# 旧聞since2009

# 一票の格差訴訟、狙いは?

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 今年7月の参院選を巡る「一票の格差」訴訟で、広島高裁岡山支部が格差は違憲であり、選挙は無効との判断を下した。続いて12月には15高裁・支部で判決が予定されている。これらの訴訟を起こしたのは弁護士有志だが、彼らの活動の母体となっていると思われる団体が「一人一票実現国民会議」というNPO法人だ。

 ネット上では「自民党大勝を帳消しにしたい左翼弁護士が策動している」といった意見が散見されるが、国民会議の発起人・賛同者の顔触れを見ると、必ずしもそうとは思えない。名前を連ねている経済人、言論人はむしろ、古い映画の宣伝文句を借りれば「オオカミは生きろ。ブタは死ね」的な思想を持っている人が多いのではないかと個人的には思っている。私の偏見だったら、申し訳ないが…。

 ちなみに「一人一票実現」運動の創始者的存在であり、国民会議の中心メンバーでもある升永英俊弁護士はみんなの党の支持者だという。同党が主要政策の中で<1票の格差を完全になくす「完全1人1票比例代表制」を導入>を訴えていることが大きな理由らしい。都道府県を単位とする選挙区制は廃止すべきという主張のようだ。

 では“完全1人1票比例代表制”で7月の参院選が行われていた場合、各党の議席はどうなっていたのか。実際に各党が獲得した比例票に基づき、改選の全121議席を割り振ってみたところ、下表のようになった。左の数字が実際の獲得議席、右が試算結果だ。なお、実際の獲得議席にはこのほかに、選挙区で諸派・無所属(山本太郎氏ら)が得た3議席がある。


 選挙区選で圧勝した自民党が大幅に議席を減らす一方、公明、維新、共産、みんなの各党にはかなり上積みがある。また、実際にはゼロだった生活、新党大地、緑の党、みどりの風が議席を得ることになる。よく指摘されることだが、小政党に比較的有利な制度で、多様な民意が反映されるとは言えそうだ。この選挙での比例選には5300万票あまりが投じられているが、42万票あまりで1議席が獲得できる計算だった。

 こういった小党乱立状態では与党の暴走といった事態は避けられることだろう。一方で、毎回選挙の度に同様の状態になったのでは安定政権は生まれにくくなり、政党の離合集散ばかりが続く事態に陥るのではないかという危惧も感じる。妙な隣人ばかりに囲まれるちっぽけな島国の政治の在り方としてはいかがなものだろうか。

 「一票の格差」是正を訴えている人たちは、本当に不平等の是正だけが目的なのだろうか。それとも新たな選挙制度によって生じる政治状況に何らかの狙いがあるのだろうか。正直なところ、良くわからない。
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# 埋没鳥居はどこに

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 “埋没鳥居”と言えば、1914年(大正3年)の桜島大噴火で埋まった鹿児島市の黒神埋没鳥居が有名だが、福岡県新宮町の海岸にも同様の鳥居があったという。1940年(昭和15年)刊行の『福岡県史蹟名勝天然紀念物調査報告書』(以下、『報告書』)で存在を知り、新宮町の担当部署に存否を尋ねたところ、「現存している」との答えが返ってきた。そこで勇んで同町に行き、海岸周辺を2時間ほど探し回ってきた。例によって下調べが不十分だったため、徒労に終わったが、町の地理は何とか把握できた。後日を期したい。

 新宮町の埋没鳥居は、現在もある磯崎神社の「浜の鳥居」だったといい、建てられたのは江戸時代中期の明和元年(1764年)と伝えられている。もちろん火山灰で埋まったわけではなく、風で吹き寄せられた海岸の砂が犯人らしい。2枚目の写真は『報告書』から借用したもので、1939年2月の撮影。地上に出ているのは人の背丈の半分程度だったことがわかる。礫岩製で、笠木の幅は約4.7mだったという。

 この写真の左後方に見える島のような地形は磯崎鼻と思える。下から2番目の写真が現在の磯崎鼻の姿だが、海岸に鳥居らしきものは見当たらない。新宮海岸を歩きながら、新宮町の担当部署から返ってきた「現存している」という答えは、私の質問の仕方が悪かったため、ひょっとしたら「(磯崎神社は)現存している」との意味だったのかもしれないと思い悩んだ。黒神埋没鳥居は観光名所として有名なのに、新宮の埋没鳥居に関しては情報が全く公になっていないのも不審な点だ。

 ただ、気になる鳥居もあるにはあった。磯崎神社裏の海岸沿いは現在、水産加工品の工場が建ち並んでいるのだが、この一角にあった鳥居が妙にアンバランスだったのだ。一番下の写真がそれだが、何がアンバランスなのかと言うと、柱はセメント製なのに笠木部分は自然石がむき出しだったのである。古い写真と見比べてみると、笠木部分は埋没鳥居と似通っている気がしないでもない。あるいは埋没鳥居の笠木だけ移したのかも知れないとも考えたが、笠木の形はどれも似ているはずだと思い直した。

 『福岡県史蹟名勝天然紀念物調査報告書』は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで読むことができる。福岡市総合図書館の郷土資料室にも置かれている。

 この話の後日譚「埋没していなかった鳥居」はこちら


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# 空の青さが目にしみる


 私が20歳代の大半を過ごした街では毎日深夜になると、ある演歌が民放で流れていた。数十年がたった今も歌詞をほぼ覚えているが、ジャスラックさんに文句を言われたくないので、歌い出しだけ紹介すると「♪空の青さが目にしみる 緑したたるみんなみの~」。悲恋を主題にしながらも風光明媚な地元を称える曲だった。

 演歌には今も昔もあまり関心はなく、福岡から移り住んだ最初の頃はこの曲が流れ始めると「ウヘー」と思い、チャンネルを変えていた。ところが、驚くことにもう一つの民放でも同じ曲が流れていたのである(この街には民放が2局しかない)。両局ともこの演歌が一日の放送終了の合図だったのだ。テレビぐらいしか楽しみのない生活を送っていた私は嫌でもほぼ毎日聞くことになり、慣れてしまうと、私にとってもこの曲が一日の終わりの合図みたいなものになった。

 歌っていたのは『青葉城恋歌』で有名な歌手に“少し似た名前”の人で、ローカルなタレントなのだろうと気にも留めなかった。それが大失敗だった。歌手の正体は地元大手企業の創業社長で、本名をひらがなにして芸名にしていたのだ。しかも社長名の時は、なぜか名前を音読みにしており、鈍い私は長らく同一人物だと気付かなかった。

 ある日、この社長が関係する企業に仕事で行った際、ここで初めて地元の人とこの演歌が話題になった。相手から「いい歌でしょう」と感想を求められ、危うく軽口で返しそうになった。しかし、私にとっては非常に珍しいことだが、寸前で自制心を働かせた。「地元で相当愛されている歌手のようだ。ここで悪口を言ったらマズい」と思い、当たり障りのない返事をした。今でもこの時のことを思い出すと冷や汗が出る。

 創業社長が“歌手”になった経緯までは知らないが、地元民放2局にとっては恐らく、大スポンサーの歓心を買えるおいしい番組だったのだろう。曲の魅力もあったのだろうが、従業員も得意先も多い地場大手企業の社長が歌っているのだから、当然地元では大ヒットした。

 私がこの土地を離れて後のことになるが、創業社長は驚異的な規模の大リゾート施設を造り上げた。それぐらいのスケールの人だった。冷や汗の理由も理解してもらえるだろう。しかし、このリゾート施設は大失敗に終わり、社長が一代で築き上げた企業グループも経営破綻した。ある意味これが遠因ともなって「どげんかせんといかん」と騒ぐ人物が一時、知事にもなった。

 写真は問題の街で今夏に写したものだが、この土地の青空の真骨頂は冬にこそあると個人的には思っている。日本海側の福岡で長く育ち、冬の曇天を見慣れてきた私にとって、初めて目にした高く澄み渡った冬空はまさに「空の青さが目にしみる」程だった。

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# イチョウ、色付く前に丸裸

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 紅葉がきれいな季節になった。だが、福岡市早良区西新1・2丁目では、街路樹のイチョウが色付く前にバッサリ剪定され、丸裸の状態となっている。ここは以前、
「ムクドリはどこに行った?」で紹介した場所で、毎年初夏から秋にかけてはムクドリの集団ねぐらとなっていた。今年もイチョウが丸裸にされるまでは、毎日夕方になると多数のムクドリたちが飛来しギャーギャー大騒ぎだった。

 剪定の理由は役所に確かめたわけではないが、やはりムクドリの騒音やフン害に対する苦情が理由だろうと推測している。イチョウは排気ガスに強いこともあり、街路樹として人気らしいが、一方で落ち葉が滑りやすく危険なことが嫌われ、色付く前に剪定する自治体も実は少なくないという。ただ、西新の場合、丸裸にされたイチョウはムクドリのねぐらになっていた10数本だけで、残りの大多数はそのままにされている。だから、落ち葉に対する苦情で落葉前に枝を落としたのではないと思う。

 しかし、不思議である。枝が剪定されたのは10数本だけなのだから、ムクドリのねぐらが近くの別の木に移るだけではないかと思うのだが、私が観察した限りでは、そんな気配はないのである。

 ムクドリに悩まされている自治体は全国的にも数多いが、その一つの千葉県市川市の公式サイトに面白い話が載っていた。木を剪定したことでムクドリのねぐらが電線などの人工物に分散、しかもねぐらを定着させてしまう結果を招き、かえって被害が増大したケースもあるというのだ。西新から追い払われたムクドリたちも今頃、どこか別の場所で大騒ぎし、そこの住民たちは「なぜ、急にムクドリが増えたのだろう?」と首をひねっているのではないだろうか。

 「ムクドリはどこに行った?」を書いた時とは状況は異なるが、今回もやはり同じ疑問が頭に浮かぶことになる。ムクドリはどこに行ったのだろう?

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# 無期寸前だった2人の22歳


 今年7月、北九州市八幡東区で、市道を歩いていた女性を背後から猛スピードの軽自動車ではね、バッグを強奪するという非道極まりない事件が起きた。この事件の容疑者として同市内に住む橋本涼太、竹下孝幸という22歳の男2人が逮捕されたが、同じような凶悪犯罪を繰り返していたらしく、今月14日にも別の強盗致傷事件で再逮捕されていた。強盗致傷事件の量刑は懲役6年以上だが、余罪は他にも多数あるとみられ、どんなに軽くとも懲役10年以上の判決は下ることだろう。

 車ではねての強盗事件など福岡特有の犯罪のようだが、同種の事件は他県でも過去に起きており、中には被害者が亡くなられた例さえある。2003年11月にJR千葉駅近くで起きた事件は、暴力団員ら2人組が男性を車ではね、バッグを強奪したというもので、八幡東と全く同じ手口だ。ただ一つの違いは被害者の男性は転倒した際に頭を強く打ち、間もなく亡くなっている。

 2000年に静岡県富士市で起きた事件は少し事情が違うが、やはり被害者の女性が命を落とされている。神奈川、静岡県内で車を使ってひったくりを繰り返していた3人組がすれ違いざまにバッグをひったくった際、女性が転倒、犯人グループの車の後輪にひかれ、死亡したのだ。

 この二つの事件、計5人の男たちは強盗致死罪で裁かれ、いずれも無期懲役の判決が下っている。富士事件の3人組のうち2人は最高裁まで争ったが、一審判決は覆らなかった。強盗致死の量刑は死刑、または無期懲役だが、亡くなった被害者が1人であるため、両事件のケースとも死刑判決は考えにくい。無期懲役はこのケースでの最高刑と言って良いだろう。つまり罪を軽くしようと「殺すつもりはなかった」などと弁明したところで、この手の凶悪犯罪には必ず厳罰が下るということだ。

 八幡東事件では被害者の女性は右足骨折の重傷を負ったものの、幸いにも命に別条はなかった。これは軽自動車が猛スピードだったことを考えれば、奇跡的なことだ。千葉事件では犯人の車は時速40kmと比較的低速だったが、それでも被害者は亡くなっている。

 現在、無期懲役は限りなく(仮釈放がない)終身刑化していると指摘されている。仮釈放が認められた幸運なケースでも服役期間は30年を大きく超えているのが現状だ。女性に万一のことがあれば、橋本涼太、竹下孝幸の2人には間違いなく無期判決が下され、還暦前後になるまで娑婆に戻ることは出来なかっただろう。運が悪ければ、一生刑務所暮らしだった。女性が無事だったことは、自分たちにとっても幸運だったと思い知るべきだろう。

 <追記>両被告に対する判決が2014年8月26日、福岡地裁小倉支部で言い渡された。運転していた橋本被告が懲役15年(求刑同22年)、従犯扱いとなった竹下被告が同9年(同13年)。ずいぶん優しい裁判長だったようだ。

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# 愛宕神社からの眺め



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 福岡市西区の愛宕山(標高約60㍍)山上にある愛宕神社は市内では眺めの良い場所の一つだ。これは江戸時代から同様だったらしく、福岡藩の儒学者・貝原益軒も自ら著した藩内の地誌『筑前國続風土記』の中で「此山上にのぼれば、海陸山川の眺め廣くして勝れたる佳景也」と称賛している。

 現在、眼前に広がる景色は東側が早良区のシーサイドももち、正面が西区のマリナタウンの近代的な街並みだが、これらの埋め立て地が造られる以前、東側は百道の海岸の先に西公園が直接見通せたようだ。一方、正面の眼下には豊浜の戸建て住宅街が今も昔もあるが、1962年まではここに姪浜炭鉱(早良炭鉱)があった。

 私も姪浜炭鉱の存在については昔話で聞いたぐらいで、どんな炭鉱だったのか実態は全く知らなかった。豊浜に本坑、現在の西区小戸付近に第二坑があったというが、現在の街の姿からは到底想像できない。ごくごく小さな炭鉱があったのだろうと勝手に思い込んでいたが、この機会に古写真などを当たってみたところ、思いの外に大規模な炭鉱で驚いた。

 愛宕山の北の麓には田川市の伊田鉱跡地に残るような二本煙突がそびえ、現在、ダイエーマリナタウン店や住宅街がある一帯には様々な採炭施設が建ち並び、石炭輸送のための引込線も走っていた。博多湾に面した場所には巨大なボタ山もあった。たかだか半世紀程前には、現在とは全く別の風景が愛宕神社の下に広がっていたわけで、この頃を記憶されている方はまだ多数存命でいらっしゃることだろう。

 この炭鉱を1914年(大正3年)に開いたのは葉室豊吉という人物で、修猷館が生んだベルリン五輪(1936年)200㍍平泳ぎの金メダリスト・葉室鉄夫の祖父としても知られる。炭鉱の最盛期は戦前で、昭和11年版の『福岡市勧業要覧』によると、この年は2,226人の従業員が働き、年間の出炭量は327,000㌧に上ったという。2,000人超の従業員と言えば、現在なら大工場並みだ。家族を含め約8,000人の人々がこの炭鉱によって生活していたらしい。

 ただ、筑豊、大牟田の2大産炭地を抱えていた福岡県だけに、32万㌧という出炭量はさほど大きな数字ではなく、国内最大規模を誇った三井三池炭鉱は最盛期の1970年、驚くことに年間650万㌧もの出炭量を記録している。福岡県という土地が何によって発展してきたのか、改めて思い知らされる数字だ。

 福岡県どころか、日本の近代化、戦後復興を担った旧産炭地の中には今も疲弊したままの地域も少なくない。姪浜地区のように、旧産炭地の面影の一つさえない土地の方が珍しい存在だろう。


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# 今年も東福岡

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 第93回全国高校ラグビー福岡県大会の決勝が9日、福岡市博多区の博多の森球技場で行われ、東福岡が31-12で筑紫を下し、14連続24回目の花園出場を決めた。前半は7-7で折り返したが、東福岡が後半一気に4T(2G)を奪い突き放した。筑紫は9年連続の決勝敗退。またも悲願はかなわなかった。

 バックスタンドには例年同様、両校の大応援団が詰め掛け、凄まじいまでのボリュームで声援を送っていた。テレビで見る花園の全国大会決勝よりも、レベスタでの福岡県大会決勝の方がよほど盛り上がっているのではないかと感じる時がある。敗れ続けている筑紫にとっては辛いことだろうが、あの雰囲気の中で試合をすることが出来た選手はもちろん、懸命に声援を送り続けた生徒たちも幸せだと思う。高校生活の3年間をただただボーっと過ごしてしまった私には羨ましい限りだ。

 両校の決勝対決を見るのは私にとってここ数年、晩秋の風物詩みたいになっている。しかし、考えてみれば、高校スポーツであるのに決勝がほぼ毎年、同じ顔合わせで、しかも勝敗まで同じというのは少し残念な話だ。選手獲得や練習環境などに恵まれた私立の東福岡に、筑紫をはじめとする県立高校が対抗する厳しさは十二分にわかるが、たまには違う結末を見てみたい気がする。

 下は筑紫後半19分のトライシーンで、この時点でのスコアは東福岡19-12筑紫。コンパクトデジタルカメラで撮影した動画のため、画質が悪いのはご容赦を。



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# 2013福岡タワーの電飾


 7日夜、福岡市早良区のシーサイドももちをウォーキングしていると、福岡タワーに見慣れないイルミネーションが輝いているのに気付いた。緑色のカラフルなクリスマスツリーに雪が降り、サンタクロースが滑り降り、かなり動きのあるものだった。

 タワーが来年開業25周年を迎えるのを機に、老朽・陳腐化したイルミネーションを一新すると聞いていたが、これが新しいバージョンらしい。今夜は試験点灯だったようで、近くの歩道では福岡タワーの関係者らしき人たちが出来栄えについて意見を交し合っていた。昨年までのイルミネーションも十分きれいだったが、開業以来24年間同じデザインを見せ続けられ、少々マンネリ気味ではあったので、非常に新鮮な感じだった(旧イルミネーションの写真はこちらに)。

 福岡タワーの公式サイトによると、今回の刷新費用は約1億2000万円。LED電球を使用しているため、昨年までの白熱電球に比べ、電力使用料は約3分の1に削減できるという。ただ、そのためか光量はやや足りない気がした。本格的な点灯は今月15日から12月25日までの午後5~11時。続いて来年元旦には「2014」、3月上旬にはタワー開業25周年を記念して砂時計や桜の花のイルミネーション点灯を予定しているという。(※写真は15日撮影のものに差し替えた)

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# 念願のうすき竹宵

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 11月3日、大分県臼杵市で開かれていた「うすき竹宵」に行ってきた。城下町の町並みと風情が残る臼杵の二王座一帯を2万本もの竹ぼんぼりで彩る祭りだ。数年前、祭りの模様を紹介する美しい写真や映像を目して以来、「ぜひ行ってみたい」と思い続けてきたが、なかなか実現する機会に恵まれなかった。今年思い切って出掛けたのだが、臼杵の3日夜の天気予報はあいにくの雨。空模様を心配したが、幸いにも午後9時までの開催時間中は時折小雨がポツポツ落ちたきただけで、幻想的な風景をゆっくり楽しむことができた。

 この祭りが始まったのは1997年(当時の名前は「竹工芸まつり」)。商店街の若手店主らが「寂れきった臼杵の中心部を何とかしたい」と始めたらしい。最初の年の人出は1500人程だったという。しかし、竹ぼんぼりの灯りに照らし出された臼杵の町並みは想像以上に素晴らしく、この試みによって何より市民が自らが暮らす町の魅力に気付いたのだと聞いた。今年は雨が心配されたこともあって、人出はやや少なめだったらしいが、それでも会場一帯は大勢の人でにぎわっていた。例年は2日間で約10万人が訪れるという。
 
 竹宵の成功に倣い、大分県内では現在、やはり古い町並みが残る日田市、竹田市でも同様の祭りが開かれている。最近では「大分竹あかりの祭典」という統一タイトルで観光客誘致を図っているようだ。今年は日田の「千年あかり」が11月8~10日、竹田の「竹楽」が15~17日に予定されている。

 ところで、竹ぼんぼりとともに「うすき竹宵」の呼び物の一つに、地元に伝わる真名野長者伝説(ウィキペディアの解説ページにリンクをはった)に題材を取った般若姫行列がある。公募で選ばれた地元の女性たちが般若姫と母・玉津姫、娘・玉絵姫の三代に扮し、美しい時代衣装をまとってパレードする催しだ(一番下の写真は玉絵姫。大変お行儀の良いお嬢さんだった。その下の短い動画は般若姫)。過去には例外として臼杵を舞台にした映画の主演女優が般若姫を務めたこともある。主役の姫3人に誰が選ばれたかは毎年、地元マスコミではニュースになっていた。

 しかし、今年は公式サイトにもパンフレットにも姫たちの名前がなく、不思議に思っていた。臼杵市役所内の実行委に尋ねてみたところ、「報道機関に名前と年齢は伝えたが、実行委として正式発表などはしなかった」という答えが返ってきた。姫たちの神秘的イメージを守るために報道機関の事前取材も断ったという。どうも個人情報保護の観点から表に出す情報を絞ったようだ。祭りの主役が匿名同然というのは違和感がないでもないが、現代では当然の対応なのかもしれない。


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# ピンクの花の群落

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 福岡城跡のお堀の土手にピンクの花の群落があった。対岸から見ると、ピンクの絨毯を敷き詰めたようで、目を奪われた。花の名前を知らなかったので、自宅に帰り『園芸植物―庭の花 花屋さんの花』(小学館、1995)という図鑑で調べたところ、オキザリス・ボーウィー(ハナカタバミ)という南アフリカ原産の花のようだった(あまり自信はないが…)。

 インターネット上の情報によると、園芸品種として輸入されたが、現在は野生化したものが各地で自生しているらしい。福岡城跡の群落は誰かが世話をしているのか、あるいは自然に生えたものかはわからないが、開花時期は8月から11月にかけてというから、どちらにしても見頃が終わるのは間もなくだろう。

 福岡市に長年住み、福岡城跡もよく散策しているのだが、この花の存在には今まで全く気付かなかった。かなり大規模な群落なので、今年突如として出現したわけではなく、以前から毎年秋には咲き誇っていたのだろう。外界には無関心で生きてきたので、この年になっても新たな発見がある。本当は情けないことではあるが……。

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駄田泉

管理人:駄田泉
福岡の中小企業に勤める定年間近の中年オヤジです。物忘れが激しくなったため、ボケ防止のためにブログを書いています。主に福岡の情報を紹介していますが、タイトル通り、新しい話は何もありません。Twitterではたまに、胡散くさい情報を発信。