年の1873年(明治6)に創立された歴史ある学校で、現在は29人の児童が在籍している。曲渕小学校の歴史の中では決して少ない数ではないのだが、実はこの全員が小規模校への特別転入学制度「山っ子スクール」を利用して校区外から通ってきている子供たちだ。昨年度から地元の児童はゼロとなり、今後も増える見込みがないため、144年の歴史をいったん閉じることになった。今後、学校が再開される可能性はゼロではないが、市教委は今年2月の市議会常任委員会で「現時点で可能性は低い」と明言しており、このまま廃校になるだろうと報道されている。

 曲渕校区は広さ12平方㌔の広大さだが、大半は脊振山系の山林で、校区内に住んでいるのは2017年現在、72世帯、140人に過ぎない。ほぼ半数が65歳以上。2000年のデータと比べれば、世帯数はほぼ横ばいなのに、人口は60人も減っている。高齢者だけの世帯が増えているのだろうと想像される。山っ子スクールで29人もの子供たちが曲渕小学校に通っていたのは、田植えやタケノコ掘りなど同校ならではの体験活動が人気だったことも一因と言われるが、これらの活動には地域住民たちが協力してきた。しかし、住民の減少と高齢化で、学校を支えていくことが年々困難となり、地元児童がゼロとなったのを機に、地元側から早期の休校を求める声が上がったという。

 今月の福岡市の推計人口は158万1527人。人口が150万人を突破し、市が大はしゃぎしていたのは2013年のことだが、いつの間にか160万人が目前となっている。早々と「160万都市」と表現している報道機関さえある。しかし、一方で周縁部では、地域の中心だった小学校を自ら手放す決断を強いられるほど過疎と高齢化が進んでいる。「日本一元気な地方都市」などと浮かれていて良いのだろうか。
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予想外に人気だった「かなたけの里公園」

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 福岡市西区金武の「かなたけの里公園」に散歩がてら立ち寄ってきた。田畑を買収し、そのまま公園化した農業体験施設で、広さは約14㌶。整備費は33億円に上るが、そのうちの27億円までを用地買収費が占める。福岡市郊外では田畑など珍しくもない。やむを得ぬ「事情」があったことは知っているが、こういった公園にニーズなどあるのだろうか、と疑問に思ってきた。ところが、休日午後の公園は、小学生らしき年頃の子供を連れた家族で大にぎわいしていた。意外だった。

 この公園を整備せざるを得なかった「事情」とは、この土地にかつて、福岡市によって自然動物公園整備が計画されていたことだ。中央区の住宅街のど真ん中にある市動物園は広さは10㌶と手狭のうえ、1980年代後半頃には老朽化が進み、新築移転構想が持ち上がっていた。その候補地となったのが金武地区だったのだ。

 1996年には、同地区の農村地帯50㌶に、飼育する動物の生息環境を再現した国内有数の自然動物公園を整備するという基本構想を策定するなど、市は本気だった。一部市民の間では移転反対運動が巻き起こっていた程だ。しかし、この構想は一歩も進むことなく、2002年に取りやめとなった。動物公園整備には450億円の巨費が見込まれ、財政事情の悪化で、不要不急の巨大プロジェクトに取り組む余力がなくなったためだ。

 これに困惑したのが、10数年もの間、動物公園計画に振り回され、土地利用を拘束されてきた金武地区の住民たち。要するに「かなたけの里公園」とは、動物公園の埋め合わせだったのだ。

 こういった経緯で整備された公園でもあり、必要性に疑問を覚えていたわけだが、冒頭紹介したように、市民の人気は上々の様子だ。入場無料、出入り自由の施設のため、来園者数は集計できないようだが、公園が主催する体験プログラム等の参加者は開園初年度は2万6000人あまりだったのが、2015年度には7万人を突破するなど、増加の一途だという。私が想像する以上に、多くの市民にとって土に触れる機会は貴重だったのだろう。福岡市も都会になったものだとつくづく思う。犬のフンはあちこちに転がっているが。
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千年煌夜、今年はじっくり

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 福岡市で10月31日~11月4日、寺社が立ち並ぶ博多旧市街をライトアップで彩る「千年煌夜」が開かれ、期間中は好天に恵まれたこともあり、大勢の見物客でにぎわった。私も日本シリーズの移動日だった11月2日に行ってきた。「日本シリーズの移動日」とわざわざ書いたのは、昨年は仕事の都合で結果的に最終戦となった日本シリーズ第6戦の日に行かざるを得ず、試合経過を気にしながら慌ただしく会場を巡ることになったからだ。今年は心おきなく見物することができ、メイン会場の御供所エリアだけでなく、少し離れた呉服町エリアにも足を延ばしてきた。閻魔堂で有名な海元寺(博多区中呉服町)など初めて足を踏み入れた寺も多く、良い機会になった。
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復旧が進まない日田彦山線

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 先日、福岡県添田町にある道の駅「歓遊舎ひこさん」に向け、JR日田彦山線沿いの道を車で走っていた際、添田駅付近で、国鉄カラーの列車が停まっているのを目撃した。帰路に車窓から写真を撮ってきたが、方向幕には「団体」と表示されており、臨時列車のようだった。帰宅後に調べてみると、昨年7月の九州北部豪雨で被災し、添田~夜明間29㌔が今も不通となっている同線支援のため、小倉~西添田間で企画されたツアー列車で、私が見た時は添田駅で待機中だったようだ。

 昨年10月、「歓遊舎ひこさん」に日田彦山線の駅(駅名も歓遊舎ひこさん)が併設されていることに、うかつにも初めて気付き、
「どうなる日田彦山線」を書いた。この時、添田~夜明間は、復旧の見通しすら立たない状況だった。それから1年がたったが、状況に大きな変化はない。JR九州と福岡県を含めた沿線自治体との復旧会議では、JR九州社長が8月、バス転換の可能性を不用意に口にして猛反発を浴び、これに懲りたのか、今月25日に行われた会議では、JR側も「鉄道での復旧」を目指すことを再確認したという。しかし、これで一件落着したわけではない。

 添田~夜明間は、九州北部豪雨で橋梁損傷やトンネルへの土砂流入など53箇所も被災し、その復旧には70億円の巨費が必要とされている。さらに、被災前の同区間は、赤字額が年間2億6600万円にも上る不採算路線で、25日の会議について報じた西日本新聞朝刊などによると、JR側は復旧の前提条件として、収支改善のための財政支援も沿線自治体に期待しているという。これに対して自治体側は、観光客誘致など、いわゆる「乗客増運動」で支援する考えで、財政支援には否定的。両者の主張が平行線とあって、復旧工事着手は依然、不透明な状況だという。

 JR九州側は日田彦山線の全線存続を人質に、自治体側に身代金を要求しているようにも見えるが、自治体側が取り組む「乗客増運動」、あるいは「乗車運動」が不採算路線で果たしてどの程度効果があるのか、疑問でもある。先行例を探してみたところ、今年4月に全線廃止となったJR西日本の三江線(広島県三次~島根県江津、108㌔)について、存続運動に取り組んだ研究者の論考がネット上にあったが、非常に示唆的な内容だった。
(『廃止対象JRローカル線の存続問題ー三江線廃止問題から産業遺産、観光資源としての地域鉄道化を考察する。』風呂本武典・広島商船高等専門学校准教授)

 結論から先に記せば、三江線存廃を巡る自治体の対応について、風呂本准教授は次のように痛烈に批判している。
 「三江線の存続危機は周知されてきたにも関わらず、実情として沿線自治体は本腰を入れて存続するために身銭を切る努力を回避してきたと言わざるを得ない。(中略)そこでなお存続を目指すのであれば抜本的な支援策なりが必要であろうが、一方でそれはJRに対してただ単純に存続を要請する旧態依然の活動の範疇を出ていなかった。結局は陳情を繰り返し、乗って残そう運動が形を変えて掛け声だけが響く80年代の赤字ローカル線問題の再現であった」。

 存続のためには、やはり「身銭を切る努力」が必要というわけで、准教授はまた、「それでも地域が必要とするならば相応の負担が必要であり、そのための地域住民の合意形成や県や国への高度な根回しや支援策獲得への具体的行動が伴わなければならない」とも強調している。これを読む限りでは、JR九州の身代金要求にはそれなりに筋が通っていることになる。

 もっとも、廃止前の三江線の輸送密度(平均通過人員=1㌔当たりの1日平均利用者)は50という壊滅的な数字で、これは日田彦山線の不通区間を含む田川後藤寺~夜明間の299(2016年度、日田彦山線全線では1,302)と比べても極端に少ない。この数字が100万を超える東京・山手線などと比べれば、誤差に等しい違いだろうが、日田彦山線にはまだしも「乗客増運動」の余地があり、冒頭紹介したツアー列車運行などのような観光客誘致策はまったくの無意味ではないのかもしれない。

 歓遊舎ひこさんでは、1年前と同じく駅ホームを撮影してきた。列車が走っているのは、この駅の一つ手前の添田駅までで、添田~歓遊舎ひこさん間の距離はわずか1㌔あまりに過ぎないが、この区間でも土砂崩れが起き、この1㌔を列車は1年以上も越えることができない。もともと無人駅ながら、ホームは清掃が行き届き、荒れた雰囲気はまったくなかったが、線路の赤さびは1年前よりも色濃くなったようにも見えた。 
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世界的な彫刻家だった「ブルドン」の作者

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 福岡市早良区の市総合図書館前に、黒御影石製の犬の彫刻が置かれている。「ブルドン」というタイトルから判断すれば、ブルドッグがモデルなのだろうが、愛嬌のある顔立ちはパグにも見える。恐らく若手の作品だろうと勝手に想像していたが、訃報で、作者が世界的な彫刻家だったことを知った。今年7月、95歳で亡くなった流政之さん。代表作は、ニューヨークの世界貿易センター前にあった重さ250㌧の巨大石彫「雲の砦」。この作品は米同時テロの際、救助活動の妨げになるとして撤去されたが、流さんの作品は国内外に多数残され、高く評価されているという。

 総合図書館のあるシーサイドももち地区には、このほかにも数々の野外彫刻やモニュメントがあり、野外美術館の趣だ。このブログでも過去に地行浜中央公園にそびえるニキ・ド・サンファルの
「大きな愛の鳥」、市博物館前に並ぶブールデルの大作「雄弁」「力」「勝利」「自由」について取り上げたことがあるが、この機会に、他の作品についても調べてみたところ、「ブルドン」以外にも大物作家の作品が少なくなかった。

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 いくつか紹介すると、樋井川をまたぎ、地行浜と百道浜を結ぶ歩行者専用橋の両岸にある2体は、イギリス人彫刻家バリー・フラナガンの「ミラー・ニジンスキー」(写真は地行浜側の作品)。ロシアの伝説的なバレエダンサーを野ウサギに見立てた躍動感のある作品だ。フラナガンの野ウサギをモチーフにした作品は、国内では非常に人気があるらしく、福岡市内でもほかに、市美術館前に「三日月と鐘の上を跳ぶ野ウサギ」があるほか、宇都宮や箱根など各地の美術館にも彼の作品が置かれている。

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 総合図書館近くにある高さ8㍍のステンレス製モニュメントは、菊竹清文さんの「ウォーターランド」。菊竹さんは久留米市出身で、長野五輪の聖火台をデザインしたことで知られる。建築家の菊竹清訓さんは兄、戦前、軍部と戦った抵抗のジャーナリスト菊竹六鼓は親族に当たる。菊竹さんの作品はこのほか、中央区天神のアクロス福岡前に「スターゲイト」、同・済生会総合病院に「希望の鳥」など、計5作品が福岡の街を彩っている。この記事を書くに当たって参考にした『ふくおかパブリックアートガイド改訂版』によると、福岡市内にある野外彫刻・モニュメントは、菊竹さんの作品が最も多かった。なお、「ウォーターランド」は噴水を兼ねているらしいが、最近では、この作品から水が噴き出ているのは見たことがない気がする。
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「カープ油津駅」を見てきた

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 お盆休み、宮崎県日南市に遊びに行き、今年2月に誕生したJR日南線の「カープ油津駅」を見てきた。駅自体は昔からあるが、広島カープのキャンプ地がこの駅のすぐ近くにあることにちなみ、駅舎が真っ赤に塗り替えられ、カープ油津駅の愛称が付けられた。カープが強いと駅まで真っ赤に染まるのかと感慨深かった。この駅舎を眺めている際に聞いたのだが、親族の青年が来春、日南に転勤予定だという。仕事場はこの駅近くで、宮崎市内にある自宅もJR駅そば。当然、日南線で通勤するのだろうと思ったが、マイカーで通う予定だという。山越えの県道(※)を通って片道1時間あまり。非常に体力を使う仕事のため、彼の家族は「日南に引っ越しさせた方がよいかも」と心配そうだった。

 自宅、仕事場とも駅近くにあるのに、列車通勤が選択肢にさえ入っていないのは、都会の人には実に不思議な話だろうが、日南線のダイヤを確認してもらえば、納得していただけると思う。朝の通勤時間帯、宮崎から日南方面に向かう列車は、早朝の5、6時台に各1本。私はまだ、布団の中にいる時間帯だが、これを逃すと、次は始業後の9時台になる。帰宅時間帯のダイヤは少しはましだが、それでも午後5~9時台、日南から宮崎に向けて1時間に1本走っているだけだ。残業で退社が遅くなれば、乗れない危険性さえある。あまりに融通の利かないダイヤを嫌い、「日南線での通勤は、ちょっと無理…」と、彼は話しているという。

 JR九州は今年3月、全線で117本も大減便するダイヤ改正を行い、利用客や沿線自治体から猛烈な反発を浴びたが、日南線も減便路線の一つだ。どんな路線かと言えば、宮崎市の南宮崎駅から鹿児島県志布志市の志布志駅までの約89㌔を結ぶ非電化単線のローカル線。運行列車の中には宮崎が始発・終点のものもある。鬼の洗濯岩で有名な日南海岸沿いを走っているのだが、過去に何度か乗った経験から言えば、車窓からその日南海岸が見えることは意外に少なく、むしろ山の中をトコトコ走っているイメージだ。

 沿線にはカープだけでなく巨人のキャンプ地もあり、プロ野球のキャンプシーズンには結構混雑することがある。また、青島、飫肥城などの観光地も沿線にはあるが、全体として利用客は非常に少ない。JR九州が公表している2017年度の輸送密度(平均通過人員)は774。これはJR九州22路線の中では、吉都線474、肥薩線507に次ぐワースト3だ。ちなみにJR九州の輸送密度トップの路線は、鹿児島線(門司港~鹿児島)の34,649、区間別では同線・小倉~博多の83,716(これとて首都圏の路線に比べれば、非常に少ない)。油津駅の利用者にしても一日平均で100人を超える程度。利用客が少ない→減便→不便になり、さらに利用客が減る――という負のスパイラルに陥っていることは容易に想像できる。

 JR九州は2016年10月、株式上場を果たした。利用客低迷が続けば、将来、株主から廃線を求められる恐れもあると危機感を抱いた日南市は、職員の宮崎出張は原則日南線を利用するなど、利用促進運動を進めている。しかし、沿線にある日南、串間市の人口推移を調べてみると、1955年には合併前の旧日南市、旧北郷町、旧南郷町と、串間市を合わせて13万人弱を数えていたが、2015年には7万2000人あまりまで激減していた。13万人でも多かったわけではないのに、沿線人口がこれだけじり貧の状態では、運動の効果も恐らく限定的だろう。日南線、吉都線の存続を危ぶむ宮崎県は6月、沿線自治体代表や有識者らからなる「みやざき地域鉄道応援団」なる組織を発足させ、路線維持のための方策を幅広く探り始めている。

 蛇足だが、冒頭の「山越えの県道」について。私のような中途半端に宮崎を知っている人間は、宮崎から日南に向かう際、日南海岸沿いを走る国道220号線を使いがちだが、大雨などで崩れ、度々通行止めになるこの道を地元民は敬遠し、旧田野町から山越えで日南に通じる県道28号線を利用することが多いらしい。
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不法係留船が河口を埋める名柄川

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 福岡市西区を流れる名柄(ながら)川で、福岡県が昨年から、不法係留されているプレジャーボートの強制撤去を進めている。河口両岸には数年前まで、300隻近いボートが並び、ある意味壮観だった。あまりに堂々と係留されているものだから、まさか不法状態とは思わなかったぐらいだ。先日、たまたま近隣を通ったので、現状を見てきたが、依然として多数のボートが河口を埋めていた。カウントはしなかったが、100隻ぐらいはあっただろうか。以前より減っているのは確かだが、一掃には程遠く、沈みかかった廃船さえ放置されていた。撤去が行われているとは、到底思えない状況だ。

 これらのプレジャーボートは、護岸上にあるガードレールに係留され、護岸にはさらに、ボートに乗り降りするため金属製のはしごも吊されている。近隣住民は、車でやって来るボート所有者の不法駐車や、エンジン音に長年悩まされてきた。不法係留が増えてきたのはバブル景気の時代からというから、30年越しの懸案ということになる。

 不法係留のボートは、近隣の生活環境を悪化させるだけでなく、洪水が起きれば、水の流れを阻害し、被害を大きくする恐れさえ指摘されていた。それでも県は事実上、野放しにしてきた。「強硬手段に訴えても、いたちごっこになるだけ」という悲観論があったためだと聞く。正規の係留施設の利用料は結構高額で、近隣にある民間マリーナの使用料は、比較的安い陸置きの場合でも年間234,000~875,000円にもなる。不法係留は、この出費を嫌ったためだから、強制撤去しても他の川に移るだけ、という理屈で30年間手をこまぬいてきたのだ。

 なお、県が2011年に行った調査では、同年1月現在の名柄川河口の不法係留船が284隻だったのに対し、市内にある6収容施設の余力は600隻近かったというから、施設不足が不法係留の主たる要因ではないようだ。

 県はなぜ、ここに至って強制撤去に乗り出したのか。これは県の主体的な判断では全くなく、ただ単に国が全国の不法係留船を2022年度までに一掃する計画を打ち出したためだ。2011年の東日本大震災で、津波で流された不法係留船が二次被害をもたらしたことが国の決断の理由で、これを受け、県も重い腰を上げざるを得なかったわけだ。最初に不法係留の撤去に取り組んだのは東区の多々良川河口で、続いて名柄川では2017~19年度の3年間で一掃する方針だという。すでに10隻程度を強制撤去したらしいが、それでも多数のボートが居座る現状を見ると、難航必至と思える。所有者側には「何を今さら」という反発もあるだろう。

 多々良川では、県が恐れていた「いたちごっこ」は起きなかったようだが、名柄川の場合、具体名は伏せるが、数は少ないながらも不法係留が現存する川が比較的近隣にあり、注意が必要だろうと思う。ただ、県内のプレジャーボートの数自体は右肩下がりで減り続けており、日本小型船舶検査機構が公表している船舶統計によると、2011年度末には6,723隻が登録されていたが、17年度末には5,091隻にまで激減している。前述のように、正規の係留施設を利用する場合は相当な出費が必要になる。撤去を機会に、ボートを手放した人も少なくないのだろうか。
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学園都市化するシーサイドももち

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 今春、福岡市のシーサイドももち(早良区百道浜、中央区地行浜)に新たな大学が誕生し、さらに来年4月にも別の大学の開学が予定されている。いずれも医療福祉系の大学。同地区にはすでに2013年春、国際医療福祉大の福岡看護学部が開設されており(「百道浜に大学」)、130㌶ほどの埋め立て地に来春、三つの医療福祉系大学が並ぶことになる。

 今年4月に設置されたのは、南区筑紫丘に本拠を置く純真学園大の百道浜キャンパスで、同大は看護学、放射線技術科学、検査科学、医療工学の計4学科を持っている。キャンパスがあるのは、九州医療センター付属看護助産学校跡(住所は中央区地行浜なのだが…)。看護助産学校は、志願者数減少などを理由に今年3月限りで閉校となったが、3階建ての校舎は純真学園大が借り受け、学部生の実習拠点、及び大学院として活用することになった。

 今までと同様、医療センターの敷地内にある校舎で学生が学んでいるわけだから、一帯の風景に特に変化はなく、学校が看護助産学校から純真学園大に切り替わっていることにしばらく気付かなかった。九州医療センターは、看護助産学校の時と同じく、学生の実習に協力していくという。

 一方、来年の開学を予定しているのは、福岡国際医療福祉大(仮称)で、設置者は学校法人高木学園。こちらは早良区百道浜の山王病院隣で、同じく高木学園が運営している専門学校(来年閉校、写真)を衣替えする形で開設される。理学療法、作業療法、視能訓練の3学科で、各40人の募集を予定しているという。

 高木学園は、山王病院や国際医療福祉大と同じ高邦会グループの一員。2006年、高邦会のシーサイドももち進出が決まった際には、市議会の一部野党会派が強硬に反対した経緯があるが、シーサイドももちでの高邦会の存在感は次第に増している。「百道浜に大学」を書いた当時、医学部開設が高邦会・国際医療福祉大グループの悲願だったことから、「医学部の百道浜誘致に名乗りを上げたらどうか」と無責任に提言したが、国際医療福祉大の医学部はその後、千葉県成田市に設置された。

 新設の2大学はいずれも専門学校跡への進出のため、同地区で学ぶ学生数が急増するわけではなく、3大学を合わせた学生数も大学院を含めても最大1,000人程度にしかならない見込みだ。従ってタイトルの「学園都市化」は少し大げさだったと思うが、シーサイドももちにはこのほか、福岡市医師会が運営する看護専門学校と急患診療センターもあり、医療機関と医療福祉系の教育機関が集中する特殊な地域であるのは間違いない。

 蛇足だが、シーサイドももちの埋め立て完成前、地元の某有名高校をここに移転させる構想があった。同窓会等の猛反発もあり、すぐに立ち消えになったが、この構想が実現していれば、シーサイドももちは間違いなく学園都市として発展していただろうと思う。
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変化を続ける箱崎の風景

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 先日、福岡市東区箱崎の県立図書館で調べ物をしたついでに、界隈を散策してきた。過去に解体を取り上げたことがある九大の旧法文学部本館や筥崎宮の大鳥居はきれいさっぱり取り壊されていた。どちらも老朽化が進み、特に旧法文学部本館に関しては「寿命に達している」とまで診断されていた建物だから、解体は仕方がない。仕方はないが、そこにあるべきものがない風景には、やはり違和感を覚えた。(写真1枚目が旧法文学部跡地、2枚目が大鳥居が消えた筥崎宮参道)

 九大の箱崎キャンパスから伊都キャンパス(西区)への移転は、当初のスケジュールを1年前倒しして今年度中に完了予定。箱崎キャンパスでは現在、校舎解体が急ピッチで進み、立ち入り禁止区域が広がっていた。学生の姿が消えたキャンパス内で、代わって見かけたのは解体前の校舎を写真に収める人たちだ。中高年世代が多かったが、残された校舎を様々な角度から熱心に撮影する若い男性もいた。ノスタルジーと言うよりは、無為に消え去って行く近代建築を惜しんでの行動のように思えた。

 箱崎地区では1992年度から2015年度にかけて、JR鹿児島線の立体交差化に併せて大掛かりな区画整理事業が行われた。もともとJR、福岡市営地下鉄の駅を複数抱え、通勤・通学等には非常に便利な地。九大の移転で揺らいでいた学生の街は、区画整理事業によって一気にファミリー世帯向けの街へと転換し、鹿児島線沿線などには現在、大規模なマンションが林立している。今でさえ、学生街が健在だった頃の面影をたどることは困難だが、42.6㌶に及ぶ箱崎キャンパスの跡地利用が本格化していけば、箱崎の風景はさらに大きく変貌していくことだろう。

 ところで、九大の移転構想は、伊都キャンパス以前にも持ち上がったことがある。博多湾東部を埋め立てて建設された人工島・アイランドシティへの移転も検討されたらしいが、記録に残るものとしては1982年に当時の九大学長が発表した春日原移転構想が有名だ。具体的に移転候補地と目されていたのは、1972年に米軍から返還された春日原米軍宿舎跡地(計約156㌶、大半は春日市)。4月に書いた「県庁は春日原になる可能性があった」で、この土地が県庁移転の有力候補地だったことを紹介したが、実は九大移転の候補地でもあったのだ。JR鹿児島線、西鉄大牟田線沿いの広大な土地は、それほど魅力的だったのだろう。

 全面移転が実現しなかったのは、『春日市史』によると、地元側が九大を嫌ったためだとされている。理由の一つは、九大側が米軍宿舎跡地のほぼ全域を移転用地として望み、公園整備等を検討していた春日市側が難色を示したこと。さらに、激しい学生運動の記憶がまだ強烈だった時代でもあり、「学生運動の拠点ともなりかねない」というのも大きな反対理由だったという。確かに、墜落したファントムが建設途中の校舎にいつまでもぶら下がっていたり、過激派学生と警官隊との激しい衝突の舞台となった教養部は廃虚と化していたりで、学生運動最盛期の九大のイメージは決して健全なものではなかった。春日市の忌避は、理解できない話ではない。
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天神コアと天神ビブレとの間の段差

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 福岡では有名な話だが、福岡市・天神に隣接して並ぶ二つの商業ビル、天神コアと天神ビブレとを結ぶ連絡通路に階段3段分の段差がある。両ビルの前身の商店街時代からこの段差はあり、どういう理由か、段差を残したまま二つのビルは建てられたことになる。では、この段差はなぜ、生じたのだろうか。調べたところ、この辺りには明治時代後半まで「因幡町山」とも呼ばれた小さな丘があり、1910年(明治43)に開通した福博電気軌道(路面電車)敷設工事の際、大部分が削り取られたことがわかった。地形の詳細な変化まではつかめなかったが、「因幡町山」のわずかな名残が問題の段差らしい。

 天神コアは1976年6月、天神ビブレは同年11月の開業で、いずれも老朽化し、火災が懸念されていた商店街の再開発で建てられたビルだ。コアの敷地にあったのが西鉄商店街(西鉄街)、ビブレ側にあったのが因幡町商店街。「お客はどこまでが西鉄街で、どこからが因幡町商店街か、よく分からないまま買い物をする」(『福岡天神都心界五十年の歩み』1999)ほど一体の関係だったらしいが、その境目には緩やかな坂があったという。

 一方、福博電気軌道が1910年に開業したのは大学前~黒門間。後の西鉄市内線の貫線の一部で、現在の明治通りを走っていた。この敷設工事で生まれた段差のある土地を、所有する福岡市は後々公園として整備する考えだったとされる。しかし、戦後、焼け野原となった天神の復興が進む中で、問題の土地は段差を境に東側は「戦災復興会」、西側は西鉄不動産の前身の昌栄土地に払い下げられ、それぞれ独自に商店街が形成された。段差はそのままだったため、両商店街間の通路はスロープ状にならざるを得なかったのだ。

 現在のコア、ビブレも連絡通路で結ばれているとは言え、コアは西鉄、ビブレは再開発組合が独自に建てたもので、運営も別々だ。段差が残ったのは別に歴史を重んじたわけではなく、ただ単に解消することに考えが及ばなかっただけかもしれない。連絡通路にしても、設置の際には両者の間に意見の相違があったようで(『因幡町商店街35年史』1984)、段差は、密接な間柄でありながらも、一心同体にはなり得ないコアとビブレの関係を象徴するものとも思える。

 コアについては先頃、2020年3月に閉店予定ということが報道され、福岡では大きな反響を呼んだ。福岡市は現在、容積率を緩和することで民間にビル建て替えを促す「天神ビッグバン」を進めており、西鉄はこれに応え、コアと隣接する自社ビルの福岡ビルとを一体で再開発する方針だと報じられている。ビブレ側の再開発参加も望んでいるという。テナントの意向もあり再開発の先行きはまだ、不透明なところがあるが、仮に西鉄の構想通りに進んだ場合、段差は、三度目の正直で今度こそ解消されることになるのだろうか。
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