熊本城と福岡城

旧聞に属する話2010-熊本城

旧聞に属する話2010-熊本城2

 長いこと九州に住んでいながら、なぜか一度も訪ねたことがなかった熊本城に3月18日、ちょっとしたついでがあって行ってきた。肌寒さを感じる気候だったが、平日にもかかわらず、驚くほど大勢の入場者でにぎわっていた。築城400年祭が続いていた2008年には200万人超、昨年も177万人がこの城に詰めかけたと聞く。“歴女”と呼ばれる女性客も増えているらしい。もっとも、この日は当方と同じ中高年ばかりで、若い女性はほとんど見かけなかったが…。

 それはともかく、この城の壮大な規模には感じ入った。さすがに名古屋、大坂城とともに「日本三名城」と言われるだけのことはある。城郭について語るだけの知識は何も持ち合わせていないが、復興天守の最上階から周囲を見渡し、熊本という街が城を中心に発展し、同時に城を非常に大切にしていることが良くわかった。「非常に大切にしている」とは、もっと具体的に言えば、城を城としてきちんと再建し、保存しているということだ。

 福岡市にも福岡城跡がある。往時には熊本城と並ぶほどの壮大な規模の城だったと聞く。巨大な石垣=下の写真参照=などに、わずかにそれがしのばれるが、城跡には現在、陸上競技場をはじめとするスポーツ施設や裁判所、学校、さらには平和台球場跡(古代の迎賓館と呼ばれる鴻臚館の遺跡でもある)まであったりして、とてもとても「日本100名城」(日本城郭協会が選定)という雰囲気ではない。訪れて、ガッカリする城郭ファンもいるらしい。市民の憩いの場としてちゃんと機能しているのだから、これはこれで良しと考えるが、熊本との違いは何なのだろうと思わないでもない。やはり、城のシンボルとなる天守がないことが影響しているのだろうか。

 福岡城にはもともと天守がなかったと伝えられ、このため昭和の城ブームの時も建設論議は起きなかった。当然の話のようだが、現実にはなかった天守を造ってしまった例が全国的には結構ある。唐津城や中津城がいい例だ。ところが、最近になって福岡城にも天守があったことをほのめかすような史料が見つかり、一部市民の間で建設運動が起きている。この運動をリードしているのは、地元財界人OBだ。ただし、あったと確定したわけではなく、まして構造など皆目わからないのだから、賛同する人は極めて少ないようだ。昭和の城ブームの時と同様、極めて良識ある判断だという気がする。

 専門家の中には、仮に天守があったとしたら、天守台の壮大な規模や櫓の構造などから判断して「五層の大天守があり、外観はしっくい塗りではなく、下見板張りだったのでは」という趣旨のことを述べる人もいるが、現状ではこの程度が精いっぱいの推測ではないか。歴史を無視して天守建築に狂奔するような時代ではない。今ではすっかりまちの顔になった唐津城などを否定するわけではないが、平成の時代に同じことをやったのでは「恥」以外の何物でもないだろう。建設運動は、きちんとした史料が見つかり、天守の存在が確認されてからでも遅くはないと思う。


旧聞に属する話2010-福岡城石垣
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