ファントム引き降ろしの真相は?

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 九州大学が昨年創立100周年を迎えたのを記念、現在『九州大学百年史』の編纂を進めている。2014年から3年がかりで全10巻を刊行する予定というが、九大史の中で少し関心を持っている出来事がある。1969年(昭和44年)1月に起きたファントム引き降ろしだ。黒幕は誰だったのか? 92年刊行の75年史では69年当時の学内調査委員会の報告(学内関係者の関与を疑いながらも推測の域を出ないと結論付けた)やその後の新聞報道を紹介したうえで「引き降ろしの真相は現在も不明のままである」と述べるにとどめたが、100年史では真相に踏み込むのだろうか。

 米空軍板付基地(現在の福岡空港)所属のファントムが、建設中だった工学部の大型計算機センター(福岡市東区箱崎)に墜落、炎上したのは1968年6月2日の夜10時ごろ。ちょうど学園紛争のまっただなかにあった学内は、この墜落事故以降、反米軍・反基地闘争も絡んで大荒れに荒れ、機体の残骸は200日以上も現場に宙吊り状態のままとなった。

 機体撤去が進まなかったのは、当時「反代々木系」と呼ばれていた過激派学生が強く反発したためで、彼らは反基地運動のシンボルとして機体を宙吊りのまま残すことを要求していた。現場一帯にはバリケードを築き、計算機センター建設のため撤去を急ぎたい大学側の動きを阻んでいた。大学側も当初は、事故を起こしながら飛行中止など大学の要求を足蹴にする米軍側に態度を硬化させ、機体引き渡しに応じない姿勢を見せていた。この対応が過激派学生を勢いづかせた面もある。一方で「代々木系」の民青などは自主撤去に賛成し、学生同士のにらみ合いも続いていた。

 宙吊りのファントムが福岡の新たな名物となる中、学内に未明侵入した集団によって突如引き降ろされたのは事故翌年の1月5日。機体にワイヤーを巻きつけ、ブルドーザーで引っ張り落下させたものだが、時間にしてわずか15分の早業。バリケード内に泊り込み警戒していた過激派学生もなすすべがなかったという。この集団が福岡市内に現在もある工務店の関係者だったことは間もなく明らかになったが、誰が依頼したのかは当時は不明だった。

 一件から40年以上が経ち、現在では徐々に真相が明らかになってきてはいる。数年前には実行グループの中心人物が実名で新聞のインタビューにも答えている。この人は大学とはまったく無関係の食堂経営者だったが、親類の工学部助教授(当時)から引き降ろしを懇願されたため、知人の工務店関係者に協力を依頼し42人からなる実行部隊を組織。綿密な準備のうえで引き降ろしを決行したという。ただ、助教授の背後関係や、親類とは言え、この方面のプロではない人物になぜ依頼したのかなど語られていない部分もまだまだ多い気がする。

 100年史編纂をにらみ、九大関係者は以前から、ファントム墜落に関する資料提供を幅広く呼びかけていたようだ。果たして、どんな証言が集まったのだろう。写真は現在の九州大箱崎キャンパス。
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