破天荒の弁護


 「山口の母子殺害、20日判決」で書いた光母子殺害事件の上告審判決が20日言い渡され、最高裁は大月孝行被告(旧姓・福田)に対し死刑やむなしの判断を下した。被害者2人の少年事件で死刑判決が確定するのは、永山基準が示されて以降では初のケースという。これ以後の少年事件での死刑確定は永山事件を含め、市川一家4人殺害事件、連続リンチ殺人と被害者はすべて4人だ。今回の判決は今後、「光母子殺害基準」あるいは「大月基準」として、少年犯罪に死刑判決を下すうえでの新たな判断基準となるのだろうか。

 この事件の裁判で印象に残ったのは、差し戻し控訴審で弁護団が展開した「ドラえもん」「魔界転生」などの被告供述をベースにした弁護活動だった。不愉快という以上に、非常に不可解な弁護だなと思っていたが、『年報・死刑廃止04-無実の死刑囚たち』(2004年、インパクト出版会刊)を読み、納得する部分があった。「司法改革と死刑」と題した座談会の模様が収録されているのだが、この中で光母子殺害事件の主任弁護人・安田好弘弁護士が以下のような発言をしているのだ。

 「(略)弁護というのは自由でなければならないし、多くの非難を受けても破天荒の弁護というのは案外成功するものでしてね(笑)、そういうところにじつは弁護の本質があって、そういうもので弁護というのは切り開かれてきたと思うんです(以下、略)」(下線は筆者)。

 なるほど、2007~8年の差し戻し控訴審での弁護は、この言葉を実践したものだということがよく理解できる。ただ、当人の予想通り多くの非難こそ浴びたが、弁護としてはまったく成功しなかったのではないか。差し戻し控訴審判決で広島高裁は「荒唐無稽」と一顧だにすることなく退け、最高裁もこの判断を踏襲した。安田弁護士は、大月被告の1・2審の弁護人を「犯罪事実についてほとんど関心がなかった」と厳しく批判しているが、少なくとも1・2審の弁護人は無期懲役を“勝ち取った”。法廷で「生きたい」とすすり泣いたと伝えられる大月被告にとっては、どちらの法廷戦術が良かったのだろうか。写真は永田町側から見た最高裁。



 <追記>大月被告に対する第二次最高裁判決が、少年犯罪に対して死刑判決を下すうえでの今後の新たな判断基準になるのだろうか、と書いた。法曹関係者、あるいは研究者の間では「あくまでも例外的なもの」という評価が大勢のようだが、現実には「死刑回避は不当」と高裁に差し戻した2006年6月の第一次最高裁判決が、すでに新たな死刑判断基準となっているように思える。

 良い例が「石巻3人殺傷事件」だろう。一審・仙台地裁の裁判員裁判は2010年11月、18歳の少年に対し死刑判決を下したが、光事件との量刑のバランスが大きな判断材料となっている。大月被告に対しては第一次最高裁判決は死刑を下したも同然だったが、殺人の計画性などの点で、より悪質と思われる石巻事件が無期懲役では公平を欠くという考えだ。2008年4月の差し戻し控訴審での死刑判決後、土本武司氏は「死刑適用のリーディング・ケースになり得よう」(2008年10月、白鴎大学法科大学院紀要『死刑をめぐる諸問題』)と述べられているが、死刑を確定させた第二次最高裁判決により、この流れは一層強まるのではないだろうか。
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