奥寺選手が11人


 サッカー・ワールドカップを初めてテレビで見たのは1982年のスペイン大会だった。イタリアが3度目の優勝を飾り、得点王には同国のストライカー、パオロ・ロッシが輝いた大会だ。ジーコやマラドーナ、プラティニ、リトバルスキーらの選手や、アフリカ勢の驚異的な身体能力が注目を集めた大会でもある。

 当時の日本サッカー界は実業団による日本リーグが地味に繰り広げられていた時代で、代表チームは五輪アジア予選でさえ惨敗を繰り返していた。ワールドカップなど夢のまた夢というレベルだった。深夜にワールドカップを中継していたNHKのアナウンサーが彼我の格差にため息をつきながら「日本がこの舞台に立つためには何が必要でしょうか」と解説者に尋ねたことが印象に残っている。解説者の答えは明快だった。

 「奥寺君が11人いることです」。

 奥寺君とは言うまでもない。1977年からただ一人ヨーロッパに渡り、ドイツのブンデスリーガで活躍していたプロサッカー選手、奥寺康彦氏のことだ。当時の日本にはプロサッカー選手自体、奥寺氏しかいなかった。解説者が言いたかったのは、海外で活躍するプロ選手で代表チームを作れるようになれば、日本がワールドカップで戦うことも夢ではないということだったと思う。

 日本がワールドカップに初出場するのは、それから16年後の1998年フランス大会。この時の代表メンバーに海外組はいなかった。その意味では解説者の予言は外れたが、初出場に先立つ1993年にJリーグが発足、国内のサッカー環境が日本リーグ時代とは比較にならない状況となっていた。全盛期を過ぎていたとは言え、ジーコやリトバルスキーらが日本でプレーする時代となっていたのだ。

 海外でプレーする日本人選手は現在、20人を超えている。国内組にも能力が高い選手は多いため、代表すべてが海外組とはいかないが、「奥寺君が11人」という状況はすでに超えている。1982年当時、こんな時代が本当に来るとは想像もできなかった。リトバルスキーが我がアビスパ福岡の監督となり、さらには成績不振で解任されるなどもっと想像できないことだったが。

 サッカーは普段、今も昔も代表の試合ぐらいしか見ない「にわか」以下の人間だが、このニュースを知って「奥寺君が11人」発言を思い出した。サッカーで飯を食っている日本人が、日本人選手のヨーロッパ進出に暴言を吐くなど、本当に時代が変わったと痛感する。

 「奥寺君が11人」発言の解説者が誰だったかは覚えていないが、今と違って専業のサッカー解説者が存在できた時代ではない。NHKの放送によく呼ばれていたのは、当時すでに日本サッカー協会の重鎮だった岡野俊一郎氏が多かったような気がする。(別ブログに書いていた話をこちらに移した。写真はアビスパ福岡のホーム、レベルファイブスタジアム)
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