福岡拘置所史

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 前エントリーに続いて昭和時代の連続殺人犯・西口彰の話である。ネット検索すると、西口の死刑執行を、戸籍法に基づき福岡市長に報告した時の文書が出てくる。恐らく公文書が流出したのではなく、彼をモデルにした小説『復讐するは我にあり』の中にある記載を、小説の主人公・榎津巌から西口彰に名を変えて転載したものだと思うが、これには執行場所が「福岡市百道2-16-10 福岡刑務所土手町拘置支所」と記されている。私もそうだったが、福岡にお住まいの人は首をひねられるのではないかと思う。百道2-16-10とは拘置所の現在地なのだが、この付近が土手町と呼ばれたことはあっただろうか、と。

 福岡市総合図書館に『福岡刑務所史』(1977年、福岡刑務所発行。非売品)という書籍があり、一部疑問が解けた。刑務所史と言っても年表と当時の職員の住所録が収録されているだけで小冊子程度のボリュームだが、色々と興味深くもあった。以下に関係する記載をまとめてみた。

  •  大正2年 福岡監獄が福岡市須崎浜から早良郡西新町藤崎(住所表記は異なるが、ほぼ現在地)に移転。須崎浜は女性の受刑者や未決囚らを収容する出張所として残る。
  •  同5年 須崎浜出張所が福岡市土手町に移転し、福岡監獄土手町出張所となる。
  •  同11年 福岡監獄が福岡刑務所に改称。
  •  昭和23年 福岡刑務所に新刑場が完成し、死刑執行が可能に。これ以前は広島刑務所に移送し、ここでは行われていなかった。死刑執行刑務所指定は翌年。
  •  同40年 土手町拘置支所(旧・土手町出張所)が福岡刑務所本所敷地内に移転する一方、本所は福岡県宇美町に移転。
  •  同42年 土手町拘置支所が福岡拘置支所に改称。

 土手町とは現在の中央区大名2丁目の辺りだ(下の地図参照、クリックで拡大)。そこにあった拘置支所が現在地の百道に移転したものの、施設名はそのまま旧名を名乗っていたということらしい。百道に別の地名を冠した拘置支所があったわけだ。ただ、「一部疑問が解けた」と書いたのはもう一つおかしな点があるからだ。

 上の年表にあるように、移転から2年後の昭和42年(1967年)には福岡拘置支所に改称している。西口彰の刑執行はこの後の同45年(1970年)12月のこと。従って執行施設は「福岡拘置支所」であるはずなのだ。この部分が(固有名詞を意識的にぼかした)小説からの転載だろうとみている理由なのだが。

 刑務所史に書かれた以降のことを付け加えると、福岡拘置支所は1996年5月、法務省の組織改編に伴い福岡拘置所に昇格している。


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