二丈岳からの眺め

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 福岡県糸島市にある二丈岳(711㍍)山頂からの眺望が素晴らしいと聞き、福岡都市圏が最高気温34度を超える猛暑に襲われた29日、無謀にも登ってきた。少しガスが出ていたが、360度の展望が広がる山頂の巨石上からの眺めは確かに抜群だった。中でも東側には糸島平野や船越湾、引津湾、可也山などの変化に富んだ風景が広がり、登った甲斐があったと実感した。

 しかし、頂上までの道のりは想像以上にきついものだった。快速が停まるからという単純な理由で、JR筑肥線の筑前深江駅から林道を経由して登山道に入るというルートを選んだが、この登山道が大変な急傾斜の連続だった。しかも、登山道に入るのが早過ぎたため、崖のような急斜面を無駄に登ることになり、ガイド本などが推奨する登山口に着いた時はほとんど精根尽き果てた状態だった。深江駅から山頂までの道のりは2時間半程だっただろうか。

 この二丈岳を、地元の観光協会などは「手軽なハイキングコース」として紹介している。あの難路がハイキングコースとは到底信じがたいが、西側の麓にあるキャンプ場「真名子木の香ランド」まで車で行き、ここから山頂を目指せば、もっと楽にたどり着ける。

 下山後、筑前深江駅から徒歩数分の距離にある二丈温泉「きららの湯」に立ち寄り、汗を流してきた。全国屈指のラドン含有量を誇る天然温泉で、筋肉痛や高血圧などに効くとか。もともとは上水道用としてくみ上げていた地下水の水質検査をしたところ、ラドン豊富な鉱泉だったことがわかり、2003年に旧二丈町が建設した温泉施設だという。入浴料500円と手軽な料金の割には、小さいながらも露天風呂やサウナまで備えたきれいな施設だった。疲れが吹き飛ぶとまではいかなかったが、お陰で体はずいぶん軽くなり、元気を回復して帰路に着いた。

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 標識に従い、慌てて登山道に入ってしまったのが大失敗。一般的な登山口は、緩やかな林道をさらにたどった先にある。

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 ここがガイド本など推奨の登山口。ロープが目印。 

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 この山には室町・戦国時代、二丈岳城、または深江岳城という山城が築かれていた。山頂の一角には現在も石垣が残る。

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 二丈岳の南西には浮岳(805㍍)、女岳(741㍍)などの形の良い山々が連なる。
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開いていた福岡タワーの窓

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 7月27日夕、福岡市早良区百道浜を散歩していて福岡タワーの窓が開いているのに気付いた。「換気でもしているだろうか」と思い、別に気に留めることもなく通り過ぎようとしたが、これが通常の光景ではないことに思いが至った。何年も見続けてきた福岡タワーだが、恥ずかしながら壁面に開く窓があることを初めて知った。

 このタワーの北側駐車場で5月11日夜、男子高校生の遺体が見つかり、タワーから転落したものと思われた。しかし、タワーの壁面はほとんどはガラス張り。北側にある非常階段だけは鉄枠で囲われているが、ここも隙間は最大14.5㌢と高校生がすり抜けられるサイズではない。“謎の転落死”としてスポーツ新聞などで大々的に報道されたが、開く窓があるのならば、謎でもなんでもなくなる。

 窓は下部が外側に向かって開く仕組みで、写真1枚目が北側の上層部、2枚目が低層部。北側の低層部だけで20枚もの窓があり、鉄枠の隙間とは比較にならない程大きく開いている。

 だからと言って、高校生がここから転落したと断定するつもりはないが、発生当時、この窓にスポットが当たらなかったことが不思議で仕方がない。あくまでも私が見聞きした範囲内の話だが、この開く窓について取り上げた報道はなかった。警察の捜査により、ここからの転落の可能性は否定されているのかもしれないが、それならそれで言及があって然るべきだと思う。なぜ、存在自体が無視されたのだろうか。
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濃霧の大分道


 先の3連休に2日続けて大分自動車道を利用した。驚くことに、この2日間とも湯布院~別府間が濃霧のため通行止めだった。お陰で下り線を走っていた車は湯布院で下りざるを得ず、大渋滞となっていた。この区間は、由布岳や鶴見岳の麓の高原地帯を通るルートで、晴れてさえいれば、周囲には絶景が広がる。しかし、最高で標高700㍍超と高い場所を通るため、今回のように霧や積雪に見舞われることも多く、景色を楽しむどころか恐怖を味わったことがある。

 2年前の秋のことだ。霧のため速度が50㌔に規制されている時にここを通った。視界は真っ白(写真)。運転していた家族は慎重に車を走らせていたが、信じられないことに何台もの車が追い越し車線を猛スピードで走り抜けていった。慣れているのか、無謀なのか知らないが、あんな車が後ろから来たらたまらない。生きた心地がせず、別府湾SAに着いた時は心底ホッとした。

 国交省が先月、昨年度の「高速道路の通行止めワーストランキング」を公表したが、災害・悪天候による通行止め時間が“見事”ワーストワンとなったのが湯布院~日出JCT間だ。累計時間は271時間にも上る。ちなみにワースト上位はすべて、大分道や宇佐別府道路、日出バイパスなどの近隣区間。北海道や東北の高速道が雪で閉ざされるよりも、大分県内の道が霧で通れなくなるケースの方がはるかに多いという結果だった。試算は難しいと思うが、通行止めによる経済的損失は大きいことだろう。

 なぜ、こんなに濃霧が多いのか? 別府湾からの湿った空気が鶴見岳や由布岳にぶつかって霧となり、付近に滞留するためだという。大分道のルート設定が間違っていたのではないかと思わないでもないが、あの絶景は捨てがたくもある。やはり大分県の誇る観光地、湯布院と別府を経由し、さらには景勝地を通るように考え抜かれたルートなのだろうか。
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初めてのくじゅう登山道

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 先日、大分県くじゅうに行き、雨ヶ池を散策してきた。本当は坊がつるまで行く予定だったが、高速道で渋滞に遭遇して到着が遅れたうえ、天候も怪しくなり、雨ヶ池で引き返した。名前通り、雨が降り続くと池になるという雨ヶ池だが、現在は草原状態で、イブキトラノオが小さな稲穂のような白い花を咲かせていた。

 実はくじゅうの登山道をたどるのは今回が初めてだった。景観を気に入り、何度も来た場所だが、山登りにはまったく関心がなく、登山口の長者原にあるタデ原湿原を巡ったり、レストハウスで食事を取ったりするだけで十分満足していた。有名な坊がつるに興味がないわけではなかったが、登山靴さえ持っていなかったため、タデ原湿原の先に踏み込もうという気は起きなかった。

 最近、福岡周辺に残る古代山城跡を巡るため、やむなく安物のトレッキングシューズを買った。だからと言って、1,700㍍級の山々が連なるくじゅう連山にいきなり挑戦しようという気になったわけではないが、改めて標高を調べて見ると、長者原がすでに1,000㍍を超えた場所にあり、雨ヶ池が1,350㍍、雨ヶ池から下った場所にある坊がつるが1,200㍍。一度は登っても損はないと思い始めた。

 実際に登ってみて、傾斜自体は想像していたよりも緩やかで、ほとんど息を切らすこともなく雨ヶ池にたどり着いた。ただ、ガレ場というのか岩だらけの道には、特に下山の際に難儀した。また、道筋が所々わかりづらい場所があり、薄暗くなったら迷いかねないことを痛感した。過去には実際、長者原へ下山中の一行が指山に迷い込んで一晩を明かし、大騒ぎになったことがあるらしい。こういった怖さは、憩いの場として整備された低山にはない。

 長者原に下りると、思いのほか天候が良く、せっかくだからとタデ原湿原を歩いた。ヒゴタイの花は緑色だったが、すでにまん丸に膨らんでおり、見頃は間もなくのようだった。


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遺構が残っていた円形劇場

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 この数日、昨年8月に書いた「うきはの円形劇場、復元を検討」(以下、前記事)という記事がずいぶんアクセスを集めていた。福岡県うきは市の「道の駅うきは」に立ち寄った際、円形劇場復元に取り組んでいる人たちと出会ったという話で、円形劇場とは1925年(大正14年)、現在道の駅がある丘の一角(当時の地名は山春村)に整備された野外劇場だ。

 なぜ、今になってこの記事にアクセスがあるのか? 不思議に思って調べてみると、うきは市教委の発掘調査で円形劇場の遺構が見つかり、7月18日午前10時から、現地説明会が開かれるとわかった。残念ながら当日は別の用事があったため参加できなかったが、道の駅での買い物ついでに20日、現地に立ち寄ったところ、舞台と思われる半円形の遺構が姿を現していた。

 劇場の規模は、想像していたよりもかなり小さいものだった。現地説明板に「数千人が一堂に会される」と書かれていることや、私自身が当たった資料の中にも「4,000人収容」とあったことから、相当大規模な劇場だったと思っていた。しかし、写真でわかるように、丘の斜面の下に幅10㍍程の小ぢんまりした舞台があるという構造で、斜面が観客席になっていたのだろう。収容人員は100~200人程度ではないだろうか。

 この劇場を拠点にするはずだったのは、地元の開業医、安元知之と農業青年たちによって1923年(大正12年)に結成された劇団「嫩葉(わかば)会」。主宰者・安元の病死により1927年(昭和2年)には解散しており、活動期間は極めて短いものだったが、“日本初の農民劇団”として大きな注目を集め、作家、詩人らが相次ぎ山春村を訪れた。また、公演は毎回大変な人気を呼び、地元住民だけでなく、遠方からも多数の人たちが訪れたため、初日は地元向け、2日目は来訪者向けと2日間の公演を行っていたという。

 嫩葉会に注目した作家の一人、湯浅真生が会解散後の1927年12月、読売新聞に寄稿した評論の一部を前記事の追記で紹介したが、彼が26年2月、同紙に4回にわたって連載した「農民劇場の問題―嫩葉會の功績と意義―」という寄稿を新たに探し当てることができた。これによると、会結成当初、「外部からの圧迫と嘲笑とは想像以上に激しかった」という。地元の知識階級からも「そんな高級な文芸が青年たちに理解せられる筈がない、今に演る興味は無くなるに違いないと冷笑された」とも書かれており、非常に興味深かった。
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豊後の森機関庫のSL

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 7月19日、ふと思いつき大分県玖珠町にある豊後の森機関庫に立ち寄ってきた。福岡県志免町でスクラップとなる予定だったSL9600形29612号機を玖珠町が譲り受け、先月から豊後の森機関庫に展示している。昨年春、「志免町のSL、玖珠町で保存へ」を書いた時、29612号機は朽ち果てる寸前だった。現在では黒光りする姿に修復され、今にも走り出しそうな雰囲気だ。

 29612号機は1919年(大正8年)に製造された車両で、全長16.5㍍、重量は約60㌧。主に北部九州で石炭輸送を担い、長崎に原爆が落とされた際は被爆者の輸送にも当たったという。引退後の75年、「志免炭鉱でSL用石炭を産出していた」という理由で志免町が譲り受け、その後役場近くの公園で野ざらしになっていた。

 一方、豊後の森機関庫は1934年に完成したSLの車両基地。71年に廃止されて以降、こちらも廃墟同然となっていたが、巨大な扇形機関庫は原型をとどめ、近年になって貴重な近代化遺産として脚光を浴びていた。2012年には国の登録文化財ともなっている。

 29162号機が志免町から玖珠町に譲渡された経緯については「志免町のSL、玖珠町で保存へ」で書いたが、大雑把に振り返ると、当時の志免町長が1,300万円の予算を投じてSLの改修・移設を計画したが、議会の反対で頓挫し、SLは廃棄されることになった。これを知った玖珠町側が豊後の森機関庫に展示したいと引き取りを申し出たという経緯だ。聞くところによると、29162号機が無為に失われることを惜しんだ鉄道ファンが「機関庫のある玖珠町が保存を」とメールを送り、これに町長が応えたということらしい。玖珠町長の決断力、実行力が目を引く。

 生き延びた29162号機は、扇形機関庫を背に展示されている。最もふさわしい場所が安住の地となった。だが、志免炭鉱の竪坑櫓が見える場所にある志免町の鉄道記念公園(下の写真)もお似合いの場所だったろう。旧国鉄勝田線の跡地に整備された公園で、町が移設を計画していたのはここだった。


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切り倒されたイチョウ

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 福岡市南区長住2丁目と長丘1丁目に面した大池通りで先頃、歩道に植えられていた街路樹のイチョウが市によって根こそぎ引っこ抜かれ、その跡がアスファルトで埋められている。通りを歩くと、まだコールタール特有の匂いが残ったアスファルトの区画に次々出くわし、相当数のイチョウが伐採されたことがわかる。なぜ、こんな無残なことをしたかというと、歩道拡幅の邪魔になったためだという。

 秋には通りを黄色に染め、一帯の名物でもあったイチョウだが、イチョウが植えられているために狭いところでは歩道幅が1㍍未満。歩行者と自転車が交錯して非常に危険だったらしい。だったら自転車は車道を走らせれば良さそうなものだが、この辺りは車道も狭く路側帯はないに等しい。市には「安心して歩けるようにして欲しい」という要望が以前から寄せられていたのだという。一方で、伐採が決まると、中止を求める声が近隣住民から上がったが、もはや予算も通った話であり、こちらは門前払いだったようだ。

 今のところ、伐採されたのは長住3丁目交差点から2丁目交差点の手前までで(地図参照)、その東側はまだ無事だが、イチョウが歩道を狭くしている状況は同じ。この付近のイチョウも次々に切り倒されていくのだろう。跡地をアスファルトで埋めるのは恐らく応急措置で、いずれ歩道改良工事が行われるのではないだろうか。

 南区には、大池通りからも程近い場所に有名な「桧原桜」がある。1984年春、開花を目前にした桜が道路拡張工事で切り倒されることになり、悲しんだ市民が助命を訴える和歌を桜の枝につるした。これを知った当時の市長・進藤一馬氏が返歌で伐採中止を約束し、進藤氏は後に「筑前の花守市長」として全国から称賛を浴びた。今回のイチョウ伐採は他に方法がなかったのかもしれないが、花守市長ならばどうしただろうか。

 歩道と街路樹の問題と言えば、東区の香椎参道もかなり深刻な状態だと思う。参道には大正時代、165本のクスが植えられ、大木に育った現在では、通り全体を緑のトンネルで覆っている。福岡でも有数の美しい通りだ。

 だが、大きく張った根のために歩道はデコボコと波打ち、点字ブロックも悲惨な状態になっている。車いすやベビーカーはもちろん、高齢者も歩きにくいはずだ。あちこちで応急処置はされているようだが、このままでは状況は悪くなる一方だろう。こういった街路樹の“根上がり”は全国的にも問題になっているらしく、横浜などでは抜本的な改良工事が試みられていると聞く。貴重なクス並木を守るためにも、福岡市は先行事例を研究してはどうだろうか。


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ベランダにヒヨドリ

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 台風11号が中四国を縦断した17日夕、自宅のベランダに野鳥が飛んで来てランタナの実をつついていた。姿かたちからして巣立って間もないヒヨドリではないかと思う。まだ、ヒナのようなフワフワした感じが残っていた。ランタナの実には毒があると聞いていたので、こんなものを食べて大丈夫だろうかと心配になった。ネットで調べた限りでは種に毒はあるものの、熟した果肉を食べても害はないらしい。心配する必要はないようだ。

 ベランダでヒヨドリの写真を撮影したのは、これで2回目。一度目は2011年9月、飛行訓練中と思われるヒナがやって来た時だった(「ベランダにヒナ鳥」)。ただ、フンが落ちている時が結構あり、野鳥が度々訪れているのだろうとは思っていた。日中、留守の間にこうやって飛来しては実をつついていたのだろう。それだけ多数の野鳥が付近に生息していると考えるべきなのか、それとも集合住宅のベランダに植えられた草花の実を食べなければならない程、餌が不足していると考えるべきなのか。

 もっと写真を撮りたかったのだが、台所に立っていた家族がガタンガタンと大きな音を立て、驚いたヒヨドリはあっという間に飛び去って行った。
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フルスイング柳田の飾り山

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 福岡市はいま、夏祭り博多祇園山笠の真っ最中。街の各所には豪華な飾り山が展示され、間もなく舁き山も博多の街路を走り始める。このブログでは毎年、ヤフオクドーム(中央区地行浜)前に建てられたホークスの飾り山を取り上げているが、今年のモデルは工藤監督と柳田だ。例年、モデルが誰なのか悩ましいことも多いが、今年の柳田はトレードマークのフルスイング姿で一目瞭然。

 工藤監督も遠目には特徴を良くとらえているように思えたが、アップ写真で見ると、この顔には間違いなく見覚えがある。松田や長谷川が登場した昨年の写真(「松田…なのか?」参照)と見比べてみると、やはり工藤監督の顔は松田そっくりだった。聞くところによると、手間と費用を省くため、人形の顔を再利用するケースがあるらしい。もっとも時代物がテーマの飾り山ならば、極端な話、楠木正成の顔が足利尊氏に再利用されても誰も突っ込まないとは思うが。

 今年はほかに、新天町商店街(中央区天神2)の飾り山の主役が筑紫君磐井だったことに関心を持った。古墳時代、九州北部一円を支配したとされる豪族で、ヤマト王権を相手に「磐井の乱」(527~8年)を戦ったことで知られる。昔は朝鮮半島の新羅と結託して反乱を起こした人物として“国賊”の扱いだったが、彼の墓・岩戸山古墳がある八女市は近年、「郷土の英雄」として再評価を進めている(「岩戸山古墳の新資料館」)。

 山笠のテーマ(標題)は運営組織と人形師が話し合って決めるという。新天町が磐井を選んだということは、やはり「郷土の英雄」と評価したのだろう。下の写真で黒い馬にまたがり、剣を構えているのが磐井。盾を持って相対しているのが、磐井追討軍の指揮官だった物部麁鹿火だ。見送り(裏)が『サザエさん』なので、家族連れにはこちらの方が人気だが。


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R18指定の浮世絵展


 福岡市美術館で8月8日から9月20日まで、『肉筆浮世絵の世界』という特別展が開かれる。この展示会を巡り、少し興味深い話を聞いた。約170点が展示される予定だが、この中に30点程の春画が含まれる。会期は一部夏休みとも重なるため、小中高校生の入場も予想されるが、春画だけは別室に展示し、子供たちの入場を制限するというのだ。

 春画とは言え、世界で評価される浮世絵。映画で言えば、R18指定とは少々大げさな気もするが、福岡県の青少年育成条例に「青少年の性的感情を刺激し、その健全な育成を阻害するおそれがあるもの」を販売したり、見せたりしてはいけないという規定があり、これに触れるためらしい。展示会の図録も本編と春画編に分け、春画編については18歳未満への販売を規制する方針だという。

 ここまでするのならば、春画を無理に展示する必要があるのか、と思わないでもないが、浮世絵を取り上げる以上は無視するわけにはいかないという考えなのだろう。批判や疑問の声が上がるのは覚悟のうえでの開催らしい。

 話は変わるが、この福岡市美術館は評価額6億円の絵画を所蔵しているという。美術愛好家の間では常識らしいが、恥ずかしながら絵画にも彫刻にもまったく関心がないため、たまたま読んだ市の発表資料で初めて知った。絵画の世界ではオークションで数十億円、あるいは数百億円で落札されるケースもある。6億円という価格は特筆するほどではないかもしれないが、地元の公立美術館にそんなお宝があるとは予想外だった。

 その6億円絵画とはサルバドール・ダリの『ポルト・リガトの聖母』(1950)で、常設展示されている。幅2㍍、高さは3㍍近い大作。福岡市美術館公式サイト内にある収蔵品紹介ページによると、ダリがこの絵を描くきっかけなったのは原爆投下だったという。

 福岡市美術館が『ポルト・リガトの聖母』を購入したのは約20年前の1996年。購入価格は5億6,000万円で、当時、地元では大変な話題になったらしい(この頃は福岡市外に住んでいたので、まったく知らなかった)。現在の市の評価額とは4,000万円の開きがあるが、20年の間にさらに価値が上がったのだろうか。同美術館はこのほか、シャガールやミロ、アンディ・ウォーホルら著名な画家の作品を収蔵している。現代美術に偏ったラインアップだと思ったが、美術館の方針自体が「内外の近・現代美術の収集」だという。
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