伊藤野枝の墓

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 福岡市西区今宿に伊藤野枝の墓があると聞いた。1923年(大正12年)、関東大震災直後の混乱の中で、夫で無政府主義者の大杉栄、大杉の甥の橘宗一(当時6歳)とともに、憲兵大尉の甘粕正彦らによって虐殺された女性解放運動家だ。今宿は伊藤の出身地。大杉、伊藤の墓は静岡市葵区の沓谷霊園にあるが、2人がここに葬られるよりも先に、伊藤の親族が非業の死を悼み、今宿の海岸沿い(写真上、西区横浜の今山遺跡から撮影)の松原に墓を建立したのだという。

 当時は国賊扱いだったこともあり、自然石を置いただけのひっそりした墓で、墓碑銘さえ刻まれていなかったらしい。戦後、市営住宅建設に伴って立ち退きを迫られ、墓石はいったん早良区の寺に移されたが、1995年に遺族によって再び今宿に戻されたと言われる。だが、その場所がわからない。伊藤、あるいは大杉に対する悪感情からか過去に墓石が被害を受けたこともあり、場所を秘したとも聞く。

 ただ「今宿青木の山中にある」という情報があった。今宿にある山など長垂山(写真上の左端)ぐらいしか思い浮かばない。そこで山中を探索してきた。標高は120mに満たない小さな山で、一部公園化もされている。この山にあるのならば、案外簡単に見つかるのではと思ったが、結論から言えば「甘かった」。一歩遊歩道から外れると、生い茂った木や草が侵入を阻み、クモの巣も凄まじかった。しかもこの山は紛らわしいことに自然石の露頭が多い。山頂付近に観音像があったが、刻まれた文字を読んだ限りでは無関係のようだった。

 静岡の墓では2003年の80回忌まで、毎年堂々と法要が営まれていたという(関係者の高齢化で現在は中止)。だが、故郷の今宿では墓の場所さえ公にされていない。地元ならではの感情があるということだろうか。伊藤は東京の女学校卒業後、いったんは帰郷し、親の命で結婚している。しかし、数日で婚家を出奔し女学校の英語教師(ダダイストで有名な辻潤)と同棲を始めたという。さらに、辻と別れた後、大杉との間に5人の子供をもうけている。当時としては奔放な行動に対し、反発があったことは容易に想像できるが。

 来年は伊藤の90回忌。100回忌もすぐに来る。個人的には無政府主義には賛同できないし、伊藤の生き様や思想に共感するわけでもないが、近現代史の中でそれなりに名を知られた女性解放運動家の存在を、地元がまったく再評価することもなく忘れ去っていいものだろうか、とは思う。今宿だけでなく、福岡市全体の問題として一度は考えても良い気がする。
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