野方遺跡にある穴

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 吉武高木遺跡に行ったついでに、近くにある野方遺跡(福岡市西区野方)にも足を伸ばしてきた。こちらも国史跡。弥生時代後期から古墳時代前期(約1800~1700年前)にかけての集落跡で、住居跡の発掘現場が一部そのまま残され、それを建物で覆った展示館がある。以前は展示館横に復元された竪穴式住居も2棟(下の写真、遺跡の説明パネルから接写)あったのだが、1994年5月の不審火で2棟とも焼失。今では大きな竪穴だけが残され、写真2枚目のような状態だ。

 遺跡が発見されたのは1973年、住宅地の造成工事中のことで、遺跡の周囲には現在、住宅地が広がっている。遺跡自体は公園としてきれいに整備され、周辺住民の憩いの場になっているようだが、史跡という雰囲気はない。復元住居が焼け落ちた後、市教委は建て直しを検討したとも聞くが、結局は実現しなかった。財源問題もあるだろうが、復元住居は木造カヤぶきという極めて燃えやすい材質だけに、周囲の住宅街に配慮したのかもしれない。

 それにしても文化財がよく燃える街だ。板付遺跡(博多区)でも復元竪穴住居が何度か不審火に見舞われているほか、2000年には福岡城の下之橋御門が焼け、一昨年も名島門など福岡城内で不審火が相次いだ(「福岡城でまた不審火」)。多くは放火やたばこの不始末が原因とみられるらしい。

 野方遺跡に常駐されている管理人の方は火事について「管理にも問題があったので」と話していたが、放火犯相手では対応しようがないだろう。毎年1月26日の文化財防火デーに消火訓練を行うのはどこの自治体でも定番だが、多分福岡市の関係者はどこの街よりも真剣に行っていることだろう。

 野方遺跡・住居跡展示館は年末年始以外を除く午前9時~午後5時開館(入館は午後4時半まで)。入場無料。


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レンゲ畑の吉武高木遺跡

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 最古の王墓と言われる国史跡・吉武高木遺跡(福岡市西区)の公園化整備が今年度から始まる。1984年の発掘当時「早良王国発見」と騒がれ、1993年には国史跡にも指定された貴重な遺跡だが、現在は写真のようにレンゲ畑状態で、ヒバリがのどかに鳴いている。周囲は柵で囲われ、立ち入り禁止だ。

 福岡市がこの遺跡を公園にすると決めたのは1999年12月で、この時は2007年度の完成を予定していた。計画は遅れに遅れ、決定から13年目での着工となるが、人工島をはじめ様々な懸案を抱える福岡市だ。直接市民生活に関わりない遺跡公園の整備は優先順位が低かったのだろう。これはこれで仕方がない。

 同遺跡は弥生時代前期末から中期初頭(約2200~2100年前)の遺構で、飯盛山(写真正面の山)麓の扇状地にある。「王墓」と言われるのは、一部の墓から多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)、銅剣、銅矛、多数の勾玉・管玉といった、まるで三種の神器のような豪華な副葬品が出土したためだ。また、隣接する吉武大石遺跡からは、石剣の剣先が体内に刺さったまま埋葬されたと思われる人物の墓が見つかり、こちらは王に仕えた戦士たちの墓とみられている。青銅器は朝鮮半島製で、半島から渡って来た人々が築いたクニとも考えられているようだ。

 この遺跡群は『漢書地理誌』に「分れて百余国と為る」と記された紀元前1世紀ごろの倭国のクニのひとつと推定されている。これは『日本の歴史2 王権誕生』(講談社学術文庫)に書かれていたのだが、福岡をはじめとする弥生時代の北部九州の墓地遺跡には、この吉武大石のように体内に武器が刺さったままだったり、首がなかったりなど無残な遺体が多いらしい。近畿と違い北部九州には耕作可能な土地が少なく、領土を奪い合った戦乱の激しさを物語っているという。

 公園整備は「遺跡を広く市民に公開する」ためで、今年度から3期に分けて、芝生広場・甕棺ロードの整備や弥生時代の風景を再現する地形造成などが進められる。今年度は1期工事として芝生広場が整備され、この部分は先行して来年度には一般公開される。1999年計画で予定された集落復元などは今回の計画には含まれていないようだ。



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ムクドリはどこに行った?

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 ふと気付いたのだが、ムクドリはどこに行ったのだろう。福岡市早良区西新1・2丁目の街路樹(写真)に、毎日夕暮れ時になるとムクドリの大群が現れ、ギャーギャー大騒ぎしていたのだが、最近はまったく見かけない。街路樹はイチョウで、今は当然ながら完全に落葉している。ムクドリは5~11月はケヤキやイチョウなどをねぐらにし、葉が落ちる冬は竹林に移るらしいが、西新近辺に竹林などない。どこで冬を過ごしているのだろうか。

 地元紙に2月、JR博多駅筑紫口一帯にムクドリの大群が現れるという記事が載ったのを思い出し、4日夕に周辺を歩いてみたが、1羽も見かけなかった。記事には福岡県の合同庁舎付近が特に多く、道路はフンで汚れていると書かれていたが、すでにどこかに移動したのか、痕跡を見つけることさえできなかった。

 ムクドリはもともとは田んぼの害虫を食べる益鳥だったらしいが、次第に外敵から狙われにくい都市を棲み家にするようになり、鳴き声による騒音被害やフン害を嫌う人間との間で軋轢が生じるようになったという。東京のベッドタウンとして知られる千葉県の市川市や習志野市などでは駅前などに何千羽単位の巨大な群れが住み着き、行政側は駆除に躍起になっていたらしいが、結局はいたちごっことわかり、最近では共生を模索しているとも聞く。

 福岡の場合は大きな群れと言っても、博多駅でせいぜい1000羽(地元紙報道による)、西新では数十羽~数百羽程度で、私が知る限りではムクドリの群れを問題視する声は聞かれなかった。だから、福岡市の群れは人間に追い出されたのではなく、ムクドリたちが自ら住み良い場所に移動しているだけだとは思うが、渡り鳥でもないのに、あれだけギャーギャー騒いでいたのがまったく姿を消してしまうと少々気にかかる(大陸では渡り鳥らしいが、日本では一年中いる留鳥となっている)。

 しかし、面白いと思う。夏の間にムクドリが集まる西新の街路樹近くには有名な進学塾がある。ムクドリの鳴き声がどの程度の騒音だったかはわからないが、ちょうど受験勉強の追い込み時に当たる晩秋から冬の時期、ムクドリはこの場所からいなくなってくれる。もちろん、自然の習性に過ぎないわけだが、これはこれで街と鳥との共生のようにも思える。
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