夢大陸の情報誌

旧聞に属する話2010-AIビル

 勤め先に妙な情報誌があった。名前は『THE EARTH』。同僚によると、毎月勝手に送ってくるそうで、中身は誰も読んだことがないという。表紙に書いてあった執筆陣は、小泉純一郎に選挙で挑んで一蹴された元外交官の天木直人氏、いろいろあった経済学者の植草一秀氏、雑誌『ムー』に執筆しているという自称サイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄氏、古代史研究家の古田武彦氏……。異様なまでに個性あふれる顔ぶれが並んでいる。

 「なるほど、これじゃ読む気にならないな」と納得し、編集・発行を見てみると、株式会社夢大陸とあった。投資話で不法に数十億円の現金を集めた疑いがあるとして、金融商品取引法違反容疑で福岡県警の捜索を受けた福岡市の投資コンサルタント会社だ。捜索を報じた新聞各紙には、同社はコミュニティFM(StyleFM)を運営しているとあったが、特異な雑誌も発行していたようだ。

 同社捜索を最初に報じた毎日新聞記事によると、金融庁の許可を受けずに海外の金融商品を扱ったというのが直接の容疑だが、「出資金が戻らない」との苦情が相次いでいるという。個人的には典型的な架空投資詐欺に思えるのだが、果たしてどうだろうか。今後の捜査の進展を見守りたいところだ。

 夢大陸の女性社長は5月まで、StyleFMで自ら「六本木の巫女」なる番組を持ち、主に経済問題を論じていたらしい。「六本木の巫女」とは、彼女が財テク指南を行う際の呼び名でもあったという。番組を一度も聞いたことがないので無責任なことは言えないが、コミュニティFMを金集めの道具にしていた疑いもあるのではないか。

 情報誌に関しては、少なくとも目を通した1冊に限っては夢大陸を持ち上げるような記事はなかった。中身はどれも面白くなかったが。写真は、夢大陸やStyleFMが入居する福岡市早良区のビル。
スポンサーサイト
[Edit]

アオサギ悠然

旧聞に属する話2010-アオサギ1

旧聞に属する話2010-アオサギ2

 福岡市の中心部にある舞鶴公園にアオサギらしき鳥が生息している。お堀端の遊歩道でよく姿を見かけるが、人慣れしているのか、そばを通っても慌てて飛び立つわけでもない。結構近くからカメラを構えても、ご覧の通り、えらく悠然たるものだ。普段見掛けるのは数羽ほどだが、詳しい人によると、お堀端の大木に数十羽(十数羽?)がコロニーを作っており、夜になるとねぐらに帰ってくるらしい。

 体長約90cm、羽を広げると1.5mにもなる。こんな大きな鳥が街に生息しているのは良いことだと単純に思ったが、どうも全国的には「害鳥」扱いされているケースも多いらしい。養殖魚を餌にすることがあるうえ、フンや鳴き声に対する苦情も多く、あちこちで駆除が行われているという。カラス並みの嫌われ方と言っていいかも知れない。

 アオサギの巣作りにより、フン害で大木が立ち枯れる被害が出た島根・松江城では、放水で巣を落とすことも行ったと聞く。また、長野では以前、ヒナの孵化を阻むため、無線ヘリで卵に洗剤を吹きかけるなどの実験を行ない、山形では巣作りを阻止するため大木を伐採したケースもあったという。コロニーの規模が数百羽クラスになると、フン害も騒音も尋常ではなく、市民生活への影響は大変なものらしい。

 舞鶴公園の場合、コロニーの規模がさして大きくないためか、あるいは周辺がオフィス街のためか、現在のところ、市民生活に深刻な被害が出ているという話は聞かないが、ひょっとしたら「野生動物のことだから」と我慢している人はいるかも知れない。人と野生動物のかかわりについて、何かを語れるほどの知識は持ち合わせていないが、人がアオサギを嫌わず、アオサギは人を怖れない穏やかな関係が、この場所では何とか続いてほしいと思う。
[Edit]

『君こそライオンズ』も復活を

旧聞に属する話2010-太平洋クラブ

 まさか太平洋クラブライオンズのユニホームをもう一度見ることができるとは思わなかった。西武ライオンズも粋なことをしてくれたものだ。彼らが今年の「ライオンズ・クラシック2010」で身にまとっているユニホームは、太平洋クラブライオンズ時代(1973~76年シーズン)のデザインを復刻したものだ(写真は、テレビのスポーツニュースを撮影)。

 福岡をフランチャイズにしていた頃のライオンズについては、栄光も汚点も西鉄時代しか語られることはないが、西鉄が球団を手放して以降も、ライオンズは太平洋クラブ、クラウンライターと「冠」を変え、福岡で苦闘を続けていた。西鉄黄金期を実体験できなかった当方のような世代にとっては、ライオンズと言えば、むしろ福岡苦闘時代の印象が強い。それだけに、赤と白の派手なツートンカラーのユニホーム復活には、鼻の奥がツーンとなるぐらいの感慨がある。

 ライオンズから徹底的に「福岡色」「西鉄色」を排除することにこだわった堤義明氏が表舞台から去って以降、西武は福岡時代の歴史も正当に評価してくれるようになった。ライオンズ・クラシックの開催もその一環であり、
公式ホームページによると、「ライオンズは栄光の歴史だけを刻んできたわけではない。光の裏には、同じ数だけ影がある」として太平洋時代を取り上げたという。非常にうれしいし、有難いことだが、「影」という評価に対しては、福岡で同時代を過ごしていた者として少し指摘しておきたい。

 西鉄の黄金期やそれを超える西武の栄光を思えば、確かに太平洋、クラウンライター時代は歴史の暗部だろう。だが、黒い霧事件で西鉄がボロボロになった後、派手なユニホームで再出発したライオンズに、多くの市民が再生の期待をかけていたのもまた確かだ。江藤慎一、土井正博、白仁天、ビュフォード、アルー、竹之内雅史、基満男ら強打の「どんたく打線」で久々にAクラス入りを果たした時は、黄金期の再来を夢見たほどだ。「どんたく打線」も結局は、あだ花だったが…。

 せっかく太平洋クラブ時代にスポットを当てるのであれば、ぜひ西武にお願いしたいことがある。あの時代に西郷輝彦さんが歌った応援歌『君こそライオンズ』も何とか復刻し、ヤフードームのホークス戦の際に流してもらえないだろうか。今となってはあか抜けない歌詞・メロディーだが、当時のライオンズの雰囲気にはぴったりの勇壮な曲だった。
[Edit]

博多ラーメンしばらく閉店

旧聞に属する話2010-しばらく

 福岡市早良区の西新商店街にある博多ラーメン「しばらく」が閉店した。福岡では老舗の人気店だが、経営会社の破産申請準備を伝える10日の夕刊記事によると、大手チェーンとの競争激化で急速に経営が悪化していたらしい。確かに西新にも昨年、人気の「一蘭」が進出してきた。ずいぶん前から客が減っていたようには思っていたが、これがダメ押しになったのだろうか

 写真は10日夕に撮影したもの。シャッターは下ろされていたが、特に閉店についての断り書きなどはなかった。幸いと言うべきか、10店舗ほどあるフランチャイズ店は営業を続けるという。

 高校生の時分、西新で遊んだ際にはたまに「しばらく」で食べた記憶がある。小ぶりの器に、なみなみと入ったスープが特徴だった。少ししょっぱいが、個人的には非常にうまいラーメンだと思っていた。先代の経営者がいかにも昔気質っぽい人物で、機嫌が悪い時に替え玉を頼み、「なんで最初からダブル(大盛りのこと)を頼まんとや!」と怒鳴られたのには閉口したが。近所にある名門県立高校生が幅を利かせ、他校生には少し肩身が狭い店でもあった。

 だからというわけではないが、社会人になって縁遠くなった店の一つだ。西区の国道沿いにある(恐らく)フランチャイズ店の方には今でも時折寄っているのに。喫茶店「山小屋」、お好み焼きの「瓢(ひさご)」、ハンバーガーの「ウインピー」、古本の「痛快洞」、ユニードにあったレコード店&本屋…。高校時代に通った西新近辺の店は、この「しばらく」を最後にすべて消えてしまった。その意味では、感慨深いものがある。西新からはずいぶん離れているが、非名門の母校近くにある「大○軒」だけが唯一の思い出の店になった。

 【追記】「しばらく」は2011年3月、西新オレンジ商店街の一角に復活しています。詳しくはこちらに。
[Edit]

旧唐津銀行本店

旧聞に属する話2010-辰野金吾

旧聞に属する話2010-旧唐津銀

 辰野金吾監修の旧唐津銀行本店の保存整備が終わったというニュースを先ごろネットで見かけた。辰野金吾とは、言うまでもなく東京駅などを設計した明治・大正期の大建築家で、この旧唐津銀がある佐賀県唐津市の生まれ。以前に唐津を訪ねた際、小さいながらも重厚な洋館を目にし、印象に残っていた。なるほどあの建物がそうだったのかと納得し、外観を見学してきた(来年3月までは内部に入れない)。

 佐賀県のホームページや報道等によると、旧唐津銀の完成は1912年(明治45年)で、設計者は、辰野の弟子に当たる田中実。弟子とは言え、一人前の設計者がいるのに「監修」とはおかしな気がするが、もともと唐津銀の頭取は藩校の同窓だった辰野に設計を依頼しており、多忙な辰野が田中を紹介したと聞く。頭取の顔を立てての監修なのだろう。この建物の設計に、辰野が実際どの程度かかわったかは定かでないようだが、外観が「辰野式」なのは確からしい。地元にも(あるいは地元だからこそ)辰野設計との誤解があったという。

 田中の設計した建物は、福岡県内にも一つ残っている。旧唐津銀と同じく1912年完成の旧大同生命福岡支店ビルだ。もとは福岡市の西中洲にあったのだが、支店建て替えに際して八女市のグリーンピア八女に移築された。現在は「明治の館」と名を変え、展示施設などとして活用されており、市の文化財にも指定されている。素人なので確かなことは言えないが、この建物も「辰野式」に見える気がする(建物の外観は施設のホームページ参照)。

 グリーンピアとはもちろん、あの悪名高き厚労省所管の特殊法人「年金資金運用基金」が年金財源を食いつぶして建設した保養施設で、グリーンピア八女の建設にも122億円もの巨費が投じられたという。大同生命福岡支店ビルの移築にも多額の金が使われたことだろう。グリーンピア八女は、存続させるために地元自治体が買い取り、現在も運営しているが、買取額は建設費の数十分の一の2億数千万円だった。

 建物が移築されなければ、取り壊されていたのは間違いない。貴重な文化財が残されたのは喜ぶべきことだが、そのために我々の年金になるはずだった金が消え去ったかと思うと、かなり複雑ではある。


[Edit]

朝倉の清酒「国菊」はうまい

旧聞に属する話2011-三連水車1

旧聞に属する話2011-三連水車2

 朝倉の三連水車が6月18日から動き始める。春に見た時は骨組みだったが、稼働を目前に控え、そろそろ重厚な姿に戻っていると思い、週末に訪ねてきた。ところが、依然としてご覧のような状態。ただ、水車近くには真新しい部材が積まれており、近々完全な姿になりそうだ。

 2番目の写真は、本物の三連水車から程近い農産物直販施設「三連水車の里あさくら」内にある実物大模型だ。敷地の一部が芝生広場となっており、その一角に据えられている。ただし、鋼鉄製で、モーターにより回っている。迫力では及ばないが、黒々とした姿が「水田のSL」と呼ばれる本物の雰囲気をよく伝えており、本物が休止する期間(11月から6月中旬にかけて)は、この模型をバックに記念写真を撮っている人も多い。

 この一帯、「三連水車の里あさくら」のほかにも道の駅をはじめ農産物の直販施設がかなりあり、週末になると、新鮮で安価な野菜や果物を求めて大勢の人が訪れる。私もその一人なのだが、お目当ての一つは、地元の酒蔵「篠崎」で造られた清酒だ。以前、首都圏の知人に「エッ!福岡で日本酒造っているの。なんかまずそう」と小馬鹿にされたことがあるが、この人は九州人は焼酎しか飲まないし、造らないと思っていたようだ。

 福岡はその昔、灘、加賀と並ぶ「日本三大酒どころ」と呼ばれていた時代もある。しかし、自前のブランドを売り出すのではなく、桶売りと呼ばれる方式で他県の酒どころに卸すのが中心だったため、全国的知名度を得ることなく終わった。今回の口蹄疫騒ぎで、有名な「○○牛」が、元は宮崎牛というケースもあることが周知の事実になったが、同じような仕組みが酒でもあった(ある)のだ。

 福岡県の酒蔵は最近、どこも自前のブランドを意欲的に売り出しており、「篠崎」の酒も知名度を高めているように思う。ここの清酒は「国菊」という名前だ。味の方は、あくまでも個人的な好み・評価だが、スキっとした甘口の酒で、冷やして飲むと特にうまい。

 蛇足を一つ。「篠崎」は清酒だけでなく焼酎も造っているが、焼酎の方は少しネーミングがいただけないと思う。興味のある人は酒蔵のホームページを見てほしい。
[Edit]

早稲田佐賀中高

旧聞に属する話2010-早稲田佐賀

 佐賀県唐津市にある唐津城の真下に今春、早稲田佐賀中・高校が開校した。あの早実と同じく、早稲田大学の系属校であり、高校定員(当面は1学年120人、最終的には240人)の半分が同大学へ推薦入学できる。なぜ、早稲田の系属校が佐賀の片田舎に?と疑問に思う人が万が一いるかも知れないので、一応書いておくと、早稲田の創立者・大隈重信は佐賀出身である。ちなみに慶応の福沢諭吉は大分・中津の出。東京の人は忘れがちだが。

 ただ、この学校の開校に当たり、「なぜ、唐津に?」という疑問の声は佐賀県内でもあったようだ。細かいようだが、大隈重信は佐賀藩出身。唐津は、言うまでもなく唐津藩が治めていた。「どうして大隈の出身地の佐賀に学校をつくらないのか」というわけだ。

 今にして思えば、場所を唐津に選んだ裏には、深謀遠慮があったように思う。学校の開校費用のうち、約30億円を寄付で賄う計画だったと聞くが、このご時世だから遅々として集まらなかった。ところが、九州電力がポンと20億円を寄付したことで、開校計画は一気に進んだ。九電にとって、一団体への寄付としては過去最高額であり、私立学校へ寄付すること自体も初めてだったらしい。

 九電は、唐津市の隣町の玄海町で玄海原子力発電所を運営しており、ここでは昨年12月から、国内初のプルサーマル発電を行っている。20億円もの巨額寄付が、原発に絡む地域対策であったことは九電自身も認めているところであり、この点を考慮すれば、唐津以外の選択は最初からなかったのではないか。発起人会代表として早稲田佐賀の開校に奔走していたのは、NHK会長時代、辣腕をうたわれた海老沢勝二氏である。

 ところで、この学校には今春、中高合わせて252人の第1期生が入学したが、最も多かったのは隣県の福岡から。超難関の早大学院や早実よりも難易度はずいぶん低いと予想されたため、「早稲田大に入るには、かえって近道」と首都圏からの受験生も少なからずいたと聞く。入学者の出身地は、18都県にも上るといい、地元からの入学者は必ずしも多くはないようだ。学校の開校は、経済的にも、知名度向上という面でも唐津にプラスになったのは確かだろうが、佐賀の青少年の教育には、果たしてどの程度貢献できるだろうか。
[Edit]