市史編纂は無駄遣いか

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 福岡市の昨年9月の事業仕分け(正式名は事務事業外部評価会議)で、『新修福岡市史』の編纂事業が「再構築」と判定された。再構築とは「事業をいったん廃止し、新たな枠組みでやり直せ」ということを意味する。福岡市にとっては初の体系的な歴史書を作ることがそんなに無駄なことなのか。判定に納得いかなかったが、福岡市の発表資料を読んで合点がいった。事業について基本的な知識すらない人たちが評価を行っていたのだ。

 新修市史の編纂事業は先々代・山崎広太郎市長時代の2004年にスタート、2024年までに通史編・資料編・民俗編・特別編を合わせ35巻の刊行を予定している。腐っても政令市、これまでに市史がなかったわけではない。しかし、旧市史は近代以降の行政記録が中心で、『魏志倭人伝』に記された古代・奴国から現代に至る福岡市の通史は存在しなかった。配本は2010年から始まり、現在までに資料編3巻、特別編1巻が刊行されている。

 外部評価会議では、事業に年間1億円の費用が投じられていることに加え、編纂期間が20年と長いことに批判が集中したようだ。確かに多額の公金を投じる以上、その使途が適正かどうかは厳密に検証されるべきで、その結果として不適正な出費があるのならば指弾されて当然だが、外部評価会議の議論は単に「1億円は高すぎる」という感情論に終始していただけである。

 また、委員の発言の中には首をひねるものも多々あった。「この資料、本が将来利用されるとは思われない」「少なくとも『考古』『古代』の市史は不要である」「市民が目にできるのは平成31年度からである。ほとんどが研究者の研究費である」。

 歴史に関心がないのはわかるが、だったら黙っているのも見識ではないのか。特に3番目の発言など意味不明である。先に記したように、すでに2010年度から刊行が始まっている。何が「平成31年度から」なのか、さっぱりわからない。わかるのは、この委員たちが市史の現物も目にすることなく、恐らく市側が用意した数枚の資料だけで議論を進め、その資料さえまともに読み込んでいないことだけである。
  
 本家・民主党の事業仕分けを、立花隆さんは「バーバリアンが、寄ってたかって日本という国をぶっ壊しつつあるのを目の前で見ている感じ」と酷評されていたが、そんな代物を福岡市が猿まねする必要などないだろうに。新年度予算案の発表が近い時期だけに、編纂事業の先行きを心配して担当課に確認したが、「全35巻の刊行に変更はない」そうだ。安心すると同時に、福岡市の事業仕分けも本家同様“茶番”にすぎないことが良くわかった。
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