警固断層の方が心配では

旧聞に属する話2011-こども病院

 この10年ほど議論が続いている福岡市立こども病院問題は、現行計画通り博多湾の人工島に移転することを高島宗一郎市長が決定した。ひょっとしたら九州大箱崎キャンパスの候補地浮上があり得るかもと思っていたが、完全に予想は外れた。だが、移転地は決定しても、問題決着とまでは到底いきそうにない。患者家族を中心とする人工島反対派は依然、矛を収める気配がないからだ。

 彼らが人工島移転に反対する理由として挙げているのは、東区民以外は現在地よりも遠くなる、埋め立て地のため地震で液状化する危険性があり、災害に弱い――などで、主に現地建て替えを求めている。だが、アクセスの問題はともかく、本当に危険な場所は人工島なのだろうか。

 現在のこども病院のすぐ東側には、警固断層という活断層が走っている。この断層はマグニチュード7クラスの地震を起こす恐れがあると指摘されており、「子供の命が大事」と考えるならば、現在地から離れるのを急ぐべきではないか。想定外の事態に備えることももちろん大事だが、想定される危険に対応することが先決だろう。

 人工島が移転地と決まったのは今回で3度目だ。市側がこの場所にこだわるのは、売れ残った土地を処分したいためなのは明らかであり、非常な胡散臭さを感じる。しかし、移転用地が人工島にすでに確保されており、ここならば老朽化した病院の建て替えが最も早く進められるのもまた確かであろう。

 反対派の主張に共感する市民は少なくないと思うが、かといってこれ以上問題の決着を長引かせ、病院新築が遅れる事態をすべての患者家族、あるいは今後病院を利用するかもしれない市民は望んでいるのだろうか。市の意見募集には「反対派の意見を患者家族の総意と思って欲しくない」といった声も寄せられているようだが…。


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懐かしい大龍軒の閉店

旧聞に属する話2011-大龍軒

 福岡市城南区七隈にあったラーメン店「大龍軒」が閉店した。道路拡張により立ち退くという噂を数年前から聞いていたが、事実だったようだ(※この部分については事実誤認があったので、コメントをご覧ください)。閉じられたシャッターに店主の謝辞が貼られていたが、「42年間の長きに亘り色々お世話になりました」と記されていた。文面から判断する限り、残念ながら移転ではなく廃業のようだ。

 西新の「しばらく」のように有名な店ではないので、「大龍軒」といっても大方の人はご存じないと思うが、私にとっては若いころによく通った懐かしい店だ。ラーメンももちろん食べていたのだが、それ以上に記憶に残っているのはかき氷だ。真夏、昼食代わりに毎日のように食べていたことがあるが、ここのかき氷はとにかく甘く昼食抜きでも空腹を十分に満たしてくれた。

 ただし、その甘さの源はシロップだけではない。氷の中に大量の砂糖がしのばせてあったのだ(決してシロップが少ないわけではない)。値段は忘れたが、一番安いのがただのシロップかけで、これよりも少し高いのがシロップの上に練乳がかかったミルクかけ、さらに上にはあずきがたっぷり入ったミルク金時があった。最高峰のメニューは、確か宇治抹茶ミルク金時だったと思う。こんな“超高級品”を味わえるのはよほど懐が豊かな時だけで、昔から貧しかった私は1、2度しか食べたことがない。

 店の中央には冷水器が置いてあり、客はセルフで水を飲んでいたが、グラス代わりにカップ酒の空き容器が置かれていた。今の人は嫌がるだろうが、昔のラーメン屋や定食屋にはこんな店が結構あった。これも今となっては懐かしい。かき氷を喜んで食べる年齢ではなくなったが、せめて閉店前に店に一度立ち寄りたかった。「孝行のしたい時分に親はなし」ではないが、最近、こんな経験をよくする。「昭和は遠くなりにけり」だろうか。
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国民投票をやったら…

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 昨年暮れ、玄海原発を巡り悪質なデマがインターネット上で広がったことをご記憶だろうか。詳細な説明は省くが、玄海原発で重大事故が起き、大量の放射能が漏れ出たという内容だった。偽情報だと判明した数日後になっても、事実確認を後回しにして「拡散希望」などとツイッターで騒ぐ人間も現れ、小馬鹿にされたようだ。

 震源地となった人物の意図は分からないが、デマが広がる過程で反原発の市民運動家が介在したことを確認している。彼(彼女)らは恐らく真実と判断したからこそ、情報を広めようとしたのかもしれないが、原発に関して一般人よりも詳しいであろう運動家の割には、情報の吟味が足りないのではないかと当時は思っていた。

 ただ、福島第一原発事故を巡って、東電や国のデタラメぶりをこうまで見せつけられると、運動家たちが電力会社の言うことを信用できないのも無理からぬことと思い始めた。デマが広がった当時、現実に玄海原発では、プルサーマル発電を行っている3号機がヨウ素漏れ事故を起こしていた。九電側の発表は、冷却水中のヨウ素濃度が通常よりも上昇したという内容だったが、普段から電力会社を疑いの目で見ている彼(彼女)らは「重大事故を隠蔽している」とデマの方を信じ込んだのだろう。

 福島第一原発の事故以来、運動家たちの反原発の声はさらに大きくなり、これまで以上に多くの市民の共感を得ているように見える。それに応じて風力や太陽光、地熱などの自然エネルギー活用に力を注ぐべきだとの声も日増しに高まっているようだ。だが、太陽光は別にして、風力、地熱発電に対しても「環境破壊だ」などと強硬に反対する人々が存在する。国民の多くが電力消費社会にどっぷりと浸かっているのに、発電施設に対しては、火力や水力を含めて必ず反対運動がついて回るのである。必要な電力をどうやって確保するか、国民的合意を得るためにも、こうなったら国民投票でもやったらどうだろうか。

 ドイツは日本の危機を受けて脱原発に大きく舵を切り、古い原発7基を停止したという。「ドイツを見習え」と運動家たちは早くもこれに反応しているが、そのドイツは原発停止によって電力不足に陥り、隣国の原発大国フランスから電力の輸入を始めたとも伝えられている。将来的には大規模風力発電などで補う考えらしいが、現在の状況は茶番と思える。

 写真は経産省前の脱原発テント村(写真は2013年7月撮影のものに差し替えた)。下の地図は九州にある二つの原発。


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マルくん、ネギを育てる

旧聞に属する話2011-マルくん20110520

 初夏となり、ミドリガメのマルくんは甲羅が干からびないかと心配になるほど毎日長い時間、日向ぼっこをしている。写真は、目を閉じて気持ち良さそうな雰囲気だが、実はまた目が少し腫れている。ビタミンA補給のため与えていた「タートル・フレッシュアイ」が切れたのが直接の原因だと思うが、幸い今回は軽症で済んだ。餌を食べる時はしっかり目を開いているので、一安心である。

 フレッシュアイが切れた際には、予備で買っておいた総合ビタミン剤「テトラレプチゾル」を与えていたのだが、どうもこちらは好みではなかったようだ。あのユンケルみたいな独特なにおいが苦手だったのか、食欲も減退した様子だった。

 話は、レプチゾルを与えていた時のことである。水替えの際、そんなに汚れていないようだったので、ネギを植えたフラワーポットにまいた時があった。ネギと言っても、本格的に栽培しているわけではない。一度食べた後に残った根っこの部分を植えていたのだ。伸びたらまた食べようという魂胆だったのだが、このネギがマルくんの水槽の水を与えて以降、ニョキニョキ成長を始めたのである。レプチゾルに含まれたビタミン各種が植物にも好影響を及ぼしたのだろうか。

 私はこの時以降、問題のネギを「マルくんネギ」とひそかに名付け、成長するのを楽しみにしていた。カメさんの水を吸ったネギである。もはや食べる気はなかった。ところが、鍋料理の際に出てきたのである。家族に黙っていた私が悪いのだが、ギョッとなって「マルくんネギを入れたの!」と叫んだため、家族はおおよその事情を察したらしい。責任を取って、ネギは私が全部食べた。普通のネギの味であった。マルくんネギは今も我が家のベランダで元気に育っている。


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2隻あった復元キレニア号

旧聞に属する話2011-キレニア号1

 福岡市博物館裏の芝生広場に置かれている木造船「キレニア号」の老朽化が進んでいる。中でも右舷はかなりひどい状態だ。キプロス島沖海底で発見された紀元前3世紀頃の地中海交易船を復元したもので、1989年(平成元年)に開かれたアジア太平洋博覧会展示品の一つだった。博覧会からすでに20年以上。放置されたも同然の現状では解体・撤去となるのもそう遠い先ではないだろう。

 「キレニア号」の横には、簡単な説明板が設置されているが、これには「ギリシア伝統航海保存研究所とキプロス共和国関係者の協力を得て、日本で復元建造」とある。実際に建造に当たったのが静岡県の岡村造船所で、福岡市には日本IBMから寄贈されたとも記されている。

 もっと詳しい情報がないかと思い、ネットで調べたところ、面白い情報に行きあたった。アジア太平洋博覧会の前年に開かれた「なら・シルクロード博覧会」関係者がブログで記していたのだが、この人は“ギリシャ政府が復元した”「キレニア号」をシルクロード博の目玉展示品として借り受けるため大変な苦労をしたというのだ。

 つまり復元「キレニア号」は2隻あったのだ。1隻目がギリシャ政府によって建造された、いわば公式版で、シルクロード博にはこちらが展示された。2隻目が、1隻目の成果をもとに日本で造られたレプリカで、福岡に残されているのはこちらの方だ。扱いがぞんざいに見えるのは、まさかレプリカだからというわけではないだろうが、朽ち果てるにまかせるのは惜しい気がする。


旧聞に属する話2011-キレニア号3

旧聞に属する話2011-キレニア号2


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“騎馬民族”征服説

旧聞に属する話2011-騎馬民族

 福岡の街中を自転車で疾走している連中を、私は“騎馬民族”と呼んでいる。歩行者をまるで農耕民族のように蹴散らしていく姿は、フン族や匈奴もさもありなんと思わせる猛々しさで、的を射たネーミングだと自画自賛しているぐらいだ。

 最近は、自転車そっくりの電動バイクを無免許・ノーヘルで乗り回していた女が書類送検される事件があった。この女は「免許がいるとは知らなかった」と釈明したうえで、バイクはネット通販を使って6~7万で買ったと供述したらしい。6~7万円など私には大金である。これだけの金を支払いながら、買った商品の正体を知らないとは豪気なものである。

 高齢女性を転倒させ、骨折させた女が「急いでいるから」とデタラメな連絡先を紙に書いて渡し、逃げ去った事件もあった。容疑者は捕まっていない。この二つの事件を見れば、狡猾さも相当なものだ。

 騎馬民族征服説とは、東大教授だった江上波夫氏が終戦直後に唱えた学説で、大陸の騎馬民族が列島に渡来し、大和朝廷を打ち立てたというものだ。現在では、この説を否定する研究者が多いと聞くが、その筆頭が佐原真氏だった。この佐原氏とは、例の旧石器捏造事件の際、まっとうな批判をしていた若手研究者を力で封じ込めたと批判される人物だ。

 学説の正否など浅学非才の身には分からないが、騎馬民族征服説の旗色が悪いのは、単に佐原氏の方が声が大きかっただけという可能性はあると思う。福岡の自転車事情を見ると、モラルうんぬんのレベルではなく、騎馬民族の遺伝子を受け継いだ輩が暴れ回っていると考えた方がまだしも理解しやすいからだ。

 写真は、歩行者を守るため、歩道を区切って設けられた自転車専用レーン。これだけ明確に区別されているのに、それでも歩道を平気で走る人間がこの街には結構いる。
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旧制福高の外国人教師宿舎

旧聞に属する話2011-外国人教師宿舎

旧聞に属する話2011-外国人教師宿舎3

 「旧末永邸の焼け跡」の中で、福岡市に古い木造の洋館がほとんど残っていないと書いたが、洋館ではないものの昭和初期の洋風建築が早良区西新の樋井川沿いにあるのを思い出した。旧制福岡高校が昭和2年(1927年)、外国人教師の宿舎として建てた平屋の建物で、現在は九大が保存し、市文化財にも指定されている。

 文化財としての正式名は「九州大学西新外国人教師宿舎第3号棟」。昔の福岡を知る者にとっては妙にノスタルジーを感じる建物だ。米軍基地が福岡にあった昭和の昔、近郊の大野城市白木原の辺りには、色遣いこそ異なるものの似た風情の米軍住宅が立ち並んでいたものだ。

 この建物がある一帯は今でこそ海岸線からかなり離れているが、大規模な埋め立てが行われるまでは樋井川河口付近に位置していた。昭和20年代の地図を見ると、当時の地名は「西新汐入地」となっている。いかにも潮風に吹かれ、波の音が聞こえてきそうな名前だ。宿舎が出来た昭和2年には、西新と旧制福高があった現在の中央区六本松方面とを結ぶ市内電車(城南線)が開通しており、通勤には便利だったことだろう。

 3号棟という名前で分かるように、外国人教師宿舎は隣接して他にも2棟があったが、老朽化によって取り壊され、跡地は現在、九大西新プラザとなっている。3号棟もプラザの一角にあり、交流棟という扱いだ。風格ある洋風住宅の解体を惜しんだ地域住民が存続を要望、比較的老朽化が進んでいなかった3号棟だけが解体を免れたと聞く。建築史的には「明治・大正の洋館」から「昭和の近代都市中流住宅」に移行する過渡期の建物で、極めて重要なものらしい。
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福岡の人口が京都を抜く?

旧聞に属する話2011-百道浜

 福岡都市圏で心配されていた水不足は、台風に伴うここ3日間の雨で遠のいたようだ。福岡市水道局が発表している「きょうのダム状況」によると、貯水率は一気に70%を超えた。一安心ではあるが、少々雨が降らないと、途端に飲み水の心配をしなければならない福岡都市圏は、やはり構造的な問題を抱えていると痛感する。地域内に大きな河川がないのに、人口が増えすぎたのだろう。

 5月1日現在の福岡市の推計人口がこのほど発表されたが、147万3192人と国勢調査の速報値を約1万人上回った。ひょっとしたら京都市を追い抜いたかもしれないと思っている。京都市の5月現在の数値はまだ発表されていないが、4月1日現在は147万1400人だ。京都市の4月の増減次第だが、超えた、少なくとも並んだ可能性は十分にあるだろう。

 相手が国際都市としても知られる「千年の都」京都なので、人口で追い抜いたところで大騒ぎするほどの話ではないが、福岡の人口が今も増え続けていることは、こと九州内に限っては影響は小さくない。

 例えば、大分県日田市に完成した大山ダムで今月、試験湛水が始まったが、このダムの役割の一つは福岡都市圏への水供給だ。都市圏の水道用水確保のため、地域外に建設・計画中のダムはほかにもある。江川ダム上流では小石原川ダム建設が計画され、那珂川水系では福岡都市圏の渇水対策用として五ヶ山ダムの建設が進む。五ヶ山ダム完成に伴って水底に沈むのは佐賀県の山村、小川内地区なのだ。

 先の福岡市の推計人口のデータには、総人口以外にも興味深い数字がある。対前月増減、対前年同月増減なのだが、対前月は3876世帯4123人の増加、対前年同月は1万3477世帯1万5129人の増加だ。1世帯当たりの人数は約1.1人しかならない。増えたのはほとんど単身者ということだろう。年齢のデータがないので確かなことは言えないが、恐らくこの数字は、他地域の若者を福岡市が吸い上げていることを物語っているに違いない。まるで九州の他地域を食らいながら、福岡都市圏が膨張しているようではないか。

 <6月14日追記>6月推計で福岡市の人口が京都市を抜いたことが確実となった。
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「修羅」中学校の思い出

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 私が中学生になったばかりのころの話だ。昼休みに2人の男子生徒(仮にA、Bとしておく)が殴り合いのけんかをした。翌日、当日は休みだった別の男子生徒Cとこのけんかが話題になった。Cが「どっちが勝ったんだ」と尋ねるので、「Aだ」答えると、「おかしい」と反論してきた。

 その理由がすごい。A、B、Cの3人は私とは別の小学校出身なのだが、Cが言うには「Bは小学校で十何番目にけんがが強かった。Aはずいぶん下だ。勝てるわけがない」。彼らが卒業した小学校には、なんと数十人の男子全員を対象にした“けんかの強さランキング”があり、A、Bの勝敗はかなりの番狂わせだったということらしい。中学生になると、成長具合で小学校時代の力関係が逆転することはままあることだ。

 それにしても、私の出た小学校でも「誰それが一番強い」などと言い合ってはいたが、ボクシングじゃあるまいし、そんな詳細なランキングなどあるはずがない。「一体どうやって決めたんだ?」と質問したところ、Cの答えは「そりゃ毎日休み時間のたびに誰か彼かがジャンジャンけんかやっているんだから、勝ち負けを覚えておけば、簡単だ」。ちなみにCは「俺はベスト10に入っていた」という。

 それを聞いた私はとんでもない学校に入学してしまったと心底震え上がった。そんな連中が数十人もいるのである。そう言えば、確かにけんかは日常茶飯事だし、上級生たちは煙草臭いし、卒業したばかりの人間が学校に車を乗り付けてきたこともあった。“中学”を卒業したばかりの人間である。何でもこの卒業生は金貸しになったとかで、顔見知りの後輩に親切にも「金を借りんかい!」と言いに来たのだという。

 某巨大掲示板で我が福岡県は「修羅の国」と呼ばれている。修羅の国とは多分、マンガ『北斗の拳』に出てくる架空の国のことだろう。この国は暴力が支配しており、「男子の生存率は1%」と評されている。地元をけなされ、腹の立つ話ではあるが、銃や、普通じゃあり得ない手榴弾を使った犯罪が続発しているのだから、文句は言えない。それどころか数十年前の中学時代を思い出し、妙に納得さえしてしまった。

 家庭の事情で私は1年で転校した。この中学校は、福岡市西部に今も存在している。私の在学当時、周囲は山と田んぼだけで、上級生たちは裏山で一服を楽しんでいた。1年生にはバカみたいに厳しかった教員どもも、明らかに煙草臭い上級生は黙認していた。面倒を抱えたくなかったのだろう。ごみ同然の教員集団だった。学校の周囲には現在、住宅が立ち並び、当時の面影はまったくなくなった。「修羅の国」みたいな校風も今では変わっていることだろう。多分。
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旧末永邸の焼け跡

旧聞に属する話2011-旧末永邸1

旧聞に属する話2011-旧末永邸2

 所用のついでに福岡市城南区にある旧末永邸を見学してきた。昨年4月、小中学生による放火で全焼した昭和初期の洋館だ(「昭和の洋館燃える」参照)。火事から1年以上が経ったが、焼け跡がそのまま残っていたのには少し驚いた。今なお美しい姿をとどめているので、撤去する気にならないのだろうか。

 全焼した際の報道によると、この洋館は1930~35年(昭和5~10年)頃に建てられたという。正確なことは言えないが、この時代以前に建てられた木造の洋館など福岡市にはあまり残っていない気がする。思い浮かぶ限りでは福岡県公会堂貴賓館、一部教会建築ぐらいだ。

 同じ福岡県内でも近代以降、官営製鉄や貿易で栄えた北九州市の戸畑、門司では、いずれも国重文のJR門司港駅、旧門司三井倶楽部、旧松本家住宅などのレトロ建築が堂々たる姿をとどめ、しかも今なお現役の駅や結婚式場などとして大事に使われている。門司に関しては「高度成長から取り残され、開発を免れたので古い建物が残った」と皮肉な言い方をされることもあるが、どこかに街の歴史を残したいという意志もあったのだろう。

 焼け跡となった旧末永邸を今さら文化財として保存することは意味ないことだが、もっと早い段階で保護の網をかけることができなかったのだろうか。火災後に「昭和の名建築」と称えられても、それこそ意味がない。
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