相撲部屋だった海の家

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 写真は、福岡市早良区のシーサイドももち。1989年に完成した人工海浜だ。大規模な埋め立てが行われる以前は、下の地図の「よかトピア通り」の辺りが海岸線で、ここには百道海水浴場があった。私が子供の頃には博多湾の水質悪化で遊泳禁止となっていたが、海の家だけは残っていた。大相撲九州場所の際に相撲部屋として使われていたためで、夏はガラーンとしているのに、冬は裸の大男でにぎわっているという変な海岸だった。

 ここに宿舎を構えていたのは、花籠、二子山部屋などで、一時期は輪島、貴ノ花、魁傑、若三杉といったスター力士が百道の海岸に勢ぞろいしていた。私の浪人時代の友人は高校生の頃、朝稽古の見学に花籠部屋に行ったところ、親方(らしき人物)から「お前、いい体しているな」と入門を勧誘されたというのが自慢だった。某高校ラグビー部でFWをしていた人物で、身長180cm以上、体重も90kg近い巨漢。親方はデカイ少年を見て冗談を言ったのだろうが、鍛えた巨体であるのは一目見てわかるので、案外本気だったのかもしれない。

 花籠部屋があったのは「ピオネ荘」というところで、九州場所の季節以外はコンパ会場としても使われており、私も高校時代、何かの打ち上げで利用したことがある。数年前、久しぶりにこの界隈を歩いたら、「旅荘ピオネ荘」という名前で残っていたのでびっくりした。ただ、この建物もいつの間にか取り壊され、跡地には今、しゃれたマンションが建っている。

 昭和の中ごろまでは海水浴客でにぎわい、その後は大男たちが闊歩していた海岸付近は、今では閑静な住宅街。面影はまったく残っていないが、ピオネ荘跡地近くの一角に海水浴場があったことを示す石碑があり、往時の写真を焼いたタイルが貼り付けてあった(下の写真)。遊泳禁止になる前から「汚い海水浴場」として有名だったとも聞くが、市中心部に近い交通至便な場所だったので、人気はあったのだろう。今ではあり得ないぐらいのにぎわいぶりを伝える写真だ。大勢の海水浴客がいるのにボートを漕ぎ出そうとしている人たちさえいる。いつごろ撮影されたものだろうか。


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コメント

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懐かしのピオネ荘

初めまして、ときどき興味深く記事を拝見させていただいています。

ピオネ荘は地図の西南学院高の高の字のところにありましたよね。
私も大学時代に何度かコンパで利用させていただきました。
よかとぴあ通りが海岸線だったのがほんの20年ちょっと前だったのが
不思議な気がします。

コメントありがとうございました

こちらこそはじめまして。
ピオネ荘の場所はおっしゃる通りですね。ピオネ荘の窓から百道の海岸を見下ろしていた記憶があります。
西南学院高校を出た私の友人は、卒業後初めて母校を訪ねた時、一帯のあまりの変貌ぶりに絶句したそうです。
そして、事前に知ってはいたものの母校に女生徒がいたことにもっと驚いたと言っていました。