阿蘇くじゅうでヒゴタイ開花

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 ヒゴタイがそろそろ開花を始める頃だと思い、熊本県産山村のヒゴタイ公園、大分県九重町のタデ原湿原を散策してきた。予想通り、るり色の球形の花が、阿蘇やくじゅうの山並みをバックに風に揺れていた。一見、涼しげな風景だが、下界よりはましとは言え、阿蘇くじゅうの高原地帯も酷暑だった。(写真は1枚目がヒゴタイ公園、2枚目がタデ原湿原)

 ヒゴタイは、阿蘇くじゅう地域では「盆花」とも呼ばれるキク科の多年草。現在では絶滅危惧種にも指定される稀少な植物だ。ほぼ毎年、この花を見に阿蘇くじゅうに出かけているが、ヒゴタイ公園には今回初めて足を延ばしてみた。標高900㍍の高原地帯にあり、村の第三セクター、株式会社「うぶやま」が運営している。「村の花」であるヒゴタイのほか、四季折々の花が栽培されている自然公園で、キャンプ場なども併設されている。ただ、真夏のこの時期に開花している花は少なく、ヒゴタイが見頃を迎えるのももう少し先の様子だ。散策するのは、阿蘇に一足早く秋風が吹き始めるお盆過ぎの方が良いかもしれない。

 ところで、ヒゴタイの花は阿蘇くじゅう以外では見たことがないが、福岡県のレッドデータブックでも「ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高い」絶滅危惧IA類に指定されている。福岡県内のいったいどこにヒゴタイが生育していたのかと言えば、阿蘇くじゅうのような山岳地帯ではなく、宗像市の沖ノ島だという。昨年、世界遺産に登録された、あの玄界灘の孤島だ。阿蘇くじゅうと沖ノ島とではあまりに環境が違いすぎ、不思議に思えるが、かつては九州内の様々な場所にヒゴタイが広く自生していた証しなのだろう。

 1978年以降は採集記録がなく、沖ノ島ではすでに絶滅したと思われているが、北九州地区で1996年、数株が発見されたため、福岡県内での「絶滅宣言」は免れている。ただし、北九州地区ではこれ以前に採集・生育の記録がなく、レッドデータブックには「現存個体は植栽あるいは播種された個体に由来する可能性も否定できない」と記されている。
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ニイニイゼミを久しぶりに見た

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 福岡市中央区の西公園で、ニイニイゼミが「チィチィ」と鳴いていた。木を見上げて姿を探したが、見つけるまで、しばらく時間がかかった。このセミは羽も体も地味な茶色で、桜の木などにとまっていると見事な保護色になる。それでも虫捕りに熱中していた子供の頃は、簡単に見つけることができたものだが。私が子供だった昭和時代、福岡にごく当たり前にいたのはニイニイゼミとアブラゼミで、今では信じがたいが、クマゼミは稀少な存在だった。しかし、最近では鳴き声を聞くのも姿を見かけるのもクマゼミばかり。ニイニイゼミを見たのは本当に久しぶりだった。

 私が現在住んでいる地域では、朝起きた時にはすでに、クマゼミが「ワシワシ」と騒々しく鳴いている。クマゼミが静かになる午後には、アブラゼミが鳴き始めるが、数は圧倒的に少ない。ニイニイゼミの声を聞くことができるのは、西公園などそれなりの樹林がある場所だけで、市街地で聞くことはほぼない。私の子供時代とはセミの生息状況が大きく変わってしまったわけで、これは西日本の都市部では共通する現象のようだ。大阪府は大阪市内で2011年、セミの抜け殻調査を行ったが、見つかった抜け殻の98%がクマゼミだったという。

 クマゼミが圧倒的優勢になった理由については、<1>都市部の気温が上がるヒートアイランド現象により、南方系のクマゼミにとっては住みよい環境になった<2>孵化したばかりの幼虫でも土を掘り進む力が強いためアリの餌食になりにくい<3>飛翔スピードが速く鳥に捕食されにくいーーなどの説を聞く。様々な説があるということは、決定的な要因は解明されていないわけで、本当のところはまだ謎なのだろう。<2><3>についてはクマゼミがもともと持っていた能力なのだから、急に生息数が増えた理由にはならない気がするが。

 一方、ニイニイゼミが減った理由については、「ちょっと良い樹林が市街化で失われたため」との説を京都市職労などが唱えている。なぜ、セミの話に労働組合がかかわってくるかと言えば、京都では同職労が中心になって5年ごとにセミの抜け殻調査を行っていたためで、この結果に基づき、同職労は早くからニイニイゼミの減少を指摘していた。ただし、2010年の調査結果によると、ニイニイゼミの数はやや回復傾向にあるという。ネット上には、東京など他都市でも同様の傾向だとする報告があるが、少なくとも私の生活圏ではまだ、その気配は見られない気がする。

 小学生の頃、高学年になっても夏休みには虫捕りに明け暮れていたが、虫かごに入っていたのは、いつもニイニイゼミとアブラゼミだけ。冒頭にも書いたが、クマゼミがここに加わるのはまれだった。ツクツクボウシが鳴く頃は、さすがに虫捕りにかまける余裕はなくなり、仕方なく「夏休みの友」を開いていたものだ。手に入れる機会が少ない分、透明な羽を持ったセミの方が何となく貴重に思っていたが、不透明な羽を持つセミの方がむしろ少数派であることを大人になって知った。東日本でメジャーなミンミンゼミは、北九州の皿倉山など山中で鳴き声を聞いたことがあるぐらいで、憧れの存在だった。
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百道浜の長生き?野良猫

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 「モンバン君」と勝手に呼んでいる野良猫が、福岡市早良区の百道浜界隈にいる。6~7年前だったか、最初にこの猫の存在に気付いた時、いつも福岡市博物館の裏門横にいたことから、門番呼ばわりするようになった。猫の個体識別が得意なわけではないが、この猫は額の模様が特徴的で、横分けした前髪を垂らしているようにも見える。つい先日も博物館前庭を元気に歩いているのを見かけた。つまり、この猫は少なくとも6~7年は生きている。

 野良猫の平均寿命については、ネット上には2~3歳、あるいは4~5歳といった情報が散見される。どの程度信頼できるのかはわからないが、博物館や福岡タワー前などで見かけた猫たちが、翌年には姿を消していることがよくある。「平均寿命2~3歳」というのは感覚的に納得できる数字だ。百道浜界隈では夕方、猫に餌を与えている人たちがいるので、一定の食事は確保できていると思うが、それでも野外生活はやはり過酷なのだろう。だとしたら、モンバン君は野良猫としてはずいぶん長生きしていることになる。

 昨年暮れに見かけた際は、博物館前の路上でうずくまるようにしていた。「老いたのだろうか」と思っていたが、冒頭書いたように、この春は元気な様子だった。上の写真で真ん中に写っているのが問題のモンバン君で、2015年5月に撮影した。ネット上にある百道浜の野良猫の画像を探してみると、他の方が撮影した動画や写真でもこの猫の姿を確認できる。百道浜にいる野良猫はおおむね警戒心が強く、この猫にしても決して人懐こいわけではないが、少なくとも人慣れはしているようで、こうやって写真に収めることはできる。野外で生き延びていくうえで、この性格は少しはプラスになっているのだろうか。

 なお、モンバン君と呼んではいるが、実は大きなお腹を抱えた姿を見たことがあり、本当は雌ではないかと思われる。タイトルを「長生き?野良猫」にしたものの、日本ペッドフード協会が昨年暮れに発表した飼い猫の平均寿命は15.33歳。完全室内飼いのケースに限れば、16歳を超える。同じ猫でも、氏育ちが違えば、生きることができる歳月がこれだけ違ってくる。
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雷山山頂のコバノミツバツツジ

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 糸島市の雷山(955㍍)に登ってきた。紅葉の名所として有名な雷山千如寺大悲王院、古代山城跡の雷山神籠石など山中の名所・旧跡には何度か行ったことがあったが、山頂は初めて。雷山がある脊振山系は福岡・佐賀県境に広がる断層山地で、佐賀県側はなだらかだが、福岡県側は急崖だと言われている。つまり福岡県側から登れば、非常にしんどい。知識としては知っていたが、そのしんどさを我が身で経験してきた。

 ルートは、雷山千如寺の下から登山道に入り、清賀の滝、雷神社上宮を経て山頂を目指した。上宮から山頂までは「もう一息」と聞いていたが、実際に登ってみての感想は「上宮からが登山本番」だった。距離的にはわずか524㍍(案内板の表示)だが、この524㍍が急傾斜の連続で、四つんばいで登らざるを得ないような所もあった。登山前、余力があったら隣の井原山(983㍍)に通じる縦走路をたどろうかとも考えていたのだが、現実に山頂にたどり着いてみると、そんなエネルギーはまったく残っていなかった。昼食休憩後には迷うことなく下山を選んだ。

 井原山では、コバノミツバツツジの花がちょうど見頃を迎えている。これが縦走路を歩きたかった理由だが、雷山山頂にも数株が咲いており、これで満足することにした。コバノミツバツツジは名前の通り、葉の小さなミツバツツジで、薄紫色の花を咲かせる。春から初夏にかけて九州の山々を彩る花としては、阿蘇・くじゅう山系や雲仙などのミヤマキリシマが有名だが、脊振山系のコバノミツバツツジも人気の存在だ。

 ところで、車を停めた登山口近くの駐車場で、無料配布されている糸島市発行の登山マップ「糸島の山歩き―井原山・雷山・羽金山編」を手に入れ、有効活用させてもらった。主な登山ルートとともに、山々の特徴や見所、四季の花々などを紹介したA2判の大型マップで、コンパクトなサイズに折りたたまれている。以前、二丈岳に登った際に「二丈岳・女岳・浮嶽・十坊山編」が役立ったので、雷山でも入手できないかと思っていたところ、駐車場の一角に「山ナビBOX」というものがあり、ここに期待通りマップが置かれていた。帰宅後にマップを眺めながら、来年こそはコバノミツバツツジの群落を見るため、楽な佐賀県側から井原山に登ろうかと思いを巡らせている。

 写真は上から、雷山山頂、山頂に咲いていたコバノミツバツツジ、三つの石の祠が並ぶ雷神社上宮。下の写真が登山マップ。


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ミノムシはどこに

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 福岡市中央区の西公園や大濠公園を、ひたすら木々を見上げながら歩き回ってきた。何が目的だったかと言えば、ミノムシを探していたのだ。私たち中高年が子供だった昭和時代、秋冬になると、木々には数多くのミノムシがぶら下がっていた。しかし、最近はまったく見かけない。天敵のハエが日本国内に侵入し、ミノムシを餌食にしているためだという。西公園を散策中、この話をふと思い出し、ミノムシを探してみようと思い立った。注意深く探せば、1匹ぐらいは発見できるだろうと思っていたが、西公園を彷徨し、さらに探索場所を大濠公園に変えても、その1匹が見つからなかった。

 ミノムシは言うまでもなく蛾の幼虫で、その代表的なものがオオミノガだ。ミノムシの激減に気付き、天敵の出現を突き止めたのは地元・九州大の研究者で、街の木々からミノムシの姿が減ったことを不審に思い、1995年に調査を始めたところ、ミノムシに何者かの幼虫が寄生し、餌としていることが判明した。幼虫の正体を特定するため、羽化を待ったところ、中国などに生息する寄生バエ、オオミノガヤドリバエだとわかったという。

 オオミノガヤドリバエについて、国立環境研究所の「侵入生物データベース」には、日本への侵入経路は不明としながらも、「中国山東省では1990年代初頭にオオミノガ駆除のための天敵として利用されたことがあり、山東省由来と推測されている」と記されている。生物農薬として利用された程の天敵が襲来したのだから、ミノムシの姿が街中から一気に消え去ったのも無理はない。

 オオミノガは2001年、福岡県のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の恐れが増大している種)に指定されている。絶滅の恐れが増大どころではなく、もっと危機的な状況ではないかと思うが、同書によると、「現在でも本種のごく少数の集団が県内各地で時折観察され、完全な絶滅には至らない」という。

 なお、同書には「鳥などの天敵が少ない市街地や村落などに1955年までは極めて普通で、冬季の枯れ枝先の休眠幼虫は冬の風物詩とまでいわれた。しかし、1955年に日本各地で確認された外来種と思われるオオミノガヤドリバエの寄生によって関東北部、四国南部を除いてほとんど絶滅状態になった」と書かれているが、九大研究者によるオオミノガヤドリバエ発見の経緯を考えれば、1955年は1995年の誤りだろう。そもそも私が生まれる以前から絶滅状態だったのならば、子供時代にあれほどのミノムシを見かけたはずがない。暇な時には意味もなくミノを切り開いて遊んでいたのだから。

 この記事を書くに当たり、オオミノガについて少し調べてみて、驚くことがあった。ミノの中で冬を越した幼虫は、サナギを経て春から初夏にかけて羽化するのだが、いわゆる蛾の姿に変わるのはオスだけ。メスは羽が生えないどころか、幼虫時代にはあった肢さえ失い、ミノの中にとどまるのだ。外を飛び回るオスにしても食べ物を摂取する器官はなく、メスを探して交尾を終えると死に、メスも産卵後には一生を終える。しかし、そうやって残した子孫たちが次々に天敵に食い尽くされ、種の存続の危機に瀕している。昆虫の話とは言え、いたましい。

 ミノムシのミノを切り開いて遊ぶなど、むごいことをしていたものだと、今さらながら反省している。
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くじゅう連山初冠雪

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 19日、大分県のくじゅうに紅葉見物に行ったところ、くじゅう連山の山々は早くも雪をかぶっており、思ってもいなかった雪景色を見ることができた。登山口に当たる九重町の長者原に昼食がてら立ち寄り、寒さに震えながらタデ原湿原を散策してきたが、うっすら雪化粧した三俣山(1,745㍍)の姿は圧巻だった。帰宅後に見たニュースによると、この日が初冠雪で、例年より5日早かったという。

 ところで、長者原で昼食に食べたのは、長者原ヘルスセンターのとり天定食(900円)だ。とり天とは文字通り鶏肉の天ぷらで、大分を代表する郷土料理の一つ。にんにく醤油などで下味を付けたうえで揚げ、ポン酢や黒酢などのタレで食べるのが一般的だ。長者原ヘルスセンターのとり天は二度揚げしているのが特徴で、そのため天ぷらと言うよりは唐揚げみたいな食感だが、くじゅうに遊びに行く目的の一つになっているぐらい、ここのとり天を気に入っている。

 くじゅう、熊本県阿蘇を貫く観光道路「やまなみハイウェイ」沿いには、このほかにも手頃な料金でうまい昼食を食べさせてくれる店が少なくなく、この道を通るのは本当に楽しみなのだが、凍結した道や雪道での運転に慣れていない我が家は、冬にくじゅう・阿蘇方面に行くのは自重している。恐らく今回が今年最後のくじゅうドライブになることだろう。寒さ本番を迎えるのはこれからだが、もう春が待ち遠しい。
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舞鶴公園で魚大量死

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 福岡市中央区の舞鶴公園5号堀(一番西側の堀)で29日午後、作業着姿の人たちが大きな網でコイなど魚の死骸を次々に回収しているのを目撃した。この一件を報じたテレビニュースによると、この日朝、コイやフナが大量に浮いているのに市民が気付き、関係機関に通報。公園管理事務所が死骸を回収したが、その数は450匹にも上った。死骸を解剖して原因を調べるという。

 30日午後、再び舞鶴公園のお堀端を歩いたところ、最大の3号堀には普段通り、大きなコイが多数泳いでいたが、5号堀は全滅状態だった。回収作業後に死んだのか、水草の中にはまだ複数の魚の死骸があり、付近には嫌な臭いが漂っていた。ただ、ミシシッピアカミミガメは何匹か目撃した。肺呼吸のカメは生き延び、エラ呼吸のコイやフナが全滅したとなると、水中の酸素濃度が下がったのだろうか。
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霧の韓国岳

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 この夏、霧島連山の主峰・韓国岳(1,700㍍)に登り、強風の吹き荒れる山頂で寒さに震えてきた。しかも強風の中でも濃い霧に覆われ、視界はほぼゼロ。山頂の標識前で記念写真を撮ったが、顔も判別できない程だった。

 登山路は、所要時間が1時間半程で初心者向きと言われる、えびの高原(宮崎県えびの市)からのルートを選ぶつもりだったが、例によって下調べが不十分だった。現地に着いてみると、このルートは噴石が飛来する恐れがあるとして利用禁止となっていた。硫黄山、新燃岳の火山活動が続いていることに伴う規制らしい。やむなく鹿児島県側の大浪池登山口から山頂を目指すことにした。大浪池は標高約1,400㍍の場所にある周囲2㌔の巨大な火口湖。ルート変更によって珍しい景色を間近で見ることができ、満足したが、道のりは予想以上にハードだった。

 登山口から大浪池までが約1時間。大浪池から山頂までが2時間強で、トータルの所要時間はえびの高原ルートのほぼ倍。登山道は大浪池までが石畳や石段、韓国岳本体には木製の階段が整備され、歩きやすくはあったのだが、場所によっては階段がかなり高く、疲れ切った後半は一段一段上がっていくのが非常にしんどかった。

 20歳代の大半を宮崎で過ごしたこともあり、えびの高原や隣県・鹿児島の霧島温泉郷などには何度も行ったことがあるが、山登りには全く関心がなかったため、すぐ近くにあった韓国岳や高千穂峰の登山道に向かうことはなかった。初めて韓国岳に登ってみて、霧で視界が悪かったためもあるが、あまりにきつくて景観を楽しむどころではなかったというのが正直な感想だ。ただ、大浪池の周囲にはコバノミツバツツジの群落があるのに気付いた。春には登山道を紅紫色に染めることだろう。コバノミツバツツジの咲く季節に、大浪池にはもう一度行ってみたいと思う。
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由布岳で見た倒木

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 大分県由布市と別府市の境にある由布岳(1,584㍍)に登り、登山口近くの樹林帯で印象的な光景に出会った。かなり以前に鉄砲水でもあったのだろう。谷筋に大量の木が倒れていたのだが、見たところほぼすべてがスギだったのだ。谷沿いには広葉樹も生えていたのだが、こちらは根がむき出し状態になりながらも持ちこたえており、対照的な姿だった。

 今回の九州北部豪雨災害では流木が被害を拡大したと指摘され、この流木は、根の張り方が浅いスギが山の表層ごと崩れ落ちて発生したという。由布岳の倒木を見てもスギの弱さは良くわかり、今回のような災害を防ぐには、河川改修を急ぐよりもむしろ、治山が大事なことは素人目にも理解できた。

 写真を撮ってくれば良かったのだが、正面だけを見据えて山を登っていた往路は気付かず、復路は岩だらけの登山道に疲れ果て、リュックからカメラやスマホを出す気力もなかった。由布岳で他に見かけたものは、タヌキ、樹林を駆け抜けていったシカ、ジョギング姿で山を駆け下りてきた男性。最後が一番驚いた。
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カササギと川口孫治郎

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 福岡県筑後市の農村地帯で先日、カササギを目撃した。カメラを構える間もなく飛び去って行ったが、写真でしか見たことがなかったツートンカラーの印象的な姿を見ることができ、非常にうれしかった。もともと国内では佐賀平野とその周辺にしか生息していなかった鳥だが、佐賀県の調査では近年、佐賀平野では減っているものの生息域は周辺に拡大しているという。 福岡市にも生息しているようで、インターネット上にはかなりの目撃談が掲載されているが、残念ながら私自身はこの街では一度も見たことがない。ちょうど今は営巣時期らしいので、毎日のようにあちこちの電信柱を見上げているのだが。

 カササギはカラスの仲間で、別名はカチガラス。文禄・慶長の役の際、武将が朝鮮半島から持ち帰り、佐賀平野に定着したとも言われるが、異説もある。この鳥について調べる中で、福岡市総合図書館の郷土資料室で興味深い文献を見つけたので、少し中身を紹介させていただきたい。1926年(大正15)発行の『福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告書』にカササギの生態等に関する報告が掲載されているのだが、調査の苦労談が面白いのだ。

  調査を行ったのは川口孫治郎氏 (1873~1936)という研究者だが、野鳥の観察などという活動に対し、当時の一般人には 「金儲けにならぬことに彼程も時間と労力とを費やして遠方から観に来る筈がない」という偏見を持たれ、全く理解を得られなかったらしい。長期間観察を続けていたのに、最後の最後になって地元民たちにカササギの卵や雛を奪われ「幾週間積重の努力を一朝にして水泡に帰せしめられたること少からざりし事」と報告書には深い嘆きがつづられている。県が調査を行う際はこんな目に遭わないよう、調査に先立ち「町村一般の人々に向って、御調査の本旨を徹底せしめられ、小学児童にも篤と申聞かせ候はん事」と川口氏は訴えてもいる。

 この川口孫治郎という名前には、恐らく久留米方面では聞き覚えがある人が多いのではないかと思う。大正時代、旧制中学時代の明善校の校長を長く務め、教育者としても非常な尊敬を集めていた人で、この報告を行った時も校長在任中だった。鳥類研究者としても名高く、明治時代には絶滅したと思われていたトキを大正時代、佐渡島で再発見した人物こそが、この川口氏。彼がこの時に毛筆で著した『佐渡の鳥』には現代においても貴重な情報が数々記録されているといい、京都大で保管されていたこの資料を2012年、新潟大の朱鷺・自然再生学研究センターが復刻している程だ。

 川口氏がカササギについての調査を行ったのは、この当時、国内でのカササギの生態等について著した文献が全く見当たらなかったことも理由で、苦労談だけでなく当然ながら調査報告本文も面白い内容だ。中でも「此鳥は相応に人を識別する能力あるものの如く、人によりて之に警戒する程度を異にす」というところは愉快だった。高齢者や幼い子供にはほとんど無警戒なのに、害を加える意志を持った少年から壮年にかけての男性への警戒心は著しく、「彼等の眼は常に主として人々の眼に注がれつつあり」と、この鳥の賢さを川口氏は指摘している。

 また、カササギ保護のため、営巣場所となる大木は伐採するべきではなく、どうしても伐採する時は「相当の設備(例えば巣架けの為の柱状施設の如き)をなすの必要を見るに至るやも計られず」という提言には感心した。都市化などで大木が減った現在、カササギが主な営巣場所としているのは、まさに“柱状の施設”である電柱で、佐賀県の調査によると、営巣場所の7割までが電柱だという。カササギの写真は後日、熊本県和水町で撮影した。
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