基肄城跡

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 福岡県筑紫野市と佐賀県基山町にまたがる基山(標高404㍍)に登ってきた。町名は「きやま」、山名は「きざん」と読む。山中には国の特別史跡、基肄城跡がある。大野城と同じく、ヤマト王権が白村江の戦い(663年)で唐、新羅の連合軍に大敗した後、大宰府防衛のため665年に築いた朝鮮式山城だ。土塁や礎石、水門などが残っている。

 福岡市方面からこの山に行く場合はJR原田駅(筑紫野市)からが近いと言われるが、道がわかりづらいとも聞いていたので、基山駅から基肄城の水門跡を経由して山頂に至るルートを選んだ。ただ、こちらも町内に案内板等は全くないうえ、場所によっては民家の軒先を通るような箇所もある。ルート選定などで参考にした『福岡県の山歩き』(福岡山の会編、海鳥社、2009)には、ずいぶん細かい道案内があり不思議に思っていたが、現地に行き納得した。該当ページのコピーを持参していなければ、相当迷ったことだろう。

 基肄城築城から1350年。立派な町役場にはこれを祝う垂れ幕もかかっていた。せめて交差点などのポイントに案内標識でもあれば、登山者、または基肄城跡の見学者は助かるだろうと思った。財政問題もあるだろうから、こちらは別に立派な物である必要はない。

 所要時間は基山駅から登山口に当たる水門跡までが徒歩40~50分、水門跡から山頂までが30分程度。登山道は相当急坂だが、その分、一気に山頂にたどり着くことが出来る。帰路は天拝山経由でJR二日市駅から戻る予定だったが、例によって道を間違い、往路と同じ基山駅から帰路に着いた。二日市駅近くにある二日市温泉で汗を流して帰るつもりだったので、少し残念だった。

 ところで、冒頭に基肄城、大野城は大宰府防衛のために築かれたと書いた。しかし、現実的な役割は、防御ライン(水城)が敵軍(唐・新羅連合軍)に突破された時、大宰府の役人らが避難するための「逃げ城」だったと言われている。確かにこんな山中からでは、攻め込んできた敵を迎え撃つのは難しいだろうと思う。

 最近読んだ『福岡県の名城』(アクロス福岡文化誌編纂委員会編、海鳥社、2013)の中に、興味深いエピソードが紹介されていた。太平洋戦争敗戦の際、近隣の女性たちの多くが大野城に逃れたという。当時の庶民たちは皮膚感覚で「逃げ城」という城の本当の機能を理解していたのだろうか。


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百道浜沖の海底埋め戻し

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 福岡市早良区百道浜沖の博多湾に作業船が浮かんでいる。数年前にも浮かんでいた。浚渫でもやっているのだろうと思い、格別気にも留めていなかったが、最近になって作業に関する説明板が百道浜の海岸に設置された。浚渫とはまったく逆で、湾内にあるくぼ地の埋め戻し作業だという。

 看板によると、くぼ地が出来たのは昭和50年代後半の埋め立ての際、海底の砂を採取したためで、百道浜沖と西区愛宕浜沖の2ヶ所にある。一帯の水深は6㍍程度だが、くぼ地は13㍍。ここでは夏場、貧酸素塊が発生し、湾内の環境に悪影響を与えることがある。埋め戻しはそれを防ぐためで、濁りが広がらないように作業船から海底に向かって管を伸ばし、ゆっくりと土砂を投入しているという。埋め戻しに使われているのは、博多湾東部に浮かぶ人工島航路の浚渫土砂。発注者は九州地方整備局の博多港湾・空港整備事務所、つまり国の事業だ。

 くぼ地で貧酸素塊が発生するメカニズムがわからなかったため、ざっと調べてみたところ、くぼ地では海水が滞留し、プランクトンの死骸など有機物が堆積しやすくなる。バクテリアがこれらを分解する際、大量に酸素を消費するため貧酸素塊が発生するということらしい。貧酸素塊ができれば、海洋生物の大量死が起きかねない。結構、深刻な問題なわけだ。

 昭和50年代後半の埋め立てとは、要するに福岡市や第三セクターの博多港開発によって進められた百道浜(138㌶)と愛宕浜(74㌶)の建設事業のことだ。土地を造るために海砂を取り、今度はそのくぼ地を、恐らくは巨費を投じて埋め戻している。典型的なマッチポンプ事業に思えるが、百道浜、愛宕浜の埋め立て当時、海底の土砂採取が湾の環境悪化を招くとは予想出来なかったのだろうか。

 ところで、九州地方整備局の発表資料などによると、この埋め戻しの事業期間は2011~13年度の3年間となっている。今年になって再び行われているのは、なぜなのか。人工島航路の浚渫が必要になり、その土砂を有効利用するといった理屈のようだが、要するに以前の埋め戻しでは完全に元通りにはならなかったということだろう。2011年当時の資料によると、くぼ地のサイズは百道浜沖が165万立方㍍、愛宕浜沖が285万立方㍍だったという。月並みな例えをすると、ヤフオクドームの容積が176万立方㍍らしいので、ドーム2.5杯分のくぼ地が存在したことになる。

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影が薄い西公園



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 福岡市中央区の西公園をあてもなく歩き回ってきた。荒戸山、または荒津山と呼ばれる標高約50㍍の低山に整備された県営公園。江戸時代は眺望抜群で風光明媚な場所だったらしく、貝原益軒は『筑前國続風土記』の中で荒戸山に大きなスペースを割いて褒めちぎっている。

 現在でも展望台からは博多湾を一望できるが、松の枝が眺望を遮り、しかも眼下に広がるのは石油貯蔵基地のタンク群だ。桜の名所として市民には親しまれているが、近隣にある同じ県営の大濠公園に比べれば、少し影が薄い気がする。私の偏見でもないと思う。両公園を紹介するサイトのタイトルにも位置付けが良く現れている。何しろ「大濠公園・西公園」なのだから。

 舞鶴公園(市管理)、大濠公園の一体整備のために福岡市と県が策定したセントラルパーク構想からも西公園は除外された。隣接する舞鶴、大濠公園と違い、西公園は離れているのだから当然かもしれないが、大濠公園~西公園の距離はわずか410㍍に過ぎない。両者を結ぶ県道556号は、広い歩道を街路樹が彩る道だ。途中にベンチや案内板を設置するなどして散策路として整備すれば、一体化は可能だと思える。

 眺望は少し残念だが、西公園は福岡藩の歴史が色濃く残る場所でもある。入り口付近には勤王の志士、平野国臣(1828~64)のブロンズ像が聳え、山中の木立の中には同じく勤王派の家老で、乙丑の獄で粛清された加藤司書(1830~65)の歌碑が建つ。何より公園内には、福岡藩の礎を築いた黒田如水・長政父子を祭った光雲神社がある。福岡城址の舞鶴公園、城の外堀だった大濠公園、そして西公園。歴史散策の場としても3者は一体であるべきだろう。

 福岡市の地図を改めて眺めると、意外なことに気付く。街の中央部を南北に貫く形で広大な公園・緑地群が存在しているのだ。舞鶴・大濠公園を中心に、北に西公園、南に福岡市動植物園がある南公園(中央区)、さらには鴻巣山の緑地(南区)。セントラルパーク構想のうたい文句の中に“「まちの公園」から「公園のまち」”というフレーズがあるが、「公園のまち」と名乗るだけの資格を福岡市はすでに持っていると思う。しかし、現実には「公園のまち」という感じが一向にしないのが不思議だ。


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今村カトリック教会、国重文に

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 福岡県大刀洗町にある今村カトリック教会が国重文に指定される見込みとなった。5月15日に開かれた国の文化審議会で、「双塔を聳えさせた壮麗な煉瓦造教会堂」として意匠面が高く評価されたものだ。この教会については5年前の2010年4月にブログで取り上げている。読み返してみると、足りない情報が結構あったので、加筆修正のうえ再録させていただいた。

     ◇

 いろいろと評判を聞いていた福岡県大刀洗町にある今村カトリック教会を見学してきた。教会がある集落は、1873年(明治6年)にキリスト教が解禁されるまで隠れキリシタンの里だった場所だ。「いろいろな評判」をいくつか具体的に書けば、<1>筑後平野のど真ん中に隠れキリシタンの里がある不思議<2>小さな集落に場違いな荘厳な教会、といったところだろうか。

 実際に現地に行ってみると、集落があるのはずいぶん開けた場所だった。ロマネスク様式の教会も驚くほど立派で、事情を知らないと、レトロ建築を模した結婚式場か何かと勘違いしそうだ。

 この教会は2006年に福岡県指定文化財となっており、敷地内には町の教育委員会によって説明板が立てられている。それによると、この地にキリスト教がいつ伝わったかは不明らしいが、1560年代にはキリシタンの集団が生まれており、弾圧が激化した島原の乱(1637~1638年)後も隠れて信仰を守り通した。彼らの存在を発見したのは、同じ隠れキリシタンの長崎・浦上の住民だったという。説明板には詳しく書かれていないが、幕末、この地を訪れた浦上の商人が自分たちと似たような風習を持っていることに気付き、ピンと来たということらしい。

 キリスト教の解禁後、今村にもやがて宣教師が着任。現存する教会は、ドイツからの寄付、信徒たちの労働奉仕により1913年(大正2年)に完成した。設計・施工は、当時の長崎で多くの教会建設を手掛けていた鉄川与助。八角形の双塔は高さ22.5㍍。向かって左側の塔だけ上部に窓があるのは、ここが鐘楼になっているためだ。内部は広さ約580平方㍍で、フランス製のステンドグラスが飾られ、天井は美しいアーチを描いている。外観・内部とも建設当初の状態が、今も保たれているという。

 この教会は、原爆で倒壊した旧・浦上天主堂との類似が指摘されている。 浦上天主堂のHPに掲載されている古い写真と比較してみると、二つの塔を配した様式や赤レンガの外壁など、確かに似通っている気がする。鉄川は旧・浦上天主堂の建設にもかかわっていた。また、同天主堂が原爆で倒壊した後、再建に携わったのは鉄川の子息。今村の信徒発見のエピソードを踏まえても、浦上と今村の教会が非常に近い関係にあったのは確かだろう。

 ところで、この地にキリスト教が伝わった経緯は不明と先に記したが、いくつかの説はある。ひとつは、豊後のキリシタン大名・大友宗麟の北部九州進出に際し、家臣団が住み着いたというもの。また、後にこの地方を治めた毛利氏がキリスト教を庇護し、改宗する者が増えたという見方も有力だ。

 1560年代にはキリシタン集団がいたという説明板の記述とは矛盾するが、島原の乱で敗走した島原・天草の農民たちが、この地に逃れてきたという説もある。まるで平家の落ち武者伝説のようだが、郷土史家らは否定的で、大友家臣団説を支持しているらしい。別に氏素性を立派に見せたいわけではなく、「よそ者、ましてキリシタンが逃れてきたところで、受け入れられたはずがない」という論拠のようだ。その通りだという気がする。仮に受け入れられるケースがあるとしたら、もともとそこにキリシタン集落があり、かくまわれた場合だけではないだろうか。

 いろいろと興味の尽きない今村教会、西鉄甘木線の大堰駅から、県道沿いをぼちぼち歩いて30分ほどのところにある。



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福岡タワーどこから転落?

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 5月11日午後9時50分頃、福岡市早良区百道浜の福岡タワー北側駐車場で市内の男子高校生(1年)が遺体で見つかり、タワーから転落したのではないかと報道された。しかし、福岡タワーのどこから転落したのだろうか? 13日夕、ウォーキングついでに現場に行き、外壁を観察してみた。高校生が本当に転落したのならば、北側外壁の鉄枠(写真1枚目)をよじ登ったか、地上から150㍍の場所にある電波塔の管理スペース(写真2枚目の八角形)に立ち入った以外にないと思えた。

 福岡タワーは鉄塔部分を除き三角柱の形状で、高さは234㍍。116~123㍍の3~5階部分に展望室とレストランがある。壁面の大半が8,000枚の鏡で覆われ、身を乗り出せるような場所は一切ないが、北側には地上から5階まで非常階段が通じている。ただし、写真でわかるように、ここも鉄枠で囲われている。

 この事故(事件?)を一般紙以上に詳しく報じた日刊スポーツ記事によると、亡くなった高校生が3階展望室から非常階段に通じる扉を開ける姿が防犯カメラに残されていたという。しかし、鉄枠の隙間は最大でも14.5㌢。タワーの運営会社は「大人がすり抜けられる広さではない」として、非常階段から転落したとの見方を強く否定しているらしい。確かに、外から観察しても鉄枠の隙間から外に出るのは不可能だろうと思えた。かといって、冒頭に書いた外壁をよじ登ったというのも非現実的な気がする。

 一方、電波塔の管理スペースについては以前、地元のテレビ番組でリポートを見たことがあるが、完全に吹きさらしの場所だ。先の日刊スポーツ記事によると、5階展望室に管理スペースへの出入り口があるといい、個人的にはここが転落場所である可能性が最も高いと思える。だが、出入り口の鍵は厳重に保管されているとして、運営会社は管理スペースへの侵入についても頑強に否定しているという。

 しかし、運営会社がいくら否定しても、警察は「福岡タワーから飛び降りた可能性があるとみて調べている」(西日本新聞12日朝刊)。遺体の状況等から、転落以外の死因は考えられないのだろう。必ずどこかに見落としがあるはずで、これが判明しない限り、福岡タワーは運営会社も把握していない危険箇所を抱えていることになる。どこから転落したのかも不明な状態で通常通り営業して良いのか、疑問に思わないでもない。

 蛇足だが、展望室と電波塔管理スペースの間の右側鉄枠に黒い物体が付着しているのが2枚目の写真に写っている。スマホしか持っていなかったため拡大写真を撮れなかったが、遠目には靴のようにも見え、少し気になった。(望遠レンズで確認したところ、角型のライトのようだった)

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神社春季大祭で肉フェス!

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 福岡市中央区今川2に鳥飼八幡宮という神社がある。起源は神功皇后の昔に遡るという歴史を持つ。貝原益軒の『筑前國続風土記』にも記載があり、「西町にあり。其始は鳥飼村松林の中に鎮座し給ふ。今も其跡に、神木の松のこれり」などと紹介されている。この由緒正しき神社の春季大祭が今月29~31日に開かれるのだが、今年の大祭では(神社としては)相当風変わりなイベントが開催される。流行りの「肉フェス」。「お肉が好きなんですっ!!!」というサブタイトルまで付いている。

 八幡宮境内に様々な肉料理の屋台が並び、酒類も提供されるという。さらには肉フェスに合わせ、31日には「肉婚」なる八幡宮主催の婚活イベントも開かれる。大相撲九州場所の際に九重部屋が宿舎を構えたり、中野正剛の像があったりすることで知られる神社だが、縁結びの神様としても有名なのだ。地元以外の人には容易には信じ難い話かも知れないので、肉フェスのポスターなどが掲載されている八幡宮の公式ブログのアドレスを貼っておく。
http://hachimansama.jp/category/blog

 昨年10月に初めて肉フェスを開催したところ、1日で1万人の入場者を集める盛況ぶり。好評に応えての第2回開催で、会期も3日間に拡大したという。

 第1回の肉フェスについては地元紙の西日本新聞が紹介しているが、その記事によると、仕掛け人は宮司の子息の若き権禰宜。昔の神社は地域コミュニティーの中心であり、普段から人々が集っていたが、現在では氏子も参拝者も減っている。神社自身が意識を変え、常に人が集まる場所にしたいと試みたのが肉フェスだったという。

 このイベントについて初めて知った時は少し驚いたが、よくよく考えてみれば、それほど奇をてらったものではない。神社の夏祭り、秋祭りなどでは境内や参道に様々な出店が並ぶが、多くは焼き鳥やイカ焼き、たこ焼きなど食べ物の店。それがすべて肉料理になったというだけの話だ。昔、筥崎宮の放生会で見掛けた「蛇女」などの胡散臭い見せ物よりも、よほど健全だ。

 個人的には胡散臭いのも好きなのだが、それ以上に「お肉が好きなんですっ!!!」という口でもあるので、都合が付けば、行ってみたいと思う。

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 ちなみに鳥飼八幡宮の境内にはこんな像が祭られている。通称「なで牛」。体に悪い箇所がある人は、牛の同じ場所をなでれば快癒すると言い伝えられ、地域住民から敬われている。肉フェスとは関係ない。
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消えたアカミミガメ

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 福岡市中央区の舞鶴公園のお堀で今年、不思議なほどミシシッピアカミミガメを見掛けない。例年ならば、天気が良い時は多数のカメが水面を泳いでいる時期だが、今年は一帯を散策しても、下手したら1匹も見ない時さえある。きょう5月11日は五つのお堀を巡って相当じっくりカメを探してみたが、5号堀で1匹を見掛けただけだった。いったい何が起きているのだろうか?

 このお堀では名物だったハスが近年激減しており、再生を目論む福岡市はカメの食害が原因だと推測していた。それを確かめるため市は2013年1月から、カメが侵入出来ない囲いの中でハスを育てる実証実験を3号堀、5号堀で行っていた。囲いの中でハスが育ち、外で育たないようならば、カメ犯人説が立証されたことになる。最大の3号堀では囲いの内外でハスの育ち具合に変化はないようだったが、5号堀では目論見通りの結果が得られ、市はこのほど「カメの食害が主要因」との結果を公表した。

 では、ハスをカメから守るために市はどうする考えなのか? 新聞報道等によると、実はまだ決まっておらず、<1>カメを別の場所に移動させる<2>カメ侵入防止のための囲いを広げる――の2案を検討しているという。しかし、<1>については移動先の候補が現実にあるのだろうか。

 固有の生態系を破壊すると悪者扱いされているアカミミガメを放せる場所は、閉じられた環境にある人工の池だけだろう。お堀の隣にあり、現実に多数のカメが生息している大濠公園は有力候補ではないかと考えたが、行政自ら特定外来生物候補を放ったのでは批判は必至。かといって動物園等に大きな専用池を造ったのでは金が掛かる。最も簡単な解決策はカメを駆除することであり、それが福岡市の本音ではないかとも思える。

 ここで本題に戻るが、今年カメをあまり見掛けない理由は何だろうか。ひょっとしたら密かに駆除が行われたのではないかとも想像したが、お堀は人通りの多い大通りに面しており、人知れず駆除するなど現実的には不可能だろう。だとしたら、自然にカメが減ったということになるが、それらしき原因がまったく思い浮かばない。

 強いて挙げれば、5号堀では囲いの中以外ではハスが育っていないため、ここには餌がなく、生息できない環境になったとは考えられる。ただ、5号堀と水路でつながっている4号堀ではハス(種類は違う)が繁茂している。カメたちはここに移動してきても良さそうだが、それらしき気配はない。1~3号堀に至ってはハスが水面を埋め尽くしており、餌は十分のはずだ。カメとともに、お堀の主要な生き物であるコイは相変わらずウヨウヨしているので、水質が特に悪化したわけでもないだろう。

 以下は勝手な憶測だ。ハスをカメが食べていたのは事実かも知れないが、それが主要な餌ではなかったのではないだろうか。では、何がメインの餌かと問われれば、考えられるのは人間からもらう食べ物だ。例えば、5号堀では毎夕、カメに大量のキャベツを与えていた男性がいた。いつも20匹前後のカメがキャベツに群がっていたが、この男性を昨年から見掛けなくなった。こじつけかもしれないが、男性が現れなくなった頃からカメの数が減っていったような気がする。

 以前にも書いたが、このお堀で常時見掛けるのは大きなカメたちだけだ。初夏には誕生したばかりと思われる子亀を見掛けることは確かにあるが、これが育っているのならば、様々なサイズのカメが生息しているはずだ。しかし、現実には違う。このお堀は本来、カメが生息できる環境ではなく、それでも生き延びてきたのは人間が餌を与えてきたためではないだろうか。あちこちの公園で暮らしている野良猫(地域猫)たちと状況は同じだと思える。わざわざ移動したり、駆除したりしなくてもカメの数をコントロールする方策が別にある気がする。
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海の中道海浜公園

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 大型連休中に海の中道海浜公園(福岡市東区西戸崎)に行き、園内をぐるっと歩いてきた。遠出するだけの金がないので、この連休は体力作りに当てることにし、主に近場の山を巡っていたのだが、山歩きにも少し飽きてきた。そこで目先を変えて海辺の公園を散策することにした。総面積540㌶に及ぶ広大な米軍基地「キャンプ・ハカタ」跡地に現在もなお整備中の国営公園で、開園済みの区域だけでも約292㌶。中高年が歩き回るには十分すぎる広さだ。

 キャンプ・ハカタの大半が返還されたのは1972年。基地の区域等がわかる地図(下)が板付基地返還促進協議会の第48回総会(2014年8月開催)資料にあったので、お借りした。網掛け部分が1972年6月に最初に返還されたブレディ飛行場。雁ノ巣飛行場を接収して整備した空軍基地だ。朝鮮戦争(1950~53年)時に活躍したが、返還当時には使用されておらず、滑走路も撤去されていたという。

 この跡地は、福岡市が国から土地を借りて雁の巣レクリエーションセンター(以下、レクセンター)として整備している。66㌶の敷地の中には野球場をはじめとする様々なスポーツ施設があり、2016年には移転予定ながら現在はホークスのファーム本拠地も置かれている。実はレクセンターも海浜公園に含まれている。だが、不思議なことに公園を整備している国交省の資料ではレクセンター部分は“未開園区域”になっている。国交省自らが整備を行ったわけではないため、未整備扱いなのだろうか。行政の考えはよく理解できない。レクセンターを含めれば、開園区域は350㌶を超えることになる。

 続いて1972年11月に返還されたのが現在の海浜公園本体部分。76年から公園整備が進められており、81年に大芝生広場、動物の森などの59㌶が先行開園。その後、サンシャインプール、水族館のマリンワールドなどが相次ぎオープンし、公園には毎年180~200万人が訪れているという。

 1977年3月に返還されたのは塩屋岬と呼ばれる場所で、ここだけ返還が遅れたのは、米軍が板付通信施設の代替施設予定地として留保していたためだという。玄界灘に面した岬には現在、シーサイドヒルシオヤという展望所兼休憩所がある。上の海岸の写真はここから撮影した。非常に風光明媚な海岸だが、波が荒いためか残念ながら立ち入り禁止だ。

 公園では現在、200万本のネモフィラが最後の見頃。高さ60㍍の大観覧車に乗って眺めるのが最も美しいらしいが、観覧車は老朽化と利用客の減少により、今年8月いっぱいで営業を終了することが発表された。西区のマリノアにあった日本一の大観覧車に続き、博多湾のランドマークだった観覧車がまた消え去っていく。




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天拝山は猫の山

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 福岡県筑紫野市の天拝山に登ってきた。山麓の武蔵寺のフジ、登山口近くの谷を彩るシャクナゲが春の名物だが、残念ながら両者とも見頃を過ぎていた。その代わりと言っては変だが、ずいぶんたくさんの猫を見掛けた。山麓どころか、狭い山頂にも数匹の猫がうろうろしており、少しびっくりした。1枚目の写真の猫は山頂にある天拝山社の境内でくつろぎ、2枚目の猫はトカゲを狙っていた。山頂に住み着いているのか、それとも登山客からもらう餌を目当てに猫たちも登ってくるのか。少なくとも栄養状態は良さそうに見えた。

 下山中にも別の猫が林の中でニャーニャー鳴いているのに出会い、山麓の公園にはさらに多くの猫がいた。不思議に思い、帰宅後にネット検索したところ、天拝山周辺には多数の猫が住み着き、有名な存在になっているらしいとわかった。地元の団体が「地域猫」として世話をしているようでもある。どの猫も意外にコロコロしていたのは、そのためだろうか。

 天拝山は標高258㍍。山頂直前には430段あまりの階段が続いているが、それ以外はなだらかで広い山道が整備されており、山麓の武蔵寺から山頂まで40分もあれば登ることができる。ただ、低山の割には意外に森が深く、山道のところどころに「イノシシ出没注意」の看板があった。

 古くは天判山という名前だったが、大宰府に流された菅原道真がこの山に登り、無実が晴れるようにと天を拝んだため、天拝山と呼ばれるようになったという。こういった歴史にまつわる情報はガイドブックにも、山中の説明板にも書かれているが、現在の天拝山を象徴する数多くの猫に関する情報はネット以外にない。ネット上には「天拝山は猫の楽園」と評する意見もあったが、人に捨てられた猫たちが安穏と暮らせているはずはないと思った。

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 中腹の荒穂神社近くの斜面で見掛けた白い花。帰宅後に調べた限りでは、ギンリョウソウ(銀竜草)ではないかと思う。別名はユウレイタケ。暗い林の中に堆積した落ち葉に寄生する腐生植物だという。(参考『九重に咲く花』上野哲郎、不知火書房、2001)

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 これが山頂に続く長い階段。宝満山の石段などとは違い、高さがそろった階段なので、非常に登りやすくはある。

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 山頂に鎮座する天拝山社。小学校低学年の頃、麓にある小学校に通っていたので、この山には何度も登ったのだが、不思議なことに山頂で弁当を食べた記憶はない。学校からあまりに近い場所にあるので、遠足ではなく自然観察等の授業で山に登り、昼は給食を食べたのだろうか。

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 山頂の展望台からの眺め。左側に見える台形の山並みが古代山城・大野城跡がある四王寺山系。中央の高い山は宝満山・三郡山の山並み。いずれも昭和時代、福岡都市圏南部の小学生が必ず登らされた山々だ。手前に見える高架道路は九州自動車道。


 帰りは筑紫野市の中心商店街を通り、西鉄二日市駅に向かった。写真の建物は私が小学生時代に完成した旧・武石百貨店。都会の人には「これがデパート?」と笑われるかもしれないが、1970年代、7階建てのビルは周囲を圧し、地元民にとっては自慢の存在だった。商店街自体も今よりはるかに栄えていた。当時の筑紫野市の人口は約5万人。現在は2倍の10万人に膨れ上がったのに、商店街はむしろ寂れた。
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ランタナ跡形なし

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 福岡市博物館の花壇に植えられていたランタナが先頃、跡形なく伐採された。クマツヅラ科の低木で、和名は「七変化」。名前にたがわず、毎年初夏から晩秋にかけて色とりどりの花を咲かせていた(2枚目の写真は昨年10月撮影)。なぜ、急に伐採されることになったのか。不可解だ。

 いくつか理由を想像してみた。冬の管理に失敗してただ単に枯らしてしまっただけという可能性はある。あるいは、ランタナの黒い実には毒があると言われている。「危険ではないか」と一部市民から苦情を受けたか。また、常緑小低木とされているが、現実には冬には葉が落ち、春までは枯れ枝のような姿になる。これを「みっともない」と、これまた一部市民から苦情を受けたか。

 一部市民からの苦情にこだわったのには理由がある。ご記憶の方も多いだろう。福岡市は2009年12月、たった一人の市民からの苦情に過剰反応し、学校に植えられていたキョウチクトウを全て伐採すると大騒ぎしたことがあった。“たった一人の市民が”苦情を申し立てたのは「キョウチクトウには毒があり危険」という理由からだった。

 キョウチクトウが毒性を持つのは間違いないようだが、そんな植物はいくらでもある。千葉や広島、鹿児島などの各市は「市の花」にも指定している。それを毒花とみなして根絶やしにしようするなど失礼極まりない話で、当然ながら“たった一人”どころではない市民から批判が殺到し、あっさり前言撤回に追い込まれた。市民がクレームをつけるのは勝手だが、いちいちそれに右往左往する行政は情けない。

 この“キョウチクトウ事件”はウィキペデイアの当該ページにも記載され、福岡市の恥を満天下にさらしている。

 福岡市の行政絡みの写真をもう1枚。下の案内標識の写真はきょう5月3日、福岡市中央区地行浜の通称よかトピア通りで撮影した。この標識近くにあった市立こども病院が東区の博多湾人工島に移転したのは、もう半年も前の昨年11月のことだ。この標識こそ、いい加減に撤去したらどうだろう。


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