針尾無線塔、国重文に


 ちょうど1年程前、「緑の廃墟・川南造船所2」の中で言及した長崎県佐世保市の針尾無線塔が国重文に指定されることになった。高さ135~137mの巨大なコンクリート製電波塔で、1922年(大正11年)に旧海軍によって建設された。太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信したと私は聞いてきたが、最近では異説もあり、どうも確定した話ではないらしい。

 戦後も海上保安庁が使用していたが、1997年に役割を終えた後は解体論議も起きていた。残った経緯は、福岡県志免町にある旧志免炭鉱の竪坑櫓のケースと良く似ている。行政側は取り壊しの意向だったが、規模が大きいうえに極めて頑丈にできているので、解体には莫大な金がかかると分かった。仕方ないので放置していたら、「貴重な近代化(戦争)遺産だ」として保存を求める声が住民の間に高まり、結局は国をも動かした。単純化すれば、こんな流れだろう。

 文化財指定が決まったことを伝える新聞紙面には、「市の宝として公開できるように整備したい」という佐世保市長のコメントが掲載されている。同じく国重文になったとは言え、志免炭鉱の竪坑櫓は今もってフェンスで囲われているだけで、地元・志免町の取り扱いは依然として冷淡なままに見える。自治体の財政規模の問題もあり、軽々しく論評できる問題ではないが、佐世保市長のこういったコメントを見ると、今なお邪魔者扱いしているかのような志免町政の姿勢が残念になる。

 写真は2008年5月、西海橋付近から撮影。
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博多湾のクジラ

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 福岡市の博多湾に小型クジラが迷い込んだとの報道があったので、運良く遭遇できないかと思い、先日近くの海岸に出かけた。かなり長い時間、目を凝らして海面を眺めていたが、残念ながらクジラには出会えなかった。

 クジラと言っても体長は3.5mぐらいで、現実的にはイルカほどの大きさだ。コマッコウという種類らしい。クジラとイルカは分類上は同じクジラ類で、体長4m前後を境に大きいのをクジラ、小さいのをイルカと便宜的に呼び分けているだけだという。コマッコウはサイズ的にはイルカだが、名前の通りマッコウクジラの近縁なのでクジラ扱いされているのだろう。この数日、目撃報道が途絶えているので、湾外に出て行ったのかもしれない。

 博多湾にクジラが現れるのは昔から珍事だったようで、明治21年(1888年)11月に2頭のクジラが迷い込んだ時も新聞をにぎわわせたようだ。箱崎の漁師たちが総出で1頭を仕留めたが、体長は7間だったというから13m弱といったところ。今回の珍客に比べれば、相当に大型だ。大量の肉を得て大もうけした漁師たちは祝宴を続けたらしい。

 この時のクジラの慰霊碑「鯨ノ標」が東区箱崎2丁目にある網屋天神に建っている。以前は九大農学部にあったが、九大が伊都キャンパスに移転の最中とあり、地元の要望もあって移されたという。網屋天神は、箱崎の漁師たちの氏神様だ。この慰霊碑、九大に来る以前から流転の連続だったらしいが、最終的には落ち着くべきところに落ち着いたようだ。
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福岡一家4人殺害事件の現場


 2003年6月に福岡市東区で起きた中国人3人による一家4人殺害事件で、唯一日本で裁かれている魏巍被告に20日、最高裁判決が言い渡される。1・2審は死刑。先月の上告審弁論で、弁護側は「関与が従属的(主犯格ではない)」として死刑回避を主張したというが、最高裁がよほど突飛な理屈を持ち出さない限り、無期懲役以下に減軽される可能性は低いだろう。

 残る2人は逃走先の中国で裁かれ、すでに刑が確定している。主犯格とされる楊寧・元被告には6年前の2005年7月に死刑が執行されており、もう一人の王亮受刑者は無期懲役に服している。王亮受刑者が死刑を免れたのは、別件で拘束された際、日本で犯したこの事件について進んで自供したためだという。これで「自主」扱いとなり、規定に基づき罪一等が減じられたらしい。

 日本人の処罰感情に従って2人を死刑にした場合、中国国内の世論が反発する恐れもあった、という報道も当時目にした。中国という国のやり口を考えれば、案外こちらの方が正しいのではないか。仮に反日感情が王亮受刑者の命を救ったのだとすれば、やりきれない話だ。

 凶行が行われた現場前を最近通った(写真。修正を加えている)。魏巍被告ら3人が押し入り4人を殺害した住宅はすでに取り壊されて跡形もない。主を失った家屋は事件後、しばらくは残されていたようだが、周辺住民から「怖い」という声が出され、遺族がやむなく取り壊したと聞いた。跡地は現在も空き地のままで、ようやく駐車場としての利用が始まったようだった。8年の歳月を経ても、事件の記憶は風化することなく今も生々しいことをうかがわせた。
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博多百年蔵、再建へ

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 8日に火災に見舞われた福岡市博多区の造り酒屋「石蔵酒造・博多百年蔵」の前を通った。火災から5日目。早くも再建工事が行われているようで、作業員が忙しげに出入りしていた。同社のサイトに掲載されている「火災のご報告ならびにお詫び」には復旧・復興のめどは立たないとあるが、再び元の姿に戻るのは意外に早いかもしれない。

 百年蔵は明治初期に建てられた木造建築。白壁土蔵に赤れんがの煙突が、建築当時の博多の街の雰囲気を伝えており、昨年には国の登録文化財ともなっている。隣接する県立福岡高校の重厚な校舎と合わせ、福岡では数少ない歴史的景観を作り出していた。

 1、2枚目の写真で分かるように、建物前の歩道から見た限りでは大きな被害を受けたように見えなかったが、奥にある「主倉」は骨組みだけの状態(写真3枚目)になっており、新聞等によると、焼失面積は1000平方mに上るという。辺りには13日現在も焦げ臭いにおいが残っていた。
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タデ原湿原の花々・秋

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 ラムサール条約の登録湿地、大分県九重町のタデ原湿原を半年ぶりに訪ねてきた。湿原入り口に自生しているヒゴタイの花は茶色に枯れ、たわしみたいだった。湿原全体もススキばかりが目立っていたが、注意して自然研究路(遊歩道)を歩くと、タムラソウなどが美しい花を咲かせ、チョウやミツバチが飛び交っているのに気付いた。

 見つけることはできなかったが、この季節にはヤナギタデも咲いているらしい。「蓼(たで)食う虫も好き好き」の蓼とはこの野草のことで、葉や茎に強い苦みがあるという。「タデ原」の語源は、かつてヤナギタデが多数自生していたためという説も聞いた。

 以下の写真は、ツクシアザミに止まるアカタテハ、ツクシアザミとトラマルハナバチ、ヒゴシオンとニホンミツバチ、ヤマラッキョウ、リンドウ。花の名前は『九重に咲く花』(上野哲郎著、不知火書房刊)などを参照したが、間違っていたら私のミスである。ご容赦を。


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遊び場だった那珂八幡古墳



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 小学生時代の一時期、現在の福岡市博多区竹下に住んでいたことがある。アサヒビールの工場がある街だ。通学路沿いにこんもり木が茂った小山があり、全体が神社になっていた。神社下の広場(空き地)と合わせ、一帯は子供たちの格好の遊び場で、段ボールを下に敷いて斜面を滑り降りたり、木の枝にローブを結んでターザンごっこをしたりと男の子たちは乱暴な遊びに興じていた。詳しい状況は知らないが、低学年の子が亡くなる不幸な事故が起きたことも覚えている。

 先日、福岡市の史跡をネットで眺めていて、竹下に那珂八幡古墳という前方後円墳があり、この古墳が例の神社らしいのに気付いた。築造されたのは古墳時代初期の4世紀初め、福岡平野では最古の首長墓らしい。いくらバカな小学生だったとは言え、古墳の墳丘を滑り降りるという罰当たりな遊びをしていたのかと不思議に思い、何十年振りかで竹下を訪ねてきた(神社でも十分罰当たりなのだが)。

 JR竹下駅から歩いて数分。大規模な区画整理が行われたようで、神社横には昔はなかった広い道路が走っており、広場はなくなっていた。神社自体は昔と変わらぬ姿だったが、参道の入り口に古墳の概要と、神社の来歴を紹介する二つの立て看板があり、謎が解けた。古墳の発掘調査が行われたのは1985年で、私がここで遊び呆けていた時よりもずいぶん後だったのだ。まったくの推測だが、区画整理の際に古墳が確認され、発掘調査が行われたのではないか。

 この時の発掘では三角縁神獣鏡1面のほか、勾玉、管玉などの装飾品が出土したという。ターザンごっこなどをやらずに穴掘り遊びをしていたら、三角縁神獣鏡発見の栄誉は私に輝いたかも知れない。惜しいことをした。ちなみに古墳の規模は、推定で全長85m、後円部の直径50m、高さ15m。古墳の主体部は社殿の下にあり、調査が行われていない。

 那珂八幡古墳の見学後、ついでだから板付遺跡に足を延ばした。復元水田では稲穂が黄色く色付いていた。

 【訂正】「区画整理の際に古墳が確認され」と書いたが、1971年に九州大が行った調査で前方後円墳であることが確認されたという。それまでは独立した小さな丘だと思われていた。


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庚寅の年号刻んだ大刀

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 福岡市西区の元岡古墳群から出土した話題の大刀を遅ればせながら見てきた。西暦570年に当たる「庚寅(こういん)」という干支が刻まれていることが市教委のX線検査で分かり、大々的に報道されたあの鉄剣だ。10月9日までは同市博多区井相田の市埋蔵文化財センターに展示されている。センターの担当者によると、大刀の歴史的価値は低く見積もっても国重要文化財級らしい。国宝指定を期待する声さえあるようだ。

 現地説明会の際に市教委が配布した資料によると、大刀が出土した古墳自体は7世紀半ばの築造だという。下の年表は資料から一部抜粋したものだが、7世紀とは東アジア情勢、国内情勢ともに大きく揺れ動いた動乱、変革の時代だったことが良く分かる。この時代の中で、元岡を含む糸島半島一帯は、聖徳太子の実弟・来目皇子の嶋(志摩)郡駐屯にみられるように、重要な役割を果たした地域だったことは間違いないだろう。

 元岡古墳群をはじめとする元岡・桑原遺跡群の発掘調査は、九州大の伊都キャンパス移転に伴うものだ。福岡発の考古学ニュースは最近、この遺跡群に関係するものが非常に多い気がする。飛鳥時代の「官営製鉄」跡が見つかったのをはじめ、複数の木簡、昨年は金銀で装飾された鉄製大刀なども出土している。移転工事が続く以上、考古学上の貴重な発見もまだまだ続くに違いない。そして「記録保存」の名の下、貴重な遺跡は次々に破壊されていくことだろう。こういった点から考えても、移転地として果たして妥当な場所だったのだろうか。

 527年 磐井の乱
 536年 那津官家修造(現・比恵遺跡)
 556年 新羅、大伽耶を併合
 553年 百済より「暦博士」招聘
 570年 「庚寅」銘大刀
 602年 来目皇子、新羅討伐のため2万5000の兵を率い嶋郡へ
 607年 小野妹子を隋に派遣(遣隋使)
 630年 犬上御田鍬を唐に派遣(遣唐使)
 645年 大化の改新
 663年 白村江の戦い
 664年 水城の築造
 665年 大野城、基肄城等を築造
 672年 壬申の乱

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 <福岡市埋蔵文化財センター>福岡市博多区井相田2-1-94。開館時間は午前9時~午後5時で、月曜休館。入館無料。http://www.city.fukuoka.lg.jp/maibun/html/index.html



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マンション建設反対請願


 20年ぐらい前、知人の一人が地域ぐるみのマンション建設反対運動にかかわったことがある。業者との話し合いは一向にらちがあかない。議員の力を借りようという意見が出され、福岡市議会に建設中止を求める請願を出すことになった。こういった市民運動に理解があるだろうと考え、革新系議員に請願の紹介議員になってくれるよう頼んだところ、議員側も快く応じてくれたという。

 ところがである。この請願の審査を議会が行う前に、市がマンションの建築確認を下ろし、業者はさっさと着工してしまった。知人ら反対派住民は怒り心頭、紹介議員の面目も丸つぶれだったようだ。私はこの話を聞いた時、革新系の野党議員だから市側になめられたのかなと思ったが、建築基準法などに照らし合わせて問題がなければ、建築確認は下ろさざるを得ないというだけの話らしい。

 じゃあ、このような場合、請願にいったい何の意味があるのだろうか。市議会のサイトに掲載されている会議録の中に、非常に分かりやすい解答があった。今年7月、やはりマンション問題に絡む住民からの請願を審査した常任委員会で、議員の一人がこんな発言をしているのだ。

 「これまでもさまざまなマンション紛争を通じて、市民は議会や市当局の無力さを痛感してきたと思う」。要するに役立たずだったということを議員自ら認めているわけだ。

 10月5日の朝刊で、マンション建設反対の請願に添えられた署名2万人分を、市議会事務局が誤ってシュレッダーにかけ破棄したという「事件」が報道された。福岡市中央区にある保育園横の空き地(写真)に、高層マンション建設が計画されており、日当たりなどを心配する関係者らから出されたものだ。請願自体は受理され、すでに9月2日には審査が行われており、市側は署名簿破棄の影響はないと釈明している。

 ちなみに審査の結果は「継続審査」。いかにも今後も検討を続けるというような言い方だが、私の知る限りでは、請願に対して採択・不採択の結論を出さないまま「塩漬けにする」という程度の意味でしかない。そして、現在の議員の任期が切れる時、件の請願は継続審査のまま廃案になるのだ。署名簿破棄の一件は単なるうっかりミスで、それ以上でも以下でもないのだろうが、市や市議会の請願に対する姿勢をよく表しているように思う。

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ノンアルコール焼酎

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 私は大酒飲みで、毎日自宅でベロベロになるまで飲んでいる(金がないので外では飲まない)。風呂上がりの発泡酒やハイボールに始まり、食事中はカップ酒か焼酎、気分がいい時はこの全種類を制覇することさえある。

 どんな時に気分がいいのかと言えば、ナイターでホークスがリードしている時である。今年はそんな日が多かったので、私の酒量もことのほか増えた。ヤフードームで試合観戦している時も自宅と同じ調子で飲んでいたものだから、球場に来たのか酒場に来たのかわからない程だった。

 いい年をしてこんな生活を送っていて、体にガタが来ないわけがない。9月ごろから心臓がバクバク言いだし、少しは酒量を控えることにした。まず風呂上がりの一杯をノンアルコールビールに変えた。物足りない味だが、のどを潤すだけならば事足りる。問題は晩酌。ここで今まで通りガンガン飲んでいたら意味はない。「ノンアルコール焼酎でもあればいいのに」とバカなことを思っていたら、本当にあった。近所のスーパーにそんな変な飲み物が売っていたのである。

 300mlの小瓶入り。芋焼酎の本場・鹿児島のそこそこ知られた蔵元が製造・販売している。「業界初」の商品だとか。買ったその日にワクワクしてロックで飲んだ。表現するのが難しい味だが、25度の芋焼酎を水で10倍に薄めたといった感じだろうか。せっかくのアイデア商品をあまりけなしたくはないが、正直なところ、期待はずれだった。

 後日、この商品を販売している蔵元のブログをのぞいたところ、おいしい飲み方が紹介されていた。芋焼酎を水の代わりにノンアルコール焼酎で割って飲むと、こくが増し、よりおいしくなるとか。でも、これって焼酎のおいしい飲み方じゃ……。
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大牟田4人殺害、死刑確定へ

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 「『殺人県』福岡」の中で言及した大牟田の元組長一家による4人殺害事件。1・2審で死刑判決を受けた一家4人(元組長夫婦と長男・次男)のうち、母と次男に対する上告審判決が3日あり、最高裁は2人の上告を棄却、死刑判決が確定することになった。公判が分離されている父と長男の判決は17日に下されるが、常識的に考えれば、母子と同様の判断だろう。「一家4人全員に死刑」は動かないと思われる。

 この事件の特集記事が
読売新聞九州版のサイトにあるが、最初から読み返してみると、長男、次男の特異な人間性に驚かされる。凶悪という言葉では足りないほどの無軌道ぶりで、国選弁護人の引き受け手がなかったため「あみだくじ」で決めたというのも納得する話である。こんなケースは聞いたことがない。

 事件は、一家4人が金を奪うため知人の一家3人とその友人を次々に殺害し、遺体を川に遺棄したというものだが、逮捕後の行状も凄まじいものだった。長男は警察の不手際で地検支部から逃走したほか、次男は留置所でトイレットペーパーを大量に飲み込み自殺を図った(死ねるとは思えないが…)。さらにはこの兄弟、傍若無人にも法廷で大喧嘩をやらかし、次男は1審判決の際には被害者遺族をにらみつけ、2審判決の際には「メリークリスマス!」と大声を上げて退廷していったらしい。

 2000年代初めに福岡を騒がせた大量殺人事件はこの秋、相次いで上告審が開かれている。9月には中国人留学生らによる福岡一家4人殺害事件が結審、来月には北九州監禁殺人事件の上告審弁論が予定されている。この大牟田4人殺害を含め、ようやく刑が確定することになるが、北九州事件が発覚から今年で9年目、福岡事件が発生から8年目、大牟田事件が7年目だ。長い歳月である。写真は最高裁。
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