情報番組が縁で新潟から移築された布施家住宅

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 熊本県和水町の国史跡・江田船山古墳に隣接して肥後民家村という観光・文化施設があり、この中に「旧布施家住宅」という築300年の重厚な民家が建っている。説明パネルによると、元々は新潟県上越市にあったもので、屋敷の主だった布施家は上杉謙信に仕えていた名門。1976年9月、当時の当主だった布施豊氏から和水町の前身の菊水町に寄贈されたという。しかし、いったいどんな事情で新潟から熊本に移築されることになったのだろうか。パネルには記されていなかったため調べたところ、テレビの情報番組がきっかけだった。

 情報番組とは、現在もテレビ朝日系列で放送されている『モーニングショー』。当時のタイトルは司会者の名前を冠した『奈良和モーニングショー』で、この番組に1976年8月、布施氏が出演し、建物を希望者に無償で譲ると申し出たという。詳しい事情まではわからなかったが、恐らく建て替えを決めたものの、先祖代々受け継いできた屋敷を何らかの形で残したいと思ったのだろう。

 テレビ朝日系列の熊本朝日放送(KAB)開局は1989年のことだが、当時は熊本放送(RKK)でこの番組は放送されており、布施氏の申し出にいち早く反応したのが、ちょうど民家村整備を進めていた菊水町だった。譲渡希望は全国から200件も寄せられたというが、町が主体となっての民家村構想が布施氏の信頼を得たのか、遠く離れた九州・熊本への移築が決まった。ただし、無償譲渡とは言っても、解体、輸送、復元などの経費は菊水町側の負担で、その額は3000万円に上ったとも言われる。移築は77年夏に完了しているが、小さな町にとっては、民家村の命運を懸けた大事業だったことだろう。

 この当時、布施家が上杉謙信の家臣だったという歴史がクローズアップされたため、「新潟から武家屋敷」と報道されたようだが、布施家は上杉の東北転封後も地元・上越に残り、江戸時代は豪農として栄えた。屋敷が建てられたのもこの時代で、現在では正しく農家として紹介されている。二階建て、広さは約360平方㍍、中には14もの部屋がある。外観は分厚い茅葺屋根が特徴的だ。以前は能面作りの工房などとして活用されていたが、現在は空き家状態で、内部も自由に見学できる。

 民家村には、国指定重文の「旧境家住宅」など計6棟の古民家があり、歴史民俗資料館なども併設されている。旧布施家住宅も重文級の価値があるのかもしれないが、本来は地元になかった建物であるためか、町指定文化財にとどまっている。
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金栗四三の出生地で桜と史跡を見てきた

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 熊本県和水町の国史跡・江田船山古墳、謎のトンネル遺構トンカラリンに花見がてら行ってきた。2年前の秋に両者を見学した際、史跡公園化された江田船山古墳の周囲に多数の桜が植えられているのを知り、春にもう一度来ようと決めていた。残念ながらソメイヨシノは開花したばかりだったが、早咲き品種らしき2、3本は満開で、平日ながら数グループの花見客でにぎわっていた。

 和水町は、放映中の大河ドラマの主役、金栗四三の出生地として最近名を売っているところで、江田船山古墳とトンカラリンは県道を挟んで向かい合わせの位置にある。江田船山古墳は5世紀後半に築造されたとみられる全長62㍍の前方後円墳で、墳丘上には石棺をガラス窓越しに自由に見学できる施設が整備されている。今年1月、町を震度6弱の地震が襲い、石棺が被害を受けたと聞いていたので、ひょっとしたら閉鎖中かもしれないと心配していたが、杞憂だった。ただし、見学者にとっては重要な設備のワイパーが壊れていた。

 前述のように、石棺が置かれたスペースと見学者との間はガラス窓で隔てられているが、石棺側の湿度や温度が高いためか、ガラス窓の石棺側は結露で曇っていることが多い。その対策として石棺側にはワイパーが取り付けられ、見学者は外から操作して水滴を拭き取る仕組みだった。このワイパーが壊れ、結露越しの見学になったが、石棺開口部の石材が亀裂を境にずれた状態になっているのは確認できた。また、屋根型の蓋の部分の石材も何か所か剥離しているようだった。石棺の被害は間違いなく地震によるものだろうが、ワイパーについては何が原因かわからない。

 石棺は幅1.1㍍、高さ1.4㍍、奥行き2.2㍍で、75文字が刻まれた「銀象嵌銘大刀」などが出土し、この大刀など92点の出土品は一括して国宝に指定されている。

 石棺を見た後、近くにあるトンカラリンにも足を延ばしてきた。トンネルや地隙からなる全長445㍍の遺構で、造られた目的も時期も不明。あまり時間がなかったため、7段の石段があることで有名な石組みのトンネルを見学しただけで引き揚げたが、見た限りではこちらは地震による被害はない様子だった。帰り道、聞き慣れぬ鳥の声がしたので見上げると、電信柱にカササギが巣を作っていた。2年前に来た時にもトンカラリン近くで2羽のカササギを目撃したが、同じカップルなのだろうか。

 写真は上から順に、江田船山古墳全景、石棺保存施設の入り口、ガラス窓越しに撮影した石棺、7段の石段があるトンカラリンの石組みトンネル、電柱に営巣するカササギ。
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桜に似たアーモンドの花

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 福岡市では21日、桜の開花宣言が出されたが、その直前の話だ。家族が「西南学院大でピンクの花が満開になっている。桜だろうか」と言うので、早咲きの品種が咲いているのだろうと思い、そろって見に行った。キャンパスの一角にある「聖書植物園」で、家族の言葉通り、ソメイヨシノよりも大ぶりのピンクの花が満開だった。キャンパス内に入らせてもらってネームプレートを確認すると、ピンクの花の正体はアーモンド。アーモンドなど身近にはなかったので、これほどきれいな花を咲かせるとは全く知らなかった。その場でスマホを使って検索すると、アーモンドの分類はバラ科サクラ属だった。「なるほど」と納得した。

 「聖書植物園」とは、文字通り聖書に記述のある植物等を集めた区画で、1999年11月に開園。現在では学内全体で、オリーブやイチジク、ナツメヤシなど聖書に関連する植物100種以上が植えられているという。オリーブやイチジクなどが聖書に登場するのはわかるが、アーモンドの方は何となく意外な気がしたので、どんな形で聖書に書かれているのだろうかと調べてみた。旧約聖書の『民数記』に「モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた」という記述があり、この「あめんどう」というのがアーモンドのことらしい。

 アーモンドの花が咲いているのは、修猷館高校裏の道路沿い。キャンパスの外から鑑賞できるが、見頃はやや過ぎた感じで、間もなくソメイヨシノとバトンタッチとなりそうだ。

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格納庫だったワインセラーで竹灯籠を見た

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 八女市立花町の谷川梅園で開かれていた「竹あかり幻想の世界」に最終日の3日行き、トンネル内を竹灯籠で彩るという珍しい催しを楽しんできた。普段はワインの貯蔵庫として活用されている長さ112㍍(枝道を含めた総延長は約180㍍)、幅4㍍、高さ4㍍のトンネル内は精緻な模様を施した3,000本もの竹灯籠で彩られ、さらにロウソクの熱で温められて非常に快適な空間となっていた。

 ワイン貯蔵庫のトンネルは丘陵地帯の山肌に掘られている。現地のスタッフに尋ねたところ、元々は戦時中に格納庫として掘られたトンネルで、年間を通して温度がほぼ一定の環境がワインを保管するのに最適だったことから、1995年から地元のワイナリーが貯蔵庫として活用しているという。しかし、このトンネルには戦時中、いったい何が保管されていたのだろうか。格納庫という言葉からは飛行機が思い浮かぶが、一帯の地形やトンネル幅が4㍍しかないことを考えれば、その可能性はないだろうと思う。帰宅後にネット検索してみたが、現地で聞いた以上の情報は全くなく、いつ、誰が掘削したのかさえわからなかった。

 後日、市町村合併で新・八女市となる前に編まれた『立花町史』(1996)を図書館でめくってみた。観光地の一つとしてワイン貯蔵庫が紹介されていたが、既知の情報に加えてトンネルの規模が若干詳しく記されていただけで、知りたい情報は何も書かれていなかった。ただし、「なお、壁には『トンネルの歴史』というパネルが掲げてあります」という一文が…。なんとトンネルの来歴はトンネル内に掲示されていたわけだ。竹灯籠はじっくり見たものの、パネルには全く気付かなかった。気付かなかった私が悪いが、せっかく地元の歴史を紹介する町史なのだから、パネルに書かれた情報程度は盛り込んでくれても良かったと思うが。

 仕方がないので、旧・八女市の市史なども当たってみた。こちらにも欲しい情報はなかったが、現在では結構有名になった「幻の八女遷都」について詳しく紹介されていたので、興味深く読ませてもらった。

 八女遷都とは、太平洋戦争中の1943年10月、内閣直属の機関・企画院によってまとめられた『中央計画素案』に記されていた極秘プランだ。大東亜共栄圏建設の大事業を完遂するためには首都移転が必要だとして、候補地として挙げられた3か所の中に当時の福岡県八女郡福島町(現・八女市)が含まれていた。残る2か所は、岡山県邑久郡行幸村(現・瀬戸内市)と京城(現・ソウル)。戦後、立花町在住の男性が素案を掘り起こし、この男性に取材した西日本新聞が1977年10月6日の夕刊で「大戦中、大まじめに検討された八女遷都論」との見出しで大々的に報じた。地元住民は郷土の知られざる歴史にびっくり仰天したという。まさに「秘史」と呼ぶべきだろう。

 トンネルの歴史は秘史でも何でもないはずだが、私の手際が悪いこともあってこのブログで紹介することはできなかった。来春も谷川梅園に行き、今度こそパネルを確認してこようと思う。なお、書き忘れていたが、「竹あかり幻想の世界」は単独のイベントではなく、梅園に植えられた3万本もの梅が見頃を迎えるのに合わせて開かれる観梅会の催しの一つだ。今年は例年になく梅の開花が早かったそうで、残念ながら3日は完全に見頃を過ぎていた。
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1,080円で買ったジャンク品のVAIO

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 先日、筑後地区の道の駅を巡った際、久留米市善導寺にハードオフがあったので思わず立ち寄ってきた。昔は私の生活圏にも店舗があり、掘り出し物でもないかと時折のぞいていたものだが、いつの間にか福岡市から完全撤退したらしく、すっかりご無沙汰になった店だ。ノートパソコンのジャンク品を漁ったところ、ハードディスクは入っていないものの、結構きれいなVAIOが税込み1,080円で売られていた。この値段だったら「たとえ動かなくとも、いじって遊ぶことができれば、損はない」と思い手に入れてきた。

 VPCEE25FJという2010年発売のA4ノートで、最初に結論を書いておくと、電源は入るが起動不能で、私の技術・知識ではいかんともしがたい状態だった。だから、いくらきれいであってもジャンクとして売られていたのだろう。ただ、ハードディスクなしのはずだったのに、日立製の320GBのものがしっかり入っていた。外付けケースに入れて確かめたところ、故障はなく、さらに2GBのメモリーも使用可能な状態だった。これで十分元は取れたと思った。

 動かないパソコンなので、無意味な情報になるが、一応仕様を書いておくと、CPUはAMD製のAthlonⅡで、周波数は2.1GHz、メモリは標準の2GB。OSはWindows7の64ビット版(プロダクトキーは付いていた)。一般的には、もはやまともに使えるスペックではないのだろうが、我が家にとっては必要十分な能力を満たしている。ネットで調べた限りでは、この機種はグラフィックチップの半田付けが不良となって起動不能に陥るケースが多いらしく、私が買ったジャンク品もまさにこのケースのようだった。ネット上には熱風であぶって半田を再固着させるという修理法が複数掲載されていたので、失敗覚悟でチャレンジしてみようかとも思ったが、長持ちする修理法でもないらしいので見送った。

 話は変わるが、先日、某全国紙に不要パソコンを重さにして20㌔までならば無料で回収、リサイクルしてくれるという企業の一面広告が掲載されていた。これ幸いと今まで使ってきたノートパソコン6台を回収してもらった。ずいぶん昔、外回りの仕事の時に持ち歩いていたThinkPad240Xなど思い出深い品もあったが、液晶パネルが割れるなど記念品として残しておくにも状態が悪すぎた。クローゼットの床に積み重なっていたノートパソコン群がなくなり、すっきりした。

 しかし、それから1か月もたたないうちに、このVAIOはじめ2台の使用不能パソコンが早くも床を占拠している。私は久留米に行ったら、またハードオフに寄ってジャンクパソコンを品定めしようかと楽しみにしているが、家族は「たとえ1,000円でも動かないパソコンを買う神経がわからない」と不満そうだ。多分これが正しい考え方だとは思う。
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