赤く塗られた頭蓋骨を見て人骨標本の空騒ぎを思う

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 福岡市博物館の企画展示室に現在、赤く塗られた頭蓋骨が展示されている。西区にある千里大久保遺跡の発掘調査で、5世紀に造られた円墳から出土したもの。赤く塗られているのは、魔よけの意味とともに、顔料に防腐効果があるためで、顔料の正体は分析の結果、ベンガラと判明したという。上の写真は60歳代ぐらいの男性で、下は40~50歳代の女性。支配階級だけあって、30歳ぐらいとされる古墳時代人の平均寿命をどちらも大幅に上回っている。こんな頭蓋骨を日常生活で目撃したら恐怖を感じることだろうが、博物館や資料館で見ると、考古資料の一つに過ぎない。形態人類学の素養などかけらもないのに、撮影してきた写真を眺めては頭蓋骨の素性などについて、あれこれと想像を膨らませている。

 頭蓋骨と言えば、昨年から今年にかけて全国の学校で本物の人骨標本が相次いで見つかり、騒ぎになった。「怪談」などと煽るネットメディアもあったようだが、これだけあちこちの学校にあったのだから、本物の人骨を使った骨格標本が昔は当たり前にあったと考えるのが普通だろう。実際に一部新聞には「昭和40年代頃までは販売していた」というメーカーの証言が載っていた。通販サイトで確かめたところ、実物大の骨格標本は現在、数万円から十数万円程度で販売されているようだが、ひょっとしたら精巧な模型よりも本物の人骨標本の方が手に入りやすい時代もあったのではないだろうか。

 今回の騒動で思い出したのが、2年前、大分県を震源地に起きた神社の砲弾騒ぎだ(
「突然起きた神社の砲弾騒動」)。神社に奉納されていた古い砲弾が、突如として「不発弾ではないか!」と危険視され、回収騒ぎが起きたというもので、この時も一部新聞は過去に起きた不発弾爆発事故などを持ち出し、いたずらに不安を煽っていた。

 しかし、騒動の際に調べたところ、戦前、陸海軍が「軍事思想啓発」のため砲弾などの廃兵器を自治体や学校などに下げ渡していたことがわかった。また、当時の報道によると、日清・日露戦争に従軍した兵士が戦勝記念として地元の神社に奉納したケースもあったという。どちらにせよ、見つかった砲弾の多くは単なる戦時資料だったと思われる。少なくとも、回収された砲弾に爆発の恐れがあったという報道にはその後接した記憶はない。

 二つの騒動に共通していることは、標本や砲弾の由来について、記録が全く残されていなかったことに加え、それが何かを知る人さえいなかったということだろう。正体がわからなければ、特に砲弾は危険物なのだから、騒ぎになるのも無理はなく、逆に言えば、きちんとした記録が残されてさえいれば、二つの騒動は起きなかったのではないかと思える。
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山辺道と草野の町

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 農産物の直売所巡りで、福岡県久留米市と大分県日田市を結ぶ道をよく通っている。以前は国道210号線ばかりを使っていたが、最近は景観に魅かれ、耳納連山の北麓を走る県道151号線を通ることが多くなった。藩政時代には旧街道の脇道だった路線で、通称は「山辺道」。奈良県にある同名の古道は「やまのべのみち」だが、こちらは「やまべのみち」と読む。耳納山麓に多数の古墳が連なる景観を奈良になぞらえ、考古学者の森貞次郎氏が「筑後山辺道」と呼んだという(『装飾古墳紀行』玉利勲、1984)。

 現在は沿線に民家などが立ち並び、山辺道よりもさらに耳納連山側を走る
「山苞(やまづと)の道」の方が古代の面影を残していると思うが、この辺りの生業の庭木や果樹が彩る山辺道の沿線風景は独特だ。また、旧宿場町の町並みが残る草野(久留米市)の存在も、この道を個性的なものにしている。

 草野は、中世から戦国時代末期にかけて一帯を治めた豪族・草野氏の拠点だったところで、久留米市立草野歴史資料館の公表資料には、草野について「中世には城下町として、江戸時代には宿場駅として栄えた」と記されている。中世、この地に「城下町」と呼ぶものがあったとは今一つ信じがたいが、公立資料館が断言しているのだから、宿場町のベースとなるような集積はあったのだろう。

 『福岡の町並み』(アクロス福岡文化誌編纂委員会、2011)には、旧日田街道が成立した藩政時代初期、草野は「宿駅として町建てされ、在郷町として発展してきた」とあり、現在の町の景観は、明治期に大地主らによって大型の質の高い町家が多く建てられたことによって形成されたと記されていた。在郷町とは、商工業が集積した農村地帯の町を指すという。

 草野の町並みを特徴づけているのは、宿場町特有の直角に折れ曲がった街路や草野歴史資料館(写真)をはじめとする黄緑や水色に塗られた洋風建築だ。資料館は1911年(明治44)、旧・草野銀行本店として建築され、戦後も福銀草野支店などとして使われた後、1984年2月に資料館に衣替えした。木造一部二階建てで、建物本体のほか、門も国の登録文化財となっている。この建物に関する資料を探していたところ、県教委が先頃発行した『福岡県の近代和風建築』に取り上げられていたので、一瞬不思議に思ったのだが、外観は洋風ながら内部は和風に仕立てた和洋折衷の建物だといい、「明治期の木造の地方銀行の主屋の在り方を示す好例である」と書かれていた。

 久留米市はこの建物を資料館として保存したのに続き、86年12月には「伝統的な町並み保存条例」を制定している。当時、いずれも大正期に建てられた洋風建築の廃業医院2棟が残り、先行きが心配されていたというが、条例制定が追い風となり、1棟は文化施設「山辺道文化館」として、もう1棟は民間によって現在も保存活用されている(写真2枚目)。そもそも条例の制定自体が、草野の町並みを守るためだったようだ。こういった「古き良きもの」を積極的に守ろうとする行政の姿勢は、非常に羨ましい。
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血迷って買った10年以上前のFMV-BIBLO

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 ブログを更新したいのだが、出歩く気力、体力を失い、書くことが全くないので、くだらない身辺雑記を。先日、何を血迷ったか、10年以上も前の富士通ノートパソコンの中古品(FMV-BIBLO NF70W)をネット通販で衝動買いしてしまった。ここ数年、メインマシンで使ってきた同じく富士通製のLIFEBOOKを大ドジを踏んで破壊してしまい、予備機として用意していた中国メーカーの格安品でしのいでいたため、つい本体価格9,800円、送料も無料という安値に釣られてしまったのだ。

 注文から2日で商品が届いた。主な仕様は、CPUがCore 2 Duoの1.66GHz、メモリは2.5GB(2GBのはずだったが、なぜか512MBのメモリがおまけで挿してあった)、ハードディスクは80GB。OSはウインドウズ10にアップグレードされていたが、このスペックでは現役OSは荷が重く、インターネットの使い心地は、数年前から酷使し続けている「ネクサス7」にも劣る程だった。しかもディスプレイの輝度を最大限に設定しても妙に暗い。動作が鈍いのは予想していたが、画面が暗いのは少しショックだった。

 安さだけが取り柄なので、これに金をかけたのではバカらしいと思い、手持ちの部品で性能アップを図ることにした。取りあえずメモリは同一規格のものがあったので、このパソコンでは上限の4GBに増強、ハードディスクも320GBのものに換装した。CPUも2GHz強のCore 2 Duoが複数あったので、換装を考えたが、残念ながらどれも規格が違い、これは断念した。一方、液晶パネルは、以前使っていたパソコンと同一品だと判明したため、試しに付け替えてみたが、明るさは全く変わらなかった。使えないほどではないので、これは我慢することにした。

 結果的に有効だったのはメモリ増設ぐらいだとは思うが、動画サイトぐらいは何とか視聴できるようになった。だからといって、このパソコンで動画サイトを見ているわけではなく、予備機として棚に収まっている。

 そう言えば、20年近く前にも中古パソコンを2万円ほどで買い込み、何とか再生させたことがある。この時に買ったのはIBMのThinkPad560という機種で、発売当時は30万円もする高級機だったが、CPUが133MHZ、ハードディスクの容量が810MB、メモリが8MBというスペックはあっという間に時代遅れになっていた。しかも私が買った中古機はOSさえ入っていなかったため、中古メモリを探し出して増設し、ハードディスクを5GBのものに入れ替えた後は、友人からもらったフロッピー版のウィンドウズ95を、20数枚のフロッピーを取っ換え引っ換えしてインストールした。

 このパソコンもほとんど使わないままに終わったが、ハードディスクを換装した経験はその後役に立った。今回、再び中古機の再生に取り組んで数多くの小さなネジを回し、自分の老眼が嫌になるほど進んだことを実感する悲しい結果となった。
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全国行脚していた『ポルト・リガトの聖母』

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 改装工事のため2016年9月から2年以上も休館している福岡市美術館が来年3月21日、リニューアルオープンすることが決まった。絵画や彫刻などには一切興味も関心もない人間のため、この美術館にはもう10年以上もご無沙汰だが、同館が所蔵する東光院の仏像が今春、小郡市の九州歴史資料館で展示された際にはわざわざ見に行き、満足して帰ってきた(「東光院の仏像を見てきた」)。博物館、資料館と名の付いた施設には喜んで出かけるのだが、これが美術館になると、なぜか敬遠したくなる。そう言えば、首都圏に暮らしていた時も上野の国立博物館には何度も行ったが、隣の国立西洋美術館は全く無縁だった。

 東光院の仏像が九州歴史資料館で展示されたのは、福岡市美術館の改装中、仏像を資料館が預かっていたためだ。福岡市美術館の所蔵品は1万6000点にも上るが、その中心になっているのは、こういった歴史資料ではなく、サルバドール・ダリやジョアン・ミロ、アンディ・ウォーホルらの現代美術作品で、では、これらの作品群は休館中、どこにあったのだろうか。調べてみて驚いた。評価額6億円と言われるダリの大作『ポルト・リガトの聖母』(縦約275㌢×横約210㌢)をはじめとする現代美術コレクションは、全国の美術館から引っ張りだこで、「福岡市美術館所蔵品の中から、えりすぐりの作品を展示」と銘打った企画展さえ各地で開かれていたのだ。

 例えば、2016年には東京・国立新美術館、京都市美術館の2か所で、「ダリ展」が大々的に開かれたが、目玉作品の一つだったのが『ポルト・リガトの聖母』。昨年夏には、同じく改修工事のため休館中だった北九州市立美術館と福岡市美術館が所蔵する絵画を一堂に集めた「夢の美術館」なる展示会も宮崎県立美術館で開催されている。

 今年は横須賀、広島、さいたまなどの各市で「モダンアート再訪ーダリ、ウォーホルから草間彌生まで」という展示会が開かれたが、これこそが福岡市美術館所蔵品を紹介する企画展。横須賀美術館の開催予告には「福岡市美術館の1万6000に及ぶ所蔵品の中から、前衛的な試みで世界に衝撃を与えてきたモダンアートの作品67点をえりすぐり、20世紀美術の流れをたどります」とあった。ルーブル美術館展、大英博物館展など海外の名だたる美術館・博物館名を冠した展示会が国内ではよく開かれているが、まさか福岡市美術館でそんな企画が成り立つとは夢にも思わなかった。同館の現代美術コレクションは、想像以上に高い評価を得ているのだろう。

 福岡市美術館では来春のリニューアルオープンと同時に記念展が開かれるが、タイトルは「これがわたしたちのコレクション」。各地で人気を集めてきた所蔵品の数々を、美術館展示室のすべてを使って紹介しようという試みで、発表資料には「1979年の開館以来、最大規模のコレクション展示」と記されている。現代美術だけでなく、黒田家絡みの歴史資料なども展示されるようなので、10数年ぶりに美術館のぞいてみようかと思う。
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紅葉八幡宮のライトアップイベント

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 福岡市早良区高取の紅葉(もみじ)八幡宮で25日まで、色付いた境内の木々をライトアップするイベントが開かれた。小雨が降る中、24日夜に行ってきたが、ライトアップの他、本殿にプロジェクションマッピングを投影したり、1,000個の灯籠や傘のオブジェで境内を彩ったりと、こぢんまりしたイベントながら、雰囲気はなかなか良かった。この催しが、ほぼ神社の単独イベントであることがもったいないと思った。神社近くには、旧唐津街道沿いに連なる西新、高取、藤崎商店街があるのだから、商店街や近隣施設とタイアップすれば、商店街への集客も見込めるのではないだろうか。

 モデルケースとして参考になると思うのは、博多区御供所町、呉服町の寺社が多数参加するライトアップイベント「博多千年煌夜」だ。今年は10月31日~11月4日に開かれたが、5日間の期間中の人出は10万人を大きく超えたと聞く。パンフレットを持参すれば、特定の飲食店では割引やサービスを受けられる特典もあり、会場を巡った後、博多の街で食事等を楽しんだ来場客も多かったことだろう。

 残念ながら、西新・高取・藤崎地区には、博多旧市街のように寺社が集中してはいないが、やや距離はあるものの、同じ旧唐津街道沿いの中央区今川、地行地区には複数の寺社があり、中には集客イベントに積極的な所もある。部外者の無責任なアイデアだが、現在はそれぞれが単独で行っているイベントを日程調整して近接させ、さらに両者の間にある商店街で買い物や食事を楽しんでもらう仕掛けを作れば、結構面白いと思うが。

 紅葉八幡宮は、室町時代の1482年(文明14)、現在の西区橋本に創建され、藩政時代の1666年(寛文6)、福岡藩3代藩主・黒田光之によって現在の早良区西新に移されたと伝えられる。無人の海岸地帯だった西新地区はこれ以降、紅葉神社の門前町として発展したという歴史がある。1913年(大正2)、北筑軌道の路面電車が境内を横切ることになり、喧騒を嫌った神社は現在地の小高い丘に再度移転したが、紅葉神社こそが、西新地区の生みの親であるのは間違いない事実だ。

 西新地区にほど近い中央区地行浜のホークスタウン跡地には今月、マークイズ福岡ももちが華々しく開業し、現在の所、多数の買い物客を集めている。一方の西新地区は2015年にプラリバ、16年にイオン西新店と相次ぎ大型店が閉店し、商店街の人通りは明らかに減った。今後はマークイズ開業の影響も出てくることだろう。プラリバ跡地には商業施設が開業予定だが、まだ1年先のことで、しかも施設規模はプラリバの半分に縮小される。イオン西新店の跡地に至っては、いまだに再開発プランが全く示されていない。なじみの店の閉店ラッシュは今も続いている。利用客の一人として、商店街がこれ以上衰退するのは本当に困る。
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「160万都市」の過疎

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 福岡市中央区・西公園の光雲(てるも)神社石段下で、十月桜の若木2本が小さな薄いピンク色の花を咲かせている。昨秋、この桜に初めて気付いた際は「狂い咲き」と勘違いしてツイッターで紹介し、恥をかいたが、春、秋の2回開花する変わった桜だ。全国の十月桜の名所では紅葉とのコントラストで人気を集めている例が多いらしい。西公園にも「もみじ谷」という場所はあるが、残念ながら十月桜とは場所が離れている上、葉はまだ青々としている。先日、山間部の早良区曲渕の国道263号線沿いで紅葉を撮影してきたが、こちらは見頃を過ぎつつある様子だったのだが。

 その曲渕地区にある唯一の学校、曲渕小学校が児童数減少に伴い来年3月末で休校になると聞いた。学制公布翌年の1873年(明治6)に創立された歴史ある学校で、現在は29人の児童が在籍している。曲渕小学校の歴史の中では決して少ない数ではないのだが、実はこの全員が小規模校への特別転入学制度「山っ子スクール」を利用して校区外から通ってきている子供たちだ。昨年度から地元の児童はゼロとなり、今後も増える見込みがないため、144年の歴史をいったん閉じることになった。今後、学校が再開される可能性はゼロではないが、市教委は今年2月の市議会常任委員会で「現時点で可能性は低い」と明言しており、このまま廃校になるだろうと報道されている。

 曲渕校区は広さ12平方㌔の広大さだが、大半は脊振山系の山林で、校区内に住んでいるのは2017年現在、72世帯、140人に過ぎない。ほぼ半数が65歳以上。2000年のデータと比べれば、世帯数はほぼ横ばいなのに、人口は60人も減っている。高齢者だけの世帯が増えているのだろうと想像される。山っ子スクールで29人もの子供たちが曲渕小学校に通っていたのは、田植えやタケノコ掘りなど同校ならではの体験活動が人気だったことも一因と言われるが、これらの活動には地域住民たちが協力してきた。しかし、住民の減少と高齢化で、学校を支えていくことが年々困難となり、地元児童がゼロとなったのを機に、地元側から早期の休校を求める声が上がったという。

 今月の福岡市の推計人口は158万1527人。人口が150万人を突破し、市が大はしゃぎしていたのは2013年のことだが、いつの間にか160万人が目前となっている。早々と「160万都市」と表現している報道機関さえある。しかし、一方で周縁部では、地域の中心だった小学校を自ら手放す決断を強いられるほど過疎と高齢化が進んでいる。「日本一元気な地方都市」などと浮かれている場合ではない。
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予想外に人気だった「かなたけの里公園」

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 福岡市西区金武の「かなたけの里公園」に散歩がてら立ち寄ってきた。田畑を買収し、そのまま公園化した農業体験施設で、広さは約14㌶。整備費は33億円に上るが、そのうちの27億円までを用地買収費が占める。福岡市郊外では田畑など珍しくもない。やむを得ぬ「事情」があったことは知っているが、こういった公園にニーズなどあるのだろうか、と疑問に思ってきた。ところが、休日午後の公園は、小学生らしき年頃の子供を連れた家族で大にぎわいしていた。意外だった。

 この公園を整備せざるを得なかった「事情」とは、この土地にかつて、福岡市によって自然動物公園整備が計画されていたことだ。中央区の住宅街のど真ん中にある市動物園は広さは10㌶と手狭のうえ、1980年代後半頃には老朽化が進み、新築移転構想が持ち上がっていた。その候補地となったのが金武地区だったのだ。

 1996年には、同地区の農村地帯50㌶に、飼育する動物の生息環境を再現した国内有数の自然動物公園を整備するという基本構想を策定するなど、市は本気だった。一部市民の間では移転反対運動が巻き起こっていた程だ。しかし、この構想は一歩も進むことなく、2002年に取りやめとなった。動物公園整備には450億円の巨費が見込まれ、財政事情の悪化で、不要不急の巨大プロジェクトに取り組む余力がなくなったためだ。

 これに困惑したのが、10数年もの間、動物公園計画に振り回され、土地利用を拘束されてきた金武地区の住民たち。要するに「かなたけの里公園」とは、動物公園の埋め合わせだったのだ。

 こういった経緯で整備された公園でもあり、必要性に疑問を覚えていたわけだが、冒頭紹介したように、市民の人気は上々の様子だ。入場無料、出入り自由の施設のため、来園者数は集計できないようだが、公園が主催する体験プログラム等の参加者は開園初年度は2万6000人あまりだったのが、2015年度には7万人を突破するなど、増加の一途だという。私が想像する以上に、多くの市民にとって土に触れる機会は貴重だったのだろう。福岡市も都会になったものだとつくづく思う。犬のフンはあちこちに転がっているが。
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千年煌夜、今年はじっくり

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 福岡市で10月31日~11月4日、寺社が立ち並ぶ博多旧市街をライトアップで彩る「千年煌夜」が開かれ、期間中は好天に恵まれたこともあり、大勢の見物客でにぎわった。私も日本シリーズの移動日だった11月2日に行ってきた。「日本シリーズの移動日」とわざわざ書いたのは、昨年は仕事の都合で結果的に最終戦となった日本シリーズ第6戦の日に行かざるを得ず、試合経過を気にしながら慌ただしく会場を巡ることになったからだ。今年は心おきなく見物することができ、メイン会場の御供所エリアだけでなく、少し離れた呉服町エリアにも足を延ばしてきた。閻魔堂で有名な海元寺(博多区中呉服町)など初めて足を踏み入れた寺も多く、良い機会になった。
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復旧が進まない日田彦山線

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 先日、福岡県添田町にある道の駅「歓遊舎ひこさん」に向け、JR日田彦山線沿いの道を車で走っていた際、添田駅付近で、国鉄カラーの列車が停まっているのを目撃した。帰路に車窓から写真を撮ってきたが、方向幕には「団体」と表示されており、臨時列車のようだった。帰宅後に調べてみると、昨年7月の九州北部豪雨で被災し、添田~夜明間29㌔が今も不通となっている同線支援のため、小倉~西添田間で企画されたツアー列車で、私が見た時は添田駅で待機中だったようだ。

 昨年10月、「歓遊舎ひこさん」に日田彦山線の駅(駅名も歓遊舎ひこさん)が併設されていることに、うかつにも初めて気付き、
「どうなる日田彦山線」を書いた。この時、添田~夜明間は、復旧の見通しすら立たない状況だった。それから1年がたったが、状況に大きな変化はない。JR九州と福岡県を含めた沿線自治体との復旧会議では、JR九州社長が8月、バス転換の可能性を不用意に口にして猛反発を浴び、これに懲りたのか、今月25日に行われた会議では、JR側も「鉄道での復旧」を目指すことを再確認したという。しかし、これで一件落着したわけではない。

 添田~夜明間は、九州北部豪雨で橋梁損傷やトンネルへの土砂流入など53箇所も被災し、その復旧には70億円の巨費が必要とされている。さらに、被災前の同区間は、赤字額が年間2億6600万円にも上る不採算路線で、25日の会議について報じた西日本新聞朝刊などによると、JR側は復旧の前提条件として、収支改善のための財政支援も沿線自治体に期待しているという。これに対して自治体側は、観光客誘致など、いわゆる「乗客増運動」で支援する考えで、財政支援には否定的。両者の主張が平行線とあって、復旧工事着手は依然、不透明な状況だという。

 JR九州側は日田彦山線の全線存続を人質に、自治体側に身代金を要求しているようにも見えるが、自治体側が取り組む「乗客増運動」、あるいは「乗車運動」が不採算路線で果たしてどの程度効果があるのか、疑問でもある。先行例を探してみたところ、今年4月に全線廃止となったJR西日本の三江線(広島県三次~島根県江津、108㌔)について、存続運動に取り組んだ研究者の論考がネット上にあったが、非常に示唆的な内容だった。
(『廃止対象JRローカル線の存続問題ー三江線廃止問題から産業遺産、観光資源としての地域鉄道化を考察する。』風呂本武典・広島商船高等専門学校准教授)

 結論から先に記せば、三江線存廃を巡る自治体の対応について、風呂本准教授は次のように痛烈に批判している。
 「三江線の存続危機は周知されてきたにも関わらず、実情として沿線自治体は本腰を入れて存続するために身銭を切る努力を回避してきたと言わざるを得ない。(中略)そこでなお存続を目指すのであれば抜本的な支援策なりが必要であろうが、一方でそれはJRに対してただ単純に存続を要請する旧態依然の活動の範疇を出ていなかった。結局は陳情を繰り返し、乗って残そう運動が形を変えて掛け声だけが響く80年代の赤字ローカル線問題の再現であった」。

 存続のためには、やはり「身銭を切る努力」が必要というわけで、准教授はまた、「それでも地域が必要とするならば相応の負担が必要であり、そのための地域住民の合意形成や県や国への高度な根回しや支援策獲得への具体的行動が伴わなければならない」とも強調している。これを読む限りでは、JR九州の身代金要求にはそれなりに筋が通っていることになる。

 もっとも、廃止前の三江線の輸送密度(平均通過人員=1㌔当たりの1日平均利用者)は50という壊滅的な数字で、これは日田彦山線の不通区間を含む田川後藤寺~夜明間の299(2016年度、日田彦山線全線では1,302)と比べても極端に少ない。この数字が100万を超える東京・山手線などと比べれば、誤差に等しい違いだろうが、日田彦山線にはまだしも「乗客増運動」の余地があり、冒頭紹介したツアー列車運行などのような観光客誘致策はまったくの無意味ではないのかもしれない。

 歓遊舎ひこさんでは、1年前と同じく駅ホームを撮影してきた。列車が走っているのは、この駅の一つ手前の添田駅までで、添田~歓遊舎ひこさん間の距離はわずか1㌔あまりに過ぎないが、この区間でも土砂崩れが起き、この1㌔を列車は1年以上も越えることができない。もともと無人駅ながら、ホームは清掃が行き届き、荒れた雰囲気はまったくなかったが、線路の赤さびは1年前よりも色濃くなったようにも見えた。 
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世界的な彫刻家だった「ブルドン」の作者

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 福岡市早良区の市総合図書館前に、黒御影石製の犬の彫刻が置かれている。「ブルドン」というタイトルから判断すれば、ブルドッグがモデルなのだろうが、愛嬌のある顔立ちはパグにも見える。恐らく若手の作品だろうと勝手に想像していたが、訃報で、作者が世界的な彫刻家だったことを知った。今年7月、95歳で亡くなった流政之さん。代表作は、ニューヨークの世界貿易センター前にあった重さ250㌧の巨大石彫「雲の砦」。この作品は米同時テロの際、救助活動の妨げになるとして撤去されたが、流さんの作品は国内外に多数残され、高く評価されているという。

 総合図書館のあるシーサイドももち地区には、このほかにも数々の野外彫刻やモニュメントがあり、野外美術館の趣だ。このブログでも過去に地行浜中央公園にそびえるニキ・ド・サンファルの
「大きな愛の鳥」、市博物館前に並ぶブールデルの大作「雄弁」「力」「勝利」「自由」について取り上げたことがあるが、この機会に、他の作品についても調べてみたところ、「ブルドン」以外にも大物作家の作品が少なくなかった。

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 いくつか紹介すると、樋井川をまたぎ、地行浜と百道浜を結ぶ歩行者専用橋の両岸にある2体は、イギリス人彫刻家バリー・フラナガンの「ミラー・ニジンスキー」(写真は地行浜側の作品)。ロシアの伝説的なバレエダンサーを野ウサギに見立てた躍動感のある作品だ。フラナガンの野ウサギをモチーフにした作品は、国内では非常に人気があるらしく、福岡市内でもほかに、市美術館前に「三日月と鐘の上を跳ぶ野ウサギ」があるほか、宇都宮や箱根など各地の美術館にも彼の作品が置かれている。

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 総合図書館近くにある高さ8㍍のステンレス製モニュメントは、菊竹清文さんの「ウォーターランド」。菊竹さんは久留米市出身で、長野五輪の聖火台をデザインしたことで知られる。建築家の菊竹清訓さんは兄、戦前、軍部と戦った抵抗のジャーナリスト菊竹六鼓は親族に当たる。菊竹さんの作品はこのほか、中央区天神のアクロス福岡前に「スターゲイト」、同・済生会総合病院に「希望の鳥」など、計5作品が福岡の街を彩っている。この記事を書くに当たって参考にした『ふくおかパブリックアートガイド改訂版』によると、福岡市内にある野外彫刻・モニュメントは、菊竹さんの作品が最も多かった。なお、「ウォーターランド」は噴水を兼ねているらしいが、最近では、この作品から水が噴き出ているのは見たことがない気がする。
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