城とソメイヨシノ

旧聞に属する話2010-小倉城

 桜前線は4月2日現在、関東地方にあるらしい。各地の名所は週末、多くの花見客でにぎわいそうだ。一足早く満開を迎えていた九州地方は、すでに見頃を過ぎ、花吹雪が舞っている。思えば、今年は熊本城で咲き始めのソメイヨシノを眺め、小倉城(写真)や福岡城跡の舞鶴公園で満開を楽しんだ。ふと気付いて、「さくらの名所百選」を調べてみると、20か所以上も城や城址公園が並んでいた。城に桜は付きもののようだが、これは城創建当時からあったわけではなく、明治時代以降に作られた風景だという。

 そもそもソメイヨシノが生まれたのは江戸時代も末期。明治時代になって、東京から地方に広がっていったらしい。桜は古くから和歌などにも詠まれているため、ソメイヨシノも昔からあったと勘違いしがちだが、江戸末期以前の桜とは、しだれ桜や山桜であったようだ。地方にとってソメイヨシノとは、華やかな「東京から来たモダンであった」と書いた新聞記事もあった。

 さらに、城跡に植えられ始めるのは、日清戦争(1894~95年)に勝利して以降のこと。散り際の見事さが戦争の美化に利用され、戦勝祈願などのため、各地の城跡への植樹が進んだのだという。桜の名所に城が多いのは、こういった理由だった。城の天守を彩るピンクのソメイヨシノは、今となっては平和の風景だが、この組み合わせが生まれた当時は戦意を鼓舞する狙いがあったのだ。

 本来、城を彩る樹木は、松だったと聞く。有事の場合、松ヤニは燃料となり、松の実は食糧となる。何よりも一年中緑の葉を茂らせる姿に、お家の繁栄を重ねたのだろう。戦国時代を生き抜いた武士たちはしたたかだ。散るよりも、散らぬための方策を考えていたに違いない。城とソメイヨシノ、城と松、風景としては前者が美しい気がするが、背景にある思想は後者に共感を覚える。
関連記事
スポンサーサイト
[Edit]