遊び場だった那珂八幡古墳

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 小学生時代の一時期、福岡市博多区竹下に住んでいたことがある。アサヒビールの工場がある街だ。通学路沿いにこんもり木が茂った小山があり、全体が神社になっていた。神社下の広場(空き地)と合わせ、一帯は子供たちの格好の遊び場で、段ボールを下に敷いて斜面を滑り降りたり、木の枝にローブを結んでターザンごっこをしたりと男の子たちは乱暴な遊びに興じていた。詳しい状況は知らないが、低学年の子が亡くなる不幸な事故が起きたことも覚えている。

 先日、福岡市の史跡をネットで眺めていて、竹下に那珂八幡古墳という前方後円墳があり、この古墳が例の神社らしいのに気付いた。築造されたのは古墳時代初期の4世紀初め、福岡平野では最古の首長墓らしい。いくらバカな小学生だったとは言え、古墳の墳丘を滑り降りるという罰当たりな遊びをしていたのかと不思議に思い、何十年振りかで竹下に行ってきた。(神社でも十分罰当たりなのだが)

 JR竹下駅から歩いて数分。神社南側には昔はなかった広い道路(市道竹下駅前線)が走っており、かつて三角ベースなどに興じた広場はなくなっていた。神社自体は昔と変わらぬ姿だったが、参道の入り口に古墳の概要と、神社の来歴を紹介する二つの立て看板があり、謎が解けた。古墳の発掘調査が行われたのは1985年で、私がここで遊び呆けていた時よりもずいぶん後だったのだ。

 後日、古墳の来歴を改めて調べてみると、ここが古墳だったと初めてわかったのは1971年、九州大考古学研究室の調査によってで、それまでは独立した小さな丘だと思われていたという。ちょうど私が住んでいた頃は、まだ古墳とは認識されていなかったのだ。一方、1985年の発掘調査とは、竹下駅前線のルートは当初、古墳の墳丘上を通る計画だったことから、福岡市が緊急調査として行ったものだという。

 1985年の調査では後円部の頂上で二つの埋葬施設(主体部)が確認され、第二主体部の木棺墓からは三角縁五神四獣鏡1面のほか、勾玉、管玉などの装飾品が出土している。ターザンごっこなどをやらずに穴掘り遊びをしていたら、三角縁五神四獣鏡発見の栄誉は私に輝いたかも知れない。惜しいことをした。古墳の規模は、推定で全長75㍍以上、後円部の直径50㍍、高さ15㍍。第一主体部は社殿の下にあり、調査が行われていない。

 福岡平野を治めたとみられる首長たちの墓(前方後円墳)は那珂八幡を含めて計七つあり、古い方から、那珂八幡(4世紀初頭)、安徳大塚(那珂川町、4世紀後半)、老司(福岡市南区、5世紀初頭)、博多1号(福岡市博多区、5世紀前半)、貝徳寺(那珂川町、5世紀後半~末)、日拝塚(春日市、6世紀前半)、東光寺剣塚(福岡市博多区、6世紀後半)という順で築造されたとみられている(下の地図参照)。このうち東光寺剣塚は那珂八幡のすぐ北側、アサヒビールの工場内にある。福岡平野の首長墓のうち、最初と最後が並んでいるのは興味深い。(古墳の築造時期は1989年発行の福岡市埋蔵文化財調査報告書『老司古墳』を参考にした)

 【注】古墳発掘の経緯などをきちんと確認せず、かなりいい加減な内容だったっため、後半部をほぼ全面的に書き直しました。


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