注目されなかった小銅鐸出土


 前回取り上げた比恵遺跡群の発掘調査で、弥生時代後期(約1700年前)の井戸の跡から高さ5.5cmの小銅鐸が出土している。現地説明会資料によると、有力な大集落から出土することが多い遺物で、福岡市での出土は5遺跡7例目。全国での出土数は確認できなかったが、数年前に香川県で出土した際の報道では、この時点で約40例が見つかっていたようだ。希少な発見ではないと判断されたのか、今回の発掘調査に関する報道で小銅鐸出土に触れたものはなかった気がする。

 小銅鐸は朝鮮半島にあった同形の青銅器を模倣したものとされ、大型銅鐸の祖形とも言われている。今回の出土品には残っていなかったようだが、内部には舌(ぜつ)と呼ばれる振り子があり、ベルのように振って、あるいは揺らして音を奏でていたとみられている。市によると、今回出土の小銅鐸所有者は集落のリーダー、またはシャーマンで、祭祀に使ったと考えられるという。

 福岡市内でこれまでに出土した遺跡は、板付(博多区)、桑原・元岡(西区)、今宿五郎江(同)などで、このうち板付遺跡の小銅鐸は九州で初めて埋納された状態で出土した。この発見まで、弥生時代には九州地方を中心とした「銅剣・銅矛文化圏」と近畿を中心とする「銅鐸文化圏」があったとの説が支配的で、私が中高校生の頃は教科書にも記述されていたと記憶している。ところが、板付遺跡での出土以降、九州でも銅鐸や銅鐸鋳型の出土が相次ぎ、この「文化圏」説はとどめを刺された。小銅鐸の九州での出土は以前は大ニュースだったのだ。

 今回出土の小銅鐸はどのような目的の祭祀に使われたのだろうか。比恵遺跡群があるのは、那珂川と御笠川の間に挟まれた低い台地だが、今回見つかった弥生時代の遺構からは数多くの井戸跡が見つかっており、水の確保が大きな問題だったと推測されるという。後の古墳時代には食料備蓄基地でもあった官家が設置されたと考えられるのだから、あるいは乾いた土地だったのかもしれない。小銅鐸が井戸の跡から出土したことも考えれば、水に関する祭祀に使われたのだろうか。
関連記事
スポンサーサイト
[Edit]