FMV-BIBLO改造に挑戦

IMG_9768.jpg

 最近、暇があるとYoutubeでパソコン改造動画を見ている。格安のジャンク品を現役復帰させる動画は特に面白く、自分でもやってみたいと思い、ジャンクパソコンを仕入れに某市のハードオフに行った(福岡市には店舗がない)。ところが、ジャンク品の棚にあった複数のノートパソコンはCPUがPentium IIIという恐るべき年代物で、しかも値段が数千円。東京・秋葉原のように2,000~3,000円で掘り出し物が見つかるとは最初から期待していなかったが、20年前のパソコンがいい値段で売られているのも予想外だった。時間軸が違う世界に迷い込んだ気分だった。

 仕方がないので、手持ちのパソコンの改造と修理に挑戦することにした。改造のターゲットは昨年暮れ、通販で買った富士通の中古ノートパソコンFMV-BIBLO NF70Wだ。購入価格は9,800円。これも発売当時はWindows Vistaがインストールされていた一昔以上前の代物だが、現在は32bit版ながらWindows10が入っている。購入直後にメモリを2GBから4GBに増やし、ハードディスクも80GBから320GBに増強していたが、さらなる強化を図ろうと、CPU(Core2Duo T5500 1.66GHz)を交換し、ハードディスクも読み書きが圧倒的に速いSSDに入れ替えることにした。

 このためにネット通販で手に入れたのは、CPUがCore2Duo T7200(2.00GHz)の中古品で、976円。SSDは120GBの品で、こちらは一応新品ながら破格の2,500円。有り難いことに、いずれも送料は無料だった。だが、SSDが内側がプチプチの袋に裸で入っていたのにはびっくりした。格安なので文句は言えないが。

 結論から先に言うと、これらの部品の換装を何とかやり遂げることができ、Windows10も64bit版に入れ替えた。この結果、少なくともパソコンの起動は早くなった。ストップウォッチで計ったところ、電源ボタンを押してから、デスクトップ画面が表示されるまで約32秒で、改造前の半分以下だ。ただ、メインで使っているパソコン2台(2台なのはテーブル用とこたつ用)もこれ以前にSSDに換装していたのだが、この2台の操作性が劇的に向上したのに比べれば、それほど使い心地に変化はない。やはり規格が古いため、SSDの能力を十分に発揮できていないのだろう。CPU交換に至っては、ファンがうるさくなったことが多分、唯一の成果(?)だと思う。

 しかも悪いことに、老眼と生来の不器用さが災いし、パソコンを分解する際にキーボードのキートップ2個を破壊し、キーボード上部のネジ隠しのカバーも折ってしまった。改造によってパソコンの性能は若干は向上したかもしれないが、それ以上に見た目が相当に悪化し、もはやジャンク以下だ。改造行為自体は面白かったのだが、性能アップと見た目の悪化のプラスマイナスを冷静に考えると、改造をやって良かったのどうか非常に微妙なところだと思う。3,000円あまりとはいえ、金を費やしたことを思えば、マイナスの方が大きかったかもしれない。(壊れたキートップはinsertとNumLkで両面テープで補修し、カバーも両面テープで貼り付けている)

 なお、修理に挑んだのは、1,080円で買ったジャンク品のVAIOで、この顛末については後日、気が向いたら報告したい。
スポンサーサイト
[Edit]

桜に似たアーモンドの花

IMG_9670.jpg

IMG_9669.jpg

 福岡市では21日、桜の開花宣言が出されたが、その直前の話だ。家族が「西南学院大でピンクの花が満開になっている。桜だろうか」と言うので、早咲きの品種が咲いているのだろうと思い、そろって見に行った。キャンパスの一角にある「聖書植物園」で、家族の言葉通り、ソメイヨシノよりも大ぶりのピンクの花が満開だった。キャンパス内に入らせてもらってネームプレートを確認すると、ピンクの花の正体はアーモンド。アーモンドなど身近にはなかったので、これほどきれいな花を咲かせるとは全く知らなかった。その場でスマホを使って検索すると、アーモンドの分類はバラ科サクラ属だった。「なるほど」と納得した。

 「聖書植物園」とは、文字通り聖書に記述のある植物等を集めた区画で、1999年11月に開園。現在では学内全体で、オリーブやイチジク、ナツメヤシなど聖書に関連する植物100種以上が植えられているという。オリーブやイチジクなどが聖書に登場するのはわかるが、アーモンドの方は何となく意外な気がしたので、どんな形で聖書に書かれているのだろうかと調べてみた。旧約聖書の『民数記』に「モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた」という記述があり、この「あめんどう」というのがアーモンドのことらしい。

 アーモンドの花が咲いているのは、修猷館高校裏の道路沿い。キャンパスの外から鑑賞できるが、見頃はやや過ぎた感じで、間もなくソメイヨシノとバトンタッチとなりそうだ。

[Edit]

1,080円で買ったジャンク品のVAIO

IMG_9634[1]

 先日、筑後地区の道の駅を巡った際、久留米市善導寺にハードオフがあったので思わず立ち寄ってきた。昔は私の生活圏にも店舗があり、掘り出し物でもないかと時折のぞいていたものだが、いつの間にか福岡市から完全撤退したらしく、すっかりご無沙汰になった店だ。ノートパソコンのジャンク品を漁ったところ、ハードディスクは入っていないものの、結構きれいなVAIOが税込み1,080円で売られていた。この値段だったら「たとえ動かなくとも、いじって遊ぶことができれば、損はない」と思い手に入れてきた。

 VPCEE25FJという2010年発売のA4ノートで、最初に結論を書いておくと、電源は入るが起動不能で、私の技術・知識ではいかんともしがたい状態だった。だから、いくらきれいであってもジャンクとして売られていたのだろう。ただ、ハードディスクなしのはずだったのに、日立製の320GBのものがしっかり入っていた。外付けケースに入れて確かめたところ、故障はなく、さらに2GBのメモリーも使用可能な状態だった。これで十分元は取れたと思った。

 動かないパソコンなので、無意味な情報になるが、一応仕様を書いておくと、CPUはAMD製のAthlonⅡで、周波数は2.1GHz、メモリは標準の2GB。OSはWindows7の64ビット版(プロダクトキーは付いていた)。一般的には、もはやまともに使えるスペックではないのだろうが、我が家にとっては必要十分な能力を満たしている。ネットで調べた限りでは、この機種はグラフィックチップの半田付けが不良となって起動不能に陥るケースが多いらしく、私が買ったジャンク品もまさにこのケースのようだった。ネット上には熱風であぶって半田を再固着させるという修理法が複数掲載されていたので、失敗覚悟でチャレンジしてみようかとも思ったが、長持ちする修理法でもないらしいので見送った。

 話は変わるが、先日、某全国紙に不要パソコンを重さにして20㌔までならば無料で回収、リサイクルしてくれるという企業の一面広告が掲載されていた。これ幸いと今まで使ってきたノートパソコン6台を回収してもらった。ずいぶん昔、外回りの仕事の時に持ち歩いていたThinkPad240Xなど思い出深い品もあったが、液晶パネルが割れるなど記念品として残しておくにも状態が悪すぎた。クローゼットの床に積み重なっていたノートパソコン群がなくなり、すっきりした。

 しかし、それから1か月もたたないうちに、このVAIOはじめ2台の使用不能パソコンが早くも床を占拠している。私は久留米に行ったら、またハードオフに寄ってジャンクパソコンを品定めしようかと楽しみにしているが、家族は「たとえ1,000円でも動かないパソコンを買う神経がわからない」と不満そうだ。多分これが正しい考え方だとは思う。
[Edit]

Ubuntuを使ってみた

Screenshot from 2019-02-01 13-08-11

 初めて買ったパソコンはWindows98SEマシンだった。それ以来、Windows以外のOSを使ったことはなく、ウェブページを見たり、文章を書いたり、写真を整理したりなどの使い方では特に不満を感じることもなかった。個人的な感想だが、Windows2000は特に使い勝手が良かった。ところが、最近になって実に情けない事情により、1台のパソコンにUbuntuというフリーのOSを入れることになった。使い始めたばかりで、偉そうに講釈をたれる段階ではないが、初心者にも非常に操作しやすい設計ではあるものの、意外に重く、非力なパソコンでは使いづらいとも感じた。

 Ubuntuをインストールしたのは、5年以上もメインマシンとして酷使してきた富士通製のLIFEBOOK AH45/Kという機種で、CPUがCore i3 3120Mの2.5GHz、メモリは8GBを登載している。購入当初はWindows8.1、その後、10にアップグレードし、何不自由なく使い続けていたのだが、破損と変色が進んだキーボードを交換したところ、何をしくじったのか全く起動できない状態に陥った。最初は放電すれば元通りになるだろうと甘く見ていたのだが、一向に状況は好転せず、内部の破損を疑わざるを得なくなった。使用してきた歳月を考えて修理をあきらめ、メモリは他のパソコンに流用し、ハードディスクは外付けケースに入れて活用することにした。

 ところがである。起動不能になって約3か月後、空箱同然のマシン内部をもう一度掃除し、試しに電源につないで起動してみたところ、うんともすんとも言わなかったLEDランプが青々と点灯したのである。キツネにつままれた思いでメモリを戻して再度電源ボタンを押すと、今度はBIOSが動き出した。ここで大喜びしてハードディスクを戻し、リカバリディスクで復旧作業を始めたのだが、なんとリカバリディスクの焼き付けにまたも失敗していたことが判明した(過去にVAIOで同じ過ちをしでかしたことがある)。メーカーに頼めば、リカバリディスクを送ってくれる有料サービスはあるが、今の私には安い値段ではないので、Windowsマシンとしての再生をあきらめ、無料のOSを入れた。これが「実に情けない事情」のあらましだ。

 数あるフリーのLinux系OSの中でUbuntuを選んだのは、無知な私でも名前ぐらいは聞いたことがあったという単純な理由だ。現在のところ、操作で困ったことはあまりないが、冒頭に書いたように想像以上に重く、ウェブ閲覧中に盛大にフリーズした時には驚いた。Windowsも、あの懐かしき98SEやMeまでは作業中に画面が固まり、にっちもさっちもいかなくなる時が頻繁にあったが、最近ではほとんどなかったトラブルだ。また、電源ボタンを押してから使用可能になるまでの時間が、意外にかかる。Linux系のOSは昔、スペックの低いパソコンを復活させるための救世主みたいに扱われていたが、少なくとも現行のUbuntuに関しては、インストール推奨要件は一応満たしているAH45/Kの重さを考えると、快適に使用するにはそれなりの性能が必要ということだろう。

 一方で、操作のわかりやすさとともにうれしいのは、セキュリティ問題にあまり気を使わなくてもよいという点だ。OS自体の堅牢さもあるのだろうが、Windowsに比べて利用者が格段に少ないため、わざわざUbuntuなどLinux系をターゲットにしたウイルスを開発する人間がほとんどいない、ということらしい。ただ、念のためファイアウォールは導入した。まだまだそれほど使っているわけではないので、Ubuntuについての感想はこの程度のものだが、月並みながら、これだけのOSを無料で提供してくれているのは本当にありがたい、と思う。
[Edit]

赤く塗られた頭蓋骨を見て人骨標本の空騒ぎを思う

IMG_9473b.jpg

IMG_9476b.jpg

 福岡市博物館の企画展示室に現在、赤く塗られた頭蓋骨が展示されている。西区にある千里大久保遺跡の発掘調査で、5世紀に造られた円墳から出土したもの。赤く塗られているのは、魔よけの意味とともに、顔料に防腐効果があるためで、顔料の正体は分析の結果、ベンガラと判明したという。上の写真は60歳代ぐらいの男性で、下は40~50歳代の女性。支配階級だけあって、30歳ぐらいとされる古墳時代人の平均寿命をどちらも大幅に上回っている。こんな頭蓋骨を日常生活で目撃したら恐怖を感じることだろうが、博物館や資料館で見ると、考古資料の一つに過ぎない。形態人類学の素養などかけらもないのに、撮影してきた写真を眺めては頭蓋骨の素性などについて、あれこれと想像を膨らませている。

 頭蓋骨と言えば、昨年から今年にかけて全国の学校で本物の人骨標本が相次いで見つかり、騒ぎになった。「怪談」などと煽るネットメディアもあったようだが、これだけあちこちの学校にあったのだから、本物の人骨を使った骨格標本が昔は当たり前にあったと考えるのが普通だろう。実際に一部新聞には「昭和40年代頃までは販売していた」というメーカーの証言が載っていた。通販サイトで確かめたところ、実物大の骨格模型は現在、数万円から十数万円程度で販売されているようだが、ひょっとしたら精巧な模型よりも本物の人骨標本の方が手に入りやすい時代もあったのではないだろうか。

 今回の騒動で思い出したのが、2年前、大分県を震源地に起きた神社の砲弾騒ぎだ(
「突然起きた神社の砲弾騒動」)。神社に奉納されていた古い砲弾が、突如として「不発弾ではないか!」と危険視され、回収騒ぎが起きたというもので、この時も一部新聞は過去に起きた不発弾爆発事故などを持ち出し、いたずらに不安を煽っていた。

 しかし、騒動の際に調べたところ、戦前、陸海軍が「軍事思想啓発」のため砲弾などの廃兵器を自治体や学校などに下げ渡していたことがわかった。また、騒動当時の報道によると、日清・日露戦争に従軍した兵士が戦勝記念として地元の神社に奉納したケースもあったという。どちらにせよ、見つかった砲弾の多くは単なる戦時資料だったと思われる。少なくとも、回収された砲弾に爆発の恐れがあったという報道にはその後接した記憶はない。

 二つの騒動に共通していることは、標本や砲弾の由来について、記録が全く残されていなかったことに加え、それが何かを知る人さえいなかったということだろう。正体がわからなければ、特に砲弾は危険物なのだから、騒ぎになるのも無理はなく、逆に言えば、きちんとした記録が残されてさえいれば、二つの騒動は起きなかったのではないかと思える。

 グーグルやヤフーの検索窓に言葉を入力すれば、知りたい情報が得られる、ありがたい世の中になった。しかし、このブログを始めて痛感するのは、非常に当たり前のことではあるが、だからといってネットで得られる情報はまだまだ限られているということだ。お陰で昔はさして縁のなかった県立図書館や福岡市総合図書館に文献を求めて足しげく通うようになった。それでも目指す文書資料を見つけることができないケースがほとんどで、存在の有無さえわからないことも多い。媒体はなんであれ、わかりやすく記録するのは大事なことだとつくづく思う。
[Edit]

山辺道と草野の町

IMG_9521.jpg


 農産物の直売所巡りで、福岡県久留米市と大分県日田市を結ぶ道をよく通っている。以前は国道210号線ばかりを使っていたが、最近は景観に魅かれ、耳納連山の北麓を走る県道151号線を通ることが多くなった。藩政時代には旧街道の脇道だった路線で、通称は「山辺道」。奈良県にある同名の古道は「やまのべのみち」だが、こちらは「やまべのみち」と読む。耳納山麓に多数の古墳が連なる景観を奈良になぞらえ、考古学者の森貞次郎氏は「筑後山辺道」と呼んだという(『装飾古墳紀行』玉利勲、1984)。

 現在は沿線に民家などが立ち並び、山辺道よりもさらに耳納連山側を走る
「山苞(やまづと)の道」の方が古代の面影を残していると思うが、この辺りの生業の庭木や果樹が彩る山辺道の沿線風景は独特だ。また、旧宿場町の町並みが残る草野(久留米市)の存在も、この道を個性的なものにしている。

 草野は、中世から戦国時代末期にかけて一帯を治めた豪族・草野氏の拠点だったところで、久留米市立草野歴史資料館の公表資料には、草野について「中世には城下町として、江戸時代には宿場駅として栄えた」と記されている。中世、この地に「城下町」と呼ぶものがあったとは今一つ信じがたいが、公立資料館が断言しているのだから、宿場町のベースとなるような集積はあったのだろう。

 『福岡の町並み』(アクロス福岡文化誌編纂委員会、2011)には、旧日田街道が成立した藩政時代初期、草野は「宿駅として町建てされ、在郷町として発展してきた」とあった。現在の町の景観は、明治期に大地主らによって大型の質の高い町家が多く建てられたことによって形成されたと記されていた。在郷町とは、商工業が集積した農村地帯の町を指すという。

 草野の町並みを特徴づけているのは、宿場町特有の直角に折れ曲がった街路や草野歴史資料館(写真)をはじめとする黄緑や水色に塗られた洋風建築だ。資料館は1911年(明治44)、旧・草野銀行本店として建築され、戦後も福銀草野支店などとして使われた後、1984年2月に資料館に衣替えした。木造一部二階建てで、建物本体のほか、門も国の登録文化財となっている。この建物に関する資料を探していたところ、県教委が先頃発行した『福岡県の近代和風建築』に取り上げられていたので、一瞬不思議に思ったのだが、外観は洋風ながら内部は和風に仕立てた和洋折衷の建物だという。「明治期の木造の地方銀行の主屋の在り方を示す好例である」とも記されていた。

 久留米市はこの建物を資料館として保存したのに続き、86年12月には「伝統的な町並み保存条例」を制定している。当時、草野には大正期に建てられた洋風建築の廃業医院2棟が残り、先行きが心配されていたというが、条例制定が追い風となり、1棟は文化施設「山辺道文化館」として、もう1棟は民間によって現在も保存活用されている(写真2枚目)。そもそも条例の制定自体が、草野の町並みを守るためだったようだ。こういった「古き良きもの」を積極的に守ろうとする行政の姿勢は、非常に羨ましい。
[Edit]

血迷って買った10年以上前のFMV-BIBLO

IMG_9427.jpg

 ブログを更新したいのだが、出歩く気力、体力を失い、書くことが全くないので、くだらない身辺雑記を。先日、何を血迷ったか、10年以上も前の富士通ノートパソコンの中古品(FMV-BIBLO NF70W)をネット通販で衝動買いしてしまった。ここ数年、メインマシンで使ってきた同じく富士通製のLIFEBOOKを大ドジを踏んで破壊してしまい、予備機として用意していた中国メーカーの格安品でしのいでいたため、つい本体価格9,800円、送料も無料という安値に釣られてしまったのだ。

 注文から2日で商品が届いた。主な仕様は、CPUがCore 2 Duoの1.66GHz、メモリは2.5GB(2GBのはずだったが、なぜか512MBのメモリがおまけで挿してあった)、ハードディスクは80GB。OSはウインドウズ10にアップグレードされていたが、このスペックでは現役OSは荷が重く、インターネットの使い心地は、数年前から酷使し続けている「ネクサス7」にも劣る程だった。しかもディスプレイの輝度を最大限に設定しても妙に暗い。動作が鈍いのは予想していたが、画面が暗いのは少しショックだった。

 安さだけが取り柄なので、これに金をかけたのではバカらしいと思い、手持ちの部品で性能アップを図ることにした。取りあえずメモリは同一規格のものがあったので、このパソコンでは上限の4GBに増強、ハードディスクも320GBのものに換装した。CPUも2GHz強のCore 2 Duoが複数あったので、換装を考えたが、残念ながらどれも規格が違い、これは断念した。一方、液晶パネルは、以前使っていたパソコンと同一品だと判明したため、試しに付け替えてみたが、明るさは全く変わらなかった。使えないほどではないので、これは我慢することにした。

 結果的に有効だったのはメモリ増設ぐらいだとは思うが、動画サイトぐらいは何とか視聴できるようになった。だからといって、このパソコンで動画サイトを見ているわけではなく、予備機として棚に収まっている。

 そう言えば、20年近く前にも中古パソコンを2万円ほどで買い込み、何とか再生させたことがある。この時に買ったのはIBMのThinkPad560という機種で、発売当時は30万円もする高級機だったが、CPUが133MHZ、ハードディスクの容量が810MB、メモリが8MBというスペックはあっという間に時代遅れになっていた。しかも私が買った中古機はOSさえ入っていなかったため、中古メモリを探し出して増設し、ハードディスクを5GBのものに入れ替えたうえで、友人からもらったフロッピー版のウィンドウズ95を、20数枚のフロッピーを取っ換え引っ換えしてインストールした。

 「ジャンクパッド」と名付けた、このパソコンもほとんど使わないままに終わったが、ハードディスクを換装した経験はその後役に立った。今回、再び中古機の再生に取り組んで数多くの小さなネジを回し、自分の老眼が嫌になるほど進んだことを実感する悲しい結果となった。
[Edit]

全国行脚していた『ポルト・リガトの聖母』

IMG_9392.jpg

 改装工事のため2016年9月から2年以上も休館している福岡市美術館が来年3月21日、リニューアルオープンすることが決まった。絵画や彫刻などには一切興味も関心もない人間のため、この美術館にはもう10年以上もご無沙汰だが、同館が所蔵する東光院の仏像が今春、小郡市の九州歴史資料館で展示された際にはわざわざ見に行き、満足して帰ってきた(「東光院の仏像を見てきた」)。博物館、資料館と名の付いた施設には喜んで出かけるのだが、これが美術館になると、なぜか敬遠したくなる。そう言えば、首都圏に暮らしていた時も上野の国立博物館には何度も行ったが、隣の国立西洋美術館は全く無縁だった。

 東光院の仏像が九州歴史資料館で展示されたのは、福岡市美術館の改装中、仏像を資料館が預かっていたためだ。福岡市美術館の所蔵品は1万6000点にも上るが、その中心になっているのは、こういった歴史資料ではなく、サルバドール・ダリやジョアン・ミロ、アンディ・ウォーホルらの現代美術作品で、では、これらの作品群は休館中、どこにあったのだろうか。調べてみて驚いた。評価額6億円と言われるダリの大作『ポルト・リガトの聖母』(縦約275㌢×横約210㌢)をはじめとする現代美術コレクションは、全国の美術館から引っ張りだこで、「福岡市美術館所蔵品の中から、えりすぐりの作品を展示」と銘打った企画展さえ各地で開かれていたのだ。

 例えば、2016年には東京・国立新美術館、京都市美術館の2か所で、「ダリ展」が大々的に開かれたが、目玉作品の一つだったのが『ポルト・リガトの聖母』。昨年夏には、同じく改修工事のため休館中だった北九州市立美術館と福岡市美術館が所蔵する絵画を一堂に集めた「夢の美術館」なる展示会も宮崎県立美術館で開催されている。

 今年は横須賀、広島、さいたまなどの各市で「モダンアート再訪ーダリ、ウォーホルから草間彌生まで」という展示会が開かれたが、これこそが福岡市美術館所蔵品を紹介する企画展。横須賀美術館の開催予告には「福岡市美術館の1万6000に及ぶ所蔵品の中から、前衛的な試みで世界に衝撃を与えてきたモダンアートの作品67点をえりすぐり、20世紀美術の流れをたどります」とあった。ルーブル美術館展、大英博物館展など海外の名だたる美術館・博物館名を冠した展示会が国内ではよく開かれているが、まさか福岡市美術館でそんな企画が成り立つとは夢にも思わなかった。同館の現代美術コレクションは、想像以上に高い評価を得ているのだろう。

 福岡市美術館では来春のリニューアルオープンと同時に記念展が開かれるが、タイトルは「これがわたしたちのコレクション」。各地で人気を集めてきた所蔵品の数々を、美術館展示室のすべてを使って紹介しようという試みで、発表資料には「1979年の開館以来、最大規模のコレクション展示」と記されている。現代美術だけでなく、黒田家絡みの歴史資料なども展示されるようなので、10数年ぶりに美術館のぞいてみようかと思う。
[Edit]

紅葉八幡宮のライトアップイベント

IMG_9398.jpg

IMG_9402.jpg

 福岡市早良区高取の紅葉(もみじ)八幡宮で25日まで、色付いた境内の木々をライトアップするイベントが開かれた。小雨が降る中、24日夜に行ってきたが、ライトアップの他、本殿にプロジェクションマッピングを投影したり、1,000個の灯籠や傘のオブジェで境内を彩ったりと、こぢんまりしたイベントながら、雰囲気はなかなか良かった。この催しが、ほぼ神社の単独イベントであることがもったいないと思った。神社近くには、旧唐津街道沿いに連なる西新、高取、藤崎商店街があるのだから、商店街や近隣施設とタイアップすれば、商店街への集客も見込めるのではないだろうか。

 モデルケースとして参考になると思うのは、博多区御供所町、呉服町の寺社が多数参加するライトアップイベント「博多千年煌夜」だ。今年は10月31日~11月4日に開かれたが、5日間の期間中の人出は10万人を大きく超えたと聞く。パンフレットを持参すれば、特定の飲食店では割引やサービスを受けられる特典もあり、会場を巡った後、博多の街で食事等を楽しんだ来場客も多かったことだろう。

 残念ながら、西新・高取・藤崎地区には、博多旧市街のように寺社が集中してはいないが、やや距離はあるものの、同じ旧唐津街道沿いの中央区今川、地行地区には複数の寺社があり、中には集客イベントに積極的な所もある。部外者の無責任なアイデアだが、現在はそれぞれが単独で行っているイベントを日程調整して近接させ、さらに両者の間にある商店街で買い物や食事を楽しんでもらう仕掛けを作れば、結構面白いと思うが。

 紅葉八幡宮は、室町時代の1482年(文明14)、現在の西区橋本に創建され、藩政時代の1666年(寛文6)、福岡藩3代藩主・黒田光之によって現在の早良区西新に移されたと伝えられる。無人の海岸地帯だった西新地区はこれ以降、紅葉神社の門前町として発展したという歴史がある。1913年(大正2)、北筑軌道の路面電車が境内を横切ることになり、喧騒を嫌った神社は現在地の小高い丘に再度移転したが、紅葉神社こそが、西新地区の生みの親であるのは間違いない事実だ。

 西新地区にほど近い中央区地行浜のホークスタウン跡地には今月、マークイズ福岡ももちが華々しく開業し、現在の所、多数の買い物客を集めている。一方の西新地区は2015年にプラリバ、16年にイオン西新店と相次ぎ大型店が閉店し、商店街の人通りは明らかに減った。今後はマークイズ開業の影響も出てくることだろう。プラリバ跡地には商業施設が開業予定だが、まだ1年先のことで、しかも施設規模はプラリバの半分に縮小される。イオン西新店の跡地に至っては、いまだに再開発プランが全く示されていない。なじみの店の閉店ラッシュは今も続いている。利用客の一人として、商店街がこれ以上衰退するのは本当に困る。
[Edit]

「160万都市」の過疎

IMG_9328.jpg

IMG_9295.jpg

 福岡市中央区・西公園の光雲(てるも)神社石段下で、十月桜の若木2本が小さな薄いピンク色の花を咲かせている。昨秋、この桜に初めて気付いた際は「狂い咲き」と勘違いしてツイッターで紹介し、恥をかいたが、春、秋の2回開花する変わった桜だ。全国の十月桜の名所では紅葉とのコントラストで人気を集めている例が多いらしい。西公園にも「もみじ谷」という場所はあるが、残念ながら十月桜とは場所が離れている上、葉はまだ青々としている。先日、山間部の早良区曲渕の国道263号線沿いで紅葉を撮影してきたが、こちらは見頃を過ぎつつある様子だったのだが。

 その曲渕地区にある唯一の学校、曲渕小学校が児童数減少に伴い来年3月末で休校になると聞いた。学制公布翌年の1873年(明治6)に創立された歴史ある学校で、現在は29人の児童が在籍している。曲渕小学校の歴史の中では決して少ない数ではないのだが、実はこの全員が小規模校への特別転入学制度「山っ子スクール」を利用して校区外から通ってきている子供たちだ。昨年度から地元の児童はゼロとなり、今後も増える見込みがないため、144年の歴史をいったん閉じることになった。今後、学校が再開される可能性はゼロではないが、市教委は今年2月の市議会常任委員会で「現時点で可能性は低い」と明言しており、このまま廃校になるだろうと報道されている。

 曲渕校区は広さ12平方㌔の広大さだが、大半は脊振山系の山林で、校区内に住んでいるのは2017年現在、72世帯、140人に過ぎない。ほぼ半数が65歳以上。2000年のデータと比べれば、世帯数はほぼ横ばいなのに、人口は60人も減っている。高齢者だけの世帯が増えているのだろうと想像される。山っ子スクールで29人もの子供たちが曲渕小学校に通っていたのは、田植えやタケノコ掘りなど同校ならではの体験活動が人気だったことも一因と言われるが、これらの活動には地域住民たちが協力してきた。しかし、住民の減少と高齢化で、学校を支えていくことが年々困難となり、地元児童がゼロとなったのを機に、地元側から早期の休校を求める声が上がったという。

 今月の福岡市の推計人口は158万1527人。人口が150万人を突破し、市が大はしゃぎしていたのは2013年のことだが、いつの間にか160万人が目前となっている。早々と「160万都市」と表現している報道機関さえある。しかし、一方で周縁部では、地域の中心だった小学校を自ら手放す決断を強いられるほど過疎と高齢化が進んでいる。「日本一元気な地方都市」などと浮かれている場合ではない。
[Edit]