1979年、浜田武重がいた場所


 1979年5月9日未明、福岡市東区箱崎6丁目の狭い市道上で、男性が倒れているのを通りがかった大学生が発見した。ちょうど写真の辺りだが、向かって左側には当時も今も九州大学のグラウンドがある。右側には地下鉄箱崎線が走っているが、 79年当時は廃止されたばかりの西鉄貝塚線(路面電車)の線路跡があった。使い勝手が悪いのか、車の通行量は現在でも少ない通りだ。

 倒れていたのは当時37歳の土木作業員で、すでに死亡していた。着衣にタイヤ痕があったことから、当初はひき逃げ事件とみられたが、警察の捜査が進むに従い、次々と不審な点が出てきた。前輪に続いて後輪にもひかれるのが普通なのに、片方の跡しかない。推測される車の速度は時速20~30kmと不自然なほど低速だ。しかも被害者に事件直前、多額の保険金がかけられていることがわかり、警察はひき逃げに偽装した保険金殺人との見方を強めていった。

 5ヶ月近くがたった同年9月27日、警察は事件に関わっていた疑いがある男3人を別件で逮捕、入院中の女の事情聴取を始めた。男の一人が確定死刑囚として現在も福岡拘置所に収監されている浜田武重で、当時52歳。女が内縁の妻。この前年、浜田夫婦と同居していた内妻の遠縁の女性が風呂場で、連れ子の高校生が用水路で相次いで溺死、浜田と内妻が保険金を受け取っていたことを警察はつかんでいた。後に「福岡3連続保険金殺人」と呼ばれる事件は、こうして明るみに出た。

 作業員殺しは4人の共謀で、大量の酒で酔いつぶしたうえで道路に寝かせ、ダンプカーで圧殺するという残忍な犯行だったことが明らかになった。残る2件は浜田夫婦の犯行。遠縁の女性は睡眠薬で眠らせ、連れ子はシンナーを吸って意識が朦朧となった後、水面に顔を押し付け殺害したという。浜田は最初、犯行のすべてを認めていたが、内妻が80年に病死した途端、78年の2件は「事故だった」と否認に転じた。しかし、裁判所は3件とも保険金目的の「極悪非道の犯行」と断じ、1988年、死刑判決が確定している。

 この時から24年。複数回にわたる再審請求が功を奏してか、刑は執行されていない。内妻の親族・連れ子殺しは直接の物証がなかっただけに、法務省も一抹の不安を持っていたのだろうか。

 逮捕時にまで遡れば、浜田死刑囚の拘置所暮らしはすでに33年に上る。今年3月で85歳。過去に80歳以上の死刑囚に刑が執行された前例はなく、彼もそれを知っているのは間違いない。真偽は確認出来ていないが、浜田死刑囚はこれ以上再審請求は行わないと明言しているらしいのだ。「もはや執行はない」と確信したのだろうか。(朝日新聞、読売新聞の各縮刷版を参考にした)
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