難所ヶ滝

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 古い写真を整理していたら、福岡県宇美町の三郡山中にある難所ヶ滝の写真が出てきた。10年近く前の1月、冬に凍結する滝がなんと福岡県内にあると聞き、寒波襲来を待って撮影してきたものだ。麓にある昭和の森公園から約1時間半。雪が残る山道を相当苦労して登ったが、その苦労に見合うほど見事な氷の芸術を目にすることができた。

 この滝が出現するのは冬の厳冬期だけだという。雪解け水が大きなツララとなって岩肌に垂れ下がり、滝のような姿になったもので、普段はこの場所に水が流れ落ちているわけではないと聞いた。てっきり本当に滝が凍ったものだと思っていたが、地元の人によると、同じように勘違いしている人は結構多いらしい。

 滝がある三郡山は、宝満山(標高829m)から若杉山(681m)に至る三郡縦走ルートの中心にあり、地元の登山愛好家に親しまれている。私自身は難所ヶ滝にスニーカーで登ったほどの人間(危険なので、ちゃんと登山靴を履こう)で、当然ながら山登りの趣味などまったくないのだが、ウン十年前の浪人時代、山好きの浪人仲間数人に誘われ、一度だけ三郡縦走に挑戦したことがある。

 浪人の分際で山登りを楽しもうというのがそもそも間違いだが、リックサックには頂上で一気にやろうと缶ビールまでしのばせていた。ルートは若杉山から宝満山に至る方を選んだ。宝満山は険しい石段が続いており、頂上に登るだけでも相当しんどい。一方、霊場巡りの札所がある若杉山は、高齢の参拝客でも登れるように緩やかな登山道が整備されており、若杉出発の方が比較的楽と言われていたからだ。ただし、縦走ルート全体としてきついアップダウンが続くことに変わりない。

 ところが、そんなこともろくに知らなかったので、若杉山の頂上に着いた途端「楽勝じゃん」とビールを開けてしまった。コース全体から言えば、スタート地点も同然だったのに。残りの行程が地獄だったのは言うまでもない。
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九大伊都キャンパス

旧聞に属する話2010-九大3

旧聞に属する話2010-九大1

 九大伊都キャンパスに立ち寄ってきた。同キャンパスは福岡市と糸島市にまたがる農村地帯にある。小高い山林地帯を切り開いて造られたキャンパスには、近代的な校舎群が一部完成しているが、周囲には造成されただけの土地や山林がまだまだ広がっており、全体としてはガラーンとした雰囲気だ。

 ここで学ぶ九大生たちは、帰宅することを「下山する」と言っているらしいが、ピッタリな表現だと思う。本屋もない、美術館も博物館もない、飲み屋もレストランもない。周辺環境はまさしく「山」同然だ。ここにお住まいの方には誠に申し訳ないが、現時点では「大学の立地場所」として全く魅力のない場所だ。

 一帯では区画整理事業が始まっており、周辺環境は徐々に整備されていくのだろう。何十年か先には大学が立地するにふさわしい街に発展しているのかもしれない。しかし、山同然の環境で貴重な学生生活を送らざるを得ない現役学生にとっては何の慰めにもならない話だ。

 「だったら、入学しなければいいのに」と反論もあるだろうが、大学に関しても様々な選択肢がある首都圏や京阪神とは事情が違う。経済的な問題などから、九州では唯一無二の旧帝大であるこの大学を目指さざるを得ない受験生は多いのである。

 今さら移転に反対しても意味がないのは分かっているが、それにしても周辺の街づくりが「今から」というのでは、福岡市の対応も遅すぎる気がする。この自治体は博多湾人工島というとてつもないお荷物を抱えており、この問題に振り回された結果、伊都キャンパス周辺の街づくりに取り組むだけの余裕がなかったのではないかと想像している。

 キャンパスの玄関口に当たるJR学研都市駅一帯が、パチンコ店街と化した(
「学研都市にパチンコ店林立」参照)のも、恐らく人工島問題が遠因だろう。学研都市は人工島に比べれば、はるかに利便性が良く、「黙っていても土地は売れる」と開発を野放しにした結果、巨大パチンコ店の大量進出を招いたに違いない。

 福岡市には今月、若い新市長が誕生した。彼が大学と大学周辺の街づくりについて、定見を持っていることを願うばかりだ。
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二見ヶ浦

旧聞に属する話2010-二見ヶ浦5

旧聞に属する話2010-二見ヶ浦4

 祖父母の墓参りに行ってきた。二人は今、生前は縁もゆかりもなかった福岡県糸島市にある墓地に眠っている。墓地の眼下に広がるのは、夫婦岩で知られる二見ヶ浦。長年暮らしてきた熊本の小さな町から遠く離れ、さぞかし寂しいことと思うが、この眺めは気に入ってくれているに違いない。

 「夫婦岩で知られる二見ヶ浦」と書いたが、それは三重県の伊勢志摩(こちらは正確には「二見浦」と表記するようだ)にあるのではないかと疑問に思う人がいるかも知れない。福岡にもあるのである。しかも紛らわしいことに、今でこそこの地は糸島市だが、合併するまでは志摩町だった。志摩というのは古来より続く地名だ。

 福岡と三重とで、なぜこれほどまでに地名がかぶっているのかはよく分からないが、福岡の二見ヶ浦は、近くにある桜井神社の社領だ。この神社は黒田藩の2代目藩主が17世紀、伊勢神宮をモデルに創建したものだという。だからと言って、二見ヶ浦という名前までもが伊勢志摩にならったと断定できるほど単純なものではない。「邪馬台国東征説」まで持ち出し、福岡の二見ヶ浦を本家と唱える人もいるようだ。機会があったら、この地の歴史などを調べてみたいと思っている。

 二つの二見ヶ浦は、別に「こっちが本家だ!」といがみ合っているわけではなく、自治体同士は姉妹都市関係を結んでいる(いた)らしい。朝日の名所と言われる三重に対し、福岡の方は夕日の美しいことをPRしており、海岸沿いの道路には「志摩サンセットロード」という愛称がある。こういうのも住み分けと言うのだろうか。写真でも少しは分かってもらえると思うが、この道沿いには福岡とはとても思えない、驚くほど青い海が広がっている。

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平塚川添遺跡

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 福岡県朝倉市にある国史跡、平塚川添遺跡に遊びに行って、少し驚いた。好天の土曜の午後だというのにガラガラだったのだ。写真を見て、お分かりいただけると思う。弥生時代の環濠集落が美しく復元されているが、広大な敷地にはまったく人影がない。小一時間ほどの散策中、出会ったのは地元民とおぼしき自転車の女性だけだった。周囲の畑からきつい堆肥のにおいが漂っており、これが一因かもしれないが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡と並ぶ史跡公園がこれほど不人気とは、少し残念に思った。

 平塚川添遺跡の発掘から保存に至るまでの経緯は、吉野ヶ里遺跡と非常に似通っている。遺跡が発見されたのは、ともに工業団地造成の際。工業団地計画がすでに進んでいたこともあり、最初は保存が危ぶまれたが、発掘が進むに従って「戦乱の世」だった弥生時代の実相を示す遺跡の重要性が次第に明らかになり、最終的には国史跡(吉野ヶ里はワンランク上の国特別史跡)に指定されることになった。発掘調査終了後、埋め戻された遺跡にはいずれも「弥生時代のクニ」が復元され、史跡公園となっている。

 ただ、一つ大きく違うことがあるとすれば、史跡公園の規模だろう。吉野ヶ里は現在もなお整備が続いているが、すでに開園した部分だけでも70haを超え、復元集落以外にも展示施設やレストラン、売店、遊具のある広場なども備える一大観光施設となっている。

 これに対し平塚川添は12haほどで、復元集落以外では小ぢんまりした体験学習館があるだけだ。ただし、この集落は「古代の景観」を再現するため、非常に手間暇かけて復元されている。環濠には実際に水が張られているほか、植樹についても、発掘調査の際に見つかった花粉を参考にクヌギやクリなどの木が植えられている。学習施設と考えれば、極めて優れた代物と思うが、だからなおさら、観光面で色気が感じられないのが惜しいと思う。工業団地計画を一部変更して遺跡を保存した際、経済効果の面から反対した地主らに対し、行政側は史跡の観光活用を訴えて説得したはずだが。

 写真でも分かるように、集落の植栽はきちんと手入れされていたが、建物の中には鳥のフンで汚れているものもあり、この史跡公園が普段から不入りらしいと想像された。また、市内の幹線道路には公園の方角を示す案内標識が辛うじてあったが、周辺にはまったく案内標識・看板等がなく、不親切極まりなかった。吉野ヶ里のように施設を充実させることは財政的に難しいかもしれないが、この遺跡にもう少し人を呼び込む手段はほかにもあるのではないかと思う。

 【平塚川添遺跡】弥生時代中期から後期にかけての環濠集落跡。周囲に幾重にも濠を巡らし、中心集落の周りには、環濠で区切った別区と言われる衛星集落があったとみられている。1994年、国史跡に指定。史跡公園は2001年5月に開園した。高床式建物や竪穴式住居など13棟の建物が復元されている。






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キャンドルナイト

旧聞に属する話2010-キャンドル1

旧聞に属する話2010-キャンドル2

 福岡市役所前の広場で19日夜、「キャンドルナイトin福岡2010」という催しが開かれていた。一般的にキャンドルナイトと言えば、照明を消して夜を過ごそうという省エネ運動みたいなものだが、この日の催しは年末年始を前にした飲酒運転撲滅キャンペーンの一環。広場に飾られていたキャンドルは飲酒運転事故犠牲者を追悼するための灯りだったようだ。

 飲酒運転と言えば、福岡では4年前、市職員による飲酒運転事故により幼児3人が犠牲になった。4年前だから、ちょうど前回市長選があった年だ。当時の現職市長・山崎広太郎氏は、あまり市民の賛同を得ていたとは思われない五輪誘致運動に猛進し、不人気をかこっていたが、この一件がダメ押しとなり、落選の憂き目を見た。ただ、この飲酒運転事故で問われたのは、福岡市役所の体質ではなく、福岡という街の体質だったと思う。これは九州全体に共通するように思うが、酒に酔っての過ちにえらく寛容なのだ。

 だから、あれほどの事故が起き、2審では被告に懲役20年もの判決が下されたというのに、飲酒運転は一向に減る気配がない。これは福岡市だけではなく、福岡県全体の統計なのだが、今年上半期に起きた飲酒運転事故は189件に上り、全国ワースト。しかも、警察官を含む公務員による事故が多かったというから、あきれるほかない。3児死亡事故が起きた当時、中央の番組で「福岡は『酒は飲め飲め』の土地柄だから」と小馬鹿にされていたのを思い出す。

 この夜の催しは、最後に飲酒・ひき逃げの厳罰化を求め、閉会したが、懲役20年判決を目の当たりにしても反省のない輩に対し、いったいどのような厳罰で臨めば良いのだろうか。
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福岡タワーのイルミネーション

旧聞に属する話2010-イルミ3

 福岡タワーのクリスマスイルミネーションが早くも18日夜点灯され、ご覧のように派手な装いになった。公式ホームページを見ると、点灯期間は11月19日から12月25日までとなっているので、今夜は形の上では試験点灯なのだろう。

 タワーや周囲の木々のイルミネーションのデザインは十年一日のごとしで、毎年まったく同じなのだが、それでも1年ぶりに見ると「ああ、やっぱりきれいだな」と感心する。大相撲九州場所や福岡国際マラソンなどとともに、今では福岡の冬の風物詩の一つと言っていいだろう。もっとも九州場所は毎日ガラガラで、本場所としての存続は風前のともしびと思えるが。

 ところで、タワーの公式ページを見ていて、恐ろしいことに気付いた。10月に書いた「南京錠」 の中で、全国各地にある「恋人の聖地」なる場所について、ネーミングが恥ずかしくないのかと指摘したのだが、なんとシーサイドももちに建つ福岡タワーもその「恋人の聖地」の一つであったのだ。まさか、自分のおひざ元にそんなみっともない名前の場所があるとは思わなかった。福岡の恥を全国にさらしているようなので、ぜひともやめて欲しい。ああ、恥ずかしい~。


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子供より彫刻が大事な市政

旧聞に属する話2010-オブジェ

旧聞に属する話2010-オブジェ2

 福岡市の公式サイトに、寄せられた市民の声を紹介するコーナーがある。市民が市役所に物申すわけだから、中身は概ね苦情や要望の類で、中には「担当者の態度が気に食わない」といったものもある。このコーナー開設の狙いは「市役所にはこんなに理不尽な要求が寄せられているんですよ」とアピールするためでは?と疑っているぐらいだが、先頃紹介された障害児を持つ保護者からの要望は理にかない、なおかつ切実なものだった。

 要望は、市立心身障がい福祉センターに関してだ。センター内には肢体不自由児の通園施設があり、利用者は親子一緒にスクールバスで通ってくる。ところが、バスの乗降場所は道路脇。朝は渋滞の原因になり、雨の日には体の不自由な子供と荷物を抱えて保護者は傘もさせず、親子ともども濡れているのだという。センター玄関にはちゃんと庇があるのだが、ここにはオブジェが飾られている。オブジェを撤去、または移設し、バス乗降場所を庇の下に移して欲しいというのが趣旨だった。

 冒頭書いたように非常に理になかった話だと思うのだが、市側の回答は「否」。その理由というのが、このオブジェ、市の回答によると「作品の決定や制作の一部にも市民の方が関わる手法で進められた、福岡市初の市民参加による記念すべき作品」だからだという。表面のタイル作成にはセンターを利用していた障害を持った子供たちも多数参加したらしい。

 要するに極めて重要な作品ということを強調しているようだが、これは撤去しない理由になっても、移設しない理由にはならないだろう。このオブジェを動かしバスの専用乗降場所をつくることで、障害を持った子供たちやその保護者が喜ぶのならば、制作にかかわった市民も嫌とは言わないはずだ。

 現地を見てきた。上がそのオブジェの写真だが、見て分かるように、移設というほど大げさなものでなく、少し移動させるだけでも保護者の要望には十分にこたえることができると思えた。別に福岡市が「子供よりオブジェを大事にしている」とまでは言いたくないが、木で鼻を括ったような回答を見ると、単に面倒くさいのか、それとも回答した職員は現地を見てもいないのではないかと疑う。どちらにしても血の通った行政には程遠い。

 ちなみに、このオブジェは例の「彫刻のあるまちづくり事業」(
「大きな愛の鳥」 参照)により設置された作品の一つで、タイトルは「長浜4899」というらしい。ブタの形をした蚊取り線香の容器に似ていて、ユニークではある。
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福岡高28年ぶり花園へ

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旧聞に属する話2010-福高7

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 13日行われた全国高校ラグビー福岡県大会の決勝を観戦してきた。今年は90回の記念大会のため、予選出場校が多い福岡県には2校の全国大会出場枠が与えられている。1枠目は昨季の花園優勝校で、今季も優勝候補とみられる東福岡が順当に手にした(筑紫丘に69-7)が、注目を集めたのは2枠目の筑紫―福岡の対決だ。下馬評は高速BK陣を擁する福岡有利だったが、一方の筑紫もモール攻撃の破壊力は抜群。予想通りの好試合となり、大観衆が詰めかけたレベルファイブスタジアムを沸かせたが、攻守に自慢のスピードを発揮した福岡が21-7で勝利、実に28年ぶり37回目の花園出場を決めた。

 両校には縁もゆかりもないが、正直なところ、心情的にはやや筑紫に肩入れしていた。昨年までの5年間、福岡県大会の決勝はすべて東福岡-筑紫の顔合わせで行われ、いずれも大激戦の末、筑紫が涙をのんできたからだ。東福岡の5年間の花園での戦績は、優勝2回、準優勝1回、ベスト4が1回。特に、昨季は東福岡が圧倒的強さで全国制覇を飾ったが、筑紫との福岡県大会決勝は17-12と薄氷の勝利だった。

 何度挑んでも東福岡の厚い壁に跳ね返される筑紫にドラマを感じる人は多いようで、今年初めには地元民放が同校を主人公にしたドキュメンタリーを放映したほどだ。番組はyoutubeにアップロードされており、かなりの再生回数を数えているようなので、ご覧になった人も多いのではないか。春の大会で80点以上の大差で敗れた筑紫の西村監督が「どん底から這い上がってなんぼぞ!」と選手を鼓舞する姿が非常に印象的だった。

 ところが、この日の決勝戦。レベスタは総じて筑紫がアウェーの状態だった。なにしろ相手の福岡=地元では福高(フッコウ)と呼ばれている=は旧制中学以来の歴史を持つ福岡屈指の名門校で、ラグビーにおいても戦前・戦後で3度の全国優勝を誇る古豪。私が座っていたメーンスタンドの席の周囲も福高OBや関係者らしき観客が多数を占めていた。ただし、バックスタンドに陣取った筑紫応援団のボリュームは凄まじく、レベスタ全体を圧していた。

 試合については、多くを語るほどの知識はないが、高校入学のころから注目されながら、故障続きでなかなか実力を発揮できなかったWTB福岡(非常に紛らわしいが、福岡代表福岡高校のエースは福岡君である)、FB松下ら福高の高速BK陣が大舞台でようやく出そろい、恐ろしいほどのパフォーマンスを見せた。劣勢とみられていた福高FW陣も、ラインアウトやスクラムではむしろ互角以上。出足鋭いタックルも素晴らしく、21-7というスコアだけを見れば、筑紫にとってはここ数年の東福岡戦以上の完敗だ。福高がきょうのような力を見せれば、花園でも十二分に戦えるのではないか。

 敗れた筑紫もFW陣が強烈なドライビングモールで一矢報いた。レギュラーには2年生が多く、来年の飛躍が期待される。王者・東福岡や福高、あるいは今年2枠目の本命と目されていた小倉にも下級生に好素材が多い。花園での東福岡、福岡の活躍はもちろん楽しみだが、県代表が1枠に戻る(であろう)来季の県大会も今から待ち遠しい。


旧聞に属する話2010-福高2

旧聞に属する話2010-福高4

旧聞に属する話2010-福高5
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多聞櫓が景観賞に

旧聞に属する話2010-多聞櫓

旧聞に属する話2011-多門櫓

 福岡市都市景観賞が先頃、発表された。建造物などを対象にした一般表彰には今年8件が選ばれたのだが、この中に国重文の福岡城南丸多聞櫓が含まれており、少し唐突な印象を受けた。景観賞は今年で24回目を迎えるが、過去の表彰物件の多くは現代的な建物だったからだ。福岡市のサイトにある選考委の総評を読むと、新しい大型建造物が少なく、対象を広げたことが多聞櫓選定につながったようだ。不況の影響はこんなところにも現れている。

 多聞櫓は城跡に残る数少ない建造物の一つで、他城の多聞櫓と同じく、長屋形式の建物だ。歴史的建造物がこの賞に選ばれたことは過去にもあるが、以前このブログで取り上げたことのある
福岡県公会堂貴賓館帝国大時代に建てられた九大本部や旧工学部本館西南学院中・高の旧講堂など近代建築がほとんど。しかも、すべてが街中にある。広大な城跡にひっそりとたたずむ多聞櫓は、かなり異質な表彰物件と言えるだろう。この選定には、単に候補がなかったという以外に、何らかの意味が込められているのだろうか?

 福岡城に関しては市が2004年、保存整備基本構想をまとめ、十数年がかりで城の復元を進めることを明らかにしている。復元といっても、一部市民団体が要求している、存否さえはっきりしない天守のことではない。元々城内にあった潮見櫓、花見櫓がメーンだ。この二つの櫓は、城主黒田家の菩提寺である崇福寺に払い下げられ、同寺に移築されていたのだが、市が1991年に買い戻した。現在は解体され、部材は城内に保管されていると聞く。

 つまり、基本構想策定のはるか以前から復元の考えがあったということだが、財政難に加えて不審火で焼けた下の橋御門の復元が優先されたこともあり、両櫓については長い間なおざりにされてきた。特に現市長になってから、福岡城に対する市の関心は極端に低下した感があり、両櫓の復元は一歩も進んでいない。部材は20年放置されたことで、傷みが進んでいるという。

 福岡市はいま、市長選のまっ最中であり、14日に新市長が決まる。この結果を待たずに、市の方針を推測するのは危険なことだが、多聞櫓の選定はあるいは、城跡整備に関して今後本腰を入れるというサインなのではないだろうか。九州新幹線の全線開通を来春に控え、福岡市の数少ない観光地として城跡に着目せざるを得ない事情が背景にあるようにも思う。市長選には8人が立候補しているが、現在のところ、現職の吉田宏氏、自公の支援を受ける元地元民放アナの高島宗一郎氏の優勢が伝えられている。どちらが当選するにせよ、城跡整備について来年度予算案でどのような方針が示されるか、注目したいところだ。
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緑の廃墟・川南造船所跡2

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旧聞に属する話2010-造船所2

旧聞に属する話2010-造船所1

 佐賀県伊万里市にある川南造船所跡を訪ねてきた。1955年に倒産後、半世紀以上も放置され、建物は朽ち果てるに任されてきたが、伊万里市は今年2月、解体方針を公表した。跡地は緑地公園として整備するという(「川南造船所跡」の追記参照)。建物は現在、蔦や草木に覆われ、緑の廃墟と化しているが、来年度には完全に、あるいは大半が取り壊される可能性が高い。

 同造船所は戦時中、軍需工場として使用されており、製造していた兵器の中には、特攻兵器「海龍」(当初、人間魚雷「回天」と誤っていた。訂正する)が含まれていたと伝えられている。戦争遺産と考えれば、極めて重要な遺構であるのは間違いない。このため千葉県在住の男性が中心となり、遺構の保存を求める署名活動が展開された。新聞報道によると、この男性が先頃、599人分の署名を市と佐賀県に提出したというが、果たして伊万里市に翻意を促すことができるだろうか。

 地元住民の間には「早く解体撤去してほしい」との声が強いと聞く。治安上の問題に加え、「地域衰退の象徴になっている」という不満もあるらしい。確かに、現状の廃墟のままでは地域にとっては「負の遺産」でしかないだろう。似たような例として、福岡県志免町にある旧・志免炭鉱の竪坑櫓=写真下、1枚目=を思い出す。ここも1964年に閉山後、長いこと放置されていたが、最終的に所有者となった町は、やはり「負の遺産」として取り壊しの方針だった。ところが、櫓が予想以上に頑丈であることが判明したうえ、町に移り住んできた新住民の多くが「貴重な遺構」として保存を望み、結局、昨年10月には国重文に指定された(「志免炭鉱の竪坑櫓」参照)。

 川南造船所の場合、住民の心情を思えば、恐らく志免町のような大逆転は望めないだろう。保存か解体か、このようなケースで一番尊重されるべきは地元の意向だとは思うが、中には地元市町村や住民だけでは決めかねる、言い換えれば荷が重いケースもあるのではないか。例えば、長崎県佐世保市に残る針尾無線塔=写真下、2枚目=などは良い例だろう。高さ135~137mの3本の巨大なコンクリート製電波塔で、太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信したとも伝えられる。

 地元・佐世保市が取り扱いを検討中のようだが、これだけの遺構の先行きを自治体だけに委ねるのは国の責任放棄としか思えない。戦争遺産の多くは「負の遺産」かも知れないが、国の歩んできた道を正しく伝える貴重な生き証人であるのに変わりはなく、政府が責任を持って調査・評価を行ったうえで、保存策を講じるべきではないのか。こども手当のような無意味なばらまきに使う金があるのならば、自国の歴史をきちんと伝えることに使うべきだろう。

 川南造船所跡は、伊万里市から長崎県平戸市方面に向け、伊万里湾に並行して走る唐津街道沿いにある(一番下のグーグルマップ参照)。


旧聞に属する話2010-志免炭鉱

旧聞に属する話2010-針生無線塔





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