死刑囚脱獄未遂

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 多数の死刑囚を収容する福岡拘置所は住宅地のど真ん中にある。しかも福岡では「環境がよい」と評され、転勤族らに人気がある地域だ。拘置所の管理体制などが一定の信頼を得ているためか、普段は誰も存在を気にしていないが、1996年、死刑囚の脱獄未遂事件が起きている。独房の鉄格子を金ノコで切り脱走を図ったというもので、金ノコを差し入れたのは看守の一人(以下、Sと表記)。別の看守が気付き未遂に終わったが、責任を感じた所長が飛び降り自殺する事態ともなった。

 脱獄を企てた死刑囚とは、熊本大学生誘拐殺人の主犯格・田本竜也だ。彼が犯した大学生誘拐殺人とは、1987年9月、不良仲間3人とともに幼なじみの大学生を山中に誘い出して殺害。さらに大学生が生きているように装い、父親から身代金5000万円を奪おうとしたものだ。田本はこの時21歳。犯行を主導したとして1・2審で死刑、他の3人には無期~懲役18年の判決が下ったが、田本は自分だけが死刑となったことを「理不尽」と思っていた節がある。上告審の最中、「死刑を免れるには逃げるしかない」と事件を起こした。

 手助けしたSは同じ熊本出身の縁で田本と親しくなったらしい。以前から職場に不満を持っており、「上司が左遷されればいい」という信じ難い動機で田本の頼みに応じたという。Sの公判の中で、田本の脱走計画が一部明らかになったが、独房の窓から屋外(恐らく中庭)に出た後、別の棟からロープを使って拘置所外に出る目論見だったという。拘置所内の通路を示した手書きの地図を準備し、ロープもSが隠し持っていたようだ。

 外から見た限り、外部に面した福岡拘置所の窓は分厚いガラスがはめ殺しになっており、仮に独房から脱出できても、容易に所外に出られたとは思えない=写真=。Sの裁判では、弁護側は「そもそも不可能な計画だった」として情状酌量を求めている。ただ、誰の手助けもなく悠々と広島刑務所を脱獄した中国人受刑者の例もある。看守の協力があるのだから可能性はあったと考えるべきかもしれない。

 田本は1998年、死刑が確定。4年後の2002年9月に刑が執行された。この時36歳。刑執行時には「春田」と改姓していた。犠牲者1人で死刑が執行された例として記録に残っているが、自ら命を絶った当時の拘置所長をはじめ、彼に人生を滅茶苦茶にされた人間は現実にはもっと多いことだろう。
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