ユリカモメは留鳥化するか

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 福岡市中央区舞鶴公園のお堀にユリカモメの休憩場所ができ、写真のような状態になっている。この場所は「アカミミガメ哀れ」で紹介したハスの再生実験場所で、アカミミガメの侵入を防ぐため網で囲われている。ユリカモメが羽を休めているのは囲いの木枠の上だ。

 舞鶴公園や隣接する大濠公園をはじめ福岡市には毎年、数多くのユリカモメが越冬のためやってくる。市民にとってはおなじみの鳥で、「福岡市の鳥」にも指定されている。河口や干潟に住む小魚や甲殻類が主な餌というが、雑食性も強いらしく、舞鶴、大濠公園では市民が与えるパンの切れ端に群がっている姿をよく見かける。カラスやヒヨドリなどと同様、かなり都市に順応しているようだ。外敵が少ないうえに、温暖で餌も豊富な都市部は野鳥にとって意外に住みやすい場所らしい。

 京都では1974年に初めて越冬が確認され、最初は「海のカモメがなぜ、京都に?」と不思議がられたそうだが、鴨川で乱舞するユリカモメはいつの間にか京都の冬の風物詩ともなった。ところが、近年では大幅に数を減らしているらしい。餌付けの禁止とともに、繁殖地であるロシア・カムチャッカ半島の環境悪化が原因という説がある。営巣地の湿地の乾燥化が進み、ヒグマがやってきては卵やヒナを大量に捕食しているという。いくら越冬地が住みやすくても、繁殖地の環境破壊が進めば、やがては絶滅の危機を迎えざるを得ない。

 ユリカモメの生息数は、湿地や湿地生物の保護活動を進めるNGO、ウェットランド・インターナショナルの推計によると、世界で480万羽から890万羽。大変な数のようだが、減少傾向にあるという。繁殖地を守ることが何より重要だろうが、都市に順応したユリカモメの姿を見ていると、妙な想像も膨らむ。越冬地が暮らしやすいのならば、このまま日本に留まり、都市で繁殖するユリカモメも現れるのではないか、と。ヒヨドリに続いてユリカモメも留鳥化するなど自然の摂理に反することだろうが、黒い頭の夏羽のユリカモメを福岡で見てみたい気もする。
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PM2.5襲来

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 21、22日の福岡市は薄ぼんやりした空模様だった。中国から飛来したPM2.5が大気中に充満していたためだ。福岡県庁のサイトで1時間ごとのPM2.5濃度が公表されているが、21日午前11時以降、環境基準(35μg/m3)を上回る事態が続き、22日はこのブログを書いている午後5時時点で、ほとんどの時間帯で環境基準超えの状況だった。

 濃度が高い日が2、3日続いた程度で直ちに健康被害が出るわけでないらしいが、気分がいいものではない。本当に迷惑な隣国である。しかもこの国の一部新聞は「進出した日本企業が大気汚染の原因」などという馬鹿げた主張をしているらしい。救い難い。

 ところで、福岡市内の測定局の中に「新西」なる場所がある。最初は西新の間違いかと思ったが、「新・西測定局」という意味だった。測定局自体は西区石丸に置かれている(以前、西測定局が早良区祖原にあった)。最初から石丸と記せば、少なくとも福岡市民は場所がわかる。それなのに「新西」などという役人にしか通じない行政用語を、何の説明もないままサイトに掲載している。広く県民に知らせるべき情報でちょっとした配慮さえできない。役人が馬鹿にされるのもわかる。
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『ファビオラ』

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 昔、『ファビオラ』という小説を中学校の図書館で読み、感動した記憶がある。ローマ帝国ディオクレティアヌス、マクシミアヌス両帝時代の殉教者たちを描いた作品で、19世紀、初代ウェストミンター大司教のワイズマン枢機卿によって書かれた。高位の聖職者が作者なのだから全編がキリスト教的価値観で埋め尽くされ、非信者には少し辟易する部分もあるが、歴史小説として非常に優れ、登場人物も魅力に満ち溢れている。現在は絶版。二度と読む機会はないだろうと思っていたが、幸いにも福岡市総合図書館に所蔵されていた。数十年ぶりに読み返すことができたが、やはり面白い作品だった。

 図書館にあったのは1973年12月に中央出版社(キリスト教の書籍を発行している現・サンパウロ。CMが放映されている教材会社とは全くの別会社)から発行された改訂初版。この図書館の蔵書は鉛筆やボールペンで赤線が引いてあったり、コーヒーらしきもので汚されていたりで不愉快になることが度々あるのだが、40年前に出版されたこの本は非常にきれいな状態だった。現在は閉架書庫に収められ、希望しないと手に出来ないことが第一の理由だろうが、この本が書棚にあった昭和時代、図書館の本を大事にするという当然のモラルがまだあったのだろう。

 作品について簡単に紹介すると、題名のファビオラとはローマの貴族階級に属するヒロインの名前だ。他の登場人物は聖アグネス、聖セバスティアンらカトリックで聖人として崇められている実在したとされる人物たちで、ヒロインは聖アグネスの従姉と設定されている。ファビオラは正義感にあふれる若い女性だが、お嬢様育ちのため傲慢なところもあり、キリスト教とは野蛮な宗教だと軽侮している。彼女がアグネスらの殉教や奴隷娘シラ(ミリアム)の誠実さに触れ、次第に信仰に目覚めていくというのが極めてざっとした粗筋。ヒロインを除く登場人物の大半は次々に殉教していく。このあたりは好き嫌いの分かれるところではあるだろう。

 ワイズマン枢機卿は、イングランドでカトリックが復興した時代の人物で、「べた過ぎる」殉教物語は英国民を宗教的に啓蒙する意味合いもあったのだろうか。現在では「差別語」とされている言葉が満載され、現状のままでは再出版不可能だろう。何とか改訂版を出して欲しいものだ。
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続・陸軍が掘ったペグマタイト

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 戦前から戦中にかけて、福岡市西区今宿の長垂山で陸軍がペグマタイトを採掘していた話を昨年10月に書いた(「陸軍が掘ったペグマタイト」)。陸軍が欲しがっていたのはリシア雲母に含まれるリチウムだが、何に利用していたかは現在となっては不明らしい。何とか突き止められないかと、その後も色々資料を物色していたのだが、二つばかり関係ありそうな情報が得られた。結論から言えば、一つは完全に見込み違いだったが、面白かったので顛末を書いておきたい。

 一つは前回にも書いたリチウム合金。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに収録されている大東亜省調査資料『特殊金属の重要性とその對策』(1943年)に以下のような一文があった。(原文は旧漢字)

 「金属材料が大東亜戦遂行にあたり、如何に重要なる位置を占むるものなるかは今こゝに喋々するを要せざるなり。此金属材料と呼称するものには、単体金属として使用するものと合金となすものとあり」「輓近航空機兵器等精密機器の発達は其の性能の高度化するに従って特殊金属の需要を加え、今日之なくしては其の用を弁じ得ざるものあり」。

 この特殊金属の中にリチウムが含まれる。大東亜省とは植民地支配を担った官庁で、当時の政府が軍事利用の面から特殊金属を重要視していたことがわかる。長垂山と同じくリシア雲母を含むペグマタイト岩脈を朝鮮半島で発見し、調査を行った記録も別資料にある(実際に採掘したかはわからなかった)。状況証拠に過ぎないが、リチウム合金はやはり有力候補とは言えるかもしれない。

 もう一つは、軍用気球用の水素製造にリチウムを使用したというものだ。軍事用の気球といえば、福岡県内では戦時中、現在の北九州市小倉北区にあった兵器工場、小倉陸軍造兵廠で風船爆弾の製造が行われている。見込み違いだったのはこちらだが、最初はドンピシャの情報に行き当たったのではないかと思った。

 風船爆弾とは、爆弾を搭載した気球をジェット気流に乗せ、米国西海岸を攻撃しようとした兵器だ。現在となっては奇想天外に思えるが、実際に1万球近くが放たれ、300球以上が米本土に到達、死者や山火事などの被害を与えたと言われる。米側は現実の被害以上にこの兵器を危険視したらしい。爆弾ではなく細菌兵器や毒ガスが搭載される可能性に恐怖したのだ。長崎原爆の第一目標が本当は小倉だったというのは有名な話だが、これは小倉造兵廠を破壊し、風船爆弾製造を中止に追い込む狙いだったという見方さえある。

 風船爆弾の基地があったのは、千葉県一宮、茨城県大津、福島県勿来の3か所。気球本体とともに水素も小倉造兵廠で製造し、基地に輸送していたのではないかと思いついたのだが、水素製造工場はあっさり調べがついた。大津には工場が併設され、他の2基地には日本鉱業王子工場、昭和電工川崎・横浜工場からボンベが送られていたという。水素の製造法も、ケイ酸鉄の粉末に水酸化ナトリウムと海水を加えるというもので、残念ながらリチウムは使われていなかった。

 素人が少々資料を漁ったぐらいで突き止められる話ではないことは十分に理解したが、興味深い話なので、今後も調べは続けていきたい。

 風船爆弾、小倉造兵廠については『写真記録 風船爆弾―乙女たちの青春』(林えいだい編集、あらき書店、1985)、『風船爆弾―純国産兵器「ふ号」の記録』(吉野興一、朝日新聞社、2000)、『小倉陸軍造兵廠』改訂版(中原澄子、創言社、2012)などを参考にした。なお『写真記録 風船爆弾―乙女たちの青春』に一文を寄せた開発担当者によると、風船爆弾とは戦後、新聞(恐らく朝日新聞)が名付けたもので、関係者の間では上記書名にある「ふ号」または「ふ号兵器」と呼ばれていたという。写真は長垂山の下の海岸に突き出るペグマタイト岩脈。



より大きな地図で 長垂山ペグマタイト を表示

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享保の飢饉の餓死者数

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 10日は数日来の寒波が緩み好天にも恵まれたので、飢人地蔵が祀られている2ヶ所の寺を散歩がてらめぐってきた。飢人地蔵とは享保17年(1732年)に西日本を襲った大飢饉の餓死者を弔ったもので、大休(現在の中央区南公園)にある飢人地蔵の話を過去にも取り上げたことがある(
「大休と飢人地蔵」)。飢饉の原因は、中国南部で大発生したウンカの大群がジェット気流に乗って日本を襲い、稲を食い荒らしたためだと言われている。まるで昨今のPM2.5による越境汚染である。

 10日に訪ねた寺は中央区地行の円徳寺と早良区祖原の顕乗寺。両者とも浄土真宗の寺だが、これは偶然ではなく、飢人地蔵や供養塔が建立されている寺は圧倒的にこの宗派の寺が多いという。浄土真宗が広まったのは支配階級ではなく、いわゆる庶民の間で、享保の飢饉で犠牲になったのは大半が庶民だったためだ。福岡藩に限れば、武士の餓死者はゼロだったとも伝えられている。

 その福岡藩内の犠牲者数は、1,000人から領民の約3分の1に当たる10万人まで諸説あるが、『福岡県史 通史編 福岡藩(二)』に詳細な考察がある。一部を紹介すると、享保11年には320,215人だった藩内人口が、飢饉2年後の享保19年3月に行われた宗旨改めの時には253,852人にまで激減しているという。差し引き66,363人。「福岡藩では全人口の約二〇%にあたる六万人から七万人が飢饉によって死亡したと考えてまずまちがいないものと思われる」と『福岡県史』は記している。10万人にはいかなくとも、それに迫る犠牲者があったということだろう。

 では、1,000人というあまりに少ない死者数はどこから出てきたのか。これは福岡藩が幕府に報告した数字だという。膨大な餓死者数を正直に報告して、幕府に「政治が悪い」と責められるのを恐れて虚偽の数字を伝えたと言われており、他藩も同様だったらしい。各藩から報告が上がった死者数をまとめたのが、享保の飢饉に関する幕府の行政記録とも言える『虫附損毛留書』で、これには全国の死者数は12,000人と記されている。

 ウィキペディアには恐らくこの記録をもとに、享保の飢饉による全国の餓死者を「12,000人にも達した(『徳川実紀』によれば餓死者969,900人)」と書かれているが、上記の事情を踏まえれば、『虫附損毛留書』の信頼性は低い。カッコ内に記されている『徳川実紀』の方が実態に近いだろう。

 享保の飢饉時、福岡藩を治めていたのは6代藩主・継高(1703~75)。2代・忠之以降の歴代黒田藩主の中では「名君」と言われる数少ない存在だが、武士階級の餓死者はいないというのに、数万人単位の領民を死なせている。幕府廻米の多くを人数的には圧倒的に少ない藩士に回したとされ、ある意味確信犯だろう。特権階級や軍部だけは飢えない、どこかの国を思わせる。このような為政者を果たして名君と呼べるのだろうか。写真は上が円徳寺の地蔵で、この寺では「おにぎり地蔵」と呼ばれている。下が顕乗寺の飢人地蔵と説明板。


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別府の疑惑


 温泉好きの私は別府という街が大好きである。最近は少しご無沙汰だが、以前は鉄輪や観海寺などに泊まったり、日帰りで駅前高等温泉や竹瓦温泉に行ったりするのを楽しみにしていた。その別府がどうも妙なことになっているようだ。福岡ではほとんど報じられていないが、暴力団組長らが虚偽の会社登記をした容疑で大分県警に逮捕されている。この会社は、別府など2市1町のゴミを焼却する藤ヶ谷清掃センターの運営を請け負っている。つまり公共事業に暴力団が潜り込み、資金源にした疑いが出ているのだ。しかも、この疑惑は2年前から指摘されていたのに、浜田博市長らは事実上頬かむりしていた形跡もある。捜査の進展次第では、湯の街は大揺れとなるかもしれない。

 清掃センターは、別府、杵築市と日出町が一部事務組合(組合トップの管理者は浜田市長)を作り、共同運営している。実際の焼却業務は三菱系の事業所が請け負ってきたが、この事業所に突然、労働組合が結成され、さらに組合員がこぞって退社し、2010年2月に新会社・別府環境エンジニアリング(以下、別府環境社と表記)を設立した。

 三菱系事業所は要員不足に陥り、業務継続は不可能になったという理由で、一部事務組合は委託相手を随意契約で別府環境社に切り替えた。この別府環境社こそが組長らが虚偽登記に関わった会社だ。暴力団組長らによる仕組まれた公共事業請負の乗っ取り劇だったことは明らかだろう。

 冒頭書いたように、この疑惑自体は2年前から持ち上がっていたのだが、追及していたのが市長選の対立候補と福岡の情報紙だった。選挙は大激戦となったが、現職の浜田市長が辛勝し、結果として選挙戦でのネガティブキャンペーンだったと市民に受け取られた節がある。

 別府環境社への業務委託に対しては市議会で批判の声も上がり、暴力団関与を問題にした議員もいるにはいる。だが、会議録を読んだ限りでは、単に「福岡の情報紙にこんな記事が書かれているが」というレベルの質問で、疑惑追及には程遠かったようだ。ただ、この議員は一つだけ戦果を挙げている。「実態を調べるべきではないか」と質し、執行部側から「しません」という答弁を引き出しているのだ。「します」ではない。「しません」である。別府市と一部事務組合は建前上は別だとは言え、行政自ら疑惑に蓋をしていたことは記憶されて然るべきだろう。

 組合から別府環境社に支払われていた委託費は年間1億6000万円。大分県内の民放ニュースサイトによると、警察はこの金の流れに関心を寄せているらしいが、市長選の対立候補らはもっと大きな金に絡む疑惑も指摘していた。藤ヶ谷清掃センターは建て替えが決まっており、新施設の建設、現施設の解体、及び新施設での運営(15年間)などを一括して行う事業者を選ぶ入札が2010年4月に行われ、日立造船系のグループが198億7000万円で落札している。組長らが本当に狙っていたのはこの利権である、と。

 もうひとつ気になる話がある。藤ヶ谷清掃センターでは3基ある焼却炉が2011年以降、断続的に故障して焼却が滞り、一時は1000tを超えるゴミが野積みされていたと報じられている。別府環境社の不手際だとばかり思っていたが、ひょっとしたらこれは意識的なサボタージュ、何らかの脅しだったのではないだろうか。別府市議会の会議録のほか、議員の議会報告、日立造船のニュースリリース、市長選対立候補のブログ、大分放送・テレビ大分の記事などを参考にした。写真は別府・鉄輪温泉街のいでゆ坂。浜田市長の後援会事務所がここにある。
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給食にコーンフレーク


 私は小学生時代、給食でコーンフレークを何度か食べたことがある。福岡市立小学校に通っていた3、4年生頃の話で、時代で言えば1970年代。ケロッグやシスコーンが販売され、田舎の小学生にとっても珍しいものではなくなっていたが、何しろ学校給食である。当時の給食と言えば、主食は来る日も来る日もコッペパンか食パンばかり(米飯給食は始まっていなかった)。初めてメニューに登場した日、給食係がコーンフレークがザクザク入った容器を運んできた途端、教室内は騒然となった。

 先ほど書いたように、ケロッグなどは私のような貧しい家庭の子供でも普通に手に出来る食品だったが、実はそれは一種のスナック菓子としてであり、箱から手づかみでバリバリ食べていたのだ。テレビCMのように、牛乳をかけて本当に朝食として食べているような子供は、私の周囲では多分少数派だったと思う。そんな中で、いきなり給食に登場したのである。この時の感覚を説明するのがすごく難しいのだが、「こんなものを食事として食べても許されるんだ」といった気持ちだった。

 いつもはカレーシチューや八宝菜といった副菜がつがれるアルマイトの食器に、この日ばかりはコーンフレークを入れ、さらに瓶から牛乳を注いで、先割れスプーンで食べた。教室中に幸福感みたいなものが広がった。この程度で幸せになるのだから、昭和時代の子供は単純なものである。

 この時以降、年に1、2度の希少なメニューとしてコーンフレークは現れ、その度に教室はお祭り騒ぎとなった。私は5年生になると市外に引っ越し、残念ながら次の学校ではお目にかかることはなかった。「前の学校ではケロッグが給食に出た」と言っても、新しい級友たちは誰も信じてくれなかったものだ。

 この話をふと思い出し、福岡市の小学校ではまだ給食に出ているのだろうかと2年間の献立(市の公式サイトに掲載されている)を調べてみたが、一度もなかった。インターネット検索をしてみても、コーンフレークを衣にして揚げた「コーンフレークチキン」なる給食メニューはあったが、そのものが出てくるのは保育園ぐらいのようである。あれは相当特殊なメニューだったのだろうか。パンの代わりで、副菜は別にあったのだから、手抜きメニューだったわけではないと思うが。

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 ところで、この話を書いていて少し懐かしくなったため、小学校3、4年生の頃に通った学校のホームページを見ていたら、校歌の作詞・作曲者が上の写真のように紹介されていた。作曲者となっている長井盛之氏は詩人、作詞の安永武一郎氏は九州交響楽団の永久名誉指揮者として知られる福岡では有名な音楽家だ。二人とも多くの学校の校歌を手掛けているが、肩書を見てわかるように役割分担は普通逆である。<1>学校のHPが単に間違っているのか<2>たまには違うことをしてみたいと二人がこの学校では役割を交換したのか。<2>のケースと考えた方が面白いので、学校には黙っておこう。
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アカミミガメ哀れ

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 福岡市中央区にある舞鶴公園(福岡城址)のお堀で、ある実験が行われている。網で囲った区画の中でハスが栽培されているのだ。この堀は水面をびっしり埋めるハスが名物だったが、数年前から激減している。実験を行っている福岡市はアカミミガメによる食害が原因とにらんでいる。カメが侵入できない囲いの中でハスが育てば、カメには有罪判決が下される。その場合、5日夕刊で報じた読売新聞によると、市はカメを別の場所に移動させる考えだという。

 数年前、佐賀城のお堀でもハスが全滅している。この時も同様の実験が行われ、この結果、アカミミガメの駆除が行われた。実験を行った研究グループは、併せてカメの駆除法についても研究している。アカミミガメが今後「特定外来生物」に指定された時に備え、研究グループによると「安全・安心な駆除法・殺処理法の確立が望まれる」ためだ。炭酸ガスや化学薬品を使った殺処理は「各地で大量に捕獲されることが予想されるカメの処分には適していない」のだという。

 そして、考え出された駆除法とは、カメをコンテナに入れたうえで鉄の蓋をかぶせて沈め、長い時間をかけて溺死させるというものだ。「処理に多少時間がかかるものの安全・安価・確実な手法として推奨できる」と研究グループは報告書に記している。飼っていたアカミミガメを長く苦しませた末に死なせてしまった私には批判する資格などないが、動物愛護の枠外にある外来種には安楽死の権利さえないのかとふびんで仕方がない。

 しかし、アカミミガメが厄介者扱いされている場所は、福岡、佐賀ともに城跡のお堀である。造られたのは江戸時代とは言え、人工の構築物だ。自然の河川や湖沼ではない。従って「外来種が固有の生態系を破壊する」という理屈はここでは成り立たない。福岡市が守りたがっているハスにしても、もともとはレンコンを食べるために人が植えたものだ。今ではレンコンを収穫する人などなく、カメに食べられたからと言って誰が被害を受けるわけではない。

 すでに佐賀で同様の実験が行われ、アカミミガメには有罪判決が下されている以上、福岡で逆転無罪となる可能性は恐らくゼロに近いだろう。福岡市の言い分通りならば、カメたちはどこかに移されることになるが、お堀に生息するカメは数百匹に上ると言われている。多数のカメを移せる場所など、果たして福岡市内のどこにあるのだろう。本当は殺処分する考えであるのならば、せめて苦しませることなく死なせてやってほしい。下の写真はお堀に生息しているアカミミガメ。昨年3月に撮影した。


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大名小校舎の報告書

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 ちょうど1年程前、歴史ある福岡市立大名小学校の校舎が取り壊される懸念があると書いた(「大名小学校の校舎」)。児童数減少に伴う統廃合により、この小学校は2014年3月限りで廃校になる。学校があるのは、市の中心・天神に隣接し、目抜き通りにも面した場所。校舎は1929年(昭和4年)に完成した堂々たる近代建築だが、立地条件や福岡という街の体質を考えれば、雲行きが怪しいと考えたのだ。

 1年前の記事の中では、市教委が校舎の歴史的価値を探る調査を行っており、2012年3月には報告書がまとまる予定とも書いた。ところが、この報告書が一向に公表される様子がなく、不思議に思っていた。役所が全ての情報を公開するとは夢にも思っていないが、報告書作成は酒井龍彦教育長が市議会の中で明言している。それなのに報道機関に発表するなど積極的に公表した形跡がない。市にとって不都合な中身だったので、公表を渋っているのではないかと疑ってもいた。

 昨年12月議会で、校舎保存を一貫して訴えてきた大名小学校卒業生でもある市議(与党の自民党所属)が報告書の内容を尋ね、教育長はようやく以下のように明らかにしている。

 「福岡市では九州大学の諸建築に次ぐ4番目の建築年代の古さを誇るなど希少価値は高いとされております。また、天神に隣接しながら天神とは異なる表情を見せる大名地区において、大名小学校の外観や階段、廊下回りの細部に残る昭和初期のデザイン、アールデコ様式が落ちついたまちの性格を際立たせているなど、文化財としての価値は高く、保存が望まれると報告されております」。

 この答弁を聞いて、質問した議員は「我が意を得たり」とばかりに喜び、高島宗一郎市長に保存の確約を迫っている。しかし、市長は「議員御紹介の取り組みも参考にしまして」などと議員の顔を立てながらも抽象的答弁に終始し、「保存する」との言質は一切与えなかった。この答弁から判断する限り、校舎を文化財として高く評価する報告書が出されてもなお、市は保存を決断していないのである。

 1年前にも紹介したが、大名小学校の敷地の一角には市立青年センターがあるが、市は「役割を終えた」との理由で廃止を決めた。利用者はむしろ増えているとの指摘があるのにである。一括して民間に売却するためではないか、という観測が議会サイドにはあるようだ。さすがの福岡市も報告書を無視して全面取り壊しに踏み切るとは思えないが、例えば、特に評価の高い玄関部分だけをモニュメントとして残し、残りは跡形もなく…という可能性もゼロではないと思う。
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