東京でホークス戦中継

旧聞に属する話2010-ヤフードーム

 問題。福岡ソフトバンクホークスの中継が最も多いテレビ局(地上波)は、どこ?

 福岡ではトリビアネタとして結構有名な話なので、ご存じの人も多いだろう。正解は、東京のUHF局・東京メトロポリタンテレビ(TOKYO MX)。今年は過去最多の45試合前後を放送予定で、地元・福岡の民放で最も多いTVQの約2倍に上る。TVQが、ホークス戦中継は“地元地上波では最も多い”などと言い訳がましくPRしているのには、こんな理由がある。

 この事実を知らなかった2、3年前、東京出張の際にホテルで漫然とテレビを見ていたら、ヤフードームのホークス戦中継が始まり、えらく驚いた記憶がある。福岡に帰った後、土産話で知人に伝えたら、馬鹿にされた。「ホークスファンの間では常識!」だったらしい。

 それにしても不思議だった。なぜ、東京で九州のローカル球団の中継が行われているのか。ホークスが絶大な人気を誇る福岡でも、地上波中継の視聴率は高くても十数%だ(試合終了まで完全中継のJSPORTSに視聴者が流れている影響もある)。東京、ましてUHF局での中継など視聴率は恐らくゼロに等しいだろう。どう考えてもペイするわけがないと思っていた。

 調べてみると、首都圏でファンを増やしたいソフトバンク側が持ちかけた話であり、MX側にとっては黙っていても優良スポンサー(球団親会社のソフトバンクと関連会社)がついてくる、おいしい番組らしい。だからだろう。MXの今季ホークス戦中継についてのプレスリリースを見ると、「TOKYO MXでは、ホークス中継を番組編成の大きな柱の一つとして認識するとともに、2010シーズンもよりいっそう視聴者に楽しんでいただけるような番組づくりを目指し、今まで以上に熱い戦いが予想されるパ・リーグ、そして日本のプロ野球人気を盛り上げていきます」とえらい張り切りようだ。

 ただ、本当にプロ野球人気を盛り上げる気があるのならば、地元のヤクルトあたりの中継をやるのが東京のローカル局の務めだと思うのだが…。もちろん、余計なお世話だが。
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西新の屋台村閉鎖へ

旧聞に属する話2010-屋台村1

旧聞に属する話2010-屋台村2

 福岡市早良区の西新商店街にある「屋台村」が来月で閉鎖されるという。商業ビル予定地の空き地に、タイ焼き屋やパン屋、ラーメン屋などのミニ店舗十数店舗が出店し、結構なにぎわいだったのだが、予定通りビルが建つことになったらしい。このまま屋台村として存続させた方が街のいい名物になると思っていたので、どんなビルになるかは知らないが、少し残念な気持ちだ。

 この場所には数年前まで、大きな青果店が入った建物があった。しかし、2005年3月に起きた福岡県西方沖地震で被害を受け、その後、耐震性に問題があるとして取り壊されたと記憶している。跡地は東京のデベロッパーが取得、早くから商業ビル建設が計画されていたが、不景気を理由に長いこと野ざらし状態だった。

 恐らく東京資本にとっては、たいした物件ではなかったのだろう。しかし、地元にとっては商店街の一等地だ。いつまでも空き地のままでは街の活気にも影響する。だから、福岡市内の不動産業者がこの土地を借り受け、屋台村を始めた時は、ユニークな取り組みとして地元マスコミにも注目され、小さいながら人気店も生まれていた。商売を始めようとする人にとっても、初期投資が抑えられる屋台村への出店は、かなり魅力的だったようだ。

 今回の商業ビル建設は、景気が回復してきたという判断らしく、地元紙の報道によると、7月にも着工するという。それはそれで喜ぶべきことかもしれないが、商店街のど真ん中の土地を、長いこと空き地のまま放置しておきながら、地元による有効活用策が軌道に乗り始めた途端、土地を返せとはえらく無責任な話だという気もする。「こっちも商売だ」と言われれば、第三者は黙るしかないが、釈然としない思いは残る。
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マルくん絶食中

旧聞に属する話2011-アヒル2

 我が家のミドリガメのマルくんが3日ほど絶食を続けている。別に餌を与えていないわけではない。「テトラレプトミン」、キョーリンの「カメブロス」、イトスイの「カメのエサ」と3種の配合飼料を毎日与えているのだが、一向に食べない。だから絶食状態なのだ。

 大好物の冷凍したタイの刺身ならば、喜んで食べるのは間違いない。だったら、それを与えれば済む話だが、いつまでもタイの刺身しか食べないのでは栄養バランスが心配だ。現在のところは元気のようだが、今後の健康面を考え、心を鬼にしたのだ。

 実は2か月ほど前にも偏食を直そうと考え、同様の試みを行ったことがある。この時はまさに3日目で挫折した。水面からじっとこちらを見つめるマルくんの視線に負け、ついタイの刺身を与えてしまったのだ。

 しかし、ミドリガメの飼育について参考にしているウェブサイトによると、「かわいそうだから」と中途半端で終わることが、一番カメのためにならないという。インターネット上にあるミドリガメ飼育する人の様々な体験談を読んでみると、好きな食べ物をもらえるまで、平気で1か月も絶食を続ける頑固なカメもいるらしい。偏食を直すには、飼い主とカメとの相当な我慢比べが必要のようだ。

 今回はせめて1週間は挫折しないようにしたいが、それ以上となると少し自信がない。(カメにしては)つぶらな瞳でまた見つめられると、ついフラフラとなりそうな気がしている。

 写真は福岡市中央区の舞鶴公園で撮影したアヒルとカメ。カメの甲羅には人為的と思われる丸い穴が開いている。恐らく以前は人に飼われていたのだろう。かなり年を経ていると思われるが、顔はあまりかわいくない。
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低俗ドラマ出演の報い

旧聞に属する話2010-お父さん犬

 福岡市に九州朝日放送(KBC)という民放があり、このテレビ局が毎年2月『福岡恋愛白書』なる自主制作ドラマを放映している。一度も見たことはない。見たことはないが、放送日前には低俗な予告編をしつこいぐらいに流しており、だいたいドラマ自体の質は知れる。この低俗ドラマに、どういう訳か福岡ソフトバンクホークスの選手が出演することがある。

 ウィキペディアで調べてみると、こんな調子だ。2008年放映のPart3に馬原孝浩、今年のPart5に田上秀則。この2人、出演したシーズンはものの見事にずっこけているところが共通している。

 馬原は2008年、シーズン途中で故障し、成績は抑え転向後で最低の11セーブに終わった。故障は癒えたが、昨年も今年も不安定なピッチングを続けており、守護神と呼ばれるだけの安定感はまったくない。田上の今シーズンの絶不調は周知の通り。松田の骨折もあり、1軍には呼び戻されたが、依然打率は1割にも満たない。契約更改での銭闘は一体何だったのかとあきれ果てる。

 2人の不調はもちろん単なる偶然だろうが、(恐らくは)にやけた顔で低俗ドラマの撮影に臨んでいたこと自体、シーズンオフとは言え、緊張感のない生活を送っていたという証拠だろう。その意味では不調は必然という気もする。もう何年も大不振が続いている主砲のMさんも、ひょっとしたら毎年この低俗ドラマに出演していたのではと疑った程だ。

 2003年を最後に優勝から見放されているホークス。「今年はやらんといかんばい」が今季のスローガンだが、本当にそう思っているのか?
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学研都市にパチンコ店林立

旧聞に属する話2010-学研都市2

旧聞に属する話2010-学研都市1

 福岡市西部に九大学研都市というJRの駅がある。ここから4km離れた場所に九州大の新キャンパスがあり、この駅が玄関口に当たる。一帯では大規模な区画整理が進められており、最終的には1万3000人が住むニュータウンができるらしいが、付近を通る度に腹立たしい思いになる。開発途上のニュータウンに、早くも4店もの巨大パチンコ店が立ち並んでいるのだ。

 この区画整理、正式名は「伊都土地区画整理事業」といい、施工者は驚くなかれ福岡市自身である。しかも事業費として最終的に393億円もの巨費が投じられることになっている。都市基盤や交通拠点の整備とともに、良好な住宅供給が狙いらしいが、パチンコ店の大量進出が、この事業目的とどう結びつくのか皆目わからない。看板は色あせたとは言え、天下の旧帝大の玄関口となる街をつくるのだ。街づくりの方向性は自ずと定まるでのはないか。パチンコ店進出を許すにしても、場所については配慮があって然るべきだろう。

 このニュータウンに建設中の分譲マンションのチラシを見た。添付された周辺地図には、駅や隣接する大規模なショッピングセンター、周辺の学校などはしっかり記されているのに、相当のスペースを占めているはずのパチンコ店4店は一切明記されていなかった。卑怯な振る舞いのようだが、パチンコ店は住環境にふさわしくないという判断があったのだろう。まっとうな市民感覚といえるのではないか。

 福岡市というお役所は、街づくりについて一体どう考えているのか。それとも方針などは何もなく、単に何者かの利権あさりの手段でしかないのか。どちらにしても、この街が「学研都市」などとアカデミックな名を名乗るのは、もはやおこがましい。全国の他の学研都市に対しても、九大に対しても失礼だろう。
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平成の遣唐使船

旧聞に属する話2010-遣唐使船1

 「平成の遣唐使船」が13日夕、博多港に寄港した。復元と聞いていたので、てっきり帆船だと勝手に思い込んでいたが、港内を自走してくる。目の前に来た時、エンジン音を聞き、中身は普通のディーゼル船だと気づいた。帰って調べてみると、見掛けは木造船だが、中身は鋼鉄製だという。

 遣唐使船の構造に関する資料などは残っていないため、姿かたちは絵などをもとに類推したと聞くが、その大きさは長さ約30m、幅10m、300t。福岡市内の離島に渡る市営渡船で、一番大きなものが約200tだから、波穏やかな博多湾内だけを航行する船よりも、いくぶん大きなだけだ。古代の人々は、よくぞこんな小さな船で外洋を渡っていたものだと感心する。

 船は14日には博多港を出港、古代のルートに沿い、次は長崎の五島列島などに寄港予定だ。ただし、その後は他船に運ばれ、上海万博会場に向かうという。なまじ古代船の姿かたちを忠実に再現している分、外洋航海には不安があるに違いない。賢明な判断だろう。

旧聞に属する話2010-遣唐使船2

旧聞に属する話2010-遣唐使船3
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大阪万博随想


 上海万博グッズの偽物が多数出回り、中国政府が摘発に躍起になっているという記事が9日の朝日新聞にあった。パクリの祭典に偽物もへったくれもないように思うが、自身の権利が侵害されることだけには、あきれるほど敏感だ。いかにも中国らしいと思う。

 期間中の入場者は万博史上最多の7000万人を見込んでいるらしいが、13億人、あるいはそれ以上の人口を抱える国だ。いくら国土が広大で、貧富の格差が大きいとは言っても、その程度の目標は達成できるだろう。しかし、かの国の巨大都市で開かれる万博でさえ7000万人なのだ。40年も昔に6400万人もの入場者を集めた大阪万博の熱狂は一体何だったのだろうと思う。

 大阪万博当時は小学生。九州の子供にとっては、家庭環境や貧富の格差を思い知らされる結構残酷なイベントでもあった。地元の関西や東海道新幹線で結ばれた関東と異なり、九州から見た大阪は遥か彼方の地。山陽新幹線はなかった。飛行機などは、多くの子供が「一生に一度乗れるだろうか」と真面目に案じていた時代だ。相当の金持ちか、運よく大阪に親類がいるか、あるいは貯金を取り崩してでも子供に貴重な体験をさせたいと考える立派な親がいるか、こういった家庭の子でなければ太陽の塔を拝むことなど出来なかった。

 そんな幸運な子供はクラスに数人、いや学年に数人いただろうか。混雑を避けるため、夏休み前に学校を休んで出かける者もいたが、こういう子供に限って親がPTA役員だったりした。教師とは“特権階級”には寛容なものだ。万博に行くことが出来た級友たちは決まって「月の石を見てきた」と自慢げに語っていたが、よくよく感想を聞いてみると、答えはたいてい「よく見えなかった」か「その辺の石と同じ」だった。それでもうらやましかったものだ。

 1970年という時代、振り返れば高度成長期の終焉近くに当たるのだが、あの万博を境に、日本人の生活水準はさらに向上していったようにも思う。会場だった吹田市には、今に至るまで行ったことがない。太陽の塔の写真は、家族が撮影したものである。
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蔦の絡まるチャペル

旧聞に属する話2010-西南学院講堂2

 ペギー葉山の『学生時代』のカラオケ映像には、この建物がお似合いかもしれない。かなり昔の話だが、「現実にあった蔦の絡まるチャペル」として新聞に取り上げられた記憶もある。写真は福岡市早良区にある西南学院中・高校の旧講堂。現在は西南学院大の博物館として利用され、キリスト教関係や創立者C・K・ドージャーにまつわる資料などが展示されている。

 西南学院中・高校が移転した際、いったん完全に解体されたので、「伝統ある建物を取り壊すとは!」と不快に思っていたら、きれいに復元された。保存のための解体修理であったのだ。以前に比べれば、外観がずいぶん明るい雰囲気になった。現在は福岡市の指定文化財となっている。

 建物の完成は1921年。設計は、明治末期から昭和初期にかけて、国内で数々の西洋建築を手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズ。彼の建物は、本拠だった関西地区に集中しているが、福岡でもこの建物のほかに、C・K・ドージャーの同僚宣教師によって創立された西南女学院(北九州市)などで目にすることができる。いずれも現役の学校施設として大事に活用されていることは、両学院だけでなく街にとっても大きな誇りと言って良いだろう。

 西南学院には現在、博物館と外観を統一した赤レンガの建物が立ち並び、福岡の中では“あかぬけした学校”として人気を集めている。大学は以前からそれなりにシャレたイメージがあったが、中・高校に関しては男女共学になった頃から、この流れが加速したようだ。

 男子校の時代は、相当にむさい男たちがあふれていた。特に中学校は、かわいらしい新入生が3年の間に別人のようにおじさん臭くなると地元民の間で評判だった。陰では「おっさん養成所」とも呼ばれ、「あの学校ではどんなおじさん化教育が行われているのだろうか?」と不思議がられたものだ。ところが、最近ではジュノンボーイコンテストとやらに出場した生徒もいたらしい。道のど真ん中に居座り、カーブミラーで髪をセットしている信じられない女子高生もいる。「そんなにチャラくていいのか、西南!」と思わぬでもない。
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やまなみハイウェイ

旧聞に属する話2010-くじゅう連山

旧聞に属する話2010-阿蘇五岳

旧聞に属する話2010-辻馬車

 連休を利用して大分県のくじゅう・長者原に出かけて来た。ルートはいつものように、大分道を湯布院ICで降り、水分峠から「やまなみハイウェイ」(県道11号線)に。今回は長者原から阿蘇大観峰に向かい、帰路は由布院にも足を伸ばした。

 飯田高原、タデ原湿原、くじゅう連山、阿蘇五岳、由布岳。車窓から望む景色はどれも雄大で、素晴らしかったが、少し気になったことがある。水分峠からハイウェイに入ってしばらくの間、路面状態が相当に悪かったのだ。場所によってはデコボコがひど過ぎ、パンクを心配した程だった。

 飯田高原に近づくと、最近アスファルト舗装をやり直したばかりではと思える個所があったので、ひょっとしたら改良の最中かも知れない。だとしたら、書き入れ時の大型連休に間に合わないとは不可解なことだ。

 この道は、大観光地の別府と阿蘇とを結ぶ九州有数の観光道路だ。前述したように眺めも素晴らしく、四季を通じて訪れる観光客は多い。財源不足か何か知らないが、そんな大事な道さえまともに管理できないとは、大分県の怠慢ではないのか。観光県が聞いてあきれる、と思った次第だ。

 写真は一番上が飯田高原から撮影したくじゅう連山。2番目が阿蘇大観峰から望む阿蘇五岳。五岳のシルエットが観音様が横になっているように見えるということで、別名「寝観音」とも呼ばれている。最後が由布院の辻馬車。馬車は10人乗りと聞き、ばんえい競馬のように相当大きな馬がひいていると思ったが、意外に小柄だった。なのに軽快なスピードで街中を駆け抜けて行ったので、少し驚いた。
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鴻臚館

旧聞に属する話2010-鴻臚館2

旧聞に属する話2010-鴻臚館1

 福岡城跡(福岡市中央区)の一角に、鴻臚館(こうろかん)跡がある。鴻臚館とは飛鳥から平安時代にかけての外交・通商施設で、1987年、平和台球場改修工事の際、遺構が確認された。紆余曲折があったようだが、福岡市は最終的に遺構を保存し、球場を撤去することに決定。現地では現在も発掘調査が続く一方、調査が終わった一部区画の上に展示館が建てられている。この展示館が意外と面白い。

 写真上が、現在も調査が続く鴻臚館跡で、その背後に見えるのが展示館。一見、立派な建物のようだが、遺構をごく簡単に覆っただけで、内部は写真下のようになっている。この施設のどこが良いかというと、第一に入館料が無料なのだ。展示館と言っても、遺構以外では出土品の陶磁器が少しと説明板があるだけ。金を取るほどの代物でないのも確かだが、資料館(史料館)と称する各地の施設の中には、料金はしっかり取る割に中身はもっと貧弱な例も結構ある。

 ここは、遺構をそのまま見せていることが目新しいうえに、古代の国際情勢を踏まえた鴻臚館の役割や歴史、遺構発見に至るエピソードなどが分かりやすく紹介されている。中でも、奈良時代のトイレ遺構についての説明は面白い。国内で初めて確認されたもので、土壌分析の結果から、古代の貴人たちが食べていたものや、トイレが当時も男女別に分けられていたことなどがわかったという。

 発掘調査終了後、この地には鴻臚館そのものを復元することも計画されている。ただ、発掘調査の進み具合をみると、まだまだ時間がかかりそうな雰囲気で、市民が「古代の迎賓館」の全貌を見ることができるのは、ずいぶん先ではないだろうか。
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