くじゅう花公園

DSCF0230.jpg

DSCF0234.jpg

 大分県竹田市久住町のくじゅう花公園で100万本のコスモスが開花を始めたと聞き、9月28日に行ってきた。だが、「開花を始めた」ばかりなのだから、満開にはまだ程遠い状態。見頃は少し先のようだった。その分、寄せ植えの花壇やサルビアが最高にきれいだった。天候が良かったこともあり、公園内は大賑わいで、上空には長い時間ヘリが飛び回っていた。写真撮影に来た報道機関のヘリだったのではないだろうか。

 この公園を訪ねたのは2006年春以来、8年ぶり。ハーブ園がなくなるなど、8年前とは何となく雰囲気が違う気がしたので、帰宅後に調べたところ、以前の運営会社が破綻、2009年以降は従業員有志が出資して設立した新会社が経営に当たっているという。公園存続のためにわざわざ金を出し合ったのだから、自分たちの生活を守ることはもちろん、これだけの公園が無為に失われることを惜しんだのだろう。

 大分では以前にも似たような話があった。大分土産として人気があった菓子「ざびえる」の製造会社が自己破産し、「ざびえる」は一時店頭から消えた。だが、大分の宝というべき銘菓を守るため、やはり旧従業員たちが2001年に新会社を作り、復活させたのだ。大酒飲みのくせに甘党の私にとってはうれしいニュースだったので、この話は強く印象に残っている。

 “大分県人の歩いた後は草も生えない”と言われるが、これは大分県人にはそれだけバイタリティーがあるという誉め言葉なのだろう。私自身は大分県とはほとんど縁がないのだか、家系を遡ればこの県の出らしいので、何となく親近感を持っている。なお、“草も生えない”とは、九州ではほかに佐賀県人に対しても言われている。
スポンサーサイト
[Edit]

ライオンズ百道寮

DSCF0208.jpg

 福岡市博物館(福岡市早良区百道浜3)で「西鉄ライオンズと栄光の時代」という企画展が開かれている。会期は明日9月28日までと聞き、せっかくだからと会場をのぞいてきた。展示品は、日本シリーズ三連覇(1956~58年)を飾った頃に活躍していた選手のユニホーム、西鉄が今も所蔵しているペナントレースや日本シリーズの優勝旗などが中心。貴重なものではあるのだろうが、質量ともに正直なところ物足りなかった。もっとも入館料は200円なので文句は言えないが。

 私も小中学生時代、福岡の子供としては人並みにライオンズファンだったが、日本シリーズ三連覇の栄光などは生まれる前の遠い昔の話。私がテレビや極々稀に平和台球場で声援を送っていた時のライオンズは人気、戦力ともにボロボロの状態だった。球団名にしても西鉄が手放した後の太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ時代の方が印象が強い。だから、西鉄ライオンズ栄光の時代の記念品を見ても今一つ感慨はないのだが、やはり福岡の誇るべき歴史ではあると思う。あらゆる形で語り継いでいくべきだろう。

 ところで、ライオンズ福岡時代の合宿所「百道寮」は、博物館から程近い現在の早良区西新2丁目にあった。現在はマンション街(上の写真)となっているが、当時は百道海水浴場に面した戸建て住宅街で、百道寮設置が呼び水になったのか企業の独身寮が点在していた地域だ。半世紀近く前の1960年代後半の住宅地図で確認したところ、寮の前には海の家と思われる建物が並び、その先には海岸が広がっていた。貸しボート屋も複数あり、この時代はまだ、夏には百道海水浴場が大賑わいしていたのだろう。住所は西新ではなく汐入町となっている。いかにも海辺の町っぽい名前だ。

 ライオンズの本拠地だった中央区城内の平和台球場跡地では現在、古代の迎賓館・鴻臚館の発掘調査が続いている。球場は跡形もないが、小さいながらも球場があったことを記憶するモニュメントが近くの歩道に設置されている。しかし、百道寮跡地は何の痕跡も残っていない。当たり前だと言われるかも知れないが、少し残念だ。

 ライオンズの寮と言えば、私自身は百道寮の記憶しかないが、百道寮完成は1959年のことで、これ以前は大円寺町という場所に「大円寺寮」が置かれていたという。栄光の時代を彩った中西太、豊田泰光、稲尾和久といった選手たちが独身時代に暮らしていたのは、この大円寺寮の方らしい。

 大円寺寮があったのは、現在の福岡市中央区唐人町3丁目で、ヤフオクドームすぐ近くの場所だ。旧町名の由来になった大圓寺という浄土宗の寺が今もあり、境内にはやや小ぶりながらも立派な五重塔がある。寮の跡地は西鉄が手放さなかったようで、現在は西鉄の分譲マンションが建っている(下写真)。

 寮跡地から徒歩数分の距離にある唐人町商店街は、現在は「ヤフオクドームおひざ元の商店街」として商店街ぐるみで熱狂的にホークスを応援しているが、大円寺寮があった時代は、ライオンズの選手たちが気軽に買い物をしていたという。二つの球団と密接な関係を持った商店街など恐らく全国的にも珍しい存在だろう。


DSCF0220.jpg
[Edit]

押し出し四球4個…

DSCF0202.jpg

DSCF0198.jpg

 1イニングに押し出し四球4個で敗戦という悲惨極まる試合を見てきた。25日、ヤフオクドームで行われたソフトバンク―楽天戦だ。6-4とソフトバンク2点リードで迎えた7回表の楽天の攻撃。1死1、2塁で森をリリーフしたソフトバンクのセットアッパー五十嵐はなんと3連続四球で同点にすると、三振をはさんでさらに二つの四球を出し、一挙4点を楽天にプレゼントしてしまった。現在のソフトバンクに2点差を再逆転する力はなく、必死に追いすがったものの7-8と1点届かなかった。

 長年、プロ、アマを含めて膨大な数の野球の試合を見てきたが、“1イニングで1人の投手”が4個の押し出し四球を出したことなど記憶にない。普通は途中で何らかの手を監督が打つものである。監督とはそのためにいるのだから。人生一度きりの得難い体験であった。もう2度と味わいたくはないが。

 この試合、ソフトバンクのリズムが狂ったのは恐らく6回だった。5回裏にソフトバンクが集中打で一挙5点を上げ、ドーム内は大盛り上がりとなったが、6回表、3番手で出てきた柳瀬が1死を取った後、簡単に1点を返され、なおも2、3塁。ここで本来ならば7回から登板するはずの森を投入せざるを得ない事態に追い込まれた。

 ペナントレース序盤から勝ちゲーム、負けゲーム問わずに大車輪で活躍してきた森だけに、疲労は相当たまっているのだろう。1イニングだけならば、相変わらず小気味のいい投球を見せてくれるが、ここ最近は回跨ぎでは結果を残していない。6回はしのいだものの、2イニング目の7回にはピンチを招き、これまた本来ならば8回からの五十嵐が前倒しで救援せざるを得なかった。そして、これがとんでもない裏目に出た。

 すべては結果論だが、故障明けの柳瀬をあの局面で使う必要があったのか。また、再逆転された後もソフトバンクは8回に1点を返しただけでなく、7、9回に好機を迎えた。しかし、ここで打順が回ってきた不動の4番が例によって仕事をしなかった。今シーズン、何度こんな場面に立ち会っただろうか。きょうほど惨めな気分で帰路についた試合は今までになかった。最後まで声を枯らしていたライトスタンドの応援団がかわいそうだった。
[Edit]

博多ポートタワー50周年

P1120009b.jpg

 福岡市博多区築港本町の博多ポートタワーが10月で開業50周年を迎えるという。「質実剛健な博多ポートタワー」の中で書いたが、1964年の完成当時は「博多パラダイス」というレジャーランドの目玉施設だった。パラダイス、つまり天国。博多天国。この素晴らしいネーミングから、いったいどんな企業が経営していたのだろうかと以前から気になっていたので、50周年を機会に少し調べてみた。

 博多パラダイスの建設・運営主体はニュー九州パノラマ。パラダイス開業を予告する64年10月8日の読売新聞には、ニュー九州パノラマについて、福岡市にレクリエーション施設を建設するため63年春に設立された会社だとある。設立発起人は石橋幹一郎・ブリヂストンタイヤ社長ら地元財界人22人で、名前は胡散臭いが、意外に氏素性のしっかりした企業だった。資本金は1億5000万円とあり、当時としてはかなり巨額の金を集めたようだ。現在、唯一残る博多ポートタワーを見てもビッグプロジェクトだったことがわかる。

 社長は藤川一秋氏。鉄鋼メーカー・トピー工業の初代社長で、後に参院議員(愛知県選挙区、自民党)を1期務めた人物と同姓同名だ。恐らく同一人物ではないかと思うが、パラダイスが開業した64年とは、4社合併によりトピー工業が誕生した年でもある。そんな多忙を極める時期によく九州の新興企業の経営トップを引き受けたなと思うが、名前を貸しただけだったのか。それとも同姓同名の別人だったのだろうか。

 博多パラダイスの施設などについて色々と昔話ができると良いのだが、残念ながら私が育ったのは家族そろってレジャーに行くような家庭ではなかった。そこで先の読売新聞から、施設の中身を紹介すると、目玉施設のタワーは高さ103㍍(現在は100㍍と表記)で、大阪通天閣と同じ。当時は東京タワー、名古屋テレビ塔に次ぐ高さだった。隣接する鉄筋3階建ての本館には、パノラマ大浴場、250畳敷きの演芸場、大食堂、ホテルを完備。屋外施設としてはゴーカート場やプールなどがあったという。

 鳴り物入りで開業した施設であり、当時の福岡の子供たちにとっては憧れではあったものの、意外なことに採算が取れるだけの入場者数はなかったようだ。開業から6年後の1970年にはニュー九州パノラマはあっさり経営から手を引き(倒産?)、経営主体が変わっている。その後、博多プレイランドと名を変えて数年は営業を続けたものの、結局盛り返すことは出来ず、タワーは76年に市に譲渡されている。

 早良区百道浜に市総合図書館が開館する前は、旧パラダイス本館が一時、市民図書館として利用されていた。私にとってはこの時代の印象の方が強い。レジャー施設を転用したのだから、閲覧室の配置などはまともであるはずがなく、薄暗い迷路のような妙な建物だった。政令市があんな変な図書館を持っていたのだから、今となっては驚きだ。当時の福岡市文化行政のレベルを物語る話だとは思うが、私自身は、あの変な図書館があれはあれで懐かしい。

[Edit]

川棚のクスの森

DSCF0147.jpg

 この連休、山口県に行楽に行き、帰路に案内看板が目についた「川棚のクスの森」(下関市豊浦町)に立ち寄ってきた。名前から昼でも暗いような鬱蒼とした森を想像したのだが、たった1本のクスの木があるだけだった。ただし、1本でも「森」と表現されてしまう程の巨樹で、現地でもらった『下関観光ガイドブック』によると、高さ27㍍、枝張りは東西58㍍、南北53㍍に及ぶとか。そう言えば、福岡県宇美町の宇美八幡宮境内にも2本のクスの巨樹があり、こちらも「湯蓋の森」「衣掛の森」と呼ばれていることを思い出した。格別関心があるわけではないが、巨樹とはどれもが神々しい。

 帰宅後に「川棚のクスの森」についてネット検索してみると、戦国時代、中国や北部九州に一大勢力を築いていた大内義隆の愛馬「ひばり毛」がクスの木の下に葬られているとの話がWikipediaにあった。義隆が家臣の陶晴賢に滅ぼされた(大寧寺の変)際、この木の場所から見渡せる川棚川で両者は戦い、この時に「ひばり毛」は倒れたのだという。

 この記述に少し違和感を持ったので、改めて大寧寺の変について調べてみた。陶晴賢が大内氏の拠点だった山口に攻め込んだのは天文20年(1551年)8月28日。敗走した義隆は翌日には長門に逃れ、9月1日に同地の大寧寺で自害している。川棚は、山口~長門のルートから大きく西に外れているのである。Wikipediaの出典の一つ『新日本名木100選』(読売新聞社編、1990)をたまたま持っていたので、該当箇所を開いてみると、以下のように書かれていた。

 <太い幹の傍らに、小さな石の祠がある。まつられているのは、中国地方を治めた大内一族の三十一代義隆の愛馬「ひばり毛」だ。逆臣陶晴賢の軍に山口を追われ、転戦する義隆は川棚川の戦いで最期を迎えた。ひばり毛も義隆とともに戦場の露と消え、陶の武将たちの手でクスの木の下に葬られたという。>

 この一文でわかるように、『新日本名木100選』は大内義隆の最期について完全に間違っていた。何らかの伝承があったのかも知れないが、著名な戦国武将に関して、ここまで史実と異なる記述も珍しい。

 「ひばり毛」の話など所詮は伝説、民話の類で、目くじらを立てるものではないのだろうが、一片の史実もないのだろうかと不思議に思った。ただ、『豊浦町史』第3巻民俗編(1995)に次のような別の伝承が書かれていた。義隆は自害する前に、愛馬を黒井判官為長という武将に託した。しかし、この武将も義隆勢の残党狩りを進める陶晴賢と川棚川で戦って敗死し、この時に「ひばり毛」も命を落としたという。民俗編で紹介されているのだから、やはりこの話も伝説なのかもしれないが、ずいぶん説得力はあった。
[Edit]

不動の4番、不動の監督…

DSCF9974.jpg

 我がソフトバンクホークスには李大浩という不動の4番打者がいる。一応打率は3割を超えているが、得点圏打率は2割3分そこそこ。パリーグの上位30位にも入らない。“残塁バンク”と評されるほど機能しないホークス打線にあって、その元凶的な存在だ。高血圧の持病を抱える私はこれ以上フラストレーションをためたくないので、最近は彼の打席はなるべく見ないことにしている。

 これほど勝負弱い打者をなぜ4番から外さないのか。身の周りのホークスファンは皆首をひねっているが、ネット上ではこんな推測が広まっている。彼は韓国では2度三冠王を獲得するなど英雄的な存在だ。同国では今も人気が高く、彼を4番に据え続けることで、韓国から多額のテレビ放送権料やネット配信料、スポンサー料が球団の懐に入ってくる。李大浩の契約は出来高含め最大で3年19億円に上ると一部で報道されているが、韓国資金だけでこれを十分賄えるどころか、儲けさえ出る仕組みだという。だから、どんなに好機で凡退を続けても彼を4番から外せないのだと。

 球団は収支を公開していないので、この推測が正しいかを確かめるすべはないが、オリックスが日本球界で最初に彼と2年7億円の契約を結んだ際、同様の話が報道されていた。オリックス契約時の報道が事実だったのならば、ホークスでも事情は同じなのかもしれない。 

 そう言えば、私がヤフオクドームで観戦した際にも韓国の食品メーカー農心がスポンサーに付いていた試合があり、同社の主力製品「辛ラーメン」1袋を観客全員に配っていた。同社はこの日、3万袋以上のラーメンを無料配布した計算だ。球団へのスポンサー料のほかに、1袋100円として計300万円。中華圏では「辛ラーメン」に発ガン性物質が含まれていると報道され、ブランドイメージは一気に落ちたと言われる(発ガン性物質含有は誤報だったとの情報もあるが…)。李大浩とのタイアップにより日本での販路を拡大できれば、少々の負担は気にもならないのだろう。

 球団も企業である以上、利益を求めるのは当然のことだが、それ以上にチームの勝利を求めてほしい。4番が機能しないのならば、打順の組み替えなどの手を打つべきではないだろうか。李大浩絡みの契約が監督の采配を縛っているなどの風説は本当は信じたくないのだが…。
[Edit]