布団詰め死体駅送事件


 福岡で戦後に起きた事件を調べる中で、推理小説まがいの殺人事件に出くわした。1957年(昭和32年)、福岡市の国鉄吉塚駅(当時)で、荷物の中から布団にくるまれた男性の死体が出てきたという事件だ。当時は「死体駅送事件」などと騒がれ、新聞も連日大扱いだったようだが、福岡ではあまり記憶されていない事件ではないかと思う。死体の“終着駅”が吉塚だったというだけで、主舞台が東京だったためだろうか。せっかくなので“忘れられた猟奇事件”の概要を紹介したい(年齢は当時)。

 死体が見つかったのは同年5月2日午後4時半ごろ。駅止めで届いた荷物が悪臭を放っているのに運送会社員が気付き通報、警察官が中身を改めたところ、布団とビニール製カバーに何重にもくるまれた若い男性の腐乱死体が出てきた。男性は丸首シャツにパンツ姿。荷物は3月10日、東京汐留駅で受け付けられ、いったん名古屋に送られた後、吉塚に転送されてきたことが荷札からわかった。この荷札を残したことが犯人の大失態だったと後にわかる。

 死体発見からしばらくは被害者の身元特定も困難を極めたが、死体を包んでいたビニール製カバーの販路をたどっていた警視庁捜査本部が有力情報をつかむ。このカバーを都内の衣類販売店が多数購入していたのだが、同店から布地を持ち逃げした販売員のSという男(20)がいることを突き止めたのだ。Sの交友関係を洗ったところ、同業の男性Cさん(22)が行方不明となっていることも判明した。死体の体格や年齢がCさんと一致する。さらにSが死体が梱包されていたものとそっくりの荷物を近所の運送屋に頼んで発送していたこともわかり、捜査本部は容疑者と断定。死体発見から約20日後の21日、Sを潜伏先の岡山で強盗・殺人・死体遺棄容疑で逮捕した。

 逮捕後のSの供述によると、被害者のCさんとは一緒にスーツ生地の外商を行っていたが、売り上げをめぐって争いになり、同年3月5日、こん棒で数回Cさんを殴って殺害。Cさんが持っていた現金50万円を奪った後、同10日に死体を汐留から名古屋に発送した。犯行から発送までは5日間の間がある。死体と一緒に暮らしながら、処理方法について頭を悩ませていたのだろう。いったん名古屋に送ったのは犯行現場が東京であることをわからないようにするためで、自身が名古屋に行って荷物を受け取った後、吉塚に転送したのだが、この時、東京からの荷札を1枚取り忘れたことが命取りになった。あるいはこのミスがなく、犯行現場が東京とすぐに判明しなければ、事件の解決は遅れていたかもしれない。

 当時の裁判は(良し悪しは別にして)相当スピーディーだったようで、逮捕から半年後の同年11月には東京地裁の1審判決が出されている。検察側は死刑を求刑したものの、犯行当時は未成年だったこと、幼くして両親を失い劣悪な環境で育ったことなどを酌量し、地裁は無期懲役の判決を下した。翌1958年3月の控訴審判決でも同様の判断が下され、刑が確定している。それから今年で54年、恐らくすでに仮釈放されていることだろう。写真は現在のJR吉塚駅。
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