博多大水道

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 福岡市博多区を流れる博多川岸の遊歩道に、以前はこの川に注いでいた「博多大水道」の説明板がある。ちょうど博多リバレインの横の辺り。博多大水道とは、博多川と石堂川との間を結んでいた石積みの人工水路だ。築かれた時代や目的については諸説あるようだが、「江戸時代に造られた下水道」説が支配的らしく、説明板にもその趣旨のことが書かれている。一方で、元寇の時代に防御用の濠として築かれたと唱える研究者もいる。どちらの説が正しいにせよ、博多の街の歴史を伝える重要な構造物だったことは間違いない。

 説明板にも書かれているが、明治時代、大水道の上には大きな石蓋がかぶせられ道路が造られた。この道の両側に次第に商店が立ち並び、出来上がったのが寿通商店街。一時は商都・博多の中心としてにぎわったというが、1990年代には寂れた古いアーケード街となっており、往時の面影は残っていなかった。ここを再開発して建設されたのが博多リバレインで、工事に先立ち1996年に行われた発掘調査では大水道の遺構が東西25mにわたって確認されている。水路の幅1.4m、深さ1.3mで、30~80cm大の花崗岩や玄武岩質の割石が丁寧に積み上げられていたという。

 先日、リバレインを起点に、大水道が通っていたと思われるルートを歩いてみた。道路には水道管やガス管のマンホールが多数あり、一方で道の両側には側溝があった。大水道の暗渠が生きているのならば、側溝は必要ないはずなので、リバレイン以外の場所でも恐らく完全に埋め立てられているのだろう。石堂川への出口があったとされる博多区上呉服町の本岳寺、入定寺の辺りでは川の護岸を見て回ったが、何の痕跡も見つけることは出来なかった。

 大水道の石蓋1枚が櫛田神社境内に残されている(一番下の写真)が、考えてみれば、これは明治時代のものだ。築造当初の遺物ではない。リバレイン建設に伴って跡形もなく取り壊されたであろう石積み水路は、極めて貴重な遺構だったはずだ。現地保存は無理でも、何とか別の場所に移して残す方策はなかったのだろうか。

 何度も指摘してきたが、福岡市というところは自身の歴史には無頓着で、だから長い歴史を持っている割には文化財級の建造物などは驚くほど少ない。戦火のためばかりではないだろう。守るべきものを守ってもいないのに、存否さえはっきりしない福岡城天守の建築などを平気で口にする人たちが市長を含めて数多くいる。不思議で仕方がない。


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時効事件の現場


 写真は、福岡市中央区天神の某デパート地下に通じる階段踊り場だ。この場所で1988年9月2日の夕方、近くの会社に勤めるOLが若い女に刺殺される事件が起きた。被害者と女が立ち話をしているのが目撃されており、女は犯行後、タクシーに乗って逃走した。その後の福岡県警の捜査で、被害者はこの日、知人女性(以下、Aと表記)と待ち合わせをしており、容疑者の女がタクシーを降りたのはAの自宅近くだったことがわかった。事件の触りだけを読めば、容易に解決できそうに思えるが、警察はついに容疑者を逮捕できず、事件から15年後の2003年9月2日、時効を迎えている。

 この事件は「天神OL殺害事件」とも呼ばれている。被害者が待ち合わせをしていたAに対しては警察側も重要参考人として事情聴取を行っているが、Aは「天神で被害者を見かけたが、会ってはいない」と事件との関わりを否定したという。疑問に思えるのは、警察がこの時点でAへの捜査をいったん打ち切っていることだ。Aに対する再度の事情聴取を警察が決断するのは事件から14年後、時効前年の2002年。だが、この時、Aは行方知れずとなっており、結局所在さえつかめないままに終わっている。

 なぜ、事件が起きた1988年時点で、Aに対する徹底した捜査がなされなかったのだろうか。事情聴取で自供も物証も得られなかったためだろうが、警察側が非常に簡単にあきらめた(と思える)理由は想像できないでもない。当時の新聞記事を見ると、被害者のOLは退社前、同僚に「これから人と会うが、ノイローゼの人なので本当は嫌だ」という趣旨のことを漏らしていたという。さらに記事はAが後に入院していたことを報じている。入院の理由について記事は言及していないが、恐らく精神科系の病院に入っていたものと想像される。

 天神OL殺害事件が起きた1988年には、福岡県警にとってもう一つ重大な事件が起きている。この年の5月、現職の警部補が自らの拳銃を持って金融機関に押し入ったというものだ。動機は愛人のフィリピン人女性に「祖国の両親に家を買って」とせがまれ、金を工面するためだった。この事件後、県警の威信は地に墜ちていた。私の勝手な想像に過ぎないが、県警に対する県民の厳しい視線の中で、精神を病んだ若い女性に対して厳しい取り調べを行い難い雰囲気があったのではないだろうか。

 現場の階段踊り場があるのは、九州一の繁華街と言われる天神の一角だ。周囲には多数の人が行き交っているのに、この場所だけは不思議なほど人気がない。事件の目撃者もそれほど多くはなかったようだ。都市の死角とは、このような場所を言うのだろう。後味の悪い事件だ。
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力丸ダム保険金殺人

 福岡県宮若市(旧・若宮町)にある犬鳴峠や力丸ダム一帯は心霊スポットとして有名な場所だ。空恐ろしい都市伝説がネット掲示板では今も語られているが、私が子供の頃、力丸ダムはむしろ明るいイメージの場所だった。ダム湖畔にスケート場があり、ここが大変な人気を集めていたからだ。スケート場は、福岡市内にも天神の福岡スポーツセンター(跡地はソラリアビルになっている)などがあったが、力丸スケート場は九州では珍しい野外スケート場だったうえ、筑豊の山中にあり気軽には行けない分、福岡の子供にとっては憧れの場所だった。夏はプールとして営業しており、「千人プール」の名前で記憶している人もいるかもしれない。

 スケート場がいつまで存続していたのかはっきりしないが、2003年発行の『若宮町誌』には「筑豊の数少ないレジャー施設として、一時は大変な賑わいをみせた。(中略)そのほとんどが閉鎖され…」とある。執筆から発行までのタイムラグを考えれば、2003年のかなり以前に閉鎖されていたと思われる。跡地は放置され、凄まじいまでの廃虚と化し、これが心霊スポット化に一役買った。だが、ネット掲示板で話題となった最大の要因は、一帯で凶悪事件が多数起きたことだろう。最も有名な事件と言えば、1988年12月に犬鳴峠で起きた不良少年4人組による工員男性焼殺事件だろうが、力丸ダムでも1979年11月、2人が犠牲となる保険金殺人が起きている。

 暴力団会長の男が妻に約2億円の保険金をかけたうえで、車ごとダム湖に転落させ殺害したという事件だ。恐らく1974年に起きた別府3億円保険金殺人の手口を真似たのだろう。運転していたのは3000万円の報酬で雇われた知り合いの男で、自力で脱出する手はずだったというが、転落の衝撃が予想以上に大きかったのか、運転の男も水死した。犯行当日は、なじみのホステスらの誕生会を湖畔で開いており、男は「母親にも料理を食べさせたいので迎えに行ってくれ」と妻を欺き、車に乗せたらしい。

 事件直後、警察は交通事故として処理している。だが、男が莫大な借金を負い生活費にも事欠いていたのに多額の保険料を支払っていた――などの理由から、最初から保険金殺人を疑っていたようだ。翌年、共犯の組幹部とともに逮捕され、この幹部が犯行を全面自供した(裁判では供述を二転三転させるが…)。

 男は一貫して無実を訴えたものの、1、2審とも無期懲役判決が下り、1994年には自ら上告を取り下げた。この時、46歳。取り下げの理由は犯行を認めたからではなく、「自分の主張が通らない刑事裁判に絶望した。体力があり、社会復帰の可能性があるうちに服役する」というものだったらしい。無期懲役と言いながら、以前は十数年の服役で仮釈放が認められるケースもあり、これに期待をかけたのだろう。

 しかし、現在では無期懲役刑は限りなく(仮釈放制度がない)終身刑化していると指摘されており、運良く仮釈放が認められた者の平均在所期間も30年を大きく超えている。男は現在、64~5歳となっているはずだが、最近の傾向に従えば、仮釈放が認められるにしても十数年は先のことだろう。

 犬鳴峠や力丸ダム一帯は実は風光明媚な場所であり、心霊スポット騒ぎや都市伝説を地元の人は苦々しく思っているという。
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福岡に昔パンダが来た


 殺人・遺体切断事件が起き、容疑者が女性であった場合、マスコミからは毎度毎度「女性1人で可能な犯行か?」という疑問が出される。だが、過去の事件を見れば、愚問であることがわかる。1994年に福岡で起きた美容師殺害、2006年に東京で起きたサラリーマン殺害…。どれも女性1人による犯行だ。1980年に福岡市南区で起きた事件も同様のケースだ。当時、20代後半の主婦が夫を殺害、遺体を隠すために切断したという事件。概要を新聞の縮刷版で調べてみたが、主婦が遺体切断に使ったのは古い出刃包丁1本。子供が寝静まった深夜などに作業を行い、3日掛かりで16の部位に切断したという。

 当時の記事によると、殺害された夫は普段から酒を飲むと暴力をふるったり、暴言を吐いたりしており、事件当日の1980年5月4日も酔って未明に帰宅し、主婦を罵って寝入ったという。2人の間には3人の幼児がいたが、主婦は「このままでは子供たちが不幸になる」と思い詰め、衝動的に寝ている夫を殺害したらしい。

 ここまではありがちな事件だが、犯行後の主婦の行動力は恐ろしいばかりだ。遺体切断はもちろんだが、これを隠すための冷蔵庫を買い求め、さらには「これからは自活しなければならない」と就職先を決め、子供たちを保育園に入れる手続きまで行っていたという。また、この修羅場の中、親子4人で福岡市動物園にパンダ<注>を見に行くことさえしている。夫殺害はゴールデンウィーク中の出来事。パンダを見に行くのは子供たちとの以前からの約束だったのだろうか。

 主婦は結局、遺体と暮らす恐ろしさに耐えきれなくなり、犯行から約1週間後、父親に付き添われて自首する。私が読んだ記事には夫婦の馴れ初めまで書かれていたが、二人が知り合ったのは事件の約10年前、主婦が都内の名門音大に入学するため上京中の列車内だったという。親切に荷物を持ってくれたのが後に夫となる男で、二人はそのまま都内で同棲生活を始め、大学はわずか2か月で中退している。だが、男は酒乱で仕事も長続きしないような人間だった。何度か別れを切り出したが、「どこまでも付きまとってやる」と脅され、やむなく男に従い各地を転々。そして、最悪の結末…。さして長くもない新聞記事だったが、一人の女性の半生を濃密なまでに見せられた気分だった。

 <注>事件が起きたちょうどこの年の3~6月、福岡市動物園には姉妹都市の中国・広州市から2頭のパンダが貸し出されていた。名前は「シャンシャン」と「パオリン」。上野動物園に当時いた2頭よりも年上で、「白と黒」と言うより「灰色と黒」に近いカラーリングだったが、立派な体格の堂々としたパンダだったと記憶している。パンダの帰国間際、私も友人たちと男ばかり十数人で見に行き、周囲の家族連れから奇異の目で見られた。
 写真のパンダは1996年に上野動物園で撮影した。当時上野にいたのはホァンホァンとトントンのはずだが、どちらだったかは覚えていない。
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板付基地で米軍機炎上


 小学校低学年の頃(昭和40年代)、米軍機を見るために板付基地(現在の福岡空港)に自転車でよく通っていた。F4ファントムが九州大に墜落するなど、福岡の空を米軍機が当たり前のように飛んでいた時代で、現在の沖縄と同様、激しい基地反対闘争がこの地でも繰り広げられていた。とは言っても、こちらは年端も行かない子供。基地に対しては「戦闘機がカッコいい」程度の印象しか持っていなかった。

 板付基地があったのは隣の校区で、自転車で行くのは低学年の子供にとって結構な冒険だったが、私みたいな戦闘機ファンの子供は当時意外に少なくなかった。轟音に耳をふさぎながらフェンス越しに離陸を見守っている者があちこちにいた。ファントム以外でもF86セイバーだのF104スターファイターだの戦闘機の名前に詳しい者も多かった。また、私自身は経験していないが、米兵からチョコレートを一箱もらったと自慢している者もいた。まるで終戦直後のような風景が当時の板付周辺にはあったのである。

 タイトルの米軍機炎上事件も、そんな時代に起きた。板付基地返還に伴い、米本国へ引き揚げを始めた米軍のRF101偵察機の1機が離陸に失敗、滑走路内で炎上したというものだ。改めて調べてみると、事故が起きたのは1969年(昭和44年)4月22日。ファントムの九大構内墜落事故の翌年に当たる。この当時、夕方のニュースで事故を知った私は、翌日学校が終わると自転車で板付基地に急いだ。滑走路の脇に真っ黒に焼け焦げた米機があったのを強烈に覚えている。

 この事故では幸い犠牲者は出なかったが、滑走路は一時、火の海となったらしい。市街地に米軍基地がある恐ろしさを今にして感じるが、考えてみれば、米軍基地でなく民間空港であっても同様の事故は起こり得る。福岡空港は世界でも有数の便利な空港と言われるが、飛行機が年間に14万回も離着陸するような大空港が市街地のド真ん中にあって良いものか、少々疑問に感じないでもない。

 福岡空港には現在も米軍施設があり、年間に100回程度は米軍機が離着陸している。
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藤崎遺跡

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 福岡市早良区藤崎の国道沿いの場所で9月10日まで、マンション建設に伴う埋蔵文化財の発掘調査が行われている。弥生時代の甕棺墓5基や江戸時代や近代の井戸跡などが出土している程度だが、滅多に見る機会がない発掘調査が、バス停脇の人通りの多い場所で行われているとあり、ちょっとした注目の的になっているようだ。

 藤崎一帯には古代の大規模な墓地遺構が眠っており、市営地下鉄建設などに伴って行われた過去の調査では、弥生時代の甕棺墓100基以上や古墳時代の方形周溝墓などが見つかっている。隣接する集落遺跡・西新町遺跡と時代的に完全に一致しており、西新町遺跡住民たちの墓地であったとみられている。

 西新、藤崎周辺は文教地区であるうえ、交通や買い物の便も良く市内有数の人気住宅地となっている。空き地が出来れば、マンションが建設されるケースもいまだに多いが、地下には概ね遺構が眠っているのだから、ほぼ確実に埋蔵文化財調査が行われることになる。調査費用は、役所ではなく開発業者や土地所有者の負担だ。

 今回のケースの調査期間は3ヶ月間。写真でもわかるように、20人近い作業員が働いている。彼らの日当だけでもバカにならないことだろう。これらの費用がマンションの分譲価格、あるいは賃貸価格に上乗せされるわけだ。この辺りのマンションが福岡には不似合いなほどバカ高いのは、それでも需要の多いことが一番の理由だろうが、文化財調査の費用負担も無関係ではないと思う。
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