ビル街の学校建設現場

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 福岡市中央区長浜のビル街で、舞鶴小中学校の校舎建設が進んでいる。児童・生徒数減が続く市中心部の大名、舞鶴、簀子の3小学校と舞鶴中学校とを統合して2014年に誕生する市内初の小中連携校。福岡市が「子育て世代の中心部回帰を促すような学校にする」と意気込むだけあって、完成予想図(下)を見る限り、ずいぶん斬新な学校となりそうだ。グラウンドが地上2階にあり、その下の地下1階~地上1階部分に体育館などが配置されるらしい。

 新校舎が建てられているのは舞鶴小があった場所だが、1947年(昭和22年)から60年(同35年)までは舞鶴中がここにあった。当時は、現在とまったく逆で児童・生徒数が急増していた時代。これに対応するため舞鶴小が新設されることになったが、校区内に学校を建設できる場所がない。そのため舞鶴中が校舎を譲り、同校が現在地(中央区城内)の市立博多工業高校跡地に玉突き移転することになったという。この場所は校区外(隣接する警固中校区に当たる)なのだが、中学生ならば体力的に通学は問題なしと判断されたのだろう。舞鶴中は半世紀以上を経て、創立の場所に戻るわけだ。

 舞鶴中が現在あるのは舞鶴公園と大濠公園に囲まれた場所で、春には桜、秋には落ち葉が彩る。生徒たちは、市指定文化財の名島門をくぐって登下校している。半世紀以上もこの場所で歴史を刻んできたのだから、愛着を感じる卒業生も多いことだろう。だが、学校自体が国史跡・福岡城跡の中にあり、市が2004年にまとめた城跡の保存整備基本構想の中でも中学校の早期移転が明記されていた。史跡(主に城跡)に学校があるケースは全国的にも複数例あるが、存続には文化庁側が難色を示し、長期的には移転を促しているらしい。ビル街よりもはるかに教育環境に恵まれた場所から離れざるを得ないのは、こんな事情のようだ。

 城跡の保存整備基本構想がまとめられたのは先々代市長の時代で、現在もこの構想が本当に生きているのかはわからないが、舞鶴中移転は、不審火で焼けた下之橋御門の復元(2008年完成)に続いての具体化となる。以前にも書いたが、先代市長の時代は門復元が精いっぱいで、他の城跡整備は完全に止まっていたように見えた。人工島事業などの懸案を抱え、それどころではなかったのだろう。

 その点、観光振興にえらく熱心な現在の高島市長は、城跡整備にも積極的とも思える。だが、新年度予算案で打ち出した事業を見ると、方向性には少々疑問を感じる。「日本で唯一の歴史資源活性化事業」と銘打って6700万円の予算を計上しているのだが、その内容は「平成24年春に開館する展示・休憩施設を回遊拠点に、デジタル技術を活用し、福岡城の当時の情景を体感できるような新しい展示を取り入れ、観光客に楽しみながら散策してもらう」と説明されている。何のことかさっぱりわからないが、デジタル技術などに頼らなくても福岡城にはまだ本物が眠っているのではないかと言いたい。

 1991年に崇福寺(黒田藩の菩提寺)から買い戻した潮見櫓花見櫓は、解体されたまま20年間も部材が保管されている。いつになったら城内に復元されるのだろう。デジタル技術など今は最先端であっても、来年には恐らく陳腐化している。そんな代物よりも、復元した本物の櫓を体感する方が観光客にはよほど喜ばれるに違いない。


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