新原・奴山古墳群を見てきた

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 先日、福岡県福津市の新原・奴山古墳群を見学してきた。福岡県が世界遺産登録を目指してきた「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の一つ。宗像市沖の玄界灘に浮かぶ孤島で、古代祭祀の遺構が残り、国宝8万点が出土した沖ノ島(宗像大社沖津宮)については今月、ユネスコの諮問機関イコモスが世界遺産登録を勧告したが、新原・奴山古墳群や宗像大社の辺津宮、中津宮は「世界的価値なし」として除外が要求された。地元には落胆が広がっているというが、この古墳群の歴史的価値は別にして、史跡としての見た目はインパクトに乏しかった。現在、福津市が散策路を整備するなど史跡公園化を進めているが、このまま世界遺産から漏れた場合、整備の先行きはどうなるのだろうか。

 新原・奴山古墳群は、海を見下ろす東西800㍍の台地上に、5~6世紀に築かれたと推定される41基の古墳(前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基)が密集している。一帯に広がるのは農地やため池。冒頭書いたように史跡公園化が進められている最中で、説明パネルにはまだ何も設置されていない状態だった。この古墳群は、国史跡・津屋崎古墳群の中の一つで、津屋崎古墳群全体が沖ノ島の古代祭祀を担った胸形(宗像)氏の奥津城だとみられている。津屋崎古墳群の中で、新原・奴山だけが世界遺産候補に加えられたのは、立地場所が“海人族”などと呼ばれる胸形氏を象徴しているためだという。

 津屋崎古墳群の中で最も有名な古墳は、全長23㍍もの長大な石室を持つ宮地嶽古墳(7世紀築造の円墳)ではないかと個人的には思うが、この古墳は宮地嶽神社の奥宮となっている。宮地嶽神社とは嵐出演のCMに登場した「光の道」で一躍有名になったところだが、それはともかく、宗像大社を世界遺産に登録しようとしているのに、別の神社が交じっていたのでは紛らわしいと候補から外されたのだろう。(下の写真が宮地嶽古墳の石室、一直線に海に延びる宮地嶽神社参道)

 話は少し変わるが、沖ノ島の世界遺産登録を巡り、『週刊新潮』が配信した記事に少々悪意を感じた(
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/05190559/?all=1)。“地元紙記者”なる人物の証言を中心に書かれた記事なのだが、大意を要約すると、次のようになる。
▽宗像大社や周辺の古墳群などが除外され、地元には落胆が広がっている。
▽沖ノ島は基本的に上陸は許されず、女人禁制。単体で登録されても観光的価値はない。
▽本当の狙いは宗像大社や古墳群を世界遺産に登録し、海外の観光客を増やすことだったが、これらだけでは登録が厳しいので、沖ノ島をセットにして推薦した。
▽しかし、審査側に下心を見透かされ、目論見は外れた。

 地元に喜びだけでなく、落胆も広がっているのは確かであり、世界遺産登録を観光客誘致の弾みにしようと目論んでいたことも確かだ。『週刊新潮』の記事ではその点では間違いはないとは思うが、沖ノ島が権威付けのためだけの付け足しであるはずがなく、本当に記事にあるような証言をした地元紙記者が存在したとしたら、少し驚きだ。


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基山の「いものがんぎ」

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 古代山城、基肄城があった佐賀県基山町の基山(標高405㍍)に登り、山頂の凹凸地形「いものがんぎ」付近で昼食を取ってきた。「いものがんぎ」とは妙な名前だが、イモ畑の畝に似ているからだと言われている。この辺りでは畝のことを「がんぎ」と呼ぶのだろうか。帰宅後に調べてみたところ、そもそも「いものがんぎ」について大きな勘違いをしていたことに気付いた。基山にあるから、基肄城時代の巨大土塁だと勝手に思い込んでいたが、「いものがんぎ」は中世に造られた山城の防衛施設だったのだ。

 上の写真のデコボコが「いものがんぎ」。1938年(昭和13)佐賀県発行の『佐賀県史蹟名勝天然紀念物調査報告』第六輯には「空濠の北は俗に芋の雁木と唱へるところで第一峰と第二峰の連絡上、其間の低地を埋立て其上に、蒲鉾形の三つの大突堤と四條の塹壕とが築かれてゐる」と説明されている。現在はひらがな、カタカナで表記されるのが普通だが、漢字では「芋の雁木」と書くことがわかる。この調査報告では「いものがんぎ」は基肄城の遺構の一つとして紹介されており、少なくとも戦前まではそう理解されていたと思われる。私は戦後生まれなので、勘違いしていた言い訳には全くならないが。

 地元・基山町教委発行の“現在”の資料によると、中世山城は木山城(または基山城)と呼ばれ、築城者や築城時期は不明だが、初めて記録に現れるのは南北朝時代で、九州の南朝勢力を抑えるため、室町幕府が派遣した九州探題・今川了俊がこの城に布陣したと伝えられている。その後、九州探題を継いだ渋川氏と少弐氏との争いに絡み、木山城の名がしばしば登場するという。

 城の主郭は「いものがんぎ」南側の台地(写真2枚目。ここが本当の意味での山頂で大石が祭られている)にあり、「いものがんぎ」はこの防衛のために築かれた堀切だったのだ。

 基山の山頂一帯は広大な草原となっており、狭義の意味での山頂と「いものがんぎ」は特徴的な景観を形作ってはいるが、草原の極々一部を占めるに過ぎない。山頂どころか、ほぼ全山を要塞化していた壮大な基肄城跡と比べれば、ずいぶんちっぽけな規模だ。基肄城は言うまでもなく白村江の戦いに敗れたヤマト王権が、唐・新羅の侵攻に備え、大宰府防衛のため665年、水城、大野城とともに築いた朝鮮式山城。両城の規模の差は、東アジア的なスケールで構想された基肄城と、北部九州というコップの中の争いの舞台でしかなかった木山城との違いなのだろう。

 最後に、畝を「がんぎ」と呼ぶのかという最初の疑問について。手元にある『新明解国語辞典』(三省堂)には雁木とは「空を飛ぶガンの列の片側のように斜めに、ぎざぎざがあるもの、の意」として桟橋の階段、坑内で使うはしご、雪国で積雪時でも通れるように軒から庇を長く差し出して作った回廊風の覆い、大きなのこぎり、と説明されている。ただ、色々調べてみると、農業関係で、畝に種をまく手法の一つに「雁木まき」というものがあり、この言葉が畝そのものに転用された可能性はあるとは思った。
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動き出した「宗茂」大河ドラマ誘致

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 福岡県柳川市が、初代柳川藩主・立花宗茂 (1567~1643) と妻・誾千代(1569~1602)を主人公にした大河ドラマ制作を求め、誘致活動を始めた。8日午後には市長一行が甲冑姿で知事を訪ね、活動への協力を要請したという。以前、『軍師官兵衛』の放映が決まった際、福岡市への経済効果は薄いだろうと思い、「我が福岡も歴史ファンの間で人気が高い立花宗茂を候補に、本気で誘致活動に取り組んではどうだろう」と偉そうに書いたことがある。この時は立花城主としての宗茂が念頭にあったのだが、やはり柳川藩主として取り上げるべき人物であり、柳川市が活動の中心になる方が理にかなっている。(立花城は福岡市東区や新宮町などにまたがる標高367㍍の立花山にあった。写真は城跡の山頂と、山頂にある説明板)

 立花宗茂は、大友宗麟配下の武将・高橋紹運の子。紹運の同僚の戸次道雪に請われ、15歳の時に道雪の娘・誾千代(ぎんちよ)の婿となり、立花城主(正確には城督と呼ぶらしい)を継いだ。九州の覇権を懸けた大友と島津の戦い、秀吉の九州平定戦、文禄・慶長の役などで数々の武勲を挙げ、秀吉からは「西国無双の誉」「九州之一物」と激賞され、九州平定後には柳川13万石に取り立てられている。関ヶ原の戦いでは西軍についたため所領を没収されたが、徳川家からの評価も高く、20年後の1620年には柳川藩主に返り咲いている。西軍方の武将で旧領復帰を果たした唯一の例だ。柳川市は宗茂復帰400周年に当たる2020年の大河放映を目指しているという。

 一方、妻の誾千代は7歳の時に父・道雪から家督を譲られ、女城主となった。もちろん、7歳の女児に城主が務まるはずもなく実質的権限は道雪にあったようだが、関ヶ原の戦後、自ら甲冑を身にまとい、女性部隊を組織して柳川の防備を固めたという勇ましいエピソードも伝わる(史実かどうかは不明)。立花城から柳川に転封後は宗茂と別居、所領没収後は熊本に身を寄せ、宗茂の返り咲きを見ることなく30代の若さで亡くなっている。

 私の拙い文章力では二人の魅力を到底伝えきれないが、NHK好み、または大河向きの人物であるのは間違いないと思う。むしろ、なぜ、これまで誘致運動が起きなかったのか、もっと言えば、すでに大河ドラマ化されていないことが不思議なぐらいだ。また、2012年には葉室麟氏が『無双の花』、故・山本兼一氏が『まりしてん誾千代姫』と、両直木賞作家がこの夫婦を題材にした小説を発表しているほか、宗茂を主人公にした小説は過去にも複数出版されており、原作・原案にも事欠きそうにない。

 ただ、気になるのは今年、誾千代とキャラがもろにかぶる『おんな城主直虎』という作品が放映されていることだ。直虎については「実は男だったのでは」と疑義が出されていることもあり、柳川市サイドは「誾千代は正真正銘の女城主で、史料も豊富にある」と意気盛んだ。しかし、史実がどうあれ、わずか2年のインターバルで、NHKが似たような題材を大河ドラマで取り上げるというのは、個人的には望み薄という気がする。せっかく魅力的な人物なのだから、柳川復帰400周年の2020年放映などという目標にこだわらず、息の長い誘致活動を続けた方がベターではないだろうか。短期決戦に懸けるというのならば、それはそれで仕方がないが。

 宗茂と誾千代の夫婦仲については、立花城を離れた後は別居していること、二人の間に子がなかったこと――などの理由から、不仲説が流布しているが、地元・柳川市にある立花家史料館は「二人と同時代の史料で不和を証言するものはない」と否定的だ。不和の原因について、誾千代が肥前名護屋城に陣を張っていた秀吉の目に止まり、寵愛を受けたためと描いた小説が過去にはあり、「柳川では大変な物議を醸した」と書かれた資料があった。400年前の人物を巡って物議を醸すところに、旧領主と地元との深いつながりが垣間見える。下の写真は柳川藩主の旧別邸「御花」。


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浜野浦の棚田

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 夕日に染まる棚田を撮影しようと5日、佐賀県玄海町の浜野浦地区に出掛けてきた。しかし、午後から雲が広がり、午後7時過ぎの日没時刻まで待ったが、残念ながら夕日は顔を出さなかった。田植えがちょうど終わったばかりのこの季節は、水が張られた棚田が夕暮れ時にはオレンジ色に輝き、1年の中でも特に美しいと評判だ。棚田を見下ろす展望台には多数のアマチュアカメラマンが集まっていた。狙い通りの写真が撮れず、残念だったが、曇り空の下の棚田も十分きれいではあった。

 浜野浦の棚田は、1999年に農水省が選定した「日本の棚田百選」の一つで、玄界灘に面した急傾斜地11・5㌶に283枚の水田が広がっている。農水省発行資料によると、棚田が整備されたのは1600年。近年までもっこで泥を運び、田を維持してきたという。資料が発行された2008年当時、浜野浦地区は農家数29戸の小集落だったが、農業者の平均年齢は51歳と若く、後継者も7人を数えていた。棚田の人気が地域に活気を与えているのだろう。

 「日本の棚田百選」は百選と言いながら、134か所が選ばれている。このうちの47か所、実に35%が九州地区からの選定だ。本来は稲作に適さない急傾斜地を苦労して水田に作り上げたのが棚田であるわけだから、平野部が少ない九州に多いのは当然で、対照的に首都圏からは千葉県内の1か所、広大な水田が広がっている(というイメージがある)東北からも計6か所が選ばれているだけだ。

 なお、余計な情報かも知れないが、浜野浦の棚田が位置する東松浦半島の先端には、再稼働が現在論議されている玄海原発がある。棚田からは直線距離で3㌔程だ。もっと余計な情報だが、この棚田は「恋人の聖地」なるものに認定され、展望台には場違いに思える教会風の鐘が設置されている。地元の人たちが棚田PRのため自ら応募して認定されたらしいので、余所者が口をはさむ筋合いなどないが、先人たちが営々と築き上げてきた景観に、軽薄とも思えるレッテルを貼るのは、かえってもったいない気がした。
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オートキャンプ禁止の看板

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 連休前半の4月29日、大分県のくじゅうに日帰りで行き、九重町の長者原・タデ原湿原や、竹田市のくじゅう花公園を散策してきた。その長者原の公共駐車場に数年前から、オートキャンプ禁止を告知する看板が設置されている。これほど目立つ看板があっても、春から秋にかけての季節に長者原に行くと、たいていは駐車場に複数台のキャンピングカーが陣取り、料理をしたり、トイレの水道で食器を洗ったりしている人たちを目にしたものだが、この日午後は1台も見掛けなかった。たまたまかも知れないが、状況に何か変化があったのだろうか。

 長者原はくじゅう連山の登山口の一つで、標高1,000㍍の飯田高原にある。九州有数の観光地だ。年間を通して多くの観光客、登山客が訪れているが、中でもミヤマキリシマ、紅葉が見頃の初夏と秋は大変な人気で、国(環境省)や県が設置した計3か所の無料の駐車場(約400台収容)は休日には満車状態が続く。一方で、温泉郷でもある長者原には日帰り温泉や宿泊客以外の入浴を受け入れるホテルも複数あり、オートキャンプにも絶好の場所。禁止を無視して駐車場を占拠するキャンピングカーが相次ぎ、他の登山客や観光客からは苦情が出ていたという。これに苦慮した環境省は駐車場の有料化を検討していると過去には報道されていた。

 私自身は何の迷惑を被ったわけでもないので、キャンピングカーを見ても特に感想もなかったのだが、彼らを排除するために駐車場が有料化されたのでは「とばっちりだな」とは思っていた。しかし、現在のところ、駐車場は依然、無料のままだ。

 実は飯田高原にはオートキャンプが可能な「くじゅうやまなみキャンプ村」という大分県が設置した施設がちゃんとあるのだが、こちらは当然ながら有料で、1区画1泊4,320円(繁忙期は5,400円)。長時間の駐車に、例えば1,000~2,000円程度の料金を取ったところで、やまなみキャンプ村の料金よりも格安だ。駐車場の有料化が沙汰止みになったのは、下手に料金を取れば、利用者にお墨付きを与えることになり、かえって低料金のオートキャンプ場化が進み兼ねないと環境省などは危惧したのではないか、と勝手な推測をしている。

 タデ原湿原はまだ、野焼きの跡が黒々と残っていた。くじゅう花公園ではシバザクラやリビングストンデージーがきれいだったが、ネモフィラはスカスカの感じがして失礼ながらいまいちだった。福岡市の海の中道海浜公園などネモフィラの他の名所は、もっとぎっしり植えてある気がするが。


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