旧石器捏造は終わった事件か

旧聞に属する話2010-毎日スクープ

 長らく関心を持っている事件のひとつに、藤村新一氏による旧石器捏造事件がある。この事件をいち早く見抜き、表立って疑問を表明していた数少ない研究者のひとりに角張淳一氏がいる。文化財整理会社を経営されており、旧石器時代の研究者としても著名な方らしい。捏造事件に関する、この方の講演記録をネット上で読んだが、非常に示唆に富む内容だった。

 一部を紹介すると、捏造事件は、座散乱木、馬場壇の発掘をはじめとする前期、接合石器や石器埋納遺構など奇跡のような発見が相次いだ後期に分けられる。前期の発掘は極めて科学的に行われており、調査報告書もきちんと出されている。これに応じて、捏造も極めて緻密なものだったという。

 一方、後期はこれと全く逆で、発掘、捏造ともいい加減(調査報告書も出されていない)。だからこそ疑問が噴出し、最終的に毎日新聞のスクープ=写真=につながった。捏造が前期だけで終わっていれば、「半永久的に捏造がわからなかったのではないか」という。だからこそ、事件の本質と構造は、前期を読み解く必要があると角張氏は指摘する。

 座散乱木、馬場壇といえば、学界の前~中期旧石器時代存否論争を決着させた重要な遺跡だった。従って、この2遺跡が捏造と判明したことで、国内の前~中期旧石器はいったん白紙に戻ったと理解している。

 存否論争とは、文字通り「あったか、なかったか」の対立であり、「あった」と主張していたのが、藤村氏と関係の深い芹沢長介・東北大名誉教授(肩書は事件発覚当時)と、その教え子や支持者たちだった。藤村氏の“発掘”した石器によって、芹沢派は論争に勝利を収め、一度は学界の主流となった。藤村氏はこのころ、周囲に「芹沢先生の愛弟子」とみられていたらしい。

 こういった点から、芹沢名誉教授の周辺を「事件の黒幕」と疑う声もある(角張氏が講演の中でこのようなことを言っているわけではない。念の為)。確かに「黒幕説」をとれば、うやむやのままとなった捏造目的が見えてくる気がする。ただ、ちょっと気になるのは、黒幕説の根底に、一介の作業員に過ぎない藤村氏に多くの考古学者を欺く捏造など出来る訳がないという見方がある点だ。

 だが、1976年の座散乱木発掘開始から数えても20数年。芹沢氏だけでなく、著名な研究者と藤村氏は交流を深めてきた。非常な努力家、勉強家と認められていた彼が「当代一流」の研究者との交わりのなかで、得るものがなかったとは思えない。研究者として〈もっともらしい捏造ができるだけの能力〉、少なくとも十分な考古学的知識はあったとみるのが自然ではないだろうか。

 藤村氏は、岩宿遺跡を発見した相沢忠洋氏を非常に尊敬していたと聞く。相沢氏の業績は、戦後まもなくの考古学界に黙殺され、さらには“横取り”されかかったとされる。これに敢然と異を唱えたのが、当時明治大学の院生だった芹沢氏だったという。芹沢氏はこの事件をきっかけに大学を去り、東北に拠点を移した。捏造発覚後、芹沢氏には黒幕説をはじめ様々な批判、非難が集中したが、このエピソードを思うと、芹沢氏の人間性まで貶めるのは筋違いではないか、という気がする。

 藤村氏は、在野であっても業績を正当に評価する芹沢氏の度量にひきつけられたのではないだろうか。彼が芹沢氏の知己を得るのは、座散乱木、馬場壇よりもずいぶん後年のことらしいが、当時から付き合いがあった芹沢氏の教え子たちの背後に、芹沢氏を見ていたとしても不思議ではない。

 芹沢氏とその周辺によって、藤村氏はアカデミズムの輪に加えられた。それに対する“返礼”とともに、輪の中での自身の位置を確固たるものにするため行ったのが、あの捏造ではなかったか。さらに言えば、「日本で3万5000年以上前の石器は出ない」という仮説を唱えたのは、相沢氏の業績をめぐって、芹沢氏が対立した例の研究者だったのだ。

 この問題にかかわった人物のうち、芹沢氏は2006年に亡くなり、若手研究者の藤村氏に対する批判を封じ込めたと後に非難を浴びた当時の考古学界の重鎮・佐原真氏はそれに先立つ2002年に死去している。時間の経過とともに、事件の関係者も次第に鬼籍に入りつつあるが、幸いにして藤村氏も、芹沢氏の東北の教え子たちもまだ存命だ。事件の本質を探る試みはまだ可能でないかと思っている。

 <追記>角張氏は2012年5月に逝去された。ご冥福をお祈りする。
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