執行の日の福岡拘置所


 1年8か月ぶりに死刑執行が再開された29日夕、福岡市早良区の福岡拘置所を見てきた。ここでもこの日、松田康敏死刑囚(44)の刑が執行されている。2001年、宮崎県内で2人の独居女性を相次いで殺害し、金を奪った罪で2007年に刑が確定していた。再審請求中と聞いていたので彼の執行を聞いて意外に思ったが、再審請求に触れた報道がなかったことを見ると、すでに請求は棄却されていたのだろう。当然のことだが、拘置所の様子には何の変化もなかった。(追記=正確には再審請求中ではなく、請求準備中だったらしい。ただし、松田死刑囚本人や死刑廃止団体などは再審請求が行われているものと理解していたようだ)

 執行後の小川法相会見を報じた記事等によると、法相は決断の理由の一つとして裁判員裁判で13人に対して死刑判決が出ていることを挙げたという。「国民が苦しんで判断を下しているのに、法相が職責から逃れることは許されない」ということのようだ。

 2009年5月に裁判員制度が始まる際、死刑廃止を訴える団体は導入に強く反対していた。一般市民の処罰感情に引きずられ、死刑判決が乱発されかねないという理由だったと思う。しかし、裁判員たちの会見記事を読む限り、彼らが一時の処罰感情に引きずられて判決を下したとは決して思えない。だからこそ、死刑求刑事案の中には無期判決が下ったケースもあれば、鹿児島の高齢夫婦殺害事件のように「物的証拠がない」として無罪としたケースさえある。また、死刑判決の中にはすでに2審の判断が下った事例が2件あるが、いずれも裁判員の判断は覆っていない。きちんとした裁判が行われた証明だろう。

 一般市民の理性を信用していなかった死刑廃止団体にとり、裁判員誰もが苦しみながらも冷静な判断を下し、このことが法相の決断を促すことになるなど想定外の出来事ではないだろうか。以下に裁判員裁判で死刑判決が下った13人と事件概要などを記した。カッコ内は1審判決日と判決を下した地裁名。2人の被告は控訴を取り下げ、すでに死刑が確定している。死刑廃止派はこれらの死刑判決に対し、「弁護次第では何件かは無期だった可能性もある。弁護が裁判員に届いてない」という危機感を持っているようだ。

  •  池田容之(2010.11.1横浜)マージャン店経営トラブルから2人を殺害。切断した遺体を横浜港に遺棄。控訴を取り下げ死刑が確定。
  •  少年(2010.11.25仙台)石巻3人殺傷事件。元交際相手の実家に押し入り、元交際相手の姉と知人女性を殺害。
  •  奥本章寛(2010.12.7宮崎)妻と生後6か月のわが子、妻の母を殺害。2審福岡高裁宮崎支部も死刑判決。
  •  伊能和夫(2011.3.15東京)南青山高齢男性強殺事件。妻子を殺害して20年服役、出所半年後の事件のため極刑に。
  •  松原智浩(2011.3.25長野)池田薫(12.6)伊藤和史(12.16)勤務先の経営者宅に押し入り、経営者と長男夫婦を殺害し、現金約410万円を強奪。松原被告には2審も死刑。
  •  津田寿美年(2011.6.17横浜)アパートの隣人夫婦がうるさいと2人と、隣人の兄でもある大家を殺害。控訴を取り下げ死刑が確定。
  •  桑田一也(2011.6.21静岡・沼津支部)約1000万円の借金返済を免れようと交際相手を殺害、5年後には妻も殺害した。
  •  竪山辰美(2011.6.30千葉)千葉大生の自宅に侵入、帰宅した大学生から金などを奪った後に殺害。さらに放火して逃走した。
  •  田尻賢一(2011.10.26熊本)遊ぶ金のために借金を繰り返し、その返済などのために2件の強盗殺人を犯し、3人を殺傷。
  •  高見素直(2011.10.31大阪)パチンコ店放火殺人事件。5人を殺害、10人に重軽傷を負わせる。
  •  新井竜太(2012..24さいたま)いとこと共謀、いとこの養母を殺害して保険金を詐取。金銭トラブルからおじも殺害。いとこには無期懲役判決。
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虐待男の過去

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 殺虫剤の針を突き刺して噴射したり、太ももをカッターで切り裂いたりなど、妻の連れ子に陰惨な虐待を繰り返したとして逮捕された福岡市の無職男(36)が19歳の時にも虐待事件を起こし、2人の幼児を死なせていたという。27日の読売新聞朝刊が報じていた。

 記事によると、男は山口県内に住んでいた17年前、同居女性の2歳に満たない女児を浴槽のふたに座らせて風呂を沸かし、転落した女児に大やけどを負わせた。しかも女児をそのまま放置して女性と遊びに出かけ、死に至らしめた。その2か月後には縁側にいた6歳男児を蹴り倒し、死亡させている。男は傷害致死の罪で8年間服役したという。

 2人の子供の命を奪いながら、わずか8年で娑婆に戻って来られるのだから、この国での子供の命の軽さは驚くべきだが、少なくとも最初の女児のケースでなぜ殺人罪が適用できなかったのだろうか。不可解極まりないが、もっと不可解なのは母親である女性の行動だ。子供を見殺しにしたどころか、女児の場合は明らかに加担している。記事は何も伝えていないが、彼女にも何らかの司法判断が下ったのだろうか。

 無職男の一家は現在、生活保護を受けながら、福岡市のアパートで暮らしていたと先の記事にあるが、正確にはUR(旧住都公団)の賃貸住宅(写真)だと聞いた。URの住宅に入居するには一定以上の収入が必要と思っていたが、2010年秋に「生活保護費も収入とみなす」と改定され、保護世帯の入居が可能になったらしい。生活保護とは懸命に生きてきた人間のセーフティーネットであるべきだが、現実にはこの種の人間が社会に寄生する手段となっているケースも多い。福岡市の2012年度一般会計予算は7662億円だが、ちょうど1割が生活保護費だという。

 男が住んでいると言われる部屋のベランダを見たが、妙な物が吊り下がり一種異様な雰囲気だった。気味悪がっていた住人もいたに違いない。男は虐待の理由を「言うことを聞かなかったため」と供述したらしいが、抵抗できない幼児2人を死なせた過去を持ち、現在は仕事もせずに殺虫剤の針やカッターを振り回している男の言うことなど誰が聞くものか。子供たちの命を今度は救えたことが何よりだった。
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七隈線延伸



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 福岡市営地下鉄七隈線の延伸がいよいよ動き始める。現在の終点・天神南からキャナルシティ博多近くを経由してJR博多駅に接続する1.4km(営業距離は1.6km)。空港線との接続が悪いうえ、駅間距離が短すぎるなど色々と使い勝手が悪く、毎年数十億円の赤字を出しているお荷物路線だが、市はこの延伸により利便性が向上、将来は黒字転換できるものと期待している。

 それにしても地図(市の発表資料から)を見ると、七隈線の延伸区間は、空港線と瓜二つのルートで博多駅に至るのがよくわかる。両線の距離はせいぜい数百m。競合路線を市が自分で造るようなものだ。この延伸により七隈線の利便性が向上するのは確かだろうが、費用は450億円にも上る。内訳は国からの補助110億円、市の一般会計からの投入額200億円、起債が140億円だ。

 巨額の金を投じることに批判的な市議や市民からは「天神地下街の空港線天神駅~七隈線天神南駅間に動く歩道を造れば、乗り換えが楽になる」という提案があったが、市は一顧だにすることなく退けた。理由は<1>地下街の通路は緊急時の避難経路でもあり、動く歩道を建設すれば、建築基準法で定められた必要な通路幅が確保できなくなる<2>動く歩道の駆動部を設置するためには1m程掘り下げなければならないが、地下街の下には駐車場があり困難――という理由だったようだ。

 もっとも二つの問題がクリアされても、市が動く歩道を採用する可能性は低いと思う。動く歩道利用者が増えれば、地下街の店の客は減る。天神地下街を運営しているのは第3セクター福岡地下街開発で、同社最大の株主は株式の48.8%を握る市だ。いわば市は地下街の大家も同然。自らの首を絞めるようなまねをするわけがないのだ。

 延伸によって1日当たりの乗客はどの程度増えるのか。市の発表資料を見てもよくわからないのだが、延伸区間の乗客は1日6万8000人(うち、2万1000人が新規利用客)と見込んでいるようだ。開業時の乗客を1日11万人と予測しながら、実際は4万4000人(現在は6万人台)だったという“前科”があるだけに、今回の予測にも疑いの目が向けられているが、根拠薄弱ながらも私は案外いい線いくのではないかと思っている。

 現在の七隈線は「福岡市西南部の渋滞対策」を大義名分に、造ることだけが目的だった。乗客予測など付け足しみたいなものだ。だが、今回の延伸区間は造ることによって乗客を増やす、ひいては赤字を解消するのを目的としている。福岡市役所のお役人方も今回ばかりは失敗できないことをさすがにわかっているだろう。市議会で「今回は大丈夫か」とただされた市は「精度の高い手法で行った」と答え、その手法で開業時の乗客予測をやり直したら「現状とピタリ一致した」と胸を張ったという。笑い話かと思った。

 七隈線延伸は2013年度にも着工、完成予定は20年の見込みだが、前倒しも検討されているらしい。
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古代は港町だった西新

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 福岡市早良区西新の県立修猷館高校の下に、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落跡・西新町遺跡が眠っている。古墳時代前期(3世紀末~4世紀初め)には半島との国際交流拠点として栄えたと見られ、この時代のカマド付き竪穴住居跡が多数見つかっている。国内他地域でカマド付き住宅が広がるのは5世紀頃というから、ほぼ100年早い。古代の一時期、この一帯は国内最先端の港町だったようだ。

 同遺跡の発掘調査は修猷館高校の全面改築時(1998年度から8年間)をはじめ20数回にわたって行われ、その度に県教委や福岡市教委から調査報告書が出されている。遺跡の規模は集落部分だけでも東西500m、南北200mに及び、確認された竪穴住居跡は500軒以上。多くは古墳時代のもので、その3~4割にカマドが備え付けられているほか、半島製の様々な土器なども出土している。

 報告書によると、弥生時代には漁を主な生業とする「浜辺の村」に過ぎなかった集落が、古墳時代、九州の在地勢力により国際交易のための港町として整備されていったことが推測されるという。

 しかし、この集落も古墳時代中期(4世紀半ば~5世紀末)になると急激に衰え、あっさり消滅する。県教委は報告書の中で「畿内勢力が対外交易を直接掌握したため」という考えを提示しているが、畿内勢力(ヤマト朝廷)が対外交易を握るのは古墳時代後期に起きた磐井の乱(527~8年)に勝利した後という見方もある。西新町遺跡の勢力から対外交易の実権を奪ったのは、むしろ磐井の先祖の方だったかも知れない。これは磐井の時代の話だが、彼の交易拠点は現在の福岡市東区、または糟屋地域だったとも言われており、この時代の拠点港は博多湾の西部から東部に移っていたようだ。

 面白いのは、西新町遺跡の集落が消滅して以降、この一帯には約1000年間、人が住んだ痕跡がほとんどないらしいことだ。例外は中世に築かれた元寇防塁ぐらいで、再び集落が築かれるのは江戸時代になってからだという。本来は海岸近くの砂丘地帯のため、砂まじりの潮風が人の定住を阻んでいたのだろうか。西新一帯の昔の海岸線の辺りには立派な松が今もところどころ残っているが、これは黒田藩の初代藩主・長政の命で整備された防潮林の名残で、西新に人が戻ってきたのは松林ができて以降のことらしい。
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ビル街の学校建設現場

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 福岡市中央区長浜のビル街で、舞鶴小中学校の校舎建設が進んでいる。児童・生徒数減が続く市中心部の大名、舞鶴、簀子の3小学校と舞鶴中学校とを統合して2014年に誕生する市内初の小中連携校。福岡市が「子育て世代の中心部回帰を促すような学校にする」と意気込むだけあって、完成予想図(下)を見る限り、ずいぶん斬新な学校となりそうだ。グラウンドが地上2階にあり、その下の地下1階~地上1階部分に体育館などが配置されるらしい。

 新校舎が建てられているのは舞鶴小があった場所だが、1947年(昭和22年)から60年(同35年)までは舞鶴中がここにあった。当時は、現在とまったく逆で児童・生徒数が急増していた時代。これに対応するため舞鶴小が新設されることになったが、校区内に学校を建設できる場所がない。そのため舞鶴中が校舎を譲り、同校が現在地(中央区城内)の市立博多工業高校跡地に玉突き移転することになったという。この場所は校区外(隣接する警固中校区に当たる)なのだが、中学生ならば体力的に通学は問題なしと判断されたのだろう。舞鶴中は半世紀以上を経て、創立の場所に戻るわけだ。

 舞鶴中が現在あるのは舞鶴公園と大濠公園に囲まれた場所で、春には桜、秋には落ち葉が彩る。生徒たちは、市指定文化財の名島門をくぐって登下校している。半世紀以上もこの場所で歴史を刻んできたのだから、愛着を感じる卒業生も多いことだろう。だが、学校自体が国史跡・福岡城跡の中にあり、市が2004年にまとめた城跡の保存整備基本構想の中でも中学校の早期移転が明記されていた。史跡(主に城跡)に学校があるケースは全国的にも複数例あるが、存続には文化庁側が難色を示し、長期的には移転を促しているらしい。ビル街よりもはるかに教育環境に恵まれた場所から離れざるを得ないのは、こんな事情のようだ。

 城跡の保存整備基本構想がまとめられたのは先々代市長の時代で、現在もこの構想が本当に生きているのかはわからないが、舞鶴中移転は、不審火で焼けた下之橋御門の復元(2008年完成)に続いての具体化となる。以前にも書いたが、先代市長の時代は門復元が精いっぱいで、他の城跡整備は完全に止まっていたように見えた。人工島事業などの懸案を抱え、それどころではなかったのだろう。

 その点、観光振興にえらく熱心な現在の高島市長は、城跡整備にも積極的とも思える。だが、新年度予算案で打ち出した事業を見ると、方向性には少々疑問を感じる。「日本で唯一の歴史資源活性化事業」と銘打って6700万円の予算を計上しているのだが、その内容は「平成24年春に開館する展示・休憩施設を回遊拠点に、デジタル技術を活用し、福岡城の当時の情景を体感できるような新しい展示を取り入れ、観光客に楽しみながら散策してもらう」と説明されている。何のことかさっぱりわからないが、デジタル技術などに頼らなくても福岡城にはまだ本物が眠っているのではないかと言いたい。

 1991年に崇福寺(黒田藩の菩提寺)から買い戻した潮見櫓花見櫓は、解体されたまま20年間も部材が保管されている。いつになったら城内に復元されるのだろう。デジタル技術など今は最先端であっても、来年には恐らく陳腐化している。そんな代物よりも、復元した本物の櫓を体感する方が観光客にはよほど喜ばれるに違いない。


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日清製粉のしもべ


 福岡市中央区の須崎埠頭の旧市有地(写真)に、日清製粉の新工場が建設される。九州地区で同社は現在、佐賀県鳥栖市と福岡県筑後市の2か所に工場を抱えているが、原料の輸入小麦荷揚げ地である須崎埠頭に工場を集約し、輸送コストを削減する狙いだ。これに応え、市が1.2haの市有地を工場用地として用意したわけだが、市有地売却を審議した昨年12月をはじめとする議会の会議録を読むと、一私企業に対する市の厚遇ぶりが浮き彫りになる。一部野党会派が反対しただけで市議会は売却を認めており、いまさら問題視するには当たらないのだろうが、まるで日清製粉に奉仕するかのような市の態度が気になった。

 土地の売却価格は12億5600万円。1平方m当たり約10万3000円で、先頃分譲価格が値下げされた人工島と同水準だ。この価格自体は破格の安値という程ではないが、問題はこの場所に市所有の上屋があり、流通企業が入居していたため、建物解体や移転補償費で計10億1900万円がかかったという点だ。これを差し引けば、土地売却益は2億3700万円に過ぎなくなる。

 昨年6月議会の時点では、売却額の見積もりはさらに低く、収益は1億円程度と見込まれていた。市議会常任委員会でこの点を厳しく追及された市側は「工場建設で市に新規雇用が生まれる」と経済効果の点から理解を求めた。ところが、「鳥栖・筑後工場の従業員が配転となれば、雇用は生まれないではないか」とたたみかけられると、今度は「小麦の荷揚げから加工まで一か所で行うので、地球に優しい物流になる」と言い出した。こうなると苦し紛れの詭弁である。

 用地交渉自体も、日清製粉が工場を廃止する鳥栖・筑後市側の理解を得るまでは内密に進められたため、市議会はおろか、上屋からの退去を求めることになる企業側にも明かされていなかった。同社が工場集約を記者発表した後、入居企業との交渉に入るというドタバタ振りで、野党議員によると「福岡市は日清製粉のしもべ同然」である。

 それにしても港湾用地ならば広大な土地が売れ残っている人工島があるはずなのに、なぜ、わざわざ多額の費用をかけて須崎埠頭の土地を提供するのであろうか。不思議に思ったが、会議録を読み込むと、やはり市側も最初は人工島の土地購入を持ちかけていたことがわかった。ところが、日清製粉側がうんと言わなかった。もともと須崎埠頭に小麦を荷揚げしていたという事情もあるだろうが、人工島とは企業にとってよほど魅力がない土地のようだ。
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福岡市が登録文化財制度新設

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 福岡市が4月から、登録文化財制度を新設することを決め、そのための文化財保護条例改正案を開会中の市議会に提案している。登録文化財とは、都市化の進展で急速に失われつつあった近代遺産(主に建造物)に緩やかな保護の網をかけるため、1996年の文化財保護法改正で新設された制度だ。第1号の国登録文化財には東大安田講堂などが選ばれている。市町村レベルで登録文化財制度を持っているところは恐らく少ない。近代遺産保護に力を注いできたとは到底思えない福岡市が、なぜ今になって制度新設を思い立ったのだろうか。

 条例改正案は市議会のHPに掲載されているが、これだけでは新設の意図はわからない。担当課(市教委文化財整備課)に電話で尋ねてみたが、担当者が不在とのことだった。仕方がないので、ネット上で情報を探したところ、すでに同様の制度を設けている東京・国立市がHP上で考え方や仕組みを説明しており、導入の目的として以下の3点を挙げていた。

 1.行政区内の文化財を広く把握する
 2.広範囲な文化財の保護
 3.優品主義的な文化認識から、価値観をより広く捉えた文化財保護に対する意識高揚

 あくまでも他市の事例なので、参考情報でしかないが、恐らく福岡市の狙いもそう大きく異なることはないだろう。しかし、この役所は今まで数多くの近代遺産が取り壊されるのを見殺しにしてきた。2002年に解体撤去された旧雁ノ巣飛行場の格納庫(写真)などが良い例だが、歴史ある街なのに伝統的建造物は極めて少ないことが何よりの証拠だろう。産業考古学や建築史などの分野の研究者で、近代遺産に対する福岡市の冷淡な態度を指摘する人は少なくない。

 最近も似たような事例が報道されていた。博多区にあった築100年以上の貴重な町家が取り壊されることになり、これを惜しんだ漫画家の長谷川法世さんらが中心となって博多湾に浮かぶ能古島の公園内に移築した。1000万円を超える移築費用も公園側や法世さんらが工面した。市側は以前に町家を調査し、文化財級との評価を下していたが、指定すると居住者が改修しにくくなるとの理由で見送っていたという。結果として、この町家保存には何の役割も果たさなかったということだ。長谷川さんらが立ち上がらなければ、すでに取り壊されていたことだろう。

 登録文化財制度新設が、遅まきながらもこういった事例の反省に立ってのものならば、それなりに評価されるべきだろうが、私は市の開発サイドに悪用されないかを恐れている。本来は指定文化財として保存すべき物件が(規制の緩やかな)登録文化財にとどめられ、かえって将来の取り壊しの道を開かないか。杞憂であればいい。

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ファルケン先生

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 先日、今年初めてホークス戦(対ロッテ・オープン戦)を観戦してきた。抑えに登場したのはファルケンボーグ。連続三振でとんとんと2死を取ったが、清田に弾き返され、根元に粘られ、まるで馬原を見ているようだった。開幕までにはきちっと仕上げてくるとは思うが。

 その馬原は長期離脱が確実。「4者凡退」と評されるなど、それほど安心感のある抑えではないが、鉄腕ぶりは比類なかった。だからこそ、日本人最速150セーブを達成できた。今季、ファルケンボーグや森福頼みの試合が増えるのは間違いないが、球威・コントロールとも抜群のファルケンボーグもタフさでは馬原に劣る。連投は難しいのが唯一心配な点だ。

 セ・リーグファンは昨年の日本シリーズで初めてファルケンボーグの恐ろしさを実感したようで、中日ファンの「あんなの打てるか!」という嘆きが心地よかった。ファルケンボーグとホールトンの区別がつかない一部巨人ファンは、無敵のセットアッパーが移籍してきたと聞いて大喜びしているらしい。多分、ネタだとは思うが…。
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ため池整備も縦割り



 福岡市西区で10日、7歳と5歳の兄弟がため池に転落し、兄が死亡するという痛ましい事故が起きた。弟も意識不明の重体という(その後弟も亡くなった)。この事故を受けて市などが11日、ため池317か所の緊急点検を行ったところ、出入り口に鍵がないなど52か所で安全対策上の問題点が見つかったという。

 ため池での事故防止策としては、福岡市も「農業用施設安全対策事業」として毎年フェンス補修などを行っており、決して無策だったというわけではない。しかし、たった1日の点検で52か所もの問題点が見つかったのだから、本当に緊急性のある所から事故対策が取られてきたか、きちんとした検証は必要だろう。

 ただ、フェンスを壊して侵入する釣り人が相次ぎ、補修がいたちごっこの状態だったのは確かのようだ。今回事故が起きた池もフェンスで囲まれていたが、入り口の扉は簡単に出入りできるほど変形していたという。この変形が釣り人が無理やり侵入したためかはわからないが、自分の楽しみのためには子供たちの安全など考えない、少なくとも「鍵を壊せば、子供が入って危険かもしれない」とは考えが及ばない人がいることは間違いない。

 今回のような事故が起きれば、市は管理責任を問われる。壊されたら補修するだけではなく、壊した人間をとことん追及し、彼らの責任も問うべきではないだろうか。事故の責任まで取らせるのは難しいだろうが、先の農業用施設安全対策事業には毎年1000万円前後の公費が投じられており、釣り人が壊したフェンス補修にも多額の血税が使われているのである。弁償ぐらいはさせるべきだろう。

 ところで、この事故を機に福岡市のため池政策を調べていたら、新年度予算案に以下のような項目を見つけた。赤枠で囲った部分だ。2番目の治水池とは聞きなれない言葉だが、これも農業用としては使われなくなったため池のことだ。要するに福岡市は、ため池を「水辺空間として整備する」事業を二つの部局で別々に行っている。いかにも福岡市らしい話だが、こんなものこそ事業仕分けの対象とするべきではないか。写真は水辺空間として整備された治水池の野間大池。


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樋井川の浸水対策

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 福岡市のほぼ中央部を流れる樋井川河口付近で、河床掘削や護岸補強の工事が続いている。同市で近年目立っているゲリラ豪雨による洪水を防ぐのが目的で、川面には多数の作業船が浮かび、なかなか壮観な光景だ。

 工事を行っているのは福岡県で、2010年度から5年がかりで河口から約6km先の中流域まで工事を終える計画だという。事業費は約36億円というから、かなり大がかりなものだ。工事の直接のきっかけとなったのは、2009年7月24日に九州北部を襲った豪雨で、この時は中流域の城南区田島一帯などで172棟が床上浸水、238棟が床下浸水した。流域で1時間100ミリに迫る記録的雨量を観測、下水道からも水があふれ被害を拡大したという。コンクリートで固められ、水を貯める機能がない都市特有の洪水だったようだ。

 現在、工事が行われている河口付近ではこの時被害はなく、県作成のハザードマップ(下図)でも河口付近の浸水被害は予想されていないが、下流から徐々に遡って工事を進める計画らしい。ただ、今年が5年計画の3年目だが、私が見たところ、工事を完了したのはまだ1kmにも満たない。河口付近以外は幅が狭い川なので、恐らく今後はスピードアップするものと思うが、現実に浸水の危険にさらされている地域の住民は気が気ではないことだろう。

 樋井川の浸水を巡っては以前、妙な話を聞いたことがある。江戸時代はこの川をはさみ、右岸が城下町、左岸が郡部だったのだが、大水の際は城下町が浸水することがないよう、左岸が低い構造になっていたという。新今川橋付近から両岸を見比べてみると、確かに左岸の早良区西新側の方が右岸の中央区地行側よりも堤防が高く、その分地盤は低いのではないかと思える(下写真)。

 樋井川の氾濫は、この黒田藩の治水策も何らかの影響を及ぼしているのではないかと疑ったが、ハザードマップを見る限り、浸水想定区域は主に中流域の両岸に広がっており、見当違いだった。浸水想定区域は、川が大きく蛇行する中央区草香江付近に大きく広がっている。蛇行の理由は、黒田藩が城下町を建設した際、川を防衛線とするため流路を人為的に変えたためだ。


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