激変した阿久根市の入札

旧聞に属する話2011-狛犬1

 鹿児島県阿久根市に三笠興産という土木会社がある。尖鋭的な政治手法で賛否両論を巻き起こした竹原信一・前市長が以前勤めていた会社で、現社長は24日の市議選でトップ当選を果たした竹原氏の妹だ。この会社、昨年2月に行われた市発注工事入札において、最低制限価格を1円上回る価格で落札したことがある。報道機関は明らかに疑惑の目で報じていたようだが、これは特殊事例なのか、市の公式サイトで調べてみた。異様な状況が浮かび上がってきた。

 色々な情報をネット上で暴露した人物が市長を務めていただけあって、同市の情報公開は相当に進んでいるとみえ、公式サイトには2007年以降の入札結果がきちんと掲載されている(竹原氏の指示によるものかは分からない)。問題の入札は、昨年2月26日に行われた総合運動公園施設整備工事に関するもので、446万476円の最低制限価格に対し、三笠興産は 446万477円で落札している。

 同社のそれ以前の状況を見ると、落札価格とはかけ離れた高い価格で応札しているケースが多く、あまり工事を射止めてはいなかった。入札価格自体もかなり大ざっぱな数字を提示していた。ところが、2009年度の後半あたりから、1円単位の細かい数字で、最低制限価格に近い数字を出すようになったのである。

 同社側が積算ソフトの更新、ないしはソフトを使いこなせる社員の登用などで、確度の高い計算が可能になったためという見方もできるが、同社の入札での変貌以来、阿久根市の入札状況は劇的に様相を変えた。

 具体的に言えば、2010年度以降、最低制限価格が定めてある工事では、その価格を提示した業者が落札するのがほぼ常識になった。しかも数社が最低制限価格で横並びというケースも極めて多く、抽選で落札業者を選ぶことさえ当たり前になっている。例えば、昨年7月2日には計12件の公共工事の入札が行われているが、最低制限価格が設定されていた7件すべてがその価格での落札で、うち6件で抽選が行われている。ある道路改修工事では、参加7社中、実に6社までが263万142円の最低価格を提示していた。

 積算ソフトの精度向上により、入札参加者の大半が最低制限価格を提示するという事態は多くの自治体で起きているようだが、阿久根で2010年度になって急に変化があったのは一体なぜなのだろうか。確実に言えることは、「1円差落札」がこれでまったく特殊な事例ではなくなったということである。公共工事費の削減につながっているのも確かだろう。

 ちなみに、2010年度の入札結果をざっと見た限りでは、三笠興産の落札はその後なく、入札自体にも参加していなかったようだ。「李下に冠を正さず」ということをさすがに意識したのかもしれないが、人口2万4000人程度の地方都市で、公共工事に頼らずに土木会社が食べていけるのか疑問でもある。大きなお世話だろうが…。

 <注記>この話は別ブログに書いていたのだが、本家のこちらにも転載した。何しろ別ブログの方は1日の訪問者が一けたなので…。写真は福岡市の護国神社で撮影した狛犬。

旧聞に属する話2011-狛犬2

旧聞に属する話2011-護国神社
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亭亭舎ついに撤去

旧聞に属する話2011-教養部1

旧聞に属する話2011-教養部2

旧聞に属する話2011-教養部3

 2月に書いた
「旧・九大教養部、解体進む」の中で、旧制福岡高校の時代から残る学生集会所「亭亭舎」がまだ取り壊されていないと書いた。4月25日の夕刻、たまたま近くを通ったところ、あの歴史ある木造平屋の建物が跡形もなく撤去されているのに気付いた(写真1枚目)。ある意味シンボル的存在だった亭亭舎が消え、九大六本松キャンパス(旧教養部)の歴史はこれで本当に幕を下ろしたと言えるかもしれない。

 亭亭舎以外でも、2月には解体途中だった旧本館校舎も完全に取り壊され、跡地はきれいに更地になっていた(写真2、3枚目)。それにしても3枚目の写真を改めて見ると、キャンパスの周囲を数多くの高層マンションが取り囲んでいることに驚かされる。不動産情報サイトを見ると、多くはファミリー向けで、家賃は10数万円という物件が多い。去っていったのは九大側だが、六本松側もいつの間にか学生街とは異なる街に変質していたようだ。

 キャンパス跡地は都市再生機構(UR)が取得しており、裁判所や住宅地として再開発されることが決まっている。キャンパスが去った今も、この街を離れがたく今も住み続けている学生たちがいるようだが、遠くない将来には、六本松は九大と無縁の街に生まれ変わっていることだろう。

 撤去された亭亭舎の部材がどうなったかは未確認。伊都キャンパスへの移築を模索する動きもあったが…。部材の行方が分かれば、また報告したい。
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フクニチ新聞


 昔、福岡にフクニチという新聞があった。「サザエさん」を最初に連載したことで有名な新聞だが、てっきり私の子供時代につぶれたとばかり思っていた。ところが、私よりも若い人から以前「フクニチに勤めていました」と聞き、驚いて調べてみたら、廃刊は1992年だった。子供どころか、私がとっくに中年オヤジになっていた頃だ。記憶のいい加減さというより、この場合は自分の無知にあきれ果てた。

 私が子供の頃、この新聞は夕刊紙だった。我が家を含めて近所にも購読している家庭は多く、新聞とは夕方に来るものだと思っていた。親が別の新聞に変えたところ、朝にも夕方にも配達されるので、豪勢なもんだなと感心した記憶がある。ウィキペディアによると、フクニチも1978年に朝刊紙に移行したという。部数減が続く中での起死回生策だったのだろうが、かえって存在感を失わせる結果になったのかもしれない。 

 そのフクニチ新聞が撮影した昭和30年代の福岡の写真がいま、福岡市立図書館の郷土・特別資料室の一角で展示されている。私自身は辛うじて生まれてはいるが、まったく記憶のない時代だ。だから懐かしさは感じないのだが、50~60年前の福岡の街角や風物は色々と面白く、結構見応えがあった。

 ただ、不満なのは写真の数が十数枚と非常に少なく、サイズも小さかったことだ。展示スペースにしても畳2枚程度と狭い。この展示会は、九州新幹線の全線開業や博多駅の新装を機に、福岡の軌跡を振り返る企画のようだが、だとしたらロビーなどを会場に、もっと大々的に開催しても良かったのではないか。郷土・特別資料室など一部の人しか行かない場所での小ぢんまりした展示では、ちょっともったいない気がする。

 展示は7月31日まで。写真は、会場の福岡市立図書館。
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福岡大渇水はもう勘弁

旧聞に属する話2011-円盤2

旧聞に属する話2011-円盤1

 3月、4月と北部九州では少雨傾向が続いている。お陰でダムの貯水量はどんどん減っており、福岡市に水道用水を供給している8ダムの貯水率は4月20日現在、平年より12ポイントも低い64%にまで落ち込んでいる。

 例年ならば、菜種梅雨に降った雨で貯水量はグッと上向き加減になる時期なのだが、今年はずっと右肩下がりだ。2度の福岡大渇水(1978、1994年)を経験した身としては嫌な予感がするが、福岡管区気象台の3か月予報によると、幸いにも梅雨時の6月は平年並みに雨や曇りの日が多いらしい。あんな水不足はもう勘弁してほしいものだ。

 同じ渇水とは言いながら、78年と94年ではかなり様相が違っていた。78年の際は最悪の時でも1日10時間は水が出たことになっているが、それは条件が良いところだ。私は当時、高台にある公団住宅に住んでいたが、ひどい時は炊事時に30分程度蛇口から出るのがせいぜいで、大急ぎで水をためるのが日課だった。この時間に帰宅できない人のため、毎日夕暮れ時には給水車が来ており、バケツやポリタンクを抱えた人の長い列ができていたものだ。

 ところが、1994年の大渇水時は、各家庭ではしっかり水が出ていたのである。表向きは78年を超える295日間もの給水制限が行われたことになっているが、現実には夜間の減圧給水だったため、水道を使う使わないは各家庭のモラル任せの部分もあった(ビルなどは水道管を閉め、強制的に使用不可にしていたようだ)。

 水道局が公表している水道統計によると、この年、家庭で1人が1日に使った水の量は平均192リットル、給水制限の続いていた翌95年が193リットルだ。この2年以外はほぼ200リットルで推移しており、市民生活に“甚大な”影響はなかったことが分かる。ただし、ネット上に同様のデータがあった東京都、横浜市の約240リットル(いずれも2006年)に比べれば、200リットルでも相当に少ない。78年の大渇水の経験が街にも人にも身に染みているからだろう。

 写真は20日朝、中央区の舞鶴公園のお堀に浮いていた円盤。上部には太陽光発電パネルが敷き詰められており、この電力を使って水を浄化する仕組みとか。名前は、ソーラーUFOと言うらしい。
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山下清展

旧聞に属する話2011-山下清展

 福岡市博多区のアジア美術館で開かれている「放浪の天才画家 山下清展」を見てきた。代表作「長岡の花火」「桜島」をはじめとする貼り絵のほか、油彩画、ペン画、焼き物など150点の作品が、日記やリュックサック、浴衣といった資料とともに紹介されている。

 面白かった。せっかちな性格に加え、文化的な人間でもないので、普段は一人の作家の作品をじっくり時間をかけて見ることなど絶対にないのだが、きょうは2時間近く会場にいたのに飽きなかった。作品はもちろんだが、年譜も興味深かった。山下清は1950年代初めに2年8か月に及ぶ大放浪をしているのだが、この間に3度も福岡を訪れているのだという。

 もっとも、別に福岡に関心があったというわけではなく、冬に暖かい九州を訪れた際、その玄関口として通過しただけなのだろう。福岡を題材にした作品はあまり残していないようで、会場に展示されていた作品もフェルトペンで描いた「関門海峡」ぐらいだった。残念と言えば残念だが、1950年代の福岡に、山下清の関心をひく風物は少なかったのかもしれない。

 会場のアジア美術館は、歓楽街・中洲の近くにある市立施設だ。福岡には何と二つの市立美術館がある(他に老朽化しているが県立美術館もある)。アジアの近現代美術を収集・展示するのを目的に、1999年に開館した。

 なぜ、福岡市が税金を投じてアジアの近現代美術を収集する必要があるのか、私のような人間にはいまいち分からないが、非常に交通至便な再開発ビル内にある。アジアの近現代美術とはあまり関係ないが、山下清展のような人気の展示会を開くには格好の場所だ。
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鳥越俊太郎さん

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 ジャーナリストの鳥越俊太郎さんがテレビ朝日のスーパーモーニング終了を機に、出身地・福岡県の知事選に打って出る気だったという噂が福岡市内でささやかれている。だが、出馬表明直前に東日本大震災という未曾有の災害が起き、鳥越さんはジャーナリストを続ける道を選んだという。真偽も震源地も私には不明だが、期待感、あるいは待望論のような県民感情がこのような噂を生んだのだろうか。

 
「修猷館初の福岡県知事誕生」 で書いたが、福岡県知事選は多党相乗りの小川洋氏と共産党推薦の元北九州市議・田村貴昭氏との争いとなり、小川氏が65万票差で圧勝した。しかし、投票率41%は史上最低。無効票は8万票以上にのぼった。相乗りに対する批判だったのは明らかだろう。

 鳥越さんが仮に出馬していれば、緊迫感ある選挙戦が繰り広げられたことだけは間違いない。少なくとも小川氏にも母校の高校生に名前を売り込むような余裕などはなかったはずだ。そして、誰が当選したにせよ、激戦を勝ち抜いて知事の座についたのであれば、県政にも緊張感が生まれたことだろう。

 鳥越さんは4月から、福岡の民放KBC(テレビ朝日系列)のニュース番組に月1回、定期出演することになった。そのPRも兼ねてか先日、高島・福岡市長が以前司会を務めていたKBCの朝の情報番組にゲスト出演していたが、ホークスの勝ち負けに大騒ぎするスタジオの雰囲気に相当違和感を感じているのがありありだった。福岡の現状に馴染むまで、まだしばらく時間がかかるようだ。

 写真は、福岡県庁。
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こども病院、驚きの結末も?

旧聞に属する話2011-こども病院

 3月末に書いた
「こども病院はどこへ行く」の中で、こども病院移転計画調査委員会が4月17日の会合で結論をまとめると書いたが、延期になったらしい。14日の新聞報道によると、会合自体は開かれるものの、北川正恭委員長が「議論がまだ不十分」と判断し、結論先送りを決めたという。

 以前にも書いたが、調査委員会の設置目的は、こども病院移転地決定までの経緯を検証することだと私は理解している。そして、市が病院を人工島に持って行くために、なりふり構わず市民を欺いていたことを実際に暴いた。これで調査委の役割は事実上終わったとも思っていた。

 もっと踏み込んで言えば、調査委に候補地選定の権限などはそもそも与えられていないはずだ。従って、17日の結論では、市に再度の候補地選考を勧告するぐらいが精一杯で、人工島や現在地以外の移転候補地を挙げるような「あっと驚く」結論は出てこないとみていた。人工島移転推進が本音と思える高島市長も、恐らくはそのぐらいの腹づもりで調査委を設置したのではないか。

 しかし、最初に3月中とされていた結論は「議論がまだ不十分」という理由で2度にわたって延期された。なまじ北川正恭氏などという“大物”を委員長に据えたことで、委員会が市長の思惑を超えて動き出しているのではないか。「こども病院はどこへ行く」の最後に――新たな候補地の選定や評価にはほとんど踏み込んでいない――と書いたが、ここ最近の会合に限れば、九大病院や九大箱崎キャンパスにえらく焦点が当たっているのも確かだ。九大病院とこども病院の連携が望ましいとの理由からだが、市や九大の思惑を別にすれば、多数の市民の理解を得られる候補地ではある気がする。

 それにしても、この問題、病院を廃止するというわけではない。単に新築移転するというだけの話なのである。なのに2度にわたって市長選の争点となり、今もって議論や対立が続いている。外観の写真でも分かるように、この間にも現病院の老朽化は確実に進んだ。3度目の争点だけは勘弁してもらいたいものだ。
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お堀で子ガメ発見

旧聞に属する話2011-大濠公園

 先日、福岡市中央区の大濠公園、舞鶴公園界隈を散歩していて、子ガメ(ミドリガメ)がお堀を泳いでいるのを見つけた。ペットショップや縁日などで売っている、あの500円玉ぐらいの小さなカメだ。カメが孵化する時期なのかは分からないが、まさか買ったばかりの子ガメを捨てる人もいないだろうから、恐らくお堀で生まれたのだろう。

 バタバタと必死で手足を動かして泳いで行ったが、果たして無事に大きくなれるだろうか。お堀には、子ガメなどひと飲みしそうな大きなコイがウヨウヨいる。周囲の木々にはカラスや結構貪欲だと聞くアオサギなども生息している。人間にとっては憩いの空間だが、小さなカメが生き延びるには厳しい環境かもしれない。

 ところで、お堀にはミドリガメが多数住んでいるのだが、しばらく眺めていると、大きなカメに、少し小柄なのがストーカーのように付きまとっているのを見かけた。しかも、そんなペアが何組もいた。最初は訳が分からなかったのだが、小さい方のツメが異常に長く、大きい方はさほどでもないので、オスがメスを追いかけ回しているのだと気付いた。

 そのうち、オスが長いツメをメスの顔の前でヒラヒラさせ始めたが、あれは求愛行動なのだろうか。だとすると、産卵は少し先だろう。先の子ガメの両親はえらく早婚だったことになる。
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ホテルデンハーグ、避難所に


 ハウステンボスが東日本大震災の被災者受け入れ施設として名乗りを上げ、一昨年夏から休館しているホテルデンハーグなど190室を開放していると聞いた。東北から遠く離れた九州のリゾート施設に避難しようという人がどの程度いるかは分からない。しかし、現実に縁もゆかりもない九州に移り住んできた人が相当数いるのも確かだ。九州と東北とでは風土も人々の気質も違うが、他者を受け入れる度量は本来この地にはある。一時的な避難にしろ、本格的移住にしろ、被災者の方々にはぜひ九州を気に入って欲しいものだ。

 ハウステンボス内にはロッジ形式のフォレストヴィラのほか、三つのホテルがある。最高級がヨーロッパ、宿泊料金が比較的庶民的なのがアムステルダムで、避難所となるデンハーグはその中間的な位置付けだった。立地も大村湾に面した風光明美な場所ながら、パーク内では比較的外れでもある。ハウステンボスの経営悪化により、一部施設の休業が決まった際、デンハーグが対象に選ばれたのはこういった理由からだったと思う。

 ハウステンボスの経営がエイチ・アイ・エスに変わって以降、入場客は上向き加減で、昨年9月期決算では開業以来初の黒字を計上した。この黒字の裏には、地元・佐世保市からの交付金が大きかったという指摘もあるが、縮小続きだった経営は明らかに攻めに転じている。その一環として、今夏からのデンハーグ営業再開も伝えられていた。

 東日本大震災の発生により、海外客のキャンセルが続くなどハウステンボスも甚大な影響を被ったと聞いている。避難所となったことで、デンハーグの再開スケジュールにも余波が及ぶ可能性があるが、被災者の避難所となることは宿泊施設にとっては、むしろ最高の再デビューとも言えるのではないか。たとえわずかな数であっても、被災者の方々が一時の安らぎを得ることができたら、ハウステンボスが見せた男気は経営的にも決してマイナスにならないと思う。
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修猷館初の福岡県知事誕生

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 福岡県知事選の選挙運動期間中の話である。福岡市早良区に修猷館という県立高校がある。歴史を遡れば、福岡藩が設立した藩校に至るという福岡屈指の名門校なのだが、この学校前を選挙カーで通りかかった知事選候補者が繰り返し絶叫していたらしい。「修猷館高校生の皆さん、卒業生の小川です!」。ちょうど現場に居合わせた家族から聞いた話なのだが、家族は大笑いだった。「高校生には選挙権ないのにね」。

 この「小川」なる候補者は、元内閣府広報官の小川洋氏である。広田弘毅、中野正剛、緒方竹虎らをはじめ政界に様々な人物を輩出してきた修猷館だが、官選知事を除けば、なぜか今まで福岡県知事はいなかった。京都府知事(荒巻禎一氏)や、福岡市長に至っては阿部源蔵、桑原敬一、山崎広太郎氏と3人も送り出しているのにである。別に七不思議とまでは言わないが、初めて知った時は意外に思ったものだ。

 選挙戦は、多党相乗りの支援を受けた小川氏が、共産党推薦の元北九州市議と一騎打ちを演じ、当然ながら圧勝した。10日の投開票日、NHKをはじめとする報道各社は午後8時で開票が締め切られた途端、小川氏に早々と「当選確実」を打った。バカげた話だが、小川氏自身も事実上の統一候補に決まった時点で、「修猷館初の(選挙で選ばれた)福岡県知事」となることを確信したに違いない。修猷館前での絶叫は、故郷に錦を飾る思いだったのかもしれないが、家族の言うように選挙権のない高校生相手に名前を売り込んでも…。界隈を歩いていた有権者もなめられたものである。

 今回の知事選、福岡と同様、開票が始まっていない段階で「当選確実」が出たところが多かった。それだけ勝敗が見える選挙ばかりだったわけだ。昔、福岡県知事選は保革激戦が常で、統一選の天王山と位置づけられることさえあった。ところが、麻生渡氏が初当選したころから多党相乗りが当たり前となった。「知事選で激しく争っては選挙後もしこりが残り、県にとってマイナス」という理由から、政財界が候補者擁立の段階で“談合”を行うようになったためだ。

 今選挙も政党段階ですったもんだはあったが、結果的にそうなった。でも、こんな選挙が県にとって本当にプラスになるのだろうか。小川県政に対する監視とともに、麻生県政に対する綿密な検証が必要だろう。
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