秋月は城下町?

DSCF6723.jpg

DSCF6718.jpg

DSCF6708.jpg

 先日、福岡県朝倉市の秋月地区を7年ぶりに散策してきた。江戸時代は秋月黒田藩5万石(福岡藩の支藩)が治めたところで、現在も城下町の風情が色濃く残る。町の玄関口に架かる目鏡橋(1810年完成)を渡りながら、「この町はいつ来ても変わらないな」と思っていたが、自宅に帰って目鏡橋の写真を7年前と今回とで見比べてみると、何か違う。調べてみると、完成当時の姿に近付けるため2006~7年に整備工事が行われたという。この時、路面のアスファルトがはがされ、本来の姿の石畳に戻されていたのだ。何も変わらないどころか、大きく変わっていたのである。

 ところで、秋月は「城下町」と呼ばれ、現在秋月中学校がある一帯は「秋月城址」と言われている。だが、秋月黒田家が拠点としていたのは「城」ではなく、「陣屋」と呼ぶのが正確らしい。一国一城令により、筑前領内には福岡城以外の城はないはずだからだ。九州大学のデジタルアーカイブの中で、『筑前秋月藩館下之図』が紹介されているが、確かにこれを見る限りでは、建物が平屋ばかりのためもあり、城という感じはない。大きな屋敷といった雰囲気だ。

 ただ、前面には今も残る堀と石垣が配され、背後は山で守られている。また、瓦坂を登ったところにあった大手門(黒門、現在は城址横の垂裕神社に移されている)は坂の正面に配置されておらず、直角に右に曲がったところにある。正面は大規模な石垣だ。建物の配置もかなり複雑で、恐らく相当に堅固な構造だったことだろう。

 近世陣屋の研究者によると、城と陣屋との間には実は明確な区別はないらしい。建物規模の大小だけで判断しようとすると、研究者の主観に左右されるケースも多いという。また、幕府による大名の格付けに従い、「国持ち大名」「城持ち大名」の居所を城、そうでない大名(格付けは下)の居所を陣屋と呼ぶ考え方もある。この考え方では、秋月黒田家の格付けは「城持ち大名」であり、「秋月城」と呼んでも間違いではないことになる。陣屋町という言葉はあるらしいが、やはりこの町を「陣屋町秋月」と呼んだのではしっくりこないのは確かだ。

 写真は上から秋月の町並み、目鏡橋と石畳に変わった路面。下の4枚は順に、秋月中学校、堀を渡る瓦坂、黒門、長屋門。黒門、長屋門周辺は間もなく美しい紅葉に染まる。


DSCF6683.jpg

DSCF6702.jpg

DSCF6697.jpg

DSCF6700.jpg
関連記事
スポンサーサイト
[Edit]