辻田遺跡出土の旧石器

 北九州市の公式サイトに掲載されている市指定文化財紹介記事の内容(該当ページ)に疑問を覚え、先日、同市教委に問い合わせのメールを送った。北九州市八幡西区の辻田遺跡から出土した旧石器が中期旧石器時代に当たる4万年から9万年前のものとされていることについて、「本当に間違いないのか」と尋ねたのだ。

 藤村新一氏(現在は改名しているらしい)による旧石器捏造事件が暴かれた2000年以降、彼がかかわった中期・前期旧石器時代の遺跡は検証作業が行われ、結果としてすべてが「クロ」と断定された。これによって日本国内には中期・前期旧石器の確実な遺跡は存在しなくなった。年代で言えば、3万5000年より前の遺跡はないわけだ。にもかかわらず辻田遺跡は堂々と4万年から9万年前を名乗っているのである。

 問題の石器が出土したのは1994年の発掘で、文化財指定は99年である。藤村氏の事件発覚以前のことであり、捏造遺跡・石器をもとにした当時の知見で評価された可能性が高いのではないかと思う。藤村氏が関係しなかった遺跡のため再検証の網から漏れ、結果として捨て置かれた状態になっているのではないか――というのが私の疑問点だ。

 実際、公式サイトの紹介記事には「斜軸尖頭器やヘラ形石器などは技術、形状ともに同時代特有の資料である」という記述がある。しかし、斜軸尖頭器は縄文時代にも存在しており、「中期旧石器時代の特有の資料ではない」というのが現在の定説のようだ。当然だろう。藤村氏は手持ちの縄文石器などを古い地層に埋め込み、捏造を行っていたのだから。

 また、石器発見当時のスクラップを読み返すと、他にもおかしな点がある。11点の石器のうち、9点までが弥生時代の地層で見つかっているのだ。残る2点が鳥栖ローム層と言われる9万年前の地層からの出土だ。鳥栖ローム層とは阿蘇山大噴火による火砕流の跡だという。当時は石器の形式から4万年~9万年前のものと判断、弥生時代の地層から出土したことについては、後の時代に掘り返されたと解釈したようだ。だが、今となっては形式論があてにならない以上、ローム層の2点の方が後に埋められたと考えることも可能だろう。第一、これは藤村遺跡の再検証でも強調されたことだが、火砕流が堆積するような土地に果たして人が住めたのだろうか。

 北九州市教委からの回答はまだない。回答がもし来たら、ここでも紹介したい。


 <10月13日追記>北九州市教委から非常に丁寧な回答が届いた。感謝申し上げたい。

 大意を紹介すると、まず鳥栖ローム層から出土した石器2点については、ローム層は9万年前の阿蘇火砕流が二次堆積し土壌化したものであり、従って2点は8~4万年前の出土であるとの説明があった。また、辻田遺跡の石器全般について、「剥片の打撃面に対して長軸を斜方向に取り、剥離調整のときにくちばし状に突起を作り」出しており、これは中期旧石器だけに見られる特徴であることを指摘。遺跡自体も旧石器と弥生時代の複合遺跡であり、縄文時代の石器が紛れ込んでいる可能性はないとしている。捏造事件発覚後、日本考古学協会が辻田遺跡の石器についても再検証を行っており、中期旧跡時代のものと結論が出ているという。

 中期旧石器時代の遺跡であるというならば、学術的にもう少し注目を浴びて然るべきだと思え、納得がいったわけではないが、かといって私に市教委からの回答を論破するだけの能力はない。

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