# 旧聞since2009

# 五ヶ山ダムを見てきた



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 先日、ドライブついでに福岡県那珂川町と佐賀県吉野ヶ里町にまたがる山間部で進む五ヶ山ダムの建設現場を見てきた。本体工事はほぼ終わり、今月から試験湛水も始まっている。周辺道路から垣間見えるダムの巨大な姿や、やがて水没する吉野ヶ里町側の小河内集落跡を写真に収めてきたが、スケールの大きさに圧倒された。

 ダムは来年度には完成予定で、福岡都市圏が過去2度起きたような異常渇水に見舞われた際は救世主的な役割を担うことになる。このダム建設には1,050億円もの巨費が投じられ、また、小河内集落では25世帯40人あまりが集団移転を強いられた。「壮大な無駄だったのではないか」という意見はあるが、2度の「福岡大渇水」(1978~79年と1994~95年)を経験した者としては、五ヶ山ダム完成により「3度目はないのでは」という期待感を抱かせるのは確かだ。

 五ヶ山ダムは高さ約102㍍の重力コンクリート式ダムで、有効貯水容量は3,970万立方㍍、利水容量は3,170万立方㍍。いずれも福岡県内では既存ダムを大幅に上回り、最大となる。このダムのすぐ下流には南畑ダム(利水容量512万立方㍍)、別の谷筋には脊振ダム(同398万立方㍍)もあり、こんな場所に巨大ダムを造っても簡単に水は貯まらないだろうと思ってしまうが、そもそも数年掛かりで水を貯める目論見で計画されたらしい。利水容量の約半分、1,660万立方㍍の水は異常渇水の時のみに使われるもので、他のダムが干上がった場合はこの水で急場をしのぐことになる。1,660万立方㍍のうち、1,310万立方㍍が福岡市分だ。

 福岡市水道局が公表している水道事業統計年報によると、市の1日の水道使用量は最大で約45万立方㍍、平均で約40万立方㍍。これに対し供給能力は倍近い約78万立方㍍に上り、余力は十分すぎる程ある。供給されている水道用水の水源別内訳は、既存ダムからが38.5%、那珂川、多々良川などの近郊河川からが26.9%、福岡導水によってもらい受ける筑後川の水が34.6%で、海水から1日5万立方㍍の真水を作り出せる海水淡水化センター(福岡市東区)がプラスアルファとして加わる。

 問題は、普段はいくら余力があっても、海水淡水化センター以外の水源はすべて雨頼みだということで、現実に1994~95年の大渇水の際は、大河川・筑後川さえも大きく流量が落ち、福岡市の給水制限は295日にも及んだ。ちなみに1978~79年の給水制限は287日。この2回の大渇水を経験した福岡市民は、まともに水が出ない生活を計1年半も強いられたのである。遠く筑後川から水をもらい、さらには隣県の集落を水没させてまで水を確保しなければならないのだから、やはり福岡市は大きくなりすぎたのだろう。

 五ヶ山ダムの建設現場を過ぎ、東脊振トンネルをくぐると、すぐに道の駅吉野ヶ里がある。ここで五ヶ山ダムのダムカード(下の写真)をもらった。私は初めて手に入れたが、ダムカード収集は愛好家の間で人気らしい。カードの裏面には「県営ダムとしては、国内初となる巡航RCD工法を採用し、昼夜途切れることのない高速施工を実現」とかなりマニアックな説明があったが、本体工事が始まったのは2012年6月なので、確かに工事自体は大変なスピードで進んだと言える。ただ、このダムが造られることになったきっかけは1978~79年に起きた最初の福岡大渇水なので、ここから数えれば、膨大な歳月がかかったことになる。

 1978年といえば、福岡市にあったクラウンライターライオンズが西武ライオンズとなって所沢に移転したり、江川卓「空白の一日事件」が起きたりした年だ。私自身は福岡大渇水を経験し、ライオンズ移転の悲哀を味わった中高年だが、大方の人にとっては1978年など、もはや“昭和史の彼方”だろう。


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# 走る!アロー号

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 福岡市博物館で23日、「走る!アロー号」という催しがあった。アロー号とは現存する中では最古の国産乗用車で、1916年(大正5年)にこの福岡で製作された。エンジンは今も走行可能な状態に保たれている。普段は博物館で常設展示されているが、完成から100年に当たるの記念し、実際に走る姿を市民に見てもらおうと企画された。

 詰め掛けた市民が見守る中、アロー号は運転手のほか、後部座席に博物館長を乗せてゆっくり動き出すと、想像していた以上に軽快な走りで博物館前庭を一周し、大喝采を浴びた。見た目は「輪タク」程度のサイズだが、エンジンの排気量は約1,000ccと意外に強力で、完成当時は最高時速50㌔で福岡の街を快走していたという。この日のスピードは“上品な自転車程度”だったが、やはり100歳の老体だけに、走行終了後、エンジンは急ぎ大型扇風機で冷やされていた。

 アロー号を作ったのは矢野倖一という当時24歳の青年で、福岡県新宮町に本社を置く矢野特殊自動車の創業者。製作の経緯などは同社のホームページにある
「History of ARROW」 に詳しい。矢野特殊自動車は冷凍機付きの冷凍車を国内で初めて開発・製造したことで有名な会社で、アロー号自体は現在も同社が所有し、博物館に貸し出しているという。同社の現経営陣は矢野倖一の長男や孫に当たる方たちで、この日の催しにも来賓として招かれ、運転手役も務めていた。
 
 博物館では11月19日から12月25日まで『大正・昭和の福岡市―アロー号とその時代―』という特別展が開かれ、アロー号や福岡市の都市発展に関する資料などが展示されるほか、シンポジウムなども予定されている。


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# 福岡競艇

 福岡市が公表した2015年度予算の決算概要を読んでいて、競艇事業から15億円もの大金が一般会計に繰り入れられていることを知った。赤字にあえぎ、公営ギャンブル廃止に踏み切る自治体も少なくない中で、億単位の金を今なお一般会計に拠出しているとは、ずいぶん景気のいい話だ。調べてみると、福岡競艇の一般会計繰入金は最盛期にはなんと100億円を超え、1953年の開場以降の累計では2,781億円に上っているという。この金の約半分は市立学校建設など教育関係に、残りは道路整備、河川改修、保健福祉事業などに充てられたそうで、公営ギャンブルに金を使うのは税金を余分に払っているようなものだと考え込んでしまった。

 これだけ福岡市の財政に寄与しているのだから、福岡競艇の売り上げは相当なものだろうと想像したが、意外にそうでもなかった。全国モーターボート競走施行者協議会が公表している数字によると、2015年度の売り上げは約389億円で、全国23競艇場の中では12位(※競艇場は24場あるが、2015年度は鳴門が工事のため開催せず)。同じ福岡県内でも若松の約704億円(全国5位)、芦屋の約435億円(10位)をかなり下回っていた。周辺人口を考えれば、これは意外だが、大レースを開催すれば売上高はボンと跳ね上がるため、年によって変動は大きいらしい。

 福岡競艇の最盛期は平成の初めで、元年度(1989)から5年連続で売上高は1,000億円を突破し、毎年100億円以上を一般会計に繰り入れていた。2015年度の売上高は最盛期の3分の1近くまで激減していることになる。全国的にも売上高は最盛期の2兆円超から約半分に落ち込んでいるといい、昔は「ギャンブル産業は不景気の時に強い」などと言われたものだが、今では事情が違うのだろう。

 売上高が激減しているのだから、当然ながら来場者も減っている。競艇を主管する福岡市経済観光文化局がまとめた『ボートレース福岡 経営計画(案)』では課題の一番目に“本場来場者の減少”を挙げており、「平日は高齢者の来場が中心で減少傾向が続いています。土・日曜日には人気タレント、お笑い芸人等を起用したイベントを開催することで若者・家族連れ等の来場者も見受けられます。より一層の来場促進の取組が求められています」と記している。

 平日に若者や家族連れがギャンブル場などでたむろしている方がよほど問題で、現在の状況はある意味健全だと思うが、福岡市は来場者増の切り札として外国からの旅行客に期待をかけている。早い話が中国人、韓国人のことで、競艇のルールを説明する英・中・韓国語のパンフレットを作成したり、多言語対応の投票機器を導入したりなどの手を次々に打っている。

 騒ぎになった爆買いは福岡でもようやく沈静したが、あれで儲かったのは実は中国系企業ばかりで、地元はあまり潤わなかったという指摘もある。にも関わらず、大型クルーズ船を呼び込むため、福岡市は巨費を投じて博多港中央ふ頭を拡張しようとしている。「せめて競艇にでも金を落としてもらおう」という目論見は理解できるが、うまくいったらいったで、また面倒な火種を抱えることになりそうで心配だ。

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# 入館者減が続く白秋生家



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 先日の連休に柳川に行き、柳川藩主の別邸「御花」や北原白秋生家などを巡ってきた。御花周辺は大勢の観光客で混雑し、次から次にやってくる川下り船はどれも満員。掘割沿いにある有名な鰻料理屋には順番待ちの長い列ができ、昼食時をかなり過ぎても並ぶ人は一向に減る様子がなかった。市が行った観光動態調査によると、柳川には2015年、136万人を超える入り込み客があったと推計され、過去最高を記録した。これを後押ししたのが外国人観光客(主に東アジアから)の増加で、昨年は10万人の大台を初めて突破し、約15万人に上ったという。なるほど御花周辺では自撮り棒を手にした人たちが目についた。

 一見、好調な様子の柳川観光だが、市の公表資料をもとに施設別の観光客数をグラフにしてみると、施設によって明暗が分かれていることに気付いた。年間利用客が一時30万人を割り込んだ川下りはここ数年、反転攻勢中で、昨年は39万人に迫り、かつての40万人台に近付いている。一方、御花、白秋生家は長期低落傾向。中でも白秋生家は2000年代初めまでは年間入館者が10万人を超えていたが、近年はようやく5万人台。ピークだった1991年頃には20万人を超えていたとも言われ、実に4分の1に激減していることになる。

 文豪の名前だけでは集客は難しい時代なのだろうか。私自身ここに入館するのは約10年ぶり2回目だが、前回も今回も「あまり関心はないが、入館料500円ぐらいだったら、ついでにのぞいておくか」というレベルの人間なので、偉そうには言えないが…。

 白秋生家は明治の造り酒屋で、入館時にもらった資料には「生家は明治維新前後の建物だろうといわれています。明治34年の大火で大半を焼失して、わずかに残った母屋も荒廃していましたが、先生の偉大な詩業を讃仰すべく昭和44年11月、これを復元して一般に公開されることになりました」とあった。

 付け加えると、生家が復元・一般公開されることになったきっかけは、当時の所有者が競売にかけようとしたことで、郷土の宝が失われることを恐れた市民らが全国に募金を呼び掛け、買い取ったという経緯がある。我が国におけるナショナルトラストの先駆けみたいなものだったのだ。現在は北原白秋生家記念財団管理・運営を行っている。

 敷地内には白秋の生誕100周年を記念して1985年、市立歴史民俗資料館も併設され、二つの施設に直筆原稿や写真、遺品などが多数展示されている。恐らく白秋ファンには興味深いものだと思うが、あまり展示替えは行われていないのではないかという印象を持った。10年前に入館した時の展示内容を覚えていたわけではないので、あくまでも印象に過ぎないが。

 なお、右肩下がりの入館者だが、2014年は55,005人で、前年の53,634人からわずかに持ち直している。増加の要因はこの年に放映されたNHKの朝ドラ『花子とアン』だったという。主人公のモデルとなった女性の出身校が東洋英和女学院で、同校の校歌作詞者が白秋という関係だったため、彼にもやや注目が集まった結果らしい。“風が吹けば桶屋がもうかる”的な理由だったわけで、白秋、または白秋文学そのものに関心が集まったのならば、入館者はもっと跳ね上がっていたことだろう。


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# 川南造船所敷地を埋め立てたのは?

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 廃虚として有名な存在だった川南造船所跡(佐賀県伊万里市)についての話を続けさせていただきたい。同造船所に関する情報を漁っていて、用地埋め立てに絡む、少し面白い資料を見つけた。『伊萬里港公有水面埋立の件』と題された昭和10年(1935)9月5日付の海軍省の文書で、国立公文書館アジア歴史資料センターのデジタルアーカイブに収録されている。中身は、伊万里港内の「佐賀県西松浦郡西山代村大字立岩字浦ノ崎二番古里地先三二、〇五三平方米」で計画されている埋め立てについて、海軍省が「本件当省主管上異存無之候」と内務省に回答したものだ。埋立免許を与えるのは当時も今も知事だが、時代が時代だけに海軍の了解が必要だったのだろう。

 文書には海軍省だけでなく軍令部の決済印も多数押されている。大臣の印は「済」、軍令部総長の印は「閲」だが、それ以外は個人の認め印が押されており、海軍省次官は「長谷川」、軍令部次長は「加藤」の印がある。文書が残された1935年9月当時の海軍首脳を調べてみると、海軍大臣が大角岑生、次官が長谷川清、軍令部総長が伏見宮博恭王、次長が加藤隆義という顔ぶれだった。この時代に海軍省と軍令部の力関係が逆転したと評されたり、長谷川清の孫に『ウルトラマン』の監督として有名な実相寺昭雄がいたりなど、色々興味深い点もあるが、ここではスルーしておく。

 この文書を面白いと思ったのは、埋め立ての起業者が川南豊作となっていた点だ。埋め立て予定地の場所や面積から考えて、この場所に後の川南造船所が建てられたのは間違いない。だとしたら経営していた川南工業社長、川南豊作の名前があっても別に不思議ではないが、インターネット上に「閉鎖されたガラス工場を川南が買い取り、軍需工場に転用した」との情報があったため、川南自身がこの土地の埋め立てを行っていたとは予想外だったのだ。

 他の資料を当たってみると、海軍省文書から3年後に出版された『事変下の有望会社』(投資経済社、1938)という資料には川南工業が「浦崎工業所」でソーダ灰と板ガラスを製造していたことが明記されていた。造船所の前身がガラス工場であったのは間違いないが、このガラス工場は川南工業が海を埋め立て、建設したものだったことになる。

 ただ、そうなると不可解な点も出てくる。川南造船所の廃虚が長らく放置されていたのは、建物の権利関係が複雑だったことに加え、埋め立ての途中で免許が失効したため“造船所敷地が法律上は公有水面のままで、土地ではなかった”ことが問題をややこしくしたとされている(2005年9月の佐賀県議会でも当時の知事が証言している)。川南工業が法的にはうやむやの土地建物を安く買いたたいたため、こんな事態が生じたと思っていたが、同社自身がうやむやにしたのならば、理屈に合わない話だ。

 先の海軍省文書によると、埋め立て工期の期限は、竣功が「着手の日ヨリ三ヶ年以内」。 『事変下の有望会社』出版の1938年にはソーダ灰、板ガラス工場が稼働していたのだから、川南側がなぜ竣功認可の手続きを取らなかったのか理由がわからない。川南豊作は戦後、経営破綻の際に不渡り手形を乱発して巨額の金を詐取したり、さらにはクーデター未遂の「三無事件」を引き起こしたりした人物で、あまり遵法精神があったとは思われない。あくまでもこの人物像から考えての臆測だが、工場敷地を法律上は公有水面のままにしておくことで、例えば固定資産税を免れるなどの狙いでもあったのだろうか。

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# 川南造船所跡地のいま

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 かつて廃虚マニアの間では“超有名物件”だった川南造船所の跡地(佐賀県伊万里市)に10月3日立ち寄り、依然として公園整備がまったく進んでいないことを確認してきた。2012年初めに取り壊され、跡地は公園になるはずだったが、昨年3月、更地の状態で放置されていることを知り、事情を調べたことがある(「川南造船所跡は公園になるはずでは」)。それから1年半、取り壊しから数えれば4年半。造船所跡地は廃虚があった頃と同様、人の背丈以上の雑草で覆われ、荒廃した雰囲気を漂わせていた。

 川南造船所とは、太平洋戦争中に特攻兵器「海龍」などを製造していた軍需工場で、戦後も鋳物工場などとして操業を続けていた。経営していたのは川南工業で、その社長が川南豊作。1961年に明るみに出たクーデーター未遂事件「三無事件」の主犯格として知られる人物だ(
「三無事件と川南豊作」)。工場は1955年、経営破綻により閉鎖されたが、権利関係が複雑だったため一部建物の取り壊しは進まず、廃虚と化していた。「貴重な戦争遺産」として保存を望む声はあったものの、地元では「地域衰退の象徴」などとして解体を求める声が強く、伊万里市は2011年、学識者からなる検討委員会に諮ったうえで、翌年、全面取り壊しに踏み切った経緯がある。市はこの時、跡地を公園として整備する方針を示していた。

 1955年の閉鎖から半世紀以上も放置されながら、2011~12年になって一気に解体話が進んだのは、佐賀県が建物の補償費や解体費を全額負担する方針を決めたためだという。佐賀県は、造船所跡が面した伊万里港浦ノ崎地区で浚渫土砂による埋め立てを進めており、これにより83㌶の土地が新たに生まれる。この土地の利用方法について、佐賀県は現段階では具体的な方針を示していないが、県議会の会議録を読んだ限りでは、古川康・前知事は工業団地として整備し、企業誘致を図る意向を見せていた。この古川・前知事こそが川南造船所跡取り壊しのための費用負担を決断した人物で、「隣に廃虚が居座っていたのでは企業誘致が進まない」という判断だったのではないかと想像している。

 造船所跡地(3.3㌶)の公園整備が一向に進まないのは、伊万里市がこの埋め立て地との一体活用を望み、県の土地利用計画決定を待っているためだと考えられ、跡地の公園化については、現在ではいったん反故になったと考えても良いのではないかと思う。

 埋め立ての現状だが、先行して進んでいる造船所跡地正面の第1工区30㌶についてはほぼ終わっているが、今年6月の県議会本会議で、県側は議員の質問に答え「一見して整備が完了しているように見えるが、今後3㍍の地盤沈下が見込まれ、地盤改良のためなお数十万立方㍍の土砂が必要」との見通しを示している。 第2、3工区に至ってはなお大量の土砂が必要と答えており、県側の答弁からは土砂の調達に苦心している様子さえうかがわれる。

 浦ノ崎地区埋め立ての護岸整備が始まったのは実に1982年のことだが、完了までにはまだ長い時間が必要と思われる。造船所跡地が一体活用されるのならば、今度は長い期間、更地のまま放置されるかもしれない。廃虚がなくなっただけで万々歳なのかもしれないが、地元住民が望んでいたのはこんな状況なのだろうか。



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駄田泉

管理人:駄田泉
福岡の中小企業に勤める定年間近の中年オヤジです。物忘れが激しくなったため、ボケ防止のためにブログを書いています。主に福岡の情報を紹介していますが、タイトル通り、新しい話は何もありません。Twitterではたまに、胡散くさい情報を発信。