三無事件と川南豊作

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 何度か取り上げてきた佐賀県伊万里市の川南造船所の廃墟(写真)は昨年暮れから解体工事が始まり、すでに跡地は完全な更地となったようだ。この造船所、川南工業浦ノ崎造船所というのが正式名。川南工業の社長を務めていたのは、戦後に起きたクーデター未遂事件「三無事件」の首謀者として知られる川南豊作だ。川南らは武力で政権の転覆を図ったとされるが、後に川南に下された判決は懲役2年に過ぎない。大仰な逮捕容疑とはあまりにギャップがありすぎ、妙な事件と言うほかない。

 事件が摘発されたのは1961年(昭和36年)12月12日。川南や元軍人ら13人が池田勇人首相らの閣僚や社会党幹部を暗殺し政権奪取を計画したとして殺人予備容疑などで逮捕された。この企てが三無事件と呼ばれるのは、川南らが樹立しようとした政権が無税・無失業・無戦争の「三無主義」を政策の柱としたためだ。こう書くと平和国家のようだが、無戦争とは核兵器を含む重武装により侵略されない国づくりを進めようというもので、現在のどこかの国のようである。

 首謀者・川南の人物像について、逮捕当日の読売新聞夕刊は「金のためならなんでもやる」と評したうえで、「こんどの計画も政治的信念から出た行動とは到底考えられず、何かしらタメにする目的で大芝居を打ったのではないか」という“右翼の大立者”の談話を紹介している。この右翼の大立者なる人物の見方はかなり正鵠を射ていたようで、一味のうち最終的に12人が起訴されたが、内乱罪は適用できず、破壊活動防止法違反が精一杯(破壊活動防止法の最初の適用事件)。しかも、64年5月の1審・東京地裁判決ではクーデターの謀議は認めたものの、実際に実行を準備したとまでは認めず、実刑が下ったのは川南ら3人だけだった。

 東京地裁の判決理由が面白い。「本件は、計画がずさんで成功の可能性に疑問の余地があったとはいえ、その危険性を軽視するのは正当ではない」。判決は前述したように川南が懲役2年、残る2人は懲役1年6月で、量刑は累犯窃盗以下だった。

 川南には2審でも有罪判決が下ったが、これを不服として上告。最高裁で審理中だった68年12月11日、福岡で急死している。三無事件とは別の巨額詐欺事件控訴審に出廷するため、福岡高裁の廊下で開廷を待っていた際に倒れ、近くの病院に運ばれたが、そのまま死亡したという。66歳。死因は脳卒中だったらしい。巨額詐欺事件とは、川南工業が破綻した際、不渡り手形を乱発して商社から鋼材などの取り込み詐欺を図ったというもので、被害額は数億円に上る。川南造船所が破綻から半世紀以上も放置されたのは、土地・建物の権利関係が複雑だったためと聞いたが、あるいはこれらの事件が関係していたのかもしれない。




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