舞鶴公園で魚大量死

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 福岡市中央区の舞鶴公園5号堀(一番西側の堀)で29日午後、作業着姿の人たちが大きな網でコイなど魚の死骸を次々に回収しているのを目撃した。この一件を報じたテレビニュースによると、この日朝、コイやフナが大量に浮いているのに市民が気付き、関係機関に通報。公園管理事務所が死骸を回収したが、その数は450匹にも上った。死骸を解剖して原因を調べるという。

 30日午後、再び舞鶴公園のお堀端を歩いたところ、最大の3号堀には普段通り、大きなコイが多数泳いでいたが、5号堀は全滅状態だった。回収作業後に死んだのか、水草の中にはまだ複数の魚の死骸があり、付近には嫌な臭いが漂っていた。ただ、ミシシッピアカミミガメは何匹か目撃した。肺呼吸のカメは生き延び、エラ呼吸のコイやフナが全滅したとなると、水中の酸素濃度が下がったのだろうか。
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「天空の道」廃止の方向へ

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 2016年の熊本地震で大規模な地割れや崩落が起き、今も通行止めが続いている熊本県阿蘇市の市道「狩尾幹線」の廃止が検討されている。地元紙の熊本日日新聞などが報じていた。復旧には100億円を超える巨費が必要と見込まれ、仮に国等の補助が得られても市の持ち出しは10億円以上に上る見通し。小さな自治体には到底負担できないという。

 市道「狩尾幹線」では地元の人以外には通用しないと思うが、「天空の道」「ラピュタロード」などと呼ばれている道だと言えば、ご存じの方も多いことだろう。阿蘇外輪山を走る通称ミルクロードから麓に通じる延長5.8㌔の峠道で、雲海が立ちこめる朝には道が空に浮かんでいるようにも見えることから、インターネットなどで話題を呼び、人気の観光地ともなった。残念ながら雲海の季節に行ったことはないが、好天の時でも十分絶景だった。

 ただ、この人気は地元にプラス面ばかりをもたらしたわけではない。写真でもわかるように、車の離合(すれ違い)が難しい狭い道。観光客の殺到は地元民にとっては迷惑な話で、早朝から響く車の騒音に悩まされていた近隣住民もおり、実は被災前から、市道廃止を訴える声が上がっていたという。また、近隣には観光客が金を落としてくれるような飲食店や土産品店などは少なく、人気の割には地元への経済効果は小さかったのではないかと想像される。熊本地震での被災は不幸な出来事だが、廃止には厄介払いという側面があるのかもしれない。

 せっかくの絶景が地震をきっかけに失われることになり、個人的には非常に残念な気がするが、100億円の費用負担が必要となると、よそ者が残せとは簡単に言えない。写真は2014年5月に撮影。
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霧の韓国岳

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 この夏、霧島連山の主峰・韓国岳(1,700㍍)に登り、強風の吹き荒れる山頂で寒さに震えてきた。しかも強風の中でも濃い霧に覆われ、視界はほぼゼロ。山頂の標識前で記念写真を撮ったが、顔も判別できない程だった。

 登山路は、所要時間が1時間半程で初心者向きと言われる、えびの高原(宮崎県えびの市)からのルートを選ぶつもりだったが、例によって下調べが不十分だった。現地に着いてみると、このルートは噴石が飛来する恐れがあるとして利用禁止となっていた。硫黄山、新燃岳の火山活動が続いていることに伴う規制らしい。やむなく鹿児島県側の大浪池登山口から山頂を目指すことにした。大浪池は標高約1,400㍍の場所にある周囲2㌔の巨大な火口湖。ルート変更によって珍しい景色を間近で見ることができ、満足したが、道のりは予想以上にハードだった。

 登山口から大浪池までが約1時間。大浪池から山頂までが2時間強で、トータルの所要時間はえびの高原ルートのほぼ倍。登山道は大浪池までが石畳や石段、韓国岳本体には木製の階段が整備され、歩きやすくはあったのだが、場所によっては階段がかなり高く、疲れ切った後半は一段一段上がっていくのが非常にしんどかった。

 20歳代の大半を宮崎で過ごしたこともあり、えびの高原や隣県・鹿児島の霧島温泉郷などには何度も行ったことがあるが、山登りには全く関心がなかったため、すぐ近くにあった韓国岳や高千穂峰の登山道に向かうことはなかった。初めて韓国岳に登ってみて、霧で視界が悪かったためもあるが、あまりにきつくて景観を楽しむどころではなかったというのが正直な感想だ。ただ、大浪池の周囲にはコバノミツバツツジの群落があるのに気付いた。春には登山道を紅紫色に染めることだろう。コバノミツバツツジの咲く季節に、大浪池にはもう一度行ってみたいと思う。
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きゃべつ畑のひまわり

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 今年も一面のヒマワリだった。この盆休み、昨年に続いて宮崎県高鍋町の染ヶ岡地区に行き、80㌶もの畑を埋め尽くすヒマワリを見てきた。その数、約1100万本。タイトルの「きゃべつ畑のひまわり」とは、ここは本来はキャベツ畑で、お盆を過ぎれば、ヒマワリはトラクターで畑にすき込まれ、キャベツの肥料となるためだ。ここで生産されるキャベツは、その名も「ひまわりキャベツ」として春から初夏にかけて出荷される。

 このヒマワリは「復興のヒマワリ」とも呼ばれている。地元では有名な話なので、今さら紹介するのも気が引けるが、染ヶ岡地区は古くからキャベツ栽培が盛んで、肥料には堆肥を使ってきた。しかし、高鍋町や隣接する川南町を2010年、家畜の伝染病・口蹄疫が襲い、高鍋町だけでも3万頭を超える家畜が殺処分され、ウイルス拡散を防ぐため堆肥の利用も禁止された。地元農家は代わってヒマワリを栽培し、緑肥とするようになったが、大地を黄色に染める景観は「復興の象徴」として大きな評判を呼び、ヒマワリの栽培面積は年々広がっていったという。

 白状すると、「昨年に続いて」と冒頭に書いたが、昨年は親族の車の後部座席で熟睡中で、家族が撮影した写真で絶景を見逃したことを知り、しばらくは後悔の毎日だった。幸いにも今年、再訪することができたが、何事にも「次の機会がある」と言い切れる年齢でもなくなってきた。
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多聞櫓は学生寮だった

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 福岡城南丸多聞櫓の保存修復工事が行われている。多聞櫓は、築城当時の位置に現存する唯一の櫓で、1971年には国重要文化財にも指定されている貴重な建物なのだが、今回の工事の理由を知って驚いた。福岡県西方沖地震や経年劣化により、建物のあちこちに傷みが目立ってきたからだというのだ。経年劣化の方はわからないでもないが、福岡県西方沖地震とは2005年3月、つまり12年も前に起きた地震だ。この時の被害はさほど大きなものではなかったのかも知れないが、12年もほったらかしだったのだろうか。工事は来年3月までの予定だ。

 多聞櫓は2階建ての隅櫓と長さ約54㍍(30間)の平櫓からなる。平櫓の内部は普通、突き抜けの構造になっているらしいが、福岡城の多聞櫓は16の小部屋に分かれており、この変わった構造のためか戦前は城内に駐屯していた陸軍歩兵24連隊の兵舎として、戦後の1947年からは西日本短大の学生寮として利用されていた。

 藩政時代は主に倉庫として使われていた建物だったのだから、そのままでは居住に適しているはずがなく、内外装とも大きく改変されていた。1970年には西日本短大が移転していき、翌71年には多聞櫓の本来の持ち主だった国から福岡市が買い取ったのだが、この時には屋根瓦が落ち、雨漏りも激しく、崩壊寸前の状態だったという。辛うじて骨組みは良好な状態だったため、重文指定を受けることは出来た。福岡市は72年から約3年の月日と約1億円の予算を費やして、建物をいったん解体した後、旧来の姿に復元する工事を行っている。

 多聞櫓の解体復元は、この時代に市が進めていた福岡城址の史跡公園化の第一弾で、西日本短大に続き、74年にはその北側にあった予備校・九州英数学舘、75年からは2年がかりで御鷹屋敷一帯にあった福岡大平和台キャンパスの移転も実現させ、跡地は現在、緑地や牡丹芍薬園などとなっている。

 福岡大の一部キャンパスが御鷹屋敷跡にあったのは以前から知っていたが、西日本短大や九州英数学舘まであったことは全くの初耳だった。また、先頃まで市立舞鶴中学校だった場所には1960年まで、市立博多工業高校があった。明治通りから護国神社へ抜ける狭い道の両側には戦後の一時期、高校、予備校、短大、大学がひしめき合っていたことになる。ひょっとしたら博多工業高校卒業後に英数学舘で浪人生活を送り、福岡大学へ進学、青春時代を過ごしたのはずっと城内だった、などという人もいたのだろうか。

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 御鷹屋敷の下にある藤棚。以前は福岡大の体育館があったらしい。

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 九州英数学舘があったのはこの辺りだと思われる。

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 舞鶴中学校の跡地。旧校舎は福岡城、鴻臚館のガイダンス施設として、校庭は駐車場として活用されている。
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