サラ金に追われCO中毒死

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 わが世の春を謳歌していた消費者金融業界は貸金業法改正で一転、青息吐息の状態らしい。以下に紹介するのは消費者金融を巡って起きたやりきれない事件の一つだ。恐らく自民党の族議員どもが阻んでいたのだろうが、この業界に対する規制をさっさと強めていれば、こういった悲劇や事件の多くは未然に防げたのではないだろうか。

 事件とは、福岡県甘木市(現在は朝倉市)の山中で1987年1月、家族4人がテント内で一酸化炭素中毒死していたというものだ。発見された時、死後約1か月。テント内には暖を取るための練炭があり、これが不完全燃焼したのが原因とみられた。テント内には大量の食糧が残されていた。

 真冬になぜ、4人はテントなどで生活していたのか。身元が判明し、理由が明らかになった。4人は同県筑後地方に住んでいた30歳代の会社員と妻、その子供の中学生と小学生の兄弟で、会社員は消費者金融に数百万円の借金を負っていた。厳しい取り立てから逃れるためだったのだろう。前年の暮れからキャンプ生活を送る一家を、付近の山荘の住民が目撃していたという。

 「サラ金地獄」という言葉が広まったのは1970年代後半らしい。2010年の改正貸金業法の完全施行で「グレーゾーン金利」が撤廃されるまで、消費者金融業界は利息制限法の上限(15~20%)を大幅に超える29.2%もの金利を課していた。だが、業界が拠り所としていた出資法の上限金利は、1992年まではさらに凄まじいものだった。実に54.75%。

 29.2%でさえ「一度借りたら完済は難しい悪魔的ビジネスモデル」と評されていたのだ。膨れ上がる借金と厳しい取り立てに絶望した借り手が、自ら死を選ぶ事件が度々起きていた。消費者金融で大手と言われたのは武富士、アイフル、アコム、レイク、プロミス、三洋信販の6社だが、東京の武富士を除き、カタカナ4社が関西、三洋信販が福岡の発祥。それが理由か、特に大阪や福岡でサラ金絡みの自殺が多かったとも言われる。

 だが、この一家は決して自ら死を選んだわけではなく、中毒死はあくまでも不幸な事故だった。テント内には食糧のほかに、グローブなど子供たちの遊具も残されていたという。山ごもりで一時的に取り立てから逃れたところで、何の解決になるはずもなく、逃走劇はいずれ破綻を迎えたことだろう。それでも、奇抜な方法ながら必死で家族を守ろうとした夫婦に、私は非常な共感を覚える。国が、消費者金融業界ではなく借り手の国民を守る方向に舵を切るのは、この悲劇から20年も後のことだ。

 一家の遺体が見つかった1987年は、バブル景気が始まった年と言われる。この年を象徴する出来事として、安田火災がゴッホの『ひまわり』を54億円で落札したことが記憶されている。個人的な感想だが、地方に住み続けていた私にはバブルの恩恵などかけらもなく、崩壊後の不景気だけがずしりとこたえた。
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