# 旧聞since2009

# カササギ

 福岡県筑後市の農村地帯で先日、カササギを目撃した。カメラを構える間もなく飛び去って行ったが、写真でしか見たことがなかったツートンカラーの印象的な姿を見ることができ、非常にうれしかった。もともと国内では佐賀平野とその周辺にしか生息していなかった鳥だが、佐賀県の調査では近年、佐賀平野では減っているものの生息域は周辺に拡大しているという。 福岡市にも生息しているようで、インターネット上にはかなりの目撃談が掲載されているが、残念ながら私自身はこの街では一度も見たことがない。ちょうど今は営巣時期らしいので、毎日のようにあちこちの電信柱を見上げているのだが。(イラストはフリー素材サイトPixabayからお借りした)

 カササギはカラスの仲間で、別名はカチガラス。文禄・慶長の役の際、武将が朝鮮半島から持ち帰り、佐賀平野に定着したとも言われるが、異説もある。この鳥について調べる中で、福岡市総合図書館の郷土資料室で興味深い文献を見つけたので、少し中身を紹介させていただきたい。1926年(大正15)発行の『福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告書』にカササギの生態等に関する報告が掲載されているのだが、調査の苦労談が面白いのだ。

  調査を行ったのは川口孫治郎氏 (1873~1936)という研究者だが、野鳥の観察などという活動に対し、当時の一般人には 「金儲けにならぬことに彼程も時間と労力とを費やして遠方から観に来る筈がない」という偏見を持たれ、全く理解を得られなかったらしい。長期間観察を続けていたのに、最後の最後になって地元民たちにカササギの卵や雛を奪われ「幾週間積重の努力を一朝にして水泡に帰せしめられたること少からざりし事」と報告書には深い嘆きがつづられている。県が調査を行う際はこんな目に遭わないよう、調査に先立ち「町村一般の人々に向って、御調査の本旨を徹底せしめられ、小学児童にも篤と申聞かせ候はん事」と川口氏は訴えてもいる。

 この川口孫治郎という名前には、恐らく久留米方面では聞き覚えがある人が多いのではないかと思う。大正時代、旧制中学時代の明善校の校長を長く務め、教育者としても非常な尊敬を集めていた人で、この報告を行った時も校長在任中だった。鳥類研究者としても名高く、明治時代には絶滅したと思われていたトキを大正時代、佐渡島で再発見した人物こそが、この川口氏。彼がこの時に毛筆で著した『佐渡の鳥』には現代においても貴重な情報が数々記録されているといい、京都大で保管されていたこの資料を2012年、新潟大の朱鷺・自然再生学研究センターが復刻している程だ。

 川口氏がカササギについての調査を行ったのは、この当時、国内でのカササギの生態等について著した文献が全く見当たらなかったことも理由で、苦労談だけでなく当然ながら調査報告本文も面白い内容だ。中でも「此鳥は相応に人を識別する能力あるものの如く、人によりて之に警戒する程度を異にす」というところは愉快だった。高齢者や幼い子供にはほとんど無警戒なのに、害を加える意志を持った少年から壮年にかけての男性への警戒心は著しく、「彼等の眼は常に主として人々の眼に注がれつつあり」と、この鳥の賢さを川口氏は指摘している。

 また、カササギ保護のため、営巣場所となる大木は伐採するべきではなく、どうしても伐採する時は「相当の設備(例えば巣架けの為の柱状施設の如き)をなすの必要を見るに至るやも計られず」という提言には先見の明を感じた。都市化などで大木が減った現在、カササギが主な営巣場所としているのは、まさに“柱状の施設”である電柱で、佐賀県の調査によると、営巣場所の7割までが電柱だという。
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# 800万匹のアカミミガメ

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 今年の初夏だったか、少し信じ難い光景を目撃した。福岡市早良区の福岡市博物館の前庭に人工池があるのだが、ここを大きなミシシッピアカミミガメが泳いでいたのだ。池といってもタイル張りで水深も浅く、餌になるものなど一切ない。恐らく捨てられたのだろう。数日後には姿を消していたが、どう考えても生きて行けそうにない場所に平気でカメを遺棄する神経が理解できなかった。

 「放生会」の中で少し触れたが、このアカミミガメについて、環境省は生態系や農作物に被害を及ぼしているとして特定外来生物指定を検討してきた。だが、昨年、見送りを決めた。全国で約180万匹が飼育されていると試算される中、指定により個人の飼育まで規制すれば、「野外への大量の遺棄」を招く恐れがあるというのが理由だった。実はこれ以外に「エッ!」と驚くような理由を同省は挙げている。それは「野外での繁殖確認事例が少ない」というものだ。

 アカミミガメが生態系の悪者扱いされてきた理由の一つは、旺盛な繁殖力で、我が国の固有種・ニホンイシガメを駆逐しているというものだったと思う。それなのに「野外での繁殖確認事例が少ない」では、ずいぶん話が違う。ただ、環境省は今年4月になって国内に生息するアカミミガメが800万匹に上り、イシガメの8倍にもなるとの推定結果を公表している。まさか、このすべてが捨てられたカメだと考えているわけではないだろう。繁殖一つとっても、これだけ矛盾する話が同じ環境省から出てくるのだから、アカミミガメの国内での生態は意外にわかっていないのではないかと思う。

 福岡市中央区にある舞鶴公園のお堀に限っての話だが、ここに生息しているアカミミガメは繁殖していないのではないかと考え、記事を書いたことがある(
「カメは繁殖していない」「消えたアカミミガメ」)。別に科学的裏付けがあるわけではなく、非常に単純な話だ。お堀で見掛けるのは大きなカメたちばかり。春から初夏にかけては生まれたばかりの子亀を目撃することが稀にあるが、これが育っているのならば、常時、様々なサイズのカメを見掛けるはずだ。ところが、そうではない。ここでは子亀が孵化しても育つことはできない、つまり本当の意味での繁殖は行われていないと思ったのだ。

 子亀が育たない理由はわからない。カラスやアオサギに捕食されているためではないかとも考えたが、生き延びる個体もいるはずなので、お堀の環境がカメの成長、または生存に適していないのかもしれない。

 過去にも取り上げたことがあるが、舞鶴公園のお堀のうち、一番西側にある5号堀ではハスの再生実験が続いている。簡単に言えば、堀の中に設けた囲いの内外でハスの生育状況を比べ、ハス激減がカメの食害によるものかどうかを確かめるというものだが、実験主体の福岡市は昨年、「やはりカメが犯人でした」と結果を公表している。それなのに、なぜ今も実験が続いているのか疑問だが、一種のデモンストレーションではないだろうか。囲いの中ではハスが繁茂し、外では全く育っていないという状況はアカミミガメの悪者ぶりを喧伝するのに絶好だからだ。看板に太字で書かれた「ハス再生のため、ご理解とご協力をお願いします」という一文が意味不明だが、これは恐らく、お堀からカメを根絶することへの理解と協力を求めているのだろう。

 駆除の総本山、環境省も今後、国内への輸入を禁じるとともに、現在、家庭で飼われている個体は終生飼い続けるように求め、さらには捨てられ野生化した個体の駆除を行っていく方針らしい。つまり、可能かどうか別にして800万匹の駆除が今後行われることになる。かつては毎年100万匹のアカミミガメが輸入され、激減した現在でも10万匹に上ると言われる。もっと早く輸入規制を行っていさえすれば、こんな大量殺戮の必要はなかっただろうにと思う。

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# 「盆花」ヒゴタイ

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 大分県九重町の長者原でヒゴタイが見頃を迎えている。瑠璃色の球形の花を咲かせるキク科の多年草で、くじゅう・阿蘇地域を代表する野の花だ。大陸と日本列島が地続きだった頃から生き延びてきたというが、今では絶滅寸前の状態。九州本土で自生しているのはこの地域ぐらいだが、宮崎の親族によると、半世紀ほど前までは宮崎県内の山間部でも見ることができたという。

 数年前、この親族らを連れて長者原・タデ原湿原を散策した際、くじゅうには初めて来たという親族が「こりゃ盆花じゃないか」と懐かしそうに声を上げた。話を聞いたところ、昔はお盆の時期、ヒゴタイを摘んできて墓前に供えていたので盆花と呼んでいたという。同様の風習はくじゅう・阿蘇地域にもあり、やはりヒゴタイの別名は盆花だったらしい。かつては九州に広く自生していたといわれるだけに、多くの山間の地域でヒゴタイは先祖を供養する花として重宝されていたのだろう。

 絶滅寸前の状態にまで追い込まれた原因は、開発により生息地域が狭められたことと乱獲だと言われている。地元民が大切に摘んできた花を、自生地の野山が観光地化されたことで観光客や業者らが大量に採取していくようになり、くじゅう・阿蘇地域では一時期、花を切り取られたヒゴタイの無残な姿が晩夏から初秋にかけての風物詩ともなっていたという。

 最近は長者原に行くたびにヒゴタイの数が年々増えているように思え、生息域を拡大しているのではないかと思っていたが、例によって浅はかな考えだった。地元の保護団体が種をまくなど懸命の保護活動を続けており、これによって辛うじて生息地が守られているというのが正解のようだ。環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大している種)に位置づけられている状況に変化はない。

 3年前、ヒゴタイの苗を長者原で買い求め、自宅ベランダのフラワーポットで育てたことがある。園芸サイトに酸性土壌や高温多湿を嫌うと書かれていたので、土には苦土石灰を混ぜ、水のやり過ぎには注意するなどかなり慎重に育てたつもりだったが、残念ながら枯らしてしまい瑠璃色の花を目にすることはできなかった。その後、フラワーポットから植物が芽を出し、ヒゴタイが復活したのではないかと喜んでいたが、正体は小さなスミレだった。苗の土に種が混入していたのだろう。正確な種類は特定できなかったが、花は薄い紫色だった。

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# 牧ノ戸~久住山

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 くじゅう連山の主峰、久住山(大分県竹田市、1,786.5㍍)に登ってきた。ルートは牧ノ戸峠(1,300㍍)発着の“初心者コース”。高低差だけなら500㍍弱で、地元の油山(597㍍)にも劣るぐらいだが、こちらが正真正銘の超初心者なため、距離的には十分ハードなコースだった。中でも山頂に通じる最後の坂は大小の岩がゴロゴロしていて非常に歩きづらく、登り下りとも難儀した。それでも登山道自体は非常に変化に富み、眺めも抜群で、福岡市近郊の低山では経験できない山歩きを楽しめた。この山が九州の登山愛好者たちから広く愛されている理由をこの年になって理解できた。

 4月の熊本地震で、くじゅう連山の登山道も一部崩落するなど影響が出ていると聞いていたので、出発前には念のため大分県の公式サイトで確認したところ、牧ノ戸からの登山道には全く被害は出ていないようだった。しかし、実際に登ってみると、久住山山頂手前にある分岐点「久住分かれ」では、北千里浜を経由して法華院温泉や坊がつるに至るルートが通行止めになっていた。現地の注意書きには「土石流多発地帯につき通行をご遠慮下さい」とあり、熊本地震とは直接は関係ないのかもしれないが。

 少し気になったのは山中の所々にある標識の距離表示が相当いい加減に思えたことだ。牧ノ戸登山口から急傾斜の坂道を登り詰めると、沓掛山(1,503㍍)という岩だらけの峰に達するのだが、この手前にあった距離表示は「久住山3.1km 牧ノ戸0.7km」。ところが、沓掛山を越えた所にあった標識は、なぜか「久住山3.6km、牧ノ戸1.0km」。一山越えて近付いたはずの久住山が、逆に500㍍も遠くなっていた。

 帰宅後、グーグルマップで距離を測ってみたところ、例の距離表示は直線距離ではないかとの結論に達したが、役行者ではあるまいし、山中を一直線に踏破できる者はいないだろう。熟練者はそもそも山中の距離表示など参考にしてもいないのだろうが、冒頭紹介したように今回たどったのは初心者用と言われるルートだ。初心者にとっては「山頂へ○○km」という表示が励みにもなれば、体力的にしんどい際は「進むか戻るか」の判断材料にもなり得ると思う。出来れば、実態に即した距離表示をして欲しいと思うが、無理な要求なのだろうか。なお、比較的信頼している万歩計アプリによると、牧ノ戸~久住山の往復距離は優に12㌔を超えていた。

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 これが牧ノ戸を出発して最初に見掛けた距離表示。

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 次に見掛けた距離表示では久住山への距離が長くなっていた。出発地点からまだ間もなくの場所で、体力が残っている時だったので良かったが、疲れ切った道のりの後半でこんな目に遭うと大ショックだと思う。

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 沓掛山からの眺望。この辺りの登山道では見慣れぬセミが「ギーギー」と聞き慣れぬ鳴き方をしていた。キュウシュウエゾセミというらしいが、名前も妙である。

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 「久住分かれ」近くに広場があり、避難小屋とトイレ(利用料100円)があった。山中の大半の場所で携帯電話は“圏外”だったが、危急の際の通報用にアンテナが設置されていたのか、ここだけは電波が届いていた。

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# 『坊がつる賛歌』の歌碑



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 猛暑となった7月6日、大分県九重町の長者原に行き、タデ原湿原を散策して来た。昨年7月以来、ちょうど1年ぶりで、湿原に通じる散策路入口に昨年はなかった石碑があるのに気付いた。ガイド犬「平治号」の銅像そばの場所だ。近付いてみると『坊がつる賛歌』の歌碑。いつ建てられたのだろうと思い、帰宅後に調べてみると、昨年8月11日に除幕されていたことがわかった。8月11日は今年から「山の日」という祝日。前祝いを兼ねての除幕式だったという。

 『坊がつる賛歌』は九州の岳人たちに古くから歌い継がれてきた曲で、偶然耳にしてほれ込んだ歌手の芹洋子さんが1978年に歌い大ヒットしたことで知られる。一昨年の2014年、阿蘇くじゅう国立公園指定80周年記念イベントの一つとして芹さんのコンサートが現地で開かれた際、地元関係者の間で歌碑建立計画が持ち上がり、寄付を募って1年がかりで完成にこぎ着けたという。

 歌碑は山の形に見立てた高さ約2㍍、幅約2.7㍍の立派なもので、『坊がつる賛歌』の歌詞が1番から4番まで刻まれている。念のため説明しておくと、坊がつるとは、くじゅう連山の標高約1,200㍍地点に広がる広さ53㌶の広大な湿地で、標高1,000㍍地点にあるタデ原湿原(広さ38㌶)とともにラムサール条約登録湿地となっている。歌碑が坊がつるではなく、タデ原湿原の入口に建てられたのは不思議だが、国立公園の制約等もあって山中には建立できなったのだろうか。

 くじゅうをテーマにしたポップスは、他に『ロマンよ風になれ』という曲があり、個人的にはこちらの方が印象に残っている。吉川由美さんというアイドル歌手が1988年に出した曲だ。『坊がつる賛歌』のように多くの人に知られた曲ではないが、九州では発売当時、ドレス姿の吉川さんが九州交響楽団をバックにこの曲を歌うミニ番組がNHKで放送されており、記憶している九州在住者も多いのではないだろうか。以前からCDや音楽ダウンロードサイトでこの曲を探しているのだが、一向に見つからない。

 6日のタデ原湿原は、ノハナショウブやハンカイソウ、オカトラノオなどが咲き誇っていた。湿地周辺の乾いた場所に自生しているヒゴタイの見頃は間もなくの様子だった。湿原からくじゅう連山を見上げると、普段と違って硫黄山から白煙が上がっていなかった。ここには何度も来ているが、こんな風景を見るのは初めてだった。


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# 立花山のクス原生林

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 福岡市東区の立花山(標高367㍍)に登り、クスの巨木を見てきた。山頂付近の斜面には多数のクスが自生しており、その数は全山で数千本、樹齢300年と推定される巨木だけでも約600本を数え、1955年にはクス原生林の北限として国の特別天然記念物にも指定されている。一方で、原生林の割には若木がなく、一部の木は規則正しく並んでいるなどの理由から、福岡藩の植林によって生まれた森だという意見もある。

 自然林、人工林のどちらにしろ貴重な森であるのは間違いないと思うが、仮に人工林であった場合、どのような目的でつくられた森なのだろうか。クスで思い浮かぶのは防虫剤やセルロイドの原料などとなる樟脳で、江戸時代、南蛮貿易での主要輸出品の一つだったという。クスとは“金の成る木”だったわけで、「福岡藩が樟脳製造を目的にクスを植樹した」という筋書きを考えたが、残念ながら福岡藩で樟脳製造が盛んだったという話は出てこなかった。

 むしろ出てくるのは福岡藩がクス林を大切に保護していたという話で、「立花山の樟林は、全国稀に見る所にして、旧藩時代に保護を加えたる由れば、其生育殊に宜しく(中略)、林業家の嘆賞する所なり」(『福博誌』伊東尾四郎、森岡書店、1902)という一文を読めば 目先の利益ではなく、危急の際の資産としてクス林の保護を図っていたようにも思える。なお、南蛮貿易で輸出された樟脳のほとんどは薩摩産だったという。

 昭和初期の資料には「前城口の入口の谷間にクスの落葉を集め樟脳を製取する小屋あり」(『天然紀念物及名勝調査報告 植物之部 第8輯』史蹟名勝天然紀念物保存協会編、刀江書院、1928)とあり、立花山で一時期、樟脳製造が行われていたことは間違いないようだ。だが、チップではなく落ち葉で作ったというぐらいだから、非常に細々とした規模だったのだろう。

 立花山は、黒田家の筑前転封までは立花城という山城があったことで知られ、歴史にも彩られた山だ。城の本丸があった山頂からの眺めも良く、低山ながら登山客の人気は高い。ルートは色々あるが、私の場合、福岡市立三日月山霊園(福岡市東区香椎)の駐車場に車を停め、駐車場内にある三日月山(標高272㍍)登山口から隣の立花山まで縦走するルートを取ることが多い。私自身は利用したことはないが、立花山・三日月山の登山客の中には、東部余熱利用センター(東区蒲田5)の大浴場で汗を流して帰る人も多かったという。この施設が惜しまれながら3月末で閉鎖されたことを以前紹介した(「消え行くホークスタウン」)。




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# アカウキクサまた繁茂

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 福岡市中央区の舞鶴公園のお堀にアカウキクサが繁茂し、水面が赤茶色に染まっている。お堀のアカウキクサについては5年前にも取り上げたことがあるが(「お堀が地面のように」)、この時と違い今回繁茂しているのは一番西側の4、5号堀。ここがアカウキクサで埋め尽くされるのは、記憶する限りでは初めてだ。水鳥が運んできたのだろうか。

 アカウキクサは水生のシダ植物で、国内固有種のオオアカウキクサが絶滅危惧種に指定される一方、良く似た外来種が生息域を広げている。ネット上には両者の判別はかなり難しいとの情報があり、現実に福岡市はかつて、保護か除去かで右往左往したことがある。ただ、2011年発行の福岡県レッドデータブックで、オオアカウキクサは福岡県内ではすでに絶滅したと宣言されており、これに従えば、5号堀に繁茂しているのは外来種と考えるのが順当だろう。

 外来のアカウキクサは最初、アイガモの餌などとして国内に持ち込まれたという。アイガモ農法で稲を育てる際、雑草だけではアイガモの餌が足りず、それを補うために水田で栽培され、やがて水田外に生息域を広げていったらしい。突如としてダム湖の水面を埋めて気味悪がられたり、あるいは希少なオオアカウキクサが復活したと勘違いされて喜ばれたりと、時折各地でニュースになっている。

 「お堀が地面のように」でも書いたが、アカウキクサでびっしり埋まった水面はまるで赤土の地面のようで、過去には勘違いした小学生が堀に落ちたことがある。また、見た目もあまり良いものではなく、恐らく近いうちに除去される運命だろう。

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# 油山のキンモクセイ

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 福岡市の油山市民の森でキンモクセイが金色の花を咲かせ、辺り一面に甘い香りを漂わせている。管理事務所に尋ねたところ、森に植えられているキンモクセイは約400本。吊り橋から中央展望台に至る散策路はまるでキンモクセイ並木のような状態で、中にはビックリするような大きな木もあった。山頂からの帰路にこの道をたどったが、懐かしい香りに疲れが癒やされる気分だった。

 以前は秋になると、あちこちの民家の庭からキンモクセイの香りがしていたものだが、最近はそんな機会が減った。香りがトイレの芳香剤を連想させるため、庭木としては敬遠されるようになったと聞く。もっとも、キンモクセイの香りの芳香剤自体、現在ではほとんど売られていないらしい。水洗トイレの普及以降、消臭のための強い香りは「頭が痛くなる」などと嫌われるようになり、最近では柑橘系やハーブ系などのほのかな香りが主流なのだという。

 そう言えば、我が家で購入する芳香剤も「フローラル」などというよくわからない代物が多くなり、以前には「ガリガリ君ソーダの香り」なるヘンテコリンなものを買ったこともある。庭木はおろか、芳香剤でもキンモクセイの香りに出会わなくなったのだから、懐かしいはずだ。

 市民の森管理事務所によると、キンモクセイの花は23日の雨でだいぶ落ちたらしい。香りを楽しむのは27日の日曜日ぐらいが最後になりそうだと教えていただいた。福岡市ではこのほか、キンモクセイとしては樹齢300年と言われる城南区友泉亭公園の古木が有名だ。友泉亭公園とは福岡藩主の別邸跡だが、昭和初期、貝島炭砿の経営で財をなした貝島家が買い取って整備した歴史があり、現在残る建物や庭園はこの時期のものらしい。この公園もずいぶんご無沙汰なので、近いうちに行ってみようと思う。

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# ハチクマウォッチング

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 福岡市城南区の油山・片江展望台で開かれている「ハチクマウォッチング」に12日、参加して来た。ハチクマとは大型の鷹の一種で、夏に本州で繁殖した後、秋に越冬地の東南アジアなどに渡っていく。片江展望台は、ハチクマの渡りが観察できる国内有数のスポットと言われている。ピークは秋分の日前後と聞いており、少し早いとは思ったが、油山散策がてら足を延ばして来た。

 梅林緑道から展望台に向かう途中、カラスがギャーギャー騒ぐ中、鷹らしき大きな茶色の鳥が悠然とその上空を飛んでいくのを見た。意外に期待できるのではないかと思ったが、昼食のおにぎりをほおばりながら、しばらく展望台で粘ったものの、残念ながらハチクマを目にすることはできなかった。

 展望台では日本野鳥の会の方々がガイドをしながら観察を続けているが、現在はまだ、1日で数羽が見られる程度らしい。この時期に本気でハチクマの姿を見たければ、“しばらく”ではなく一日中粘る必要があるようだ。昨年はウォッチング期間中の37日間(9月6日~10月12日)で5,286羽が観察されたが、1日で500羽以上を見ることが出来たのは15、22、25日の3日間だったという。

 ハチクマという妙な名前の由来は、姿かたちがクマタカに似ており、クロスズメバチの幼虫(蜂の子)を好んで食べるためだとか。ハチクマは翼を広げれば1㍍を大きく超え、春、秋2度の渡りで計2万㌔を移動するというハードな生活を送っている。こんな鳥の主食というのだから、蜂の子はよほど栄養価が高いのだろう。

 展望台からの帰路は、「梅林寺・梅林中交差点」という案内貼り紙に従い、いつもとは違う登山道を通ってみた。利用する登山者が少ないのか少し荒れた状態だったが、途中、かなり深い渓谷沿いを歩く箇所があり、びっくりした。長いこと福岡市に住んでいるが、油山にあんな場所があるとは知らなかった。写真を撮りたかったのだが、急な崖を降りなければならず、断念した。

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# 初めて知った天拝湖の正体

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 基山(佐賀県基山町・福岡県筑紫野市)から天拝山(筑紫野市)まで、九州自然歩道をたどって縦走し、二日市温泉でひとっ風呂浴びて帰ってきた。猛暑の中、十数㌔を歩き、さすがに途中でばてて、天拝山南側の天拝湖畔で休憩した。風光明媚な湖で、筑紫野市民の憩いの場であることは聞いていたが、初めて現地に行き、この湖が「山口調整池」であることに気付いた。

 人口250万人に上る福岡都市圏だが、域内には大河川が存在しないため、遠く筑後川から水をもらい、飲み水の一部を賄っている。いわゆる福岡導水で、1日に都市圏に送られてくる筑後川の水は約18万㌧。山口調整池とは、送水管が壊れるなどの緊急事態に備え、筑後川の水を一時的に貯めておくための人工湖だ。有効貯水量は約390万立方㍍で、福岡市のダムの中で比較すると、脊振ダムとほぼ同じ。要するにダム1個分もの大量の水がここには貯えられている。1994年に起きた2度目の福岡大渇水を受け、水資源公団(現在は水資源機構)が370億円を投じて建設、98年に完成したという。

 94年以降、福岡都市圏は幸いにして大きな渇水には襲われていないが、2002年冬には寸前の危機に陥り、また、故障で短期間ながら福岡導水が止まったこともある。その度に山口調整池がショートリリーフ的な役割を担い、ニュースでその名を度々耳にしてきた。しかし、その場所を正確に把握していなかったため、長らく天拝湖と同一だとは知らなかった。相当うかつな話だ。

 湖畔には「兎ヶ原水没記念碑」と刻まれた大きな石碑があった。兎ヶ原(うさぎがはる)とは、この場所にあった集落の名前で、調整池建設により、宅地や農地、山林など60㌶が水没し、26世帯が移転を強いられたという。兎ヶ原の名は、現在も川や林道の名前に残っている。名前通り、かつてはこの場所を野ウサギが駆け回っていたのだろうか。

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 基山山頂へは筑紫野市のJR原田駅から滝行場、基肄城跡の礎石群を経由するルートを選んだ。基山には5月にも登り、山城跡を巡ったが、この時と比べて山頂には夏草が生い茂り、休憩所は壊れたのか立ち入り禁止の状態だった。
 
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 5月には基山下山の際に道を間違い、縦走路の九州自然歩道に入り損ねたため、今回は慎重に草スキー場を下った。低山とは言え、真夏の猛暑の中を縦走している人はさすがにゼロ。自然歩道では誰一人出会わなかった。

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駄田泉

管理人:駄田泉
福岡の中小企業に勤める定年間近の中年オヤジです。物忘れが激しくなったため、ボケ防止のためにブログを書いています。主に福岡の情報を紹介していますが、タイトル通り、新しい話は何もありません。Twitterではたまに、胡散くさい情報を発信。