板付基地で米軍機炎上


 小学校低学年の頃(昭和40年代)、米軍機を見るために板付基地(現在の福岡空港)に自転車でよく通っていた。F4ファントムが九州大に墜落するなど、福岡の空を米軍機が当たり前のように飛んでいた時代で、現在の沖縄と同様、激しい基地反対闘争がこの地でも繰り広げられていた。とは言っても、こちらは年端も行かない子供。基地に対しては「戦闘機がカッコいい」程度の印象しか持っていなかった。

 板付基地があったのは隣の校区で、自転車で行くのは低学年の子供にとって結構な冒険だったが、私みたいな戦闘機ファンの子供は当時意外に少なくなかった。轟音に耳をふさぎながらフェンス越しに離陸を見守っている者があちこちにいた。ファントム以外でもF86セイバーだのF104スターファイターだの戦闘機の名前に詳しい者も多かった。また、私自身は経験していないが、米兵からチョコレートを一箱もらったと自慢している者もいた。まるで終戦直後のような風景が当時の板付周辺にはあったのである。

 タイトルの米軍機炎上事件も、そんな時代に起きた。板付基地返還に伴い、米本国へ引き揚げを始めた米軍のRF101偵察機の1機が離陸に失敗、滑走路内で炎上したというものだ。改めて調べてみると、事故が起きたのは1969年(昭和44年)4月22日。ファントムの九大構内墜落事故の翌年に当たる。この当時、夕方のニュースで事故を知った私は、翌日学校が終わると自転車で板付基地に急いだ。滑走路の脇に真っ黒に焼け焦げた米機があったのを強烈に覚えている。

 この事故では幸い犠牲者は出なかったが、滑走路は一時、火の海となったらしい。市街地に米軍基地がある恐ろしさを今にして感じるが、考えてみれば、米軍基地でなく民間空港であっても同様の事故は起こり得る。福岡空港は世界でも有数の便利な空港と言われるが、飛行機が年間に14万回も離着陸するような大空港が市街地のド真ん中にあって良いものか、少々疑問に感じないでもない。

 福岡空港には現在も米軍施設があり、年間に100回程度は米軍機が離着陸している。
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