富士見崎

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 福岡市早良区百道浜にある福岡タワー展望台(高さ123㍍)に上り、西側の糸島半島にある可也山を写真に収めてきた。あいにくの薄曇りで遠くの景色は霞んでいたが、山の姿形は確認することができた。円錐形の美しい山容から「糸島富士」「筑紫富士」などの別名がある山だ。写真を見る限りでは結構な高さにも思えるが、実際の標高は365㍍。本家の10分の1程度に過ぎない。

 この山は東側の福岡市方面から見た方が美しいとも言われ、福岡市西区には富士見という町がある。現在は「富士見」と付く地名は市内に他にないが、早良区藤崎が昔、富士見崎と呼ばれていたという話が地元に伝わっている。名前から判断する限り、昔は博多湾に突き出た岬で、湾越しに可也山を一望できたのだろうか。

 恐らく戦後、建物が増えて見えなくなったため地名が変わったのだろうと思い、江戸時代の史料を物色したが、不思議なことに富士見崎という名前は一切出てこない。宝永6年(1709年)に編まれた貝原益軒の『筑前国続風土記』には「藤崎村 麁原村の内」と記され、文政4年(1821年)完成の『筑前名所図会』にもしっかり「藤崎」と書かれている。

 地名の由来を調べるには絶好の資料とも言われる『福岡県の地名』(平凡社)、『福岡県地名大辞典』(角川書店)もめくってみたが、こちらにも富士見崎などの記載はない。「藤崎=富士見崎」説は本当なのだろうかと疑問に思い始めたところ、福岡市刊行の『ふくおか歴史散歩』の第三巻に以下のような記述を見つけた。

 「(略)富士山に似た可也山が遠望できたので、藤崎を富士見崎といった。しかし江戸時代に入り百道松原や人家が建ち並び、可也山が遠望できなくなったため『フジミサキ』から『フミサキ』『フジサキ』と町名の呼び方が時代とともに変わってしまった」

 出典は明記されていなかったが、この記述を信じるならば、藤崎から可也山が見えたのは江戸時代初期、または安土桃山時代までだったということになる。江戸時代の史料を見ても富士見崎の名前は出てこなかったはずである。しかし、そうなると地元では江戸初期以前の地名が言い伝えられてきたことになる。藤崎と隣接する西新一帯は江戸時代に百道松原が植林されるまで、ほぼ無人の地だったと言われる。どうやって「富士見崎」の名前は伝えられてきたのだろうか。まだ、疑問は残る。
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