13人の死刑囚

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 積読状態だった『死刑―究極の罰の真実』(読売新聞社会部、中公文庫、2013)を最近になって読み出した。興味深い箇所があった。冤罪事件として有名な「布川事件」で再審無罪となった桜井昌司さんの回想なのだが、1999年9月、死刑囚3人の刑執行を伝えるニュースが流れた際、桜井さんは一人の名前に聞き覚えがあったという。千葉刑務所の靴工場で一緒に働いていた無期懲役囚で、刑務官の前では模範囚ぶりを見せていたが、仲間には嫌がらせをするような男だった。男は90年に仮釈放されたが、その3ヶ月後に殺人事件を起こしていた。

 99年9月に刑執行された3人の死刑囚とは、東京・北区で3歳幼女を殺害した佐藤真志(執行時62歳)、飲食店女性経営者強殺の高田勝利(同61歳)、お礼参り殺人事件として有名な熊本母娘殺害の森川哲行(同69歳)。この3人には共通点がある。全員が青年時代の殺人事件で無期懲役判決を受けながら、20年程度の服役の後に仮釈放され、そして再び殺人を犯しているのだ。桜井さんが出会った男について『死刑―究極の罰の真実』では匿名だが、千葉刑務所に服役し、仮釈放の3ヶ月後に再犯――などの情報から容易に特定できる。高田勝利だろう。

 凶悪犯罪→無期懲役→仮釈放→再び凶悪犯罪→死刑という流れをたどった死刑囚は、この3人だけではない。死刑確定が1980年以降の者に限っても彼らを含め計13人いる。名前と事件名等を列挙すると次の通りだ。氏名の後ろの★は刑執行、☆は病死を表している。年齢は没年齢、存命者は1月28日現在の年齢を記した。

 篠原徳次郎★(群馬2女性殺害、95年12月執行、68歳)
 武安幸久★(直方女性強殺、98年6月執行、66歳)
 島津新治★(荒川パチンコ景品商強殺、98年6月執行、66歳)
 佐藤真志★
 高田勝利★
 森川哲行★
 牧野正★(門司母娘殺傷、09年1月執行、58歳)
 萬谷義幸★(大阪短大生刺殺、08年9月執行、68歳)
 横田謙二(スナック従業員絞殺遺棄、64歳)
 中山進(交際女性の夫ら2人殺害、66歳)
 西山省三(知人女性強殺、61歳)
 宇井錂次☆(交際女性絞殺、08年2月病死、68歳)
 長谷川静央(実弟殺害、71歳)

 仮釈放後の彼らによって殺害された犠牲者は計16人にも上る。大阪女子短大生刺殺事件の萬谷義幸は1968年、百円札を奪うため行きずりの女性を刺殺した。そして20年にも満たない服役で1987年に実社会に戻った途端、若い女性を狙った強盗傷害事件を次々に起こし、翌88年、大阪市中央区の地下鉄駅通路で、金を奪うために19歳の女子短大生を冷酷に刺し殺した。遺族は「これほど狂暴な男をどんな判断で仮釈放したのか」と疑問を投げかけたというが、法務省はこれにきちんと答えることができたのだろうか。
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福岡市にもいるアライグマ

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 福岡市の公式サイトにある報道発表資料によると、市内5地区でアライグマの生息が確認されたという。すでに47都道府県すべてで野生化した個体が確認されているらしいから、今さら福岡市で見つかったからと言って別に驚く話ではない。しかし、あのアライグマが福岡市の野山や場合によっては市街地を闊歩しているかと思うと、やはり不思議な気分になる。

 生息が確認されたのは博多区金隈、南区柏原、早良区板屋、同椎原、西区金武。これは偶然に目撃されたというわけではなく、東区香椎、早良区野河内、西区桑原を加えた計8地区で調査したところ、5地区では赤外線センサーカメラでの撮影に成功したり、足跡などの痕跡が見つかったりしたということらしい。だから、5地区以外には生息していないというわけではなく、調査が行われていないだけだ。

 北米原産のアライグマが日本で野生化したのは、ペットとして大量に輸入されたが、これが逃げ出したり、手に余った飼い主が捨てたりしたためだと言われている。見掛けは可愛いが、実はかなり狂暴な性格。しかも個体によっては体重10kg超と想像以上に大きくなる。そもそもペットに適さない動物なのだが、例のアニメ『あらいぐまラスカル』が1977年に放映されて以降、人気が沸騰。2005年に特定外来生物に指定され輸入・飼育等が禁止されるまで、最盛期には年間2,000頭、少ない時期でも500頭前後が輸入されてきたという。だから、ペットが野生化したのは間違いない事実なのだろうが、個人的には少し不思議に思っていた。私の周囲、あるいは見聞きした範囲でアライグマを飼っている家庭など一軒もなかったからだ。

 この疑問は環境省発行の『アライグマ防除の手引き』を読み、何となくだが氷解した。冒頭書いたように現在では47都道府県すべてで生息が確認されているが、2006年段階で生息が集中していたのは北海道のほか、意外なことに首都圏と京阪神だったのだ。北海道の場合は自然条件が原産地の北米に似ているためではないかと想像されるが、首都圏、京阪神については恐らく、ペットとして飼育する家庭がそれだけ多かったということではないだろうか。

 1970年代のアライグマの販売価格は調べがつかなかったが、輸入が禁止される直前は1頭数万円から10万円前後でペットショップに並んでいたらしい。思った程高くはないが、かと言って簡単に買える値段でもない。2006年段階でアライグマの分布地域が少なかったのは東北、北信越、中国、四国、そして九州だ。自然条件は恵まれた地域だが、アライグマを飼おうという経済的余裕のある家庭の絶対数が首都圏や京阪神よりも少なかったということだろう。

 個人的な経験で恐縮だが、私は小学生時代に一度だけ犬を飼ったことがある。と言ってもペットショップで買ったわけではなく、少し可愛らしい顔をしていた野良犬を連れ帰り、そのまま飼っていたのだ。しかも子犬ではなく、結構な大きさの成犬だった。私の子供時代は相当な数の野良犬が街中をうろついていたのである。成犬を捕えてくるなど、今考えるとアバウト過ぎるというか、危険極まりないことをしていたと思うが、そんな育ちの人間からすると、アライグマなどをペットとして飼うことができたのは、やはり都会の裕福な家庭だったのではないかと想像される。

 福岡市ではまだ、深刻な農業被害は出ていないというが、『アライグマ防除の手引き』によると、対策が後手に回ると、防除が分布拡大に追い付かず、被害拡大を招いてしまうという。だから、早急に徹底的に駆除せよというのが環境省の結論だ。国内固有の生態系を壊したり、寄生虫を媒介したりするというから仕方のないこともかもしれないが、勝手に悪者にされ、大量殺戮される外来生物たちはやはり哀れだと思う。環境省は次にミシシッピアカミミガメの特定外来生物指定を考えているという。事実だとしたら、やがて空前絶後の規模で駆除が行われることになる。

 アライグマの写真は、無料で使える動物写真のサイト「動物あ・ら・ら」からお借りした。
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教科書に出ていた細川護熙さん

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 先日、朝の情報番組を見ていたら、都知事選についてのインタビューに答えた振り袖姿の新成人が面白いことを言っていた。「細川さんて、日本史で習ったので歴史上の人物だと思っていた」。細川さんとはもちろん、都知事選への立候補を表明した元首相・細川護煕氏のこと。失礼ながら、小沢一郎氏に担がれた“軽い神輿”の一人としか認識していなかったので、まさか日本史の教科書に登場しているとは思わなかった。

 細川氏に関し、いったい何を学ぶのであろうかと不思議に思い、2010年発行の『詳説日本史』改訂版(山川出版社)をめくってみた。今年の新成人が高校時代、日本史を選択していたら学んだであろう教科書の一つだ。「55年体制の崩壊」と題された章に以下のような記述があった。

 <1993(平成5)年6月に自由民主党は分裂し、7月の衆議院総選挙で自民党は過半数割れの大敗北を喫し、宮沢内閣は退陣して、共産党をのぞく非自民8党派の連立政権が、日本新党の細川護煕を首相として誕生した。
 1955年以来、38年ぶりに政権が交代し、自民党の長期単独政権の弊害、バブル経済の崩壊、総評解散と連合結成という革新勢力内部での変動などが背景となって、55年体制は崩壊した。従来の保守と革新の対立は曖昧になり、不安定な連合政治の時代に突入した。
 「政治改革」をとなえる細川内閣は、1994(平成6)年、衆議院に小選挙区比例代表並立制を導入する選挙制度改革を実現した。>

 “細川護煕”の名前が教科書にあるのは本当だった。分量も「大化の改新」ぐらいはある。長期単独政権の座にあった自民党を追い落とし、選挙制度改革を実現したとの記述を読めば、確かに歴史的な人物のように思えてくる。この教科書を読んできた今年の新成人たちは、細川氏についてとんでもない誤解をしているかもしれない。私などは、佐川急便からの1億円借金問題で追い詰められ、無責任に政権を投げ出した政治家という印象しかないのだが。

 1992年の東京佐川急便事件で、自民党の金丸信氏への5億円闇献金疑惑が持ち上がった際、追及の急先鋒だった野党の一つが細川護熙氏率いる日本新党だった。しかし、1億円問題で自分に火の粉が降りかかった途端、細川氏は「佐川に金は返した。重箱の隅をつつくな」と強弁し、説明責任を果たそうとはしなかった。93年の総選挙では、恥ずかしながら私も日本新党の候補者(後に福岡市長になった人物)に1票を投じた口なので、このダブルスタンダードぶりには非常な幻滅を感じたものだ。

 「20年前の話を蒸し返さなくても」という意見もあるようだが、20年も疑惑を払拭できない人間がのうのうと表舞台に復帰する方がよほど奇っ怪だろう。教科書にも出ている“歴史上の人物”にふさわしい行為とはとても思えない。写真は東京都庁。
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春日原競馬場の毒餅事件


 この正月に読んだ『20世紀にっぽん殺人事典』(福田洋、社会思想社、2001)に、1938年(昭和13年)に起きた出来事として以下の短い記載があった。

 <六月二〇日 福岡市の競馬場で焼餅を買って食べた十五人が死亡。販売人が逮捕されたが、製造過程で蟻の駆除に使う亜砒酸が混入していたためであった>

 15人の死者も驚きだが、福岡市に競馬場があったことが初耳だった。調べてみると、確かに昭和初期に短期間、現在の南区高宮に福岡競馬場が存在していた。しかし、1938年にはすでに廃止され、代わって競馬場が置かれていたのは当時の筑紫郡春日村。結論から言えば、先の記載は間違いで、毒餅事件が起きたのは春日村にあった春日原競馬場。発生日も20日ではなく、正しくは18日だった。

 春日原競馬場があったのは現在、春日公園(写真)や航空自衛隊春日基地、春日市役所などがある一帯だ。毒餅事件に関しては『春日市史』中巻に「春日原競馬亜比酸焼き餅事件」と題して、比較的詳しい記述があった。以下に一部を引用する。

 <昭和十三年六月十八日の競馬会は、支那事変の時局柄にもかかわらず多くのファンが殺到、馬券売り上げは九万八五七円に達した。
 しかし午後四時ごろ、競馬場内の各所で腹痛を訴え、激しく嘔吐する者が続出した。原因は、場内出店の筒井義雄から買った焼き餅で、県衛生課で調査した結果、猛毒の亜比酸混入による中毒であることが判明した。
 亜比酸の混入原因は、筒井の知人が転居する際に買い取った雑品のなかに「白い粉」が四升余りがあり、それを米粉と思い込み焼き餅を作ったことにある。「白い粉」は白蟻駆除に使用した残余の亜比酸であった>

 餅に猛毒が混入していた事件とあり、和歌山の毒物カレー事件や現在問題となっている冷凍食品への農薬混入を思い浮かべたが、業者の信じられない無知・不注意が引き起こした事件だった。なお『春日市史』には死亡者は15人ではなく17人と記されている。引用文中にあるように日中戦争(支那事変)の時代、九州の片隅で起きた事件ではあったが、それなりに全国の耳目を集めたと思われる。事件翌日6月19日の朝日新聞全国版にはベタ記事ながら<春日原競馬場で同日から始まった競馬の入場者中二十三名が相次いで腹痛を起し猛烈な吐瀉を始めたので大騒ぎとなり…>と第一報が掲載されている。

 春日原競馬場は福岡県畜産組合連合会運営の地方競馬場で、1932年(昭和7年)の開設。コースは一周1,200m、幅27m。場内には競走馬30頭収容の厩舎や馬券売り場、売店などを備え、「地方競馬としては日本一を誇った」(『春日市史』)という。

 『地方競馬年鑑』(帝国馬匹協会編)という資料が国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにあるが、この昭和14年版によると、春日原競馬場では毒餅事件前年の1937年には春秋で計8日間レースが開催され、計12万人もの有料入場者を集めている。現在も地方競馬が存続している岐阜の笠松、兵庫の園田等には及ばないが、全国の地方競馬場の中では比較的盛況の部類だ。ただし、県内には当時、飯塚、久留米にも競馬場があり、春日原を含めた3競馬場の中で最も入場者を集めていたのは飯塚だった。やはり炭鉱景気のためなのだろう。

 春日原競馬場は毒餅事件翌々年の1940年、兵器工場・小倉造兵廠の分場建設のため廃止されている。廃止の理由としてほかに、軍馬養成を優先するという事情もあったらしい。戦時中の1944年に日本ダービーを制したカイソウが、その輝かしい実績にもかかわらず軍馬として徴用され、行方不明となった事実は良く知られている(純粋なサラブレッドではなかったため、血統的評価が低かったらしい)。春日原競馬場を疾走していた無名の競走馬の中にも、戦場に駆り出され、戦火に散った馬たちがきっといたことだろう。


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