秋のヒマワリ

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 福岡県朝倉市の「道の駅原鶴」前の休耕田でヒマワリが満開となり、大勢の行楽客でにぎわっている。今年は天候不順のため例年より2週間ほど開花が遅れたというが、どちらにしても秋真っ盛り。子供時代は真夏にしか見た記憶がない花だが、最近はこんな“秋のヒマワリ”が各地で咲き誇っている。

 秋咲きのひまわりがいつ頃から増え始めたのだろうと思ったが、手持ちの園芸図鑑※によると、開花時期はもともと7~9月。9月に咲くのは別に珍しくもないことだとわかった。しかし、9月どころか晩秋に咲いている名所もあり、例えば、佐賀・みやき町では11月中旬までが見頃で、紅葉との競演がセールスポイントになっている。年によってはヒマワリの花が雪を被るシュールな光景さえ見られるという。ヒマワリの種類は非常に多いらしく、中には遅咲きの品種もあるのだろう。

 「道の駅原鶴」前の休耕田は1.6㌶の広さで、計16万本が植えられている。この場所は、2006年に合併で朝倉市が誕生する以前は杷木町だった所で、町の花がヒマワリだった。地域おこしのため、1990年から観光協会などが栽培に取り組んできたという。「道の駅原鶴」の開業が1996年というから、これより早い。写真を撮影したのは26日だが、「道の駅原鶴」では26、27日の2日間、花の切り取り販売が行われていたので、数はだいぶ減ったことだろう。

 ※『園芸植物―庭の花 花屋さんの花―』(肥土邦彦・植原直樹、小学館、1995)

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雁の巣最後の3連戦

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 福岡市東区奈多の雁の巣球場で25日、ホークス二軍の今季最後となる対広島カープ3連戦が始まった。ホークスは来季からファーム本拠地を福岡県筑後市に移すため、この3連戦が雁の巣球場での最後の公式戦でもある。そのためでもないだろうが、もともと500席しかないスタンドは立見客であふれていた。県外に移転するわけではないので、私自身は別に名残惜しいという程ではないが。

 雁の巣球場は両翼98㍍、中堅122㍍。1989年の開場時から、この前年に福岡に移転して来たばかりのホークスの2軍本拠地となり、多くの選手がここで育ってきた。選手たちの愛着は深いというが、三軍制導入でファームの選手数が膨れ上がったホークスにとっては手狭になっているという。球場がある雁の巣レクリエーションセンターは66㌶もの広大な施設だが、市が国有地を借りて整備したものとあって、球場の改修、拡張等が自由に行えず、やむなく移転を決めたと報じられている。

 新ファーム本拠地が建設されているのは九州新幹線・筑後船小屋駅の西側で、25日の西日本新聞には現在の工事進行状況に関する記事が掲載されていた。両翼100㍍、中堅122㍍のメイン球場(観客席は3,000席)のほか、サブ球場、屋内練習場、選手寮などが整備されるが、同紙によると、来年3月開業予定で、工事の進捗率は60%だという。

 ファーム本拠地としては破格の施設になるらしい。事情通のホークスファンに「カニザレスが完成を楽しみにしている」と聞いたことがあるが、ファーム施設など楽しみにせず、一軍に定着して欲しいものだ。

 なお、この日の試合は4-6で広島に逆転負け。8回1死1、3塁のピンチでマウンドに立った金無英が(確か)広島の1番・高橋にいきなり逆転3ランを浴び、これで試合が決まった。先発は山田大樹で5回を投げ被安打5、3失点。相変わらずの制球難で、1~3回にはスレートの四球を毎回出し、かなり厳しい声がスタンドから飛んでいた。カニザレスは貫禄のマルチ安打、上林は右中間を破る適時3塁打を放つなど好調を維持。二軍でホームラン15発の江川は相手投手から明らかに怖がられていた。お疲れ気味のデホさんらは休ませ、この打者3人は一軍で使ってほしいものだ。


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油山のキンモクセイ

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 福岡市の油山市民の森でキンモクセイが金色の花を咲かせ、辺り一面に甘い香りを漂わせている。管理事務所に尋ねたところ、森に植えられているキンモクセイは約400本。吊り橋から中央展望台に至る散策路はまるでキンモクセイ並木のような状態で、中にはビックリするような大きな木もあった。山頂からの帰路にこの道をたどったが、懐かしい香りに疲れが癒やされる気分だった。

 以前は秋になると、あちこちの民家の庭からキンモクセイの香りがしていたものだが、最近はそんな機会が減った。香りがトイレの芳香剤を連想させるため、庭木としては敬遠されるようになったと聞く。もっとも、キンモクセイの香りの芳香剤自体、現在ではほとんど売られていないらしい。水洗トイレの普及以降、消臭のための強い香りは「頭が痛くなる」などと嫌われるようになり、最近では柑橘系やハーブ系などのほのかな香りが主流なのだという。

 そう言えば、我が家で購入する芳香剤も「フローラル」などというよくわからない代物が多くなり、以前には「ガリガリ君ソーダの香り」なるヘンテコリンなものを買ったこともある。庭木はおろか、芳香剤でもキンモクセイの香りに出会わなくなったのだから、懐かしいはずだ。

 市民の森管理事務所によると、キンモクセイの花は23日の雨でだいぶ落ちたらしい。香りを楽しむのは27日の日曜日ぐらいが最後になりそうだと教えていただいた。福岡市ではこのほか、キンモクセイとしては樹齢300年と言われる城南区友泉亭公園の古木が有名だ。友泉亭公園とは福岡藩主の別邸跡だが、昭和初期、貝島炭砿の経営で財をなした貝島家が買い取って整備した歴史があり、現在残る建物や庭園はこの時期のものらしい。この公園もずいぶんご無沙汰なので、近いうちに行ってみようと思う。
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変貌する那の津通り沿線

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 福岡市中央区舞鶴3の旧・浜の町病院跡地で、すぐ東隣から移転してくる福岡法務局の新庁舎(福岡第一法務総合庁舎)建設工事が進んでいる(写真1枚目)。新庁舎は地上8階建て。本体工事を請け負っているのはフジタで、落札額は26億5,100万円。設計、電気・機械設備工事、エレベーター設置までを含めた総事業費は42億円を超える。2017年6月完成の予定らしい。

 法務局があるのは那の津通り(写真2枚目、那の津口交差点から撮影)から少し南に入った場所だ。那の津通りは市の東西を結ぶ幹線道路の一つで、博多区千鳥橋から中央区西公園下交差点までの約4㌔。同じ東西幹線の明治通り、昭和通りに比べて集客施設などが少なく、比較的地味なイメージだったが、数年前から、公共施設の移転・新築などが相次ぎ、徐々に装いを変えつつある。

 最初に移転したのは、国家公務員共済組合連合会運営の浜の町病院で、老朽化等を理由に2013年10月、近くの中央区長浜3に新築移転。冒頭書いたように、この跡地には福岡法務局が新築移転する。

 昨年4月には、大名、舞鶴、簀子の3小学校と舞鶴中学校を統合して舞鶴小中学校が開校。これに伴い閉校となった同じ那の津通り沿いの旧・簀子小学校跡地では間もなく、校舎解体工事が完了する。校舎の跡地利用は未定だが、グランド、体育館は地域のスポーツ施設としてそのまま存続している。舞鶴小中学校の西隣にある福岡地方・高等検察庁、福岡市立少年科学文化会館はいずれも、再開発中の九大六本松キャンパス跡に移転予定。両施設の跡地は舞鶴小中学校の第2グランドとして活用されることが決まっている。

 那珂川沿いの須崎公園には県立美術館、福岡市民会館が並んでいるが、いずれも完成から半世紀以上が経ち、老朽化が目立っている。それぞれの将来構想検討委員会などからは建て替えが提言されており、遠からず解体されるのは確実だが、県、市の財政事情もあってか、新しい施設の整備計画案はまだ具体的にはなっていない。

 那の津通りと言えば、通りの両側に対峙するように建っていた地元予備校・水城学園、九州英数学舘の大校舎、長浜ラーメン、KBCのタワーレコード等々、昭和時代のイメージが未だに私には強い。だが、写真撮影がてら改めて通りをじっくり歩いてみて、ファミリー向けと思われる小ぎれいな高層マンションがずいぶん増えていることに気付いた。

 舞鶴小中学校の開校は、市中心部の児童・生徒数減少に伴うものだが、校区内の世帯数・人口はむしろ増加傾向にある。2010年3月末には12,697世帯、19,059人だったのが、今年3月末現在では14,296世帯、21,116人で、増加率は実に10%を超える。この人口増加はまだ、児童・生徒数の増加には結びついていないようだが、通り一帯では旧・浜の町病院の寮跡地をはじめ、なおもマンション建設が予定されていると聞く。舞鶴小中学校の今後の発展次第では、市中心部に近いビル街でありながら、子育て世帯でにぎわうという珍しい地域に変貌していく可能性があると思った。

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 1946年5月5日に開館し、プラネタリウムなどが人気だった少年科学文化会館。今年度末限りで閉館し、九大六本松キャンパス跡に2017年完成予定の複合ビルに再整備される予定だ。名前も福岡市科学館に変わる。

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 市民会館は1963年10月の開館。拠点文化施設専門委員会は4年前、「再整備が必要」と福岡市に提言したが、その後、具体的な動きはない。再整備場所は未定で、必ずしも現地建て替えということではないらしい。
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土のうステーション

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 福岡市中央区内の4公園に15、16日、「土のうステーション」が設置された。台風やゲリラ豪雨で浸水被害が心配される際、市民はステーションに置かれている土のうを自由に使うことができる。1箇所に付き10~12㌔の土のう100袋が保管されているという。

 4公園は、舞鶴3の浜の町公園(写真)、薬院3の薬院公園、警固3の警固1号公園、六本松1の六本松2号公園(下のグーグルマップ参照)。市がウェブ上でも公開している
「中央区浸水ハザードマップ」と照らし合わせてみると、4公園とも浸水が心配される区域にある。ただし、予想される水深は0.5㍍未満、大人のひざまで浸かる程度と比較的浅い場所だ。小さな土のうでも威力を発揮できる地域に重点的にステーションを配置したということだろうか。

 このハザードマップは、那珂川が100年に1度の大雨(24時間雨量が328㍉)、樋井川が70年に1度の大雨(12時間雨量が256㍉)で氾濫した場合に浸水が想定される区域を示している。24時間雨量328㍉とは、一見とんでもない数字のようだが、今月の東日本豪雨では栃木県日光市で10日正午までの24時間に536㍉、同県鹿沼市でも432㍉という猛烈な雨量を観測している。

 福岡市では1999年6月、2003年7月の2回、市の東部を流れる御笠川が氾濫し、JR博多駅一帯が冠水する騒ぎになった。1999年の際はオフィスビルの地下に濁流が流れ込み、女性1人が亡くなっている。また、2009年7月には今度は中央部を流れる樋井川が氾濫し、床上・床下合わせて計410戸が浸水する被害が出た。これを受けて福岡県が御笠川、樋井川の河道掘削、護岸拡幅などの改修工事を行っており、氾濫の危険性は格段に下がったのではないかと思う。

 ただ、毎年国内のどこかが“記録的豪雨”に見舞われている近年の状況を考えると、無条件に安心はできない。首都圏の自治体などでは早くから土のうステーション設置が進んでおり、遅ればせながら福岡市も取り組み始めたのは非常に良いことだと思うが、だからこそ疑問に感じる。設置するのは、なぜ中央区内4箇所だけなのだろうかと。



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ハチクマウォッチング

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 福岡市城南区の油山・片江展望台で開かれている「ハチクマウォッチング」に12日、参加して来た。ハチクマとは大型の鷹の一種で、夏に本州で繁殖した後、秋に越冬地の東南アジアなどに渡っていく。片江展望台は、ハチクマの渡りが観察できる国内有数のスポットと言われている。ピークは秋分の日前後と聞いており、少し早いとは思ったが、油山散策がてら足を延ばして来た。

 梅林緑道から展望台に向かう途中、カラスがギャーギャー騒ぐ中、鷹らしき大きな茶色の鳥が悠然とその上空を飛んでいくのを見た。意外に期待できるのではないかと思ったが、昼食のおにぎりをほおばりながら、しばらく展望台で粘ったものの、残念ながらハチクマを目にすることはできなかった。

 展望台では日本野鳥の会の方々がガイドをしながら観察を続けているが、現在はまだ、1日で数羽が見られる程度らしい。この時期に本気でハチクマの姿を見たければ、“しばらく”ではなく一日中粘る必要があるようだ。昨年はウォッチング期間中の37日間(9月6日~10月12日)で5,286羽が観察されたが、1日で500羽以上を見ることが出来たのは15、22、25日の3日間だったという。

 ハチクマという妙な名前の由来は、姿かたちがクマタカに似ており、クロスズメバチの幼虫(蜂の子)を好んで食べるためだとか。ハチクマは翼を広げれば1㍍を大きく超え、春、秋2度の渡りで計2万㌔を移動するというハードな生活を送っている。こんな鳥の主食というのだから、蜂の子はよほど栄養価が高いのだろう。

 展望台からの帰路は、「梅林寺・梅林中交差点」という案内貼り紙に従い、いつもとは違う登山道を通ってみた。利用する登山者が少ないのか少し荒れた状態だったが、途中、かなり深い渓谷沿いを歩く箇所があり、びっくりした。長いこと福岡市に住んでいるが、油山にあんな場所があるとは知らなかった。写真を撮りたかったのだが、急な崖を降りなければならず、断念した。

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男子校は希少種

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 今年の夏、家族の母校の野球部が県大会決勝まで進み、あと一歩で甲子園初出場というところまで迫った。普通だったら大騒ぎするところだが、肝心の家族は非常に冷めた様子だった。高校野球に関心がないわけではない。彼女の在学中は女子校だったのに、近年になって男女共学となり、校名さえも変わった。そして専用グラウンドを造るなどして野球部強化に乗り出した。もはや母校という印象はないというのだ。

 家族の母校と同様、元女子校で高校野球に力を入れている私立高校は最近少なくない。今夏も甲子園出場を果たした群馬の健大高崎がその例だが、そのほかにも愛媛の済美、鹿児島の神村学園、宮崎の聖心ウルスラ等々が思い浮かぶ。女子校のイメージを払拭するためには、野球などのスポーツで名を売るのが近道だったのだろう。年配世代の中には「○○女子が甲子園に出場するなんてね~」と今なお違和感を覚えている人は少なくないと聞いたが、済美は2004年に春の甲子園を制し、同年夏と2013年春は準優勝、神村学園も2005年春準優勝。健大高崎を含め、今や完全に甲子園常連校だ。

 福岡市には現在、22の私立高校(下表)があるが、女子校から共学へと転換した例は、少なくとも平成に入って以降はない。水面下では動きがあるのかもしれないが、福岡市ではまだ、女子校に対するニーズが高いのだろうか。一方、平成以降に共学化した男子校は西南学院、福大大濠、上智福岡と3校あり、残る男子校は中村三陽、東福岡(写真)だけになった。対象を福岡県の高校全体(公私立で計161校)に広げても、この2校以外に男子校はなく、これには少し驚いた。

 共学化した男子校のうち、西南学院は、系列の西南学院大がもともと女子の人気が高い。だから、中学・高校が女子を受け入れると聞いてもさほど違和感はなかったが、福大大濠の方は我々中高年世代にとってはバンカラ、体育会系のイメージが強い。「あの大濠に女子がね~」と隔世の感がある。

 もっとも、福大大濠以上にバンカラ、体育会系のイメージが強いのは、今ではラグビー、サッカー、バレーなどで高校スポーツ界を席巻している東福岡だろう。同校のHPによると、現在の生徒数はなんと2,586人で、県内最多だという。数年前に大規模な校舎建て替えを行った際、「共学化への布石では」という臆測も流れたが、まったくの見当違いだったようで、少子化の時代に“マンモス男子校”という希有な存在であり続けている。

【共学】沖学園、九産大九州、純真、上智福岡(旧・泰星)、西南学院、第一薬科大付属、立花、博多、福岡第一、福岡舞鶴、福工大城東、福大大濠

【女子】精華女子、筑紫女学園、中村学園女子、博多女子、福岡海星女学院、福岡女学院、福岡雙葉、福大若葉(旧・九州女子)

【男子】中村三陽、東福岡
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時代遅れの知識

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 先日、別府で一風呂浴びた帰りに阿蘇に立ち寄ってきた。中岳が昨年11月に噴火し、しばらくは騒ぎになっていたが、最近は全く報道がないので、すでに活動は終息したのだろうと思っていた。しかし、依然として噴火警戒レベル2の警報が発令中で、火口から半径1㌔以内は立ち入り禁止。ロープウェイも運休中だった。別に火口に行きたかったわけでもないので、草千里でしばらく休憩してきたが、なるほど中岳火口からはもうもうと噴煙が上がっていた。

 九州にある火山はここ最近、活動が活発化している。今年5月、鹿児島県・口永良部島の新岳が噴火し、全島民が今も避難生活を送っているほか、つい先頃には桜島が大規模噴火する恐れがあるとして近隣住民に一時、避難勧告が出された。また、阿蘇・中岳のほか、霧島・新燃岳、南西諸島の諏訪之瀬島も噴火警戒レベル2の状態で、火口周辺への立ち入りが規制されている。阿蘇から南にある主だった火山はほとんどが要注意状態ということになる。

 中高校生の時代、阿蘇から南西諸島に至る火山群を「霧島火山帯」として習った。中国地方からくじゅう連山や雲仙に至るのが「白山火山帯」。現在、噴火警報が発令されている九州の火山は全てが霧島火山帯に属しているわけで、何か共通の原因があるのだろうと疑ったが、Wikipediaによると、火山帯という用語は火山学的に意味をなさないとして現在では使われていないらしい。無意味な疑問だった。

 火山帯以外でも、古い学説や知見が否定され、自分の知識や常識がとんでもなく時代遅れになっていることに気付くことがある。歴史の教科書の見直しは度々報道されているので、鎌倉幕府の成立1192年説に疑義が出ていることは知っていたが、我々が源頼朝や足利尊氏と習ってきた肖像画に、別人説が出されていることはかなり衝撃的だった。頼朝像に関してはまだ論争が続いているようだが、尊氏像はもはや単なる騎馬武者扱いだ。ちなみに「伝」頼朝像は国宝(京都・神護寺蔵)、「伝」尊氏像は重文(京都国立博物館蔵)。

 福岡市博多区の聖福寺には「伝」頼朝像を模写した絵画が伝わっている。模写といってもパチモノの類いではない。聖福寺が元禄11年(1698年)、頼朝の五百年遠忌法要を行った際、福岡藩の御用絵師で狩野派の重鎮でもあった狩野昌運によって描き写されたというから結構由緒正しいものだ。昨年、市の文化財に指定され、その際にこの絵の存在を知った。

 文化財指定の際の市発表資料によると、神護寺所蔵の肖像画が、少なくとも元禄時代には頼朝像と認識されていたことを証明するものでもあり、その点でも貴重だという。模写とはいえ、狩野派の実力者が描いたのだから、絵としても優品だといい、そんな貴重なものがなぜ、昨年まで文化財指定されていなかったのかと思う。展示会などに貸し出されることもあるから、別に門外不出ということでもないようだ。


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食堂城内、ロバのパン、わらび餅…

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 先日書いた「動き出した潮見櫓復元」に、「保険局が懐かしい」とコメントをいただいた。私もこの記事の写真撮影で城内住宅一帯を歩いた際、「食堂城内」を見掛け、懐かしい気分になった。高校生時代、時折利用していた食堂で、すでに移転、または閉店したのか営業はしていない様子だったが、外観は昔のままだった。

 自宅も高校もこの近くにあったわけではないが、食堂近くの平和台陸上競技場に大会や練習でよく行っており、弁当を持参していない時はここで昼食を取っていた。インターネット上にある情報によると、ケースの中から好きな惣菜を選んだうえで、白ごはんと味噌汁を注文するシステムだったようだが、私の高校時代はラーメンなどのメニューもあった記憶がある。ラーメンはさっぱり味で、福岡では珍しく海苔が上にのっていたので妙に印象に残っている。

 関係ないが、私の夏は平和台で行われる中部支部予選で終わり、インターハイなど夢のまた夢。同じような境遇だった他校の3年生と一緒に食堂城内で昼食を食べた際、彼が口にした「オレのインタイ(引退)ハイが終わった」という面白くもない冗談がこれまた妙に耳に残っている。

 食べ物絡みで最近、もう一つ懐かしい体験をした。先日、福岡市中央区大手門付近の路地を歩いていた時、ロバのパンの歌が聞こえてきたのだ。「ロバのおじさん チンカラリン チンカラリンロン やってくる」というアレだ。「まさか、まだあるとは!」と驚き、慌てて音楽が流れてくる方に向かったのだが、残念ながら間に合わず、正体を確かめることはできなかった。インターネットで調べたところ、北九州市八幡西区に「ロバのパン」という有限会社があり、ここが福岡市でも移動販売を行っているとの情報があった。私が耳にした歌は、この会社の販売車が流していたのだろうか。

 ロバのパンの販売車をよく見かけたのは昭和40年代、小学校3、4年生頃だった。毎週日曜日の朝、住んでいた集合住宅に販売車がやって来ては例の歌を大音量で流していた。滅多にないことだったが、ロバのパンを買って朝ごはんにすることがあり、これが楽しみだった。単なる蒸しパンなのだが、初めて食べた時は「こんなうまいものがこの世に!」と驚いたぐらいだ。

 ほかによく現れたのはわらび餅の販売車で、モナカの皮で出来た皿に盛って売っていた。確か値段は10円からで、値段が上がる程皿が大きくなった。当時、冷たいわらび餅が大好物で、これも初めて食べた時は「こんなうまいものがこの世に!」と感動し、山ほど買って食べるのが叶わぬ夢だった。現在ではスーパーでパック売りされており、1、2度買って食べたことがあるが、さほど美味しいとは感じなかった。昔のわらび餅の方が美味しかったと感じるのは、ノスタルジーだけではないように思う。

 食べ物の話から外れるが、移動販売にまつわる思い出と言えば、この頃はインチキ手品用品を小学生に売りつけようとする胡散くさいオジサンが1年に1、2度の頻度で通学路に現れ、小学生の心をざわつかせていた。彼らが売っていたのはブリキ製の四角い小さな笛みたいなものや、舌に刺さったように見える鉛筆、指でこすると煙が出る粘土状のもの等々。メインの商品が笛で、これを吹きながら話せば、面白い声が出せるという代物だった。ただし、うまくいった試しはなく、すぐに壊れた。

 実演交じりのオジサンの売り口上を聞いている時はものすごく魅力的に思えるのだが、間違って買ってしまうと、「つまらないものを買ってしまった」と後悔し、なおかつ友人たちにはバカにされることとなった。静岡を舞台にしたマンガ『ちびまる子ちゃん』の第1話にも同じような人物が登場するので、全国あちこちで似たような商売があったのだろう。それとも元締めみたいなものが存在したのだろうか。
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動き出した潮見櫓復元

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 解体されたまま四半世紀近くも放置されてきた福岡城潮見櫓の復元がようやく動き出した。福岡市の公式サイトによると、市は現在、潮見櫓の部材を調査したうえで、復元のための基本設計までを担当する事業者を募っている。基本設計は来年3月15日までに終え、2016年度以降に実施設計へと進む段取り。細かいスケジュールは不明だが、市が昨年策定した「国史跡福岡城跡整備基本計画」では、潮見櫓は2014~18年度の短期計画の中で復元されることになっている。そう遠くない将来、福岡簡保事務センター横の土塁上(写真1枚目)に姿を現すことだろう。

 福岡城には47の櫓があったとされるが、大半が破壊され、城址に現存するのは多聞櫓、祈念櫓、「伝」潮見櫓(潮見櫓と伝わってきたが、実際には違い、現在では太鼓櫓と推定されている)の三つだけ。ただ、潮見櫓(こちらは長い間、月見櫓と思われていた)と花見櫓は明治時代の後半、黒田家の菩提寺・崇福寺に国から払い下げられ、仏殿として利用されてきたことで難を逃れた。これを1991年に福岡市が買い取り、将来の復元に備えて解体・保管していたという経緯がある。

 1991年と言えば、3代前の市長・桑原敬一氏の時代。四半世紀の放置とはあまりに長すぎる気がするが、財政難に加え、市長の意気込みの違いなどもあってなおざりになってきたのだろう。

 福岡城跡整備基本計画の短期計画ではこのほか、武具櫓などの復元が予定されている。高島市長は、規模が大きく、福岡城址のシンボルになり得る武具櫓復元に前のめりだと報道されてきた。このため武具櫓の復元が優先されるのではないかと見込んでいたが、今年3月に行われた武具櫓跡の発掘調査説明会で担当者に確認したところ、やはり部材が残る潮見櫓が“復元第1号”になるとのことだった。だったら、同じように部材が保管されている花見櫓復元が、なぜ同時に行われないのかと疑問に思ったが、これはどうも立地条件が関係しているようだ。

 潮見櫓跡があるのは舞鶴公園の一角だが、花見櫓跡地があるのは城内住宅(写真2枚目)の隣接地。つまり住宅街にあり、急いで復元したところで、観光客誘致はあまり期待できそうにない場所にある。このためか1990年代に2度にわたって発掘調査が行われた潮見櫓跡に対し、花見櫓跡は遺構確認のための試掘が行われた程度らしい。従って花見櫓復元のためには、基本設計・実施設計に先立ち、発掘調査が必要になる。

 城内住宅とは舞鶴中学校跡地と市立美術館との間に広がる一戸建て住宅地。終戦後の1946年(昭和21年)、外地からの引揚者のため、城址の一角(国有地)2.6㌶を借り上げて設置されたという。もともとは196戸があったが、福岡市は1994年から移転交渉を進めており、これまでに140戸弱の地上権を取得している。ただ、2027年12月末まで借地権が残っているうえ、何より生活の場であることから、市側も強引な交渉は行っておらず、残る50数戸の移転は長期戦になりそうな気配だ。

 こういった事情もあってか、花見櫓復元については 「国史跡福岡城跡整備基本計画」では将来構想の中に含まれているだけで、当面の間、復元予定はない。せっかくの部材も場合によっては無駄になるかもしれない。


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