九大教養部跡

旧聞に属する話2010-教養部修正

 写真は、福岡市中央区にある九州大六本松キャンパスの跡地。教養部跡と言った方がわかりやすい人も多いだろう。九州大は現在、福岡市西区の伊都キャンパスに統合移転を進めており、六本松キャンパスは昨秋、88年の歴史に幕を閉じた。今は閉鎖され、本館をはじめとする校舎群はすべて空き家の状態だ。もう40年ぐらい前になるだろうか。初めてこの本館を目にした時は、まだ学園紛争の爪跡が残っていた。校舎のガラス窓はほとんど割れ、学生たちの主張を書いた紙がべたべたと貼ってあり、子供心に「大学とは何やら怖い場所」という印象を持ったものだ。

 後から知ったことだが、学園紛争時の九大教養部長は、後に福岡県知事を3期務めた奥田八二氏。学内に機動隊を呼び込んだ人物として、民青などにはずいぶん嫌われていた。革新統一候補として知事選に打って出た時、自民党が「奥田はアカだ、共産党だ」とネガティブ・キャンペーンを繰り広げたが、奥田氏の教養部長時代を知る人は「奥田がアカであるものか」とあざ笑っていたらしい。「共産党だ」と断じることがネガティブ・キャンペーンになると信じた、当時の自民党の時代錯誤にもあきれはてたが。

 奥田氏は、三池闘争を指導した向坂逸郎の弟子でもあり、社会主義教会の一員でもあった。社会主義者であったのは間違いないだろうが、懐が深いのか、現実的なのか、わかりにくいところも多い人だった。彼の知事時代、こんなエピソードを聞いたことがある。福岡県を訪問された両陛下を、空港でお見送りした際の話だ。お二人が乗った飛行機が見えなくなるまで、誰よりも長く深々と頭を下げていたのが奥田氏だったという。個人的には奥田氏の人柄を物語る、いい話だと思う。

 それはともかく、六本松キャンパスの跡地は都市再生機構(UR)が取得し、住宅開発を行う予定だ。また、跡地の一部には裁判所や検察庁などの司法機関が移転することも決まっているようだが、住宅街と裁判所が共存できるものなのか。URが主催していた「六本松キャンパス跡地コンセプト委員会」でも若干の疑問が出されていたようだが、結局は目をつぶったようだ。右寄りの人たちの街宣や左寄りの人たちのデモで、変に“にぎやかな街”にならないと良いが。

 URはキャンパス跡地に新たにつくる街を「青陵の街」と名付けている。青陵とは「希望にあふれた若者を育てる緑豊かな丘」との意味だという。教養部の前身、旧制福岡高校の同窓会が「青陵会」と名乗っていることにちなむ。下の写真のブロンズ像は、現在も跡地に残る「青陵の泉」像で、旧福高OBらの寄付により1968年に完成した。青陵会、九大は像の現地保存をURに働きかけているが、「青陵の街」と名付けたぐらいだから、恐らくきちんと保存され、新しい街でもシンボルになることだろう。街づくりの取りかかりがどうにも遅れ気味に思えるのが、少し気にかかるところだ。

旧聞に属する話2010-九大教養部2
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