柱が林立する公園

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 福岡県古賀市を久しぶりに歩いてきた。昨年2月にもこのブログで取り上げたことがあるが、市長の竹下司津男氏に経歴詐称疑惑やカルト教団在籍の過去が持ち上がり、ニュースとなった街だ(「古賀市長」参照)。

 竹下市長は昨年10月、公職選挙法違反(虚偽経歴の公表)容疑で書類送検されている。検察の結論はまだ出ていないようだが、市長が書類送検されるとは穏やかな話ではない。さぞかし議会対策に苦労しているだろうと思ったが、これが予想に反し、市の予算案や長期計画などすべての議案が圧倒的多数で可決されている。

 議会の定数は19。前市長支持派の議員も少なくないようだが、市のサイトで明らかにされている議案に対する賛否を見ると、前市長派が必ずしも反対に回っているわけではない。疑惑の追及は検察に任せ、議案に対しては是々非々で臨むという“大人の対応”なのだろうか。それにしても前市長の宿敵と目されていた議員が、前市長の懐刀とみられる人物と同一会派を組んでいる。私の知る時代とはずいぶん政治状況が変化しているようだ。

 ところで、古賀市に行った目的は鹿部(ししぶ)田渕遺跡の見学だ。1999年、鹿部土地区画整理事業に伴う発掘調査で確認された大型建物群の遺構で、発見当時は糟屋屯倉の跡だと大騒ぎになった。糟屋屯倉とは、「磐井の乱」(527~8年)後、筑紫君磐井の息子・葛子が命を助けてもらう代わりにヤマト政権に差し出したと伝えられる土地で、筑紫君が持っていた海上交通の拠点(港)だったのではないかと言われている。現在、海岸線は1km以上先だが、古代には花鶴川河口に面した丘陵地で、河口には5世紀頃から江戸時代の明暦4年(1658年)まで港が存在したという。

 遺跡は現在、「みあけ史跡公園」として整備されている。「みあけ」とは、糟屋屯倉にちなんで名づけられた区画整理事業完成後の新地名で、漢字では「美明」と書く。新興住宅地の中の非常に小ぢんまりした公園だが、林立する柱が変わった景観を作り出している。この柱は、確認された4棟の大型建物群の柱跡を表現したものだ。大型建物群は、溝で囲まれた区画にL字型に配置されていたという。

 この建物群が、後の律令時代の郡衙(ぐんが=地方政庁)と類似した特徴を持っていたことが屯倉と推定された理由のひとつだが、建物群が建てられたのは6世紀後半とみられ、磐井の乱よりも約半世紀後ということになる。また、この地は律令時代、糟屋ではなく「宗像郡席内郷」の一部だったとも言われる。これらの点から鹿部田渕遺跡=糟屋屯倉説に懐疑的な見方もあるようだ。遺跡の調査報告書は2007年度に古賀市教委から出されているが、以下のように結論付けている。

 「『糟屋屯倉』の設置目的を軍事的政治的拠点としての港の確保や海上交通に携わる外洋系海人集団の掌握と捉えるならば、鹿部田渕遺跡の官衙的大型建物群は、朝鮮半島との海上交通拠点である玄海灘沿岸部の港に関連する施設と考えられる以上、『糟屋屯倉』の対象から外れることはないといえる」
 
 回りくどい表現だが、要するに糟屋屯倉である可能性はゼロではないということだろう。発見当時と比べれば、かなりトーンダウンしたように感じられる。この遺跡が国ではなく県の指定史跡となったのも微妙なところだ。本当に糟屋屯倉の可能性が高いならば、文句なく国指定史跡になっても不思議はないと思うが。

 遺跡から足を延ばし、現在の花鶴川(大根川とも呼ばれる)河口を見てきた。10日程前、河口の海岸部で生後間もない女児の遺体が見つかったとのことで、情報提供を呼びかける粕屋署のチラシが貼られていた。市長の話に戻るが、公職選挙法の虚偽事項公表の公訴時効は3年。時効の起点が正確にはわからないが、市長選の投開票日が2010年11月28日だから、来年秋頃までには起訴・不起訴・起訴猶予の結論が出ていることだろう。

 <追記>古賀市長は2012年11月20日付で不起訴に。


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