戻ってきた風景


 2011年9月に「荒津大橋眼下の造船所」の中で、博多港内にある福岡造船所について<さび止めの塗料で赤く塗られた船体がいつもドーンと鎮座しており、恐らく業績好調なことだろう>と書いたことがある。ところが、昨年1年間は船の建造風景をほとんど見ることができなかった。世界的な造船不況のためか、それとも昨年3月に下請け絡みの問題で公取委から勧告を受けたことが影響したのか。他人事ながら、造船所の先行きを心配していた。

 福岡造船は長崎にも造船所を持っており、こちらの方では順調に船の建造が続いていたらしい。ただし、二つの造船所のうち、一つはほとんど稼働していなかったのだから、同社の業績はかなり悪化していたようだ。業界内では、福岡造船が今後も2造船所体制を維持できるのかに関心が集まっていたという。もっと端的に言えば、福岡の造船所を休止するのではないかという観測もあったと聞いた。

 しかし、今年になって<さび止めの塗料で赤く塗られた船体が鎮座する>風景が久々に戻ってきた。現在、9100㌧のセメント運搬船建造が続いており、同社の公式サイトによると、来月8日の午前10時から進水式が行われる。同造船所での進水式は見学自由で、これも福岡名物の一つになっている。また、セメント船に続いて3000㌧級のLPG運搬船建造も決まっているらしい。

 日本の造船業界は2014年には受注が底をつくとの予測があり、「2014年問題」などと騒がれている。特に中小造船所は瀬戸際に立たされる恐れがあるという。例によって、騒がれている割には対策らしい対策は聞こえてこないが、福岡市の都市景観賞に選ばれ、博多港のランドマークともなっている同造船所は今後も健在であってほしいものだ。
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放置される掩体壕

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 宮崎市内を走る一ツ葉有料道路を先日通った際、車窓から掩体壕が見えた。宮崎空港近くの農地のど真ん中。掩体壕とは太平洋戦争中、軍用機を米軍の空襲から守るために造られた分厚いコンクリートの建造物で、戦時中に航空基地があった地域には今も相当数が残っている。宮崎空港の前身は海軍の赤江飛行場。周辺に複数の掩体壕があるのは聞いてはいたが、実物を見るのは初めてだったので、翌日改めて現地に行き、写真を撮ってきた。

 写真の掩体壕があるのは宮崎空港の北側に位置する赤江地区で、ここには戦闘機用とされる小型の壕3基が残っている。また、現地は見ていないが、空港西側の本郷北方・南方地区には一式陸攻など大型機用の壕5基が現存しており、建築会社の倉庫などとして利用されているらしい。これらの壕が造られたのは1944年(昭和19年)。最初に壕の形に土を盛り固めた後、鉄筋を張りコンクリートを流し込み造ったもので、膨大な量の土の運搬には地元住民や旧制中学生らが動員されたという。

 赤江飛行場は戦争末期、特攻機の中継基地、後には出撃基地として利用されており、米軍にとってはやはり目障りな存在だったのだろう。終戦の年の1945年(昭和20年)には6月までの半年間で計12回もの空襲を受けている。基地の隣にあった病院が恐らく兵舎と勘違いされ、爆撃を受ける悲劇も起きたという(『里も村も空襲された―記録・宮崎の空襲(2)』三上謙一郎、鉱脈社、1985)。

 現存する掩体壕がこれらの空襲に耐えたのか、あるいは直撃を免れただけなのかはわからないが、戦後70年近くも原型を保ってきたのだから相当頑丈な代物なのだろう。しかも、少なくとも赤江地区については長年放置され、何一つ保存措置が取られていないのにもかかわらずである。

 大分県宇佐市や福岡県行橋市などでは掩体壕を史跡や文化財に指定し、保存を図っているが、少なくとも市議会の会議録を読む限り、宮崎市にはその考えはないようだ。2005年に保存を求めた市議がいたが、市長の答弁は「調査研究したい」。その後市長が代わり、昨年は別の市議が保存を求める質問を行ったが、この時には市側は質問自体をスルーし、答弁さえ行っていない。赤江に関しては農地の中に掩体壕が鎮座しており、仮に保存を図ったところで、宇佐市のような史跡公園化は現状では難しいとは思うが。
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廃ホテルが並ぶ都井岬

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 盆休みを利用して久々に鹿児島・宮崎県に行ってきた。良い骨休みになったのだが、御崎馬で有名な都井岬(宮崎県串間市)の衰退ぶりには衝撃を受けた。二つあった観光ホテル、都井岬グランドホテル(下の写真)、都井岬観光ホテルがいずれも廃業、中でもグランドホテルの方はすでに10年以上も野ざらし状態で、完全な廃虚と化していた。個人的には廃虚が嫌いなわけでは決してないが、宮崎を代表する観光地の一つがあの状態では「観光宮崎」の看板が泣く。

 両ホテルの廃業は、グランドホテルが2000年、観光ホテルが2010年。グランドホテルについては韓国資本が一度再建に乗り出したが、うまくいかなかったらしい。一方の観光ホテルは、かつて宮崎の陸上交通と観光を支配した地場企業・宮崎交通が経営していた名門ホテルだ。同社の経営が傾いて以降、何度か経営主体が変わったようだが、結局再建を果たせなかった。都井岬を訪れる観光客はピーク時の1974年には68万人を数えたが、現在は10万人程にまで落ち込んでいるらしい。ホテルの経営不振も無理はない。

 無理はないが、だからと言って廃虚をいつまでもそのままにしておく理由はないだろう。廃虚マニアはやって来るだろうが、まともな観光客は敬遠する。廃虚が観光地のど真ん中に居座る無様さは、同じ宮崎県内の宮崎市青島が証明している(現在は取り壊されたが、青島橘ホテルの廃虚が20年近く放置され、そして青島の衰退が進んだ)。民間所有地のため様々な障害はあるのだろうが、こんな場合こそ行政がリーダーシップを取り、解体を急ぐべきだろう。グランドホテルの廃虚が再利用できるとは、もはや到底思えない。串間と言えば、政争で有名な土地柄だが、そんなことに明け暮れる余裕はあるまい。

 ところで、御崎馬はよく「野生馬」と呼ばれているが、都井岬の入り口でもらったパンフレットによると、「自然における日本に特有の家畜」として天然記念物指定されている。自然の中で完全に放し飼いされ、ほとんど野生状態に置かれているのは間違いないが、江戸時代、高鍋秋月藩が軍馬養成のため牧場を開いた時から現在と同じような状態で飼育されていたという。写真の馬は恐らく子馬で、あばらが見えるほどやせていて可哀想に思えたが、粗食に耐えるのが御崎馬の特徴の一つらしい。


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人気店の唐突な閉店

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 書くべきかどうか少し迷ったのだが、各種食べ物ブログに現在も多数の記事が残されている店なので、一応報告しておきたい。福岡市早良区西新3丁目にあったケーキ店「ラトリエ・ドゥ・フラウ」が閉店している。先日まで入り口ドアにあった貼り紙には<突然ではございますが、当店「ラトリエ・ドゥ・フラウ」は平成25年7月25日をもちまして閉店することになりました>と書かれ、顧客らへの感謝・謝罪とともに今後の連絡先として地元の弁護士名が記されていた。恐らく経営破綻したのだろう。

 世界的に名の知られたパティシエが2009年1月に開いた店で、駐車場や道が狭いためもあるが、週末はガードマンが交通整理をしなければならないほど多くの来店者でにぎわっていた。私には少し敷居が高い店だったので、2、3度しか利用したことはないが、どの品も確かに美味しかった。また、中央区天神のデパートに出店したり、本店近くに喫茶コーナー(2枚目の写真)を開設したりなど経営規模を拡大しているように見えたので、今回の閉店は唐突な感じがして、正直なところ驚いた。

 閉店の詳しい理由は知らないが、仮に売り上げ減が理由ならば、福岡という街は人気店と言えども生き残るのが難しいところだとつくづく思う。この状況を、激しい淘汰が飲食店のレベルの高さを生んでいると好意的に評価する意見はある(例えば、『日本全国都市の通信簿』岩中祥史、草思社、2007)。

 食道楽などできる身分ではないので、生き残っている店がどれだけレベルが高いのか私は知らないが、飲食店以外に枠を広げると、西鉄ライオンズ、劇団四季の専用劇場、(商業施設としての)マリゾン等々、一世を風靡しながら消え去っていったものが福岡には数々ある。単に「熱しやすく冷めやすい」という市民の気質が影響しているだけではないかと思える。「ラトリエ・ドゥ・フラウ」で検索すれば、今もなお「極上スイーツの店」などと激賞する過去に書かれたであろうブログはあふれているのに、「閉店が残念」と嘆く人はいないのである。多くの人にとっては、もはや忘れられた存在だったのだろう。

 「ラトリエ・ドゥ・フラウ」を開いたパティシエは京都出身だが、<1>住みやすい<2>九州は食材の宝庫<3>店舗等の条件――などを理由に福岡出店を決めたらしい。<1><2>の条件については私も賛同するが、長く店を続けるには市民の気質という点も考慮する必要があったという気がする。

 なお、蛇足ではあるが、「ラトリエ・ドゥ・フラウ」が店を構えていた場所からの飲食店撤退は、私が知る限りで4軒目である。もうほとんど忘れていたが、私が転勤先から福岡に戻ってきた時、この場所には居酒屋の養老乃瀧があった。客が減り始めると、この店は店内に駄菓子屋を併設したため、小学生が駄菓子を買いに昼間からぞろぞろと居酒屋に入っていた。事情を知らずに初めてこの光景を見た時はギョッとしたものである。
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猫の子、子猫

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 先日、福岡市中央区地行浜を散歩していたら、シーホークホテル前の緑地で2匹の子猫を見かけた。白と黒のツートンカラー。少し汚れていたが、顔立ちは可愛らしかった。人工の埋立地。野良猫が生息しているような場所ではないので、捨て猫だったのだろうか。気になったので、数日後にもう一度同じ場所に行ってみたが、子猫の姿はもうなかった。

     ◇

 といった話を7月に書いたのだが、この子猫たちを再び見かけた。勘違いかもしれないが、どうも付近に住んでいる野宿者が飼っているのではないだろうか。確証はないのだが、餌もない、飲み水もない場所で生きていけるわけがなく、誰かが世話をしているとしか思えない。この猫たちの出没地付近に野宿者のテントが複数あるので、勝手に思いこんでいるだけなのであるが。

 福岡県と言えば、犬猫の殺処分が全国でもとりわけ多いことで悪名高い自治体だが、福岡市に限れば、最近は徐々に減ってきているという。市が公表したデータによると、2008年度には犬288頭、猫2734頭が殺処分されていたが、昨年度は犬86頭、猫472頭にまで激減している。ただ、この理由は動物愛護精神が広まったなどという理由ではなく、ただ単に犬猫の引き取りが2009年度から有料化されたためのようだ。

 手数料は生後91日以上が2000円、未満が400円。猫に限って言えば、現在も殺処分されているのは子猫が大半らしい。まさか「2000円は負担したくないが、400円だったら払う」という飼い主が多いからだろうとは思いたくはないが。

 なお、殺処分数のピークは犬が1969年度の1万4732頭で、昨年度のなんと170倍。猫は1988年度の9472頭で、同20倍。これほどの大量殺戮がよくもまあ行われていたものである。
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炎天下のコスモス

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 立秋の7日、うきは市吉井町の休耕田で早くもコスモスが花を咲かせているのを見かけた。早咲きの品種なのだろう。秋の花とばかり思っていたが、現在は6月頃から咲く品種もあるらしい。

 しかし、秋風に揺れているイメージのある花が、最高気温が36度を超えようかという炎天下に咲き誇っていたのだから、かなり違和感があった。きれいはきれいだったのだが。写真は携帯で撮ったのだが、秋風ならぬ熱風に揺れていたのでピンぼけである。

 立秋とは言っても、涼しくなるのはずいぶん先のことだろうが、休耕田近くの農産物直売所には秋の味覚の梨が並んでいた。毎朝毎朝、大音量で合唱を続けていたクマゼミたちも心持ち数が減った気がする。猛暑の中でも“秋の風情”を見つけるのが粋なのかもしれないが、まだそんな境地にはなれない。

 それにしてもこれだけ猛暑が続くと、電力使用量が急上昇し、電気料金値上げでコスト高に悩む企業からの「原発再稼働を」との圧力はさらに高まりそうである。

 「PM2.5でマスコミが騒ぐのはがれき焼却による放射能汚染を隠したいから」「未来の党や生活の党が国政選で敗れ続けているのは、これらの党への投票が抜き取られているから」等々。今の日本には数々の陰謀がうごめいていると信じてやまない人たちはそのうち、「猛暑が続くのは自民党が原発を早く再稼働させたいから」と言い出すのではないだろうか。
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夢の城


 東京ディズニーランドが今年30周年を迎えたらしい。何の関心もなかったテーマパークだが、20年ぐらい前、たまたま近くに住んでいたため家族にせがまれ何度か行ったことがある。金は掛かるが、その分は楽しませてくれる施設だと考えを改めた。かと言って、何をするにも長い行列に並ばねばならないような場所に好んで行きたくはない。私の性格を理解している家族は、私の帰宅が遅いとわかっている時に出かけては夜のパレードを楽しんでいたようだ。

 話は大きく変わるが、親族の一人(以下、Tと表記)が高校生時代、脳腫瘍で長く入院していたことがある。幸い良性だったため無事に退院し、Tは現在、立派な社会人になっている。同じ病棟に入院していたのはT以外は幼児や小中学生たちで、Tが同室になったのは小学校入学前の女の子だった。この子は間もなく退院していったが、Tの母親は慌ただしい退院が何となくふに落ちなかったという。

 数年後、T母は女の子の母親と偶然に街で再会し、「T君は元気?」と尋ねられた。東京で元気に大学生活を送っていると答えると、女の子の母親は大変喜んでくれ、そして、号泣しだした。

 T母の予感通り、女の子の退院はもはや手遅れと医師に告げられ、「せめて家族で最後の思い出を」と決意したためだった。退院後、一家は女の子が以前から行きたがっていた東京ディズニーランドに向かい、楽しいひとときを過ごした。帰郷からしばらく後、女の子は旅立っていったという。二人の母親は街の真ん中で、人目をはばかることなくしばらく泣き続けていたらしい。

 この話を聞いて、かのテーマパークに対する認識を私は再度改めた。写真は、東京に住んでいた家族が比較的最近撮影したものを使った。
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