今も身元不明


 福岡市博多区石城町で今年3月18日夜、ジョギング中だったとみられる女性が車にはねられ、死亡する事故があった。不思議なことだが、事故から9ヶ月以上がたった今も女性の身元は不明らしく、博多警察署のホームページには情報提供を呼び掛けるチラシが掲載されている。

 チラシの情報を抜粋すると、女性は30~40歳位で、身長は154cmほど。腹部には手術痕があった。服装は黒のジャンパー、灰色のウインドブレーカーズボン、灰色の運動靴で、所持品は腕時計、ブレスレット、鍵束(シリンダー錠と自転車の鍵)。チラシには鉛筆画らしき似顔絵も掲載されているが、風貌は日本人、少なくとも東アジア系には見える。

 警察側は服装と所持品から「ジョギングもしくはウォーキング中に事故に遭った」と判断している。つまりホームレスではない。事故現場からそんなには離れていない場所に住まいがあったのは確実だろう。最近は石城町や、那の津通りを挟んだ大博町近辺にはマンションやアパートが建ち並んでいる。管理会社などに「突然、失踪した住人がいないか」と片端から問い合わせれば、何らかの情報が得られる気がするが、素人が思いつくことなど警察はすでに行っていることだろう。

 DVや犯罪絡みで福岡に逃れ身を潜めて暮らしていたのか、あるいは不法滞在の外国人か。人間一人が突然消えたのに、家族や友人、職場の同僚など誰一人として不審に思わない環境を想像すると、つい極端なケースが思い浮かぶが、今の社会では意外に普通に起こり得る出来事なのだろうか。

 福岡県警のホームページには2006年以降に県内で見つかった身元不明死者の情報が掲載されているが、その数は7年間で計109人に上っている。発見時の状況からみて、多くはホームレスであるようだが。
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セアカゴケグモ対策

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 福岡市でのセアカゴケグモの駆除数が9、10月の2か月間で4639匹に上ったと市が公表した。大半は同市東区の人工島(写真)や香椎浜、隣接する千早、名島地区などでの発見だが、10月には初めて中央区、早良区でも確認されている。市の発表資料には「個体数が少ない等から、何らかの要因で運ばれたセアカゴケグモが、スポット的に発見されたものと推察される」とあり、危機感は薄いようだが、この毒グモが日本で初めて見つかった大阪府では、相当のスピードで生息域を広げていった。のんきに構えていると、他自治体の恨みを買うことになるかもしれない。現に古賀市ではすでに生息が確認されている。

 セアカゴケグモはオーストラリア原産で、福岡市で初めて見つかったのは2007年10月、場所は人工島のコンテナターミナルだった。島内にある中央公園で、市は今年9月までの4年間で計8200匹を駆除しており、人工島が一大生息地となっているのは間違いない。ところが、その事実を市は隠していた。「市民に不安を与えたくなかった」という理由らしいが、市民の安全を考えるならば、大阪府のように「庭いじりなどの際は気を付けて」などと積極的に注意を促すべきだった。ただでさえ土地が売れない人工島の商品価値を下げたくなかったのだろう、と疑われても仕方がない。

 大阪府の場合、府南部にある高石市の港で1995年11月に初めて見つかり、その後、南部沿岸部でベルト状に生息域を拡大していった。昨年5月には、セアカゴケグモの空白地帯だった北端の能勢町でも見つかり、ついに府下全43市町村すべてに広がった。一部研究者がクモが多数確認されていた地域の駐車場で調べたところ、少なくない車にクモが付着していたという。人間の移動に従って生息域を広げていったのは確実だろう。また、本来は寒さが苦手のクモだが、側溝の蓋の裏や空き缶の中などで越冬しているらしい。スポット的な発見であっても、甘く見ることができないのは明らかだ。

 人工島では9月、クモにかまれた女性が病院に運ばれる事件が起き、これを受けて市は11月にセアカゴケグモ対策の行動計画をまとめている。市民への積極的な啓発活動、生息域拡大防止のための生態調査や駆除方法の研究などが柱だが、正直、後手に回ったという感じは否めない。

 すでに大阪という先行事例があったのだ。生態調査についても大阪府立公衆衛生研究所がかなり詳細に行っており、これを参考に、人工島で初めて見つかった2007年の時点で取り組むべき事柄だったのではないだろうか。むしろ、大阪が生息域拡大を阻止できなかったことから、「福岡でも無理だ」と早くから対策を諦めていた節もある。もちろん、対策が後手に回った責めは前市長が負うべきだろうが。


 <2013年1月24日追記>中央区舞鶴公園(福岡城址)で21日、自販機にいたクモに男性がかまれ、入院する事件が起きた。男性の証言によると、クモにはセアカゴケグモのような赤い模様があったという。これを受けて福岡市は公園内の探索を行ったが、クモは見つからなかったらしい。しかし、膨大な数の石垣が残る公園である。石垣のすき間に隠れたクモを簡単に発見できるものだろうか。クモがセアカゴケグモだったとしたら、活動が活発になる春は要注意だろう。
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貴重建築だった門衛所

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 九州大箱崎キャンパス(福岡市東区)の校舎群を近代建築物として評価する試みが行われた<注>。建築家や九大の研究者らが、各建築物の歴史・建築学・文化的価値と再活用のしやすさを計100点満点で評価したところ、1、2位は旧工学部本館(94点)、本部第一庁舎(92点)という九大のシンボル的建物が順当に占めたが、84点と評価され3位に入ったのは意外な建物だった。正門門衛所(写真上)。現代風に言えば、警備員の詰め所だ。レンガ造りの小さな建物(広さ34平方m)だが、見た目以上に貴重な建築物だったようだ。

 門衛所は1914年(大正3年)完成で、現存する九大の建築物の中では最も古い。今年で築98年。九大百年の歴史の大半を見守ってきたわけで、この点が高評価の一因なのだろう。ちなみに、上位に入った他の建築物の完成年は、旧工学部本館が1930年(昭和5年)、本部第一庁舎、評価第4位の保存図書館(83点)、5位の本部第三庁舎(81点)、6位の旧法文学部本館(80点)はすべて1925年(大正14年)。

 門衛所の設計者は不明らしいが、上に挙げた残る五つの建築物はすべて九州帝国大の初代建築課長だった倉田謙の設計と伝えられている。下の写真は順に、旧工学部本館、本部第一庁舎、保存図書館、本部第三庁舎、旧法文学部本館だが、塔屋を中心に左右対称のデザインであることが共通している。建築に関してはまったくの素人なので無責任な発言になるが、その視点で見ると、門衛所も“倉田様式”に見えなくもない。倉田が建築課長の職にあったのは1918年(大正7年)からだが、文部省技官として明治末年から九大の建築に携わっていたとされ、仮に門衛所の設計が倉田であっても時代的な不都合はないようだ。

 一人の建築家が手掛けた建築物がこれだけ集中して残っているのは極めて珍しい例らしく、その意味でも箱崎キャンパスの校舎群は貴重な文化財と言えるだろう。しかし、古い建築物である分、評価報告は各建築物の耐震性に懸念を示しており、旧法文学部本館に至っては「老朽化が著しいため、寿命に達している」とまで指摘している。個人的には極力多くの建築物を保存して欲しいと思うが、現実には極めて厳しいかもしれない。

 <注>九大と福岡市は今年3月から、「九州大学箱崎キャンパス跡地利用将来ビジョン検討委員会」を作り、九大移転後の箱崎キャンパス活用策を話し合っている。その参考とするため、キャンパス内に多数残る近代建築物の客観的評価を作業部会(6人)で行った。評価報告は福岡市公式サイトに掲載されている。


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社民党、九州・沖縄で延命


 16日投票の総選挙で、社民党が2議席を獲得した。沖縄2区で照屋寛徳氏が議席を守ったほか、比例選九州ブロックでも1議席を死守、大分2区で落選した吉川元氏が復活当選を果たした。「社民党、消滅秒読み?」の中で、九州ブロックの1議席死守は極めて厳しいと予想したが、九州・沖縄の有権者はまたも社民党の延命を望んだようだ。

 同党が比例選九州ブロックで獲得した票は約30万票。「社民党、消滅秒読み?」でも書いたが、過去の総選挙では1議席獲得のために32~33万票が必要だった。だが、今回は投票率が落ち、さらには政党乱立で票が分散したため、このハードルが若干下がった。地方組織の弱体化が進んでいる同党にとっては、これが幸いしたかもしれない。また、党首の福島瑞穂氏は全国遊説を九州・沖縄で締めくくったが、この戦略も功を奏したと言うべきだろう。

 比例選の他ブロックの状況を見ると、社民党が議席を争うだけの票を獲得した地域はまったくなかった。得票はもはや“諸派並み”だ。この政党の訴えが今も一定の支持を得ている九州・沖縄は、全国的に見て特異な存在となりつつある。福島氏も宮崎の出身であり、あるいは社民党は今後、九州・沖縄のローカル政党として細々と命脈を保っていくのだろうか。
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社民党、消滅秒読み?

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 衆院選が公示され、6日の新聞各紙朝刊には早くも選挙情勢調査の結果が掲載されていた。各紙とも見出しはほぼ共通している。「自民単独過半数の勢い」。自公2党では300議席を超える可能性があるという。共同通信と朝日新聞の調査がそれぞれ各政党の議席予想を出していたので、これを紹介すると――。(カッコ内は解散前の勢力)

【共同通信】
民 主(230) 57-69-82
自 民(118) 280-293-306
未 来(62)  10-15-20
公 明(21)  25-27-31
維 新(11)  38-46-54
共 産(9)  7-8-9
みんな(8)  12-15-19
社 民(5)  1-2

【朝日新聞】
民 主 68-81-95
自 民 257-272-285
未 来 9-14-20
公 明 27-31-35
維 新 42-49-57
共 産 5-7-9
みんな 11-18-23
社 民 1-2-4

 この数字を見て、社民党の消滅が秒読み段階に入ったと思った。獲得議席予想は、社民党に甘いはずの朝日新聞でも最大4。共同通信に至っては、どんなに頑張っても2議席どまりだと予想している。両社とも場合によっては1議席、具体的に言えば、沖縄2区の照屋寛徳氏しか当選しないケースも想定している(両社が個人名を出しているわけではないが、情勢記事を読み込むと特定できる)。つまり本土から社民党衆院議員が消えてなくなる可能性があるということだ。

 社民党は参院に4議席を持っているので、照屋氏だけでも当選できれば、国会議員5人以上という政党要件は辛うじてクリアできる。しかし、来夏の参院選では4人のうち2人が改選を迎える。現在の党勢を考えれば、議席を守ることは容易ではないだろう。それ以前に、仮に衆院議員が照屋氏ひとりになれば、院内会派も作れず、無所属扱いとなる。どうやって政治力を維持していこうというのか。原発やTPP問題で主張の近い未来と院内会派を組む方策はあるが、どちらにしても埋没は必至だろう。

 今回の総選挙直前の11月、党首の福島瑞穂氏と犬猿の仲だった阿倍知子氏は離党、未来の副代表に納まった。党幹事長として福島氏を支えてきた大分2区の重野安正氏は病気により不出馬に追い込まれた。本人は病床から意欲を見せていたというが、党県連が主導し候補を彼の政策秘書に差し替えた。大分は社民の地方組織が今も一定の力を持つ全国でも稀有な地域だが、地元と縁の薄い政策秘書が戦えるほど甘いものではないだろう。相手は自民党の閣僚経験者と共産党きってのイケメンだ。

 議席を守るであろう照屋氏は阿倍氏と同様、アンチ福島の立場だったと記憶している。小政党であるがゆえに、人間関係がのっぴきならないほど悪化し、自滅していく可能性もあると思っている。昔は大いに期待し、反動で今は最も嫌いな政党だけに、その行く末を注視している。

     ◇   ◇   ◇

 <12月12日追記>毎日新聞の情勢調査(8~10日に実施)でも社民党衆院議員が本土から消え失せる可能性が報じられた。同紙の社民党獲得議席予想は小選挙区が1、比例選が0~1。小選挙区で議席を得る可能性が高いのは、やはり沖縄2区の照屋氏。また、比例選で議席を得る可能性が辛うじて残っているのも沖縄を含む我が九州ブロックのようだ。

 九州ブロックの定数は21。ご存知のように、比例選の議席は、各党の総得票を整数で割り、多い順に割り振っていく。前回2009年の場合、21番目に滑り込んだのは自民党の7議席目で、票数は33万6000票あまり。前々回2005年の際も21番目は自民党の9議席目で、この時は約32万票だった。従って1議席を獲得するには、概ね30万票以上の得票は最低でも必要と思われる。

 社民党が前回獲得したのは48万票あまりで、今年もそのぐらいの数字が得られれば、議席死守は可能だ。だが、同党の得票は長期低落傾向にある。2000年には93万票以上を獲得していたが、前回はほぼ半分にまで落ち込んでいる。地方組織の弱体化で今回も票が大幅に減る可能性が考えられるうえ、主張の似た未来に票が流れるケースも想定される。個人的には九州ブロックの1議席も極めて厳しいと予想している。
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愛国の雄叫び40年


 ●河野孔明に投票したことがある

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「ご当地の踏み絵」の宮崎人チェックのコーナーにこんな項目がある。河野孔明氏とは、1980年頃まで宮崎知事選、東京都知事選、参院選など様々な選挙に立候補を続けていた人物で、一度も当選はしていないが、宮崎ではちょっとした有名人だったらしい。ウィキペディアにもこの人の解説ページがちゃんとあるほどだ。

 当時を知る宮崎人によると、長いあごひげが特徴的な人物で、風貌にちなんでかヤギを連れ歩く姿を宮崎市内でよく見かけたそうだ。「選挙運動もヤギと一緒だった」という証言もあるが、こちらは信じ難い気がする。ウィキペディア以外の情報はないかと新聞の縮刷版をめくっていたら、参院選に出馬した際の選挙広告があった。キャッチフレーズは「愛国の雄叫び40年!」という味わい深いものだった。

 今総選挙の小選挙区立候補者1294人の顔ぶれを見ると、大半は政党の公認候補で、河野孔明氏のように徒手空拳で選挙戦に挑んでいる人は極めて少ないように思える。ネット掲示板で話題となっている埼玉4区の28歳無職候補が異質なぐらいだろうか。無職の候補はほかにも東京2区に出馬している(こちらは57歳)。

 小選挙区に立候補するための供託金は300万円。自分の得票が有効投票の10%に満たなければ、供託金は没収されるのだから、出る以上は相応の覚悟がいる。このあたりが供託金不要の町村議選とは違う。

 供託金ゼロであるがゆえに、昨年の長崎県・長与町議選(定数20)で信じられないような出来事があった。立候補者が締め切り直前まで19人しかなく、「無投票になるのならば」と、ある男性が無職の息子(27歳)の立候補を届け出たのだ。体よく就職口が見つかったという考えだったのだろう。ところが、「無投票は良くない」と別の立候補者が現れると、先の男性は息子の立候補を土壇場で取り下げ、結局、町議選は無投票となった。

 町議会に対するこの親子の歪んだ認識にはあきれるほかないが、ここまで甘く見られた議会側にも何かしらの責任があるのだろう。「誰でも簡単に務まる職場」としか思われていないのは明らかなのだから。(法定得票と供託金没収点を誤っていたので修正した)
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西鉄バスの改心

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 転勤で福岡に戻ってきて10数年になるのだが、ずっと感じていることがある。西鉄バスがおかしいのだ。都市高速を爆走していない。一般道では下手したら法定速度程度で走っている。客の鼻先でドアを閉めるのが運転手の習性だったはずだが、最近ではバス停に走ってくる客を待っているケースが結構ある。それどころか、車いすの乗り降りを運転手が手伝っていることすらある。どれも“普通のバス会社”ならば当たり前の光景だが、昔の西鉄バスしか知らない人間には信じがたいことだろう。

 私が西鉄バスをよく使っていたのは1970~80年代だが、当時の運転手の質は本当にひどいものだった。暴走運転や利用者への暴言は日常茶飯事。当然、西鉄バス絡みの事故が頻発していた。また、朝夕の時間帯に限って、道は空いていてもわざとノロノロ運転をする輩も多かった。超過勤務手当てが狙いだったのだろうか。この体たらくで、毎年のように運賃値上げを行っていたのである。

 こんな事件があったことも覚えている。博多駅のバスセンターで何人もの乗客が待っていたのに、虫の居所が悪かった運転手がこれを無視、ドアを開けることなく発車してしまったのだ。運転手が気分次第でバス停を素通りすることなど当時は珍しくもなく、私も何度も苦い目に遭っている。ただ、先の博多駅事件は最終バスだったため、乗れなかった乗客たちもさすがに黙っておらず、翌日には新聞やテレビで大扱いされることになった。

 福岡市内の路線バス事業を寡占し、今も昔も殿様商売の西鉄だが、この頃は会社の傲慢な体質が運転手一人ひとりにも染み込み、西鉄バスの存在そのものが福岡の街をますます住みづらいものにしていた。

 その西鉄バスの体質が、福岡を10年以上離れている間に変わっていたのである。何があったのだろうか? 当たり前の市民感覚を持った人間が経営に携わるようになったのか、それともさすがの西鉄でも反省せざるを得ないような事件でも起こしたのだろうか。後者の可能性が高いとは思うが、その事件は特定できていない。過去の苦い思い出もあり、西鉄バスは極力乗りたくなかったのだが、この改心が付け焼刃でないかを確かめるため、たまには利用しようと思っている。
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よいこの社会科と鶏卵素麺


 博多銘菓「鶏卵素麺」で知られる松屋菓子舗が自己破産を申請したとの報道があった。鶏卵素麺とは安土桃山時代、ポルトガルから製法を伝えられたという歴史ある南蛮菓子だ。糸のように垂らした卵黄を熱い蜜の中にくぐらせて作るらしい。名前の通り、見た目は素麺そっくりで、強烈に甘い。私は大酒飲みのくせに、甘いものも大好きで、日本酒を飲みながら甘納豆をつまんだりできるのだが、そんな私でも鶏卵素麺はあまりの甘さにバクバクは食べられなかった。バクバク食べるものではないのだろうが。

 私が鶏卵素麺の名前を初めて知ったのは、小学校時代の社会科の副読本「よいこの社会科」でだった。この副読本は福岡の歴史や街の様子、産業、交通などを詳しく解説したローカル極まりない代物で、副読本と言いながら、授業は事実上「よいこの社会科」をもとに進められていた。1970年代ぐらいの福岡では、小学3、4年生は社会科の授業で、福岡市内を走っていた西鉄路面電車の路線名や鶏卵素麺、おきうとなどの博多名産品の名前を習っていたのだ。地域を深く知ることは、きっと良いことなのだろう。多分。

 それはともかく、素麺と名前が付いた菓子が当時はどうも想像できなかった。これは進物などとして使われる意外と高級な菓子で、主にお茶の席などで重宝されている。私が育った家庭の生活レベルでは目にする機会がなかったのだ。結局初めて口にしたのは社会人になってからではないだろうか。あまりご縁のあった菓子ではないが、歴史を踏まえれば文化遺産も同然の存在だけに、このまま消え去るのは福岡にとって社会的な損失だろう。何しろ「よいこの社会科」にも出ていたぐらいなのだ。

 ところで、鶏卵素麺と同じく、あまりの甘さにびっくりした菓子がもう一つある。長崎・平戸のカスドースだ。これもやはり安土桃山時代にポルトガルからもたらされたもので、作り方も良く似ている。カステラを卵黄でくるんだ後、やはり蜜の中をくぐらせ、最後にグラニュー糖をふるのだ。強烈な甘さは鶏卵素麺と甲乙付けがたいが、二者択一ならば多分カスドースに軍配を上げるだろう。単体でも十分甘いカステラをフレンチトーストにしたようなものだから。

 写真はシャッターを下ろした博多区上川端町の松屋菓子舗本店。
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