「きららの湯」無償譲渡

 福岡県糸島市議会で28日、市所有の温泉「きららの湯」を民間企業に無償譲渡する議案が可決された。「きららの湯」は2003年、当時の二丈町(前原市、志摩町と合併して糸島市に)が7億6,000万円を投じて建設した施設で、市議会会議録に残る議員発言によると、現在でも2億7,000万円もの資産価値があるという。これを売却ではなく、ただでやるというのだから、糸島市というのは太っ腹な自治体だ。温泉をもらったラッキーな会社は日食システムという地元企業で、ネット上にはほとんど情報がなかったが、「きららの湯」で現在、飲食部門を請け負っているという。

 「きららの湯」には昨夏、二丈岳登山の帰りに2回立ち寄ったことがある。大浴場、サウナ、露天風呂などがあり、入浴料は500円。2回とも非常ににぎわっており、洗い場がなかなか空かない程だった。以前にも触れたが、建設の経緯はかなり面白い。水道用水としてくみ上げていた地下水の水質検査を県が行ったところ、ラドンを豊富に含有する鉱泉だったことがわかり、せっかくだから住民の健康増進に役立てようと町が建設に踏み切ったのだという(水道用水としても問題はない)。湯は、筋肉痛や高血圧などに効能があるらしく、市の発表資料によると、ここ数年は安定して年間14~16万人の利用者を集めている。

 2003年建設だから、それほど老朽化しているわけではなく、むしろ非常にきれいな施設だ。それなのに、なぜ無償譲渡しなければならないのか。市側の言い分は、<1>今後、多額の改修費が必要と見込まれる<2>敷地は貸し付けるため、この賃料と固定資産税で年間3,500万円の財政効果が見込まれる――といったものだ。

 民間委譲にメリットがあるのは理解できるが、だからといって2億7,000万円の物件をただでやる理由にはならないと思う。旧・二丈町時代の話だとは言え、多額の税金を投じて建てたのだから、適正金額で売却するのが筋だろう。よそ者が口を出すなと言われそうだが、実際に地元でも無償譲渡に反発する住民らが団体を結成し、市側に撤回を求めていた。団体名が単刀直入だ。 「『きららの湯』をタダでやるな!の会」。しかし、会の訴えは市にも議会にも届かなかった。

 自治体などが所有する公有財産は、庁舎や学校、公営住宅などの行政財産と普通財産に分かれ、地方自治法では普通財産については売却や譲与が可能となっている。「きららの湯」は普通財産に当たるため譲与が可能というのが市の主張で、しかも議会の議決さえあれば、無償であっても問題ないという。地方自治法を読んでみると、確かに市の主張通りではあった。

 しかし、いくら適法とは言え、こんな大盤振る舞いを行った自治体など過去には皆無だろうと思い、「温泉 無償譲渡」をキーワードにネット検索したところ、驚いたことに宿泊施設や温泉施設をただで民間に譲り渡した例がかなり見つかった。多くは老朽施設で、比較的新しい「きららの湯」はやはり破格のケースだとは思えるが、“温泉施設の無償譲渡”といううわべだけを見れば、珍しくも何ともない話だということになる。

 現在、「きららの湯」は第三セクターが運営しているが、来年4月から譲渡を受けた民間企業が担う。施設やサービスはどう変わるのか、あるいは変わらないのか。二丈岳登山の帰りにまた立ち寄り、確かめてみたいと思う。
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ホークスタウン解体終わる



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 再開発のため今年3月いっぱいで閉館したホークスタウンモール(福岡市中央区地行浜)の解体工事がほぼ終わり、約5.5㌶の敷地は更地状態になっている(写真は9月25日撮影)。小規模なショッピングモールだと思っていたが、敷地は意外に広大だった。

 新モールは2年後の2018年度に開業予定。施設概要まだ明らかになっていないが、モールを事実上所有する三菱地所は、旧モール入居店舗のうち、ユナイテッド・シネマ福岡とライブハウスのZepp福岡には新モールへの再出店を要請していると公表している。ガラガラだった旧モールの中では、この2施設とHKT劇場が比較的集客力があったイメージがある。昔はここに天然温泉もあり、一度行ってみたいとは思っていたが、入浴料の高さに二の足を踏んでいるうちに廃業してしまった。

 このホークスタウンモール、すっかり忘れていたが、もともとは「ファンタジードーム」というドーム型の施設になるはずだった。福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)と合わせ、地行浜には二つの巨大ドームが並び立つ構想だったわけで、ツインドームシティ計画などと呼ばれ、球場などを当時運営していたダイエー子会社もツインドームシティという社名だった。しかし、景気悪化もあってかファンタジードーム着工は遅れに遅れ、そのうちにドーム計画自体が変更されてしまい、旧ホークスタウンモールは当初計画より8年遅れの2000年、普通の商業施設として開業した。

 天然温泉は、モールが増床された2005年11月のオープンで、当初は「プナオラ」という名前だったが、経営が変わったのか途中から「鷹乃湯」という名前になった。1,200㍍の地下から温泉をくみ上げているという触れ込みで、浴槽を含めかなり豪華な内装だったというが、「鷹乃湯」時代の入浴料は大人1,200円。べらぼうに高いというわけでもないが、700円程度が相場のスーパー銭湯に比べ割高感があった。こうやってホークスタウンモールが消え去った今となっては話の種にはなるのだから、1,200円ぐらいは惜しむべきではなかったと後悔している。

 以前、東京出張の際、帰りの新幹線に乗る前に東京駅八重洲口の地下にあった「東京温泉」でひとっ風呂浴びたことがある。「鷹乃湯」どころではない料金だったが、あの東京駅の地下に銭湯があるという意外性で、九州の人間には結構な土産話になったものだ。惜しいことに、ここも2007年に閉鎖されたという。

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九大から元寇防塁出土

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 福岡市東区の九州大箱崎キャンパスから元寇防塁と思われる石積み遺構が出土したというので、22日現地に行ってきた。だが、中央図書館裏の発掘現場はシートで覆われ、残念ながら問題の石積みを見学することは出来なかった。市民向けの説明会は前日21日に開かれていたのだが、平日のためこちらは仕事。祝日を待って出掛けたのだが、今度は発掘調査が休みだった。嫌な予感はしていたのだが…。

 仕方がないので、発掘現場のすぐ東側にある国指定史跡、地蔵松原の元寇防塁跡を見てきた。防塁跡とは言っても、地蔵松原公園の一角に「史蹟 元寇防塁」と刻まれた石碑と説明板が立っているだけで、遺構が残っているわけではない。平成に入って行われた発掘調査では石材が確認されただけで、このため今回九大で発掘された遺構について「博多湾東部で、元寇防塁が原型に近い状態で発見されるのは初めて」と報道されている。

 しかし、地藏松原公園の説明板によると、大正時代に行われた調査ではここでも石積み遺構が確認されたらしく、「防塁の構造は、前面に石積みし、後面は粘土で固めていた」という。これは報道されている九大の遺構の構造と全く同じで、全体が石で築かれた今津の防塁などとは異なる。間違いなく連続した遺構だろう。それにしても地蔵松原の遺構はいつ失われたのだろうか。

 元寇防塁とは、1274年の「文永の役」後、元軍の再度の侵攻に備え、鎌倉幕府の命で九州各国が分担して築いた防壁で、東は香椎から西の今津まで延長20㌔にわたって博多湾の守りを固めていたと言われる。箱崎地区の防塁を築いたのは薩摩の国だと伝えられている。1281年の「弘安の役」では、この防塁が実際に元軍の上陸を阻み、元軍がいったん態勢を立て直すため退いたところを暴風雨が襲い、壊滅したという。

 しかし、イデオロギーに凝り固まった福教組の教員たちは昭和時代、「元寇防塁など無用の長物で、後の時代に石が漬物石として役立ったぐらいだ」と平気で教えていたことを以前紹介した(
「福教組が歪めた元寇」)。防塁の石が漬物石として使われたのは嘘ではないかもしれないが、それ以上に福岡城の石垣に転用された方が多いことだろう。

 今回、九大で見つかった防塁遺構は、西日本新聞記事によると、 高さ0.9㍍、幅2㍍、長さ17㍍の規模。予想外の場所から突如として出土したというわけではなく、文化財保護法に基づき「元寇防塁包蔵地」に指定されていた区域の一角、つまり遺構が見つかる可能性があると思われていた場所だ。発掘調査は九大の伊都キャンパス(西区)への移転に伴うものだが、九大箱崎キャンパスには元寇防塁だけでなく、中世の集落遺跡・箱崎遺跡も眠っていると考えられている。伊都キャンパス内にある桑原・元岡遺跡群からは飛鳥時代の製鉄遺跡などが見つかり、福岡市が発掘調査に追われたが、箱崎キャンパスからも今後、校舎等の解体に伴い続々と遺跡が見つかるかもしれない。


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800万匹のアカミミガメ

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 今年の初夏だったか、少し信じ難い光景を目撃した。福岡市早良区の福岡市博物館の前庭に人工池があるのだが、ここを大きなミシシッピアカミミガメが泳いでいたのだ。池といってもタイル張りで水深も浅く、餌になるものなど一切ない。恐らく捨てられたのだろう。数日後には姿を消していたが、どう考えても生きて行けそうにない場所に平気でカメを遺棄する神経が理解できなかった。

 「放生会」の中で少し触れたが、このアカミミガメについて、環境省は生態系や農作物に被害を及ぼしているとして特定外来生物指定を検討してきた。だが、昨年、見送りを決めた。全国で約180万匹が飼育されていると試算される中、指定により個人の飼育まで規制すれば、「野外への大量の遺棄」を招く恐れがあるというのが理由だった。実はこれ以外に「エッ!」と驚くような理由を同省は挙げている。それは「野外での繁殖確認事例が少ない」というものだ。

 アカミミガメが生態系の悪者扱いされてきた理由の一つは、旺盛な繁殖力で、我が国の固有種・ニホンイシガメを駆逐しているというものだったと思う。それなのに「野外での繁殖確認事例が少ない」では、ずいぶん話が違う。ただ、環境省は今年4月になって国内に生息するアカミミガメが800万匹に上り、イシガメの8倍にもなるとの推定結果を公表している。まさか、このすべてが捨てられたカメだと考えているわけではないだろう。繁殖一つとっても、これだけ矛盾する話が同じ環境省から出てくるのだから、アカミミガメの国内での生態は意外にわかっていないのではないかと思う。

 福岡市中央区にある舞鶴公園のお堀に限っての話だが、ここに生息しているアカミミガメは繁殖していないのではないかと考え、記事を書いたことがある(
「カメは繁殖していない」「消えたアカミミガメ」)。別に科学的裏付けがあるわけではなく、非常に単純な話だ。お堀で見掛けるのは大きなカメたちばかり。春から初夏にかけては生まれたばかりの子亀を目撃することが稀にあるが、これが育っているのならば、常時、様々なサイズのカメを見掛けるはずだ。ところが、そうではない。ここでは子亀が孵化しても育つことはできない、つまり本当の意味での繁殖は行われていないと思ったのだ。

 子亀が育たない理由はわからない。カラスやアオサギに捕食されているためではないかとも考えたが、生き延びる個体もいるはずなので、お堀の環境がカメの成長、または生存に適していないのかもしれない。

 過去にも取り上げたことがあるが、舞鶴公園のお堀のうち、一番西側にある5号堀ではハスの再生実験が続いている。簡単に言えば、堀の中に設けた囲いの内外でハスの生育状況を比べ、ハス激減がカメの食害によるものかどうかを確かめるというものだが、実験主体の福岡市は昨年、「やはりカメが犯人でした」と結果を公表している。それなのに、なぜ今も実験が続いているのか疑問だが、一種のデモンストレーションではないだろうか。囲いの中ではハスが繁茂し、外では全く育っていないという状況はアカミミガメの悪者ぶりを喧伝するのに絶好だからだ。看板に太字で書かれた「ハス再生のため、ご理解とご協力をお願いします」という一文が意味不明だが、これは恐らく、お堀からカメを根絶することへの理解と協力を求めているのだろう。

 駆除の総本山、環境省も今後、国内への輸入を禁じるとともに、現在、家庭で飼われている個体は終生飼い続けるように求め、さらには捨てられ野生化した個体の駆除を行っていく方針らしい。つまり、可能かどうか別にして800万匹の駆除が今後行われることになる。かつては毎年100万匹のアカミミガメが輸入され、激減した現在でも10万匹に上ると言われる。もっと早く輸入規制を行っていさえすれば、こんな大量殺戮の必要はなかっただろうにと思う。
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放生会

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 福岡市東区の筥崎宮で開かれている放生会(ほうじょうや)に14日、十数年ぶりに行ってきた。筥崎宮まで地下鉄一本で行ける場所に住んではいるのだが、夜店を喜ぶ年齢でもなくなり、縁遠くなった祭りだ。今日も筥崎宮横の県立図書館に寄ったついでに「のぞいてみた」といったところで、天候が怪しくなったこともあり、早々に退散してきた。この放生会と博多どんたく(5月3、4日)、博多祗園山笠(7月1~15日)は「博多の3大祭り」とも呼ばれているが、梅雨末期に開かれる山笠はもちろん、どの祭りも不思議なほど雨にたたられている印象がある。“雨のどんたく”という言葉もあるぐらいだから、間違いではないだろう。

 放生会という名前の通り、もともとは殺生を戒める行事だというが、私にとっては参道にずらりと並んだ夜店を楽しむ祭りで、大方の市民も同様だろうと思う。“夜店”とは書いたが、放生会の場合は多くの店が真っ昼間から営業しており、正しくは露店と書くべきだろう。筥崎宮のサイトによると、その数は約500軒で、12~18日の期間中の人出を100万人と見込んでいるという。「3大祭り」と呼ぶにふさわしい規模だが、2009年までは「露店700軒」と報道されており、これでもやや陰りが出ていることになる。

 面白いことに『新修福岡市史 民俗編一』(2012)でも放生会の露店数減少を取り上げている。2011年の露店数は実際には450軒前後で、最盛期よりも150軒前後減ったことを指摘したうえで、減少の原因として少子化、嗜好の変化、さらに様々な規制等が露天商の経営を圧迫していることを挙げている。そのうえで、「放生会という祭礼の空間を盛り上げる露店の減少は気にかかる」とまで書いており、露店減少は市史にまで心配される程なのだ。

 とは言っても、短い時間ながら実際に参道を歩き回った限りでは、昔と比べて露店が大幅に減ったとは感じられなかった。ただ、明らかに減ったと思われる店はあった。一つがミシシッピアカミミガメの子亀(ミドリガメ)を捕える“カメすくい”の店で、以前は参道のあちこちで見掛けたが、きょうは1軒を確認しただけだった。一時は特定外来生物指定も検討されるなどアカミミガメは生態系の悪者扱いされており、むしろ未だに出店する業者がいることに驚いたぐらいだ。また、上記『新修福岡市史 民俗編一』には、恐らくは2011年の話として「韓流スターのポスターやブロマイドをくじ付きで売る店も増えた」と書かれているが、これはさすがに完全に消えていた。

 なお、アカミミガメの特定外来生物指定が見送られたのは、環境省のサイトによると「大量に飼育されており、指定により野外への大量遺棄が発生するおそれがある」ためだ。同省は2013年段階で国内では180万匹のアカミミガメが飼育されていると推計している。ただ、最盛期の1990年代には年間100万匹が輸入されていたが、近年は10分の1まで激減しているといい、同省は2020年をめどに輸入自体を禁止する方針だという。カメすくいの店はいずれ祭りから消えていく運命だろう。
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松坂大輔を見てきた

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 タマスタ筑後(福岡県筑後市)で9月10日にあったソフトバンクVSオリックスの二軍戦を見てきた。土曜で、しかもソフトバンク先発が松坂大輔とあって3,113人収容の球場は満員。松坂の調子も上々という報道があったので、かなり期待したのだが、散々な出来だった。3回を投げて被安打0、無失点ながら、7四死球の大乱調。ストレートも最速140㌔をようやく超えた程度で、3回を終わると右足を引きずってベンチに帰り、そのまま降板となった。クールな私の家族は「松坂の引退試合を見られて良かった」と辛辣だった。

 松坂の投球内容を一応紹介すると、1回は1番・宗にストレートの四球、2番・堤に死球でいきなり無死1、2塁のピンチを迎えたが、3番・園部を6-4-3の併殺、4番・ボグセビックをショートライナーで何とか無失点で切り抜けた。2回は5番・モレルをライトライナー、6番・武田をショートフライで簡単に2死を取り、立ち直ったかに見えたが、7番・吉田、8番・奥波にはいずれもフルカウントから連続四球。9番・伏見をサードゴロで、ようやくチェンジ。

 3回は宗のライトライナーで1死を取った後、堤、園部、ボグセビックには3連続四球で1死満塁。この辺りで右足を気にする素振りを見せ出し、モレルを3-6-1の併殺で仕留め難を逃れたものの、一塁ベースカバーに入った時に右足を悪化させたようだった。気になったのは空振りをほとんど奪えなかったことだ。私が気付いた限りでは2回に奥波が初球を空振りしただけで、その点でも寂しい投球だった。(11日の新聞によると、右足ではなく右臀部に違和感を覚えたという)

 試合は、松坂に代わった島袋が最速146㌔のストレートを武器に小気味いいピッチングを見せたが、4回2死から奥波に左越えの1発を浴び、これが決勝点となって1-0でオリックスが勝利した。ソフトバンクはわずか2安打で、上林、真砂といった期待の若手も精彩を欠き、まったく良い所がない試合だった。一軍の貧打は目を覆う状況だけに、こういった苦境の時にこそ二軍の若手が救世主になって欲しいのだが。

 タマスタ筑後は、今春開場したソフトバンクの新ファーム施設・HAWKSベースボールパーク筑後のメイン球場で、選手寮もパークの中にある。周囲にはただただ田畑が広がり、野球をやる以外にない場所だから、若手の育成にはもってこいだとも言われているが…。初めて行ってみての感想は「福岡市から思った以上に遠い」だった。駐車場の収容台数(326台)も予想外に少なく、近くの民家が庭先に設けた臨時駐車場利用を強いられた(料金は終日500円で意外に良心的)。旧・ファーム球場があった福岡市東区の雁の巣に比べれば、飲食等は充実しており、この点はうれしかった。
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プラリバこの秋から解体へ

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 昨年7月いっぱいで閉館しながら、今もそのままになっている旧・プラリバ(福岡市早良区西新4)の建物解体がこの秋、ようやく始まる見込みだ。なぜ、1年以上も解体が遅れたのかというと、地下鉄西新駅にコンコースと地上とを結ぶエレベーターがなく、プラリバのエレベーターが代役を果たしてきたため。閉館を知り、市が慌てて造り始めた自前のエレベーターはやっと今秋完成予定で、これを待って解体に取り掛かれるというわけだ。それにしてもプラリバを運営していた東京建物と福岡市とがもっと密接に連絡を取っていれば、閉館前にエレベーターを完成させることも可能だったのではないだろうか。(写真手前の工事現場がエレベーター建設現場)

 このプラリバの建物はもともと、老朽化した商店が密集していた西新地区の市街地再開発ビルとして建てられたものだ。建設の際もスムーズにいかなかった記憶がおぼろげながらあったので、改めて沿革を調べたところ、地権者が再開発推進派と反対派に真っ二つに割れて紛糾、着工が2年も遅れたことがわかった。最後は市が反対派の土地を強制収用することを決め、これを嫌った反対派が土壇場で折れ、再開発ビルは1979年7月に着工、2年後の81年6月に完成した。西新地区再開発には、土地利用の高度化により明治通りなどの周辺道路を拡幅、交通の難所解消を図るという側面があり、事実上は福岡市が主導していた経緯がある。

 プラリバに続き、今年5月には西新商店街のもう一つの核店舗だったイオン西新店が閉店、商店街の人通りは目立って少なくなってきた。6月市議会の一般質問では議員の一人が西新地区の活性化策を問い質したが、議事録を読んだ限りでは、経済観光文化局長ら3人の局長たちは「西新のにぎわいは重要」という立場は表明しながらも、熱のない答弁に終始した。質問したのが市側に批判的な革新系無所属の議員だったこともあり、まともに答える気がなかっただけかもしれないが、市長が主導する天神ビッグバンという中心市街地の大掛かりな再開発を抱え、西新には本当に関心がないという可能性はあると思う。再開発ビル建設までの経緯を思えば、「今さら他人のふり」はできないはずだが。

 前述のように西新再開発には交通の難所解消という目的もあったが、だったら今なお難所となっている脇山口交差点の改良はなぜ行わなかったのかという疑問が出ると思う。実は構想はあったようなのである。再開発構想は旧・プラリバだけでなく、城南線を挟んで西側の一帯でも浮上し、西側をA地区、東側(旧・プラリバ側)をB地区と呼んでいたという。ところが、A地区は全く具体化しないまま、構想自体が雲散霧消してしまい、今もリヤカー部隊が繰り出す昔ながらの商店街として残った。どちらの判断が正しかったのかという問いには、恐らく答えは出ないだろうと思う。

 ※西新駅のエレベーターは9月30日から利用開始、プラリバのエレベーターは10月1日に閉鎖すると福岡市が発表した。
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福岡にもあった奥村黄花園


 1910年(明治43)に発行された『福博電車沿線名所案内』(福岡県立図書館のデジタルライブラリーで閲覧できる)という絵地図に「黄花園」という建物が描かれている。“黄花”という文字から、恐らく菊花園だろうと見当を付けたが、野外施設ではなく建物であることが腑に落ちなかった。調べてみると、この施設は「奥村黄花園」という菊人形の展示館だったことがわかった。奥村黄花園とは明治中頃に名古屋市で誕生した一種の見せ物小屋で、電気を使った派手な仕掛けが人気を呼び、東京、大阪、神戸など全国に展開していたという。東京では旧・両国国技館が会場だったというが、福岡には常設の小屋があったわけだ。

 黄花園があったのは西公園電停の南側。現在で言えば、大濠公園沿いだが、大濠公園の開園は1929年(昭和4)のことなので、 『福博電車沿線名所案内』にはまだ、埋め立て前の広大な草香江の入り江が描かれている。大雑把な絵図のため、黄花園の正確な場所までは特定できないが、現在、西鉄バスの車庫(写真)がある辺りではないかと推測している。

 
国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている『現在の福岡市』(上野雅生、九州集報社、1916)という資料には、福岡の黄花園について「西公園停留所前にあり。精緻なる菊人形を以って其名遠近に高く毎秋客を引いて薫香を誇る」などと紹介されている。かなりの人気だったことがこの文章からは想像されるが、これ以外に福岡の黄花園についての情報を見つけることはできず、施設の規模・構造等はもちろん、いつ開園し、いつまで存続したかさえもわからなかった。ただ、 1918年(大正7)2月5日の福岡日日新聞記事には、同年4月に西公園下で化学工業博覧会が開かれ、黄花園の建物が会場の一つとして利用されると書かれている。この年に少なくとも建物が残っていたことは確かだ。

 菊人形とは、今さら説明するまでもないが、等身大の人形の衣装代わりとして菊の花を飾り立てものだから、興業は秋に限られていた。奥村黄花園の本家、名古屋市の図書館のデジタルアーカイブ
「なごやコレクション」に黄花園の絵はがきが8枚がデジタル保存されているが、この説明書きには「10月初旬から約2か月開園し」とある。菊栽培から始まる人形作りの労力や費用、さらに展示施設の維持費等を考えれば、わずか2か月程度の興業で利益を生み出すには相当数の入場者が必要だったはずだ。福岡という街は飽きっぽい市民気質で知られるだけに、ここで人気を維持していくのは至難の業だったことだろう。

 当時の菊人形は歌舞伎や狂言を題材としたものが多かったとされ、「なごやコレクション」の8枚の絵はがきにもそんな雰囲気の人形が写っている。詳しい人が見れば、歌舞伎のどの場面かも見当が付くのではないだろうか。福岡の黄花園についても記録写真等が残されていれば面白いのだが。
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